気功体験3

気ということがわかって、それを少し用いることが出来るようになってくると、体調を崩したとき早く快復するなあ という感じがしてきます。第三者的にも病気の快復が早いという印象を持たれるようです。

以前こんなことがありました。

 小児糖尿病で治療している小学生の女の子に出会ったときのことです。三人姉妹の真ん中で、当時高校生の姉と障害を持った妹さん三姉妹の真ん中でした。お母さんの負担の何かが少しでも減ったら、という印象を受けてある日、小児糖尿病の女の子の体の緊張をゆるめる方法をお教えしました。数日後、血糖値が下がったといって大変喜んでくださいました。それから大分たった頃、実はこれをしてやれば下がるもう大丈夫と思った時からさっぱり効果が無くなったとおっしゃるのです。気功は名称として知っている程度の方でしたが、最初の頃は何もわからずただ一心によくなって欲しい親心と少しでも良くなりたい本人の心が一致して深い集中力を発揮したのですが、これでよかったと思ったとたんに集中を欠いてしまったということだったようです。

 このとき、効果があるのでするのではなく、結果として効果がある。効果を求めて行うのではなく、無心になることの結果として効果がでてくるということを知らされました。

 

気功を続けていくうちに体感に波があります。はじめは小周天をやっていてすごく気持ちよかったけど、さっぱりその感じがなくなったとおっしゃる方は多いようです。生活の中で、意識して(緊張)集中することにはなれているものの、ぽかんと(リラックス・放松)して集中することには少々熟練を要するといったところでしょうか。

まったく気の感じがわからないとおっしゃっていた方が、大きく体調を崩したときわかり始めたということもあります。

 

しかし、いったい病気って何なのでしょう。

 

こんな体験をしたことがあります。

三十代半ばごろアレルギー性の皮膚炎に悩まされていました。強い薬を塗ればよいのですが、そんなに使いたくない気持ちもあって掻き崩れてひどい状態でした。ぼんやりと過ごしていたときふと不思議な感触に気づき改めて皮膚炎を起こしている所を服の上から少し間隔を置いて手の平を置いて見ると明らかに涼しい風のような感触が吹き上げていました。友人に何も言わずに確かめてもらったところやはり涼しい感触があり、その後よく観察してみると痒いときにその感触を確かめることができました。そして、これは体の表面だから分りやすかったのですが体の中の炎症でも同じことだろうなあと思いました。それは痒くて掻き崩すと不愉快なので何とかしたいと思うのですか、炎症を薬をぬってふさいでしまうと何故か気の流れが滞ってしまう不快感、発散しきれない不快感(ちょうどマニキュアを爪に塗ったときの感触)を伴うことに気づきました。 

 

病気を西洋医学的見地からはなれて、生命現象とみたとき、子どもの発熱は消毒の意味があったり、体にいらないものを排泄したり、

わたしたちは生まれてこの方、体調を崩したり治したりの繰り返しをしながら生きる命を守っているのかもしれません。考えてみると病気や怪我は、忙しい体を休めるようであったり、親しい人の注意を引くようであったり、何かを許してもらうようであったり、ことばでは言えない何かしらメッセージを含んでいるように思えます。

病気を治すことに,また予防に懸命になればなるほど遠のいていく何かを感じます。

体のレベルでの、病気やけが。

心のレベルでの、様々な出来事。

人は知恵とお金によって、生きるエネルギーを大きく見せるということ知り、それによるトラブルも多くなりました。

 

生きるエネルギーを十分発揮して喜怒哀楽を無心で楽しむ。

万病消。

万災消。

 

 

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