帝国歌劇団対御神楽少女探偵団
Teikoku Kagekidan vs Mikagura Shoujo Tanteidan
第1話
〈はじめに 少女達の休日〉
西暦一九二三年七月。(今回は年号ではなく敢えて西暦表記)
帝都・東京は銀座二丁目に立つモダーンな外見の守山ビル。その二階にある「御神楽探偵事
務所」の事務所。
そこに勤めている少女、桧垣千鶴宛てに手紙が来ていた。その中には案内状と共に二枚の入
場券が入っていた。
「帝國歌劇團乙女組・新人披露特別公演の御案内
日頃帝國歌劇團を御愛顧頂き、誠に有難う御座います。
本日は本年度入團の帝國歌劇團乙女組新人の特別披露公演の御案内をさせて頂きたひと
思ひます。
皆樣御存知の通り、帝國歌劇團は花組、月組、風組、夢組、雪組といふ五つの組が御座居ま
すが、その下に乙女組といふ新人を中心とした組が御座居ます。明日のスタアを目指し、日々精
進してゐる彼女達にも皆樣の暖くわい聲援を贈つて頂き、又彼女達の成長を此れからも皆樣に
見守つて頂きたひ、といふ思ひから私、米田一基は今囘の特別披露公演を行なふことを企畫し、
幸ひにも多くの皆樣の御賛同を得ることが出來、今囘開催の運びと相成りました。尚、今囘の公
演には皆樣に日頃御愛顧頂ゐてゐる花組の一同も特別出演を致します。
公演の内容は以下の通りとさせて頂きます。
開演時間・八月一日 午後三時より
曾塲・大帝國劇塲(銀座四丁目)
演目・『白雪姫』(グリム童話より)
出演・帝國歌劇團乙女組新人(イロハ順)
五十嵐桃子、野紅葉、村雨あおひ、栗原小萩、眞鍋かりん、宮澤菊江
特別出演・帝國歌劇團花組(イロハ順)
李 紅蘭、~崎すみれ、マリア・タチバナ、アイリス、桐嶋カンナ、眞宮寺さくら
どうか皆樣お誘ひの上、御來塲頂きたひと思ひます。
大帝國劇塲支配人 米田一基」
千鶴は案内状の中に親友の高野紅葉の名前を見付けた。
(…紅葉ちゃん、いよいよ舞台にでるのね)
その手紙も紅葉が出したものだった。
*
今から三ヵ月前の四月のことだった。
カフェー『山茶花』の窓側の席に二人の少女が向かい合って座っていた。千鶴と紅葉の二人だ
った。『山茶花』は千鶴の知り合いが働いていることもあって、彼女はここを結構利用しているの
だった。
「…そう。じゃ、明日から合宿生活になるのね」
「うん。乙女組で一年くらい基礎をみっちりやってから、それぞれの組に分けられることになるの
よ。だからこうして千鶴ちゃんと会う機会も少なくなっちゃうわね」
「私のほうは気にしないでいいわよ。いまは歌劇團の方だけ考えて」
「そうね。あたしもいつか、さくらさんやマリアさんのように舞台の上で皆に注目される女優になり
たいわ。そしたら、千鶴ちゃんに背景を描いてもらいたいな」
「それは無理よ。私の絵なんかまだまだ未熟だもん」
千鶴は絵の方で皆に注目されるようになりたい、という願望がある。結局は世間の注目を浴び
たい、というのは共通しているのかもしれない。
「でも、信じられないわ。あのお転婆娘で有名だった紅葉ちゃんがまさか歌劇團なんかに
入るなんて…」
「試験受けたらたまたま受かっちゃったのよ。当のあたしが一番信じられないわ」
彼女たちが知り合ったのは一年程前のことだった。福島から上京してきた紅葉がたまたま千鶴
の近くに住んだことから、二人は親友となったのだが、当時から紅葉は「男勝りのお転婆娘」とし
て近所でも評判だったのだ。
そんなことを話してからもう三ヵ月の月日が流れた。それから手紙のやりとり程度はあったが、
どういう生活を送っていたか千鶴は知らなかった。まあ、「便りがないのは元気な証拠」ともいうか
ら大して気には止めていなかったが…。
*
「大帝國劇場? 行くっ!」
鹿瀬 巴は千鶴からの誘いに即答で答えた。
「私、さくらさんの大ファンなんだ。さくらさんが出る、っていうなら何があってもいくわよ。それにあ
そこ、事務局の通用口からしか入ったことないんだよね」
「事務局?」
「うん。たまにあそこから出前の注文が来るんだ」
「そう言えば、わたくしも大帝國劇場には行ったことがありませんから、ちょうどいい機会ですわね。
…でもいいんですの、桧垣さん? 入場券は二枚しかありませんのよ」
久御山滋乃だった。
「いいんです。私は自腹を切って入場券を買いますから」
「でも、帝國歌劇團、ってすごい人気なんでしょ? 入場券手に入るかなあ…」
「…その、帝國歌劇團、って人気あるのですか?」
椅子に座って新聞を読んでいた男が初めて彼女達のほうを向いた。ここの所長、御神楽時人
である。
「先生、って本当に何も知らないんですね。帝國歌劇團、っていったら帝都でも大人気の女の子
だけの劇團で、公演の切符もなかなか手に入らないんですよ」
「…それで、その公演、っていつやるんですか?」
「ええ。来月の一日、午後三時からの公演ですね」
「成程。じゃあ、その日は君たち午前中で帰っていいですよ」
〈其ノ壱 乙女組披露公演〉
八月一日、大帝國劇場。
「わあ…すごい行列だわあ…」
巴が大帝國劇場に並んでいる行列を見て言う。
「ふーん。すごい人気のようなんですわね」
滋乃が言う。
「すごいなんてもんじゃありませんよ。予約席なんかあっという間に売り切れてしまうそうなんです
から。まあ、今回は花組の皆さんも特別出演するからかもしれませんけど」
千鶴が言う。
「花組かあ…、楽しみだなあ。さくらさんの演技をこの目で直に見る機会に恵まれるなんて。花束
くらい買っておけばよかったかなあ」
巴は昨日は興奮して、なかなか寝付けなかったらしい。
滋乃はそんな巴に半ば呆れつつ、
「…桧垣さん。わたくし達の番ですわよ」
「あ…、はい」
結局千鶴は送られた切符を巴と滋乃にあげ、自分は入場券を買い、中に入ることにしたのだ。
予約の取消があったお陰で、滋乃の隣の席の切符を手に入れることができたのは幸運だった。
千鶴が切符を三枚出した。
「はい、三名様。一階の指定席ですね」
ネクタイにベストを着たモギリの男が切符に鋏を入れた。
「もうすぐ開演ですのでお席でお待ちください」
「あれ、あの人…」
他の客の案内をしていた榊原由里がその三人組の少女を見る。
その中のひとりに彼女は見覚えがあったのだ。
*
「乙女組控室」の紙がぶらさがっている控室。
舞台衣装姿のマリアはノックするとドアを開けた。
乙女組の少女たちは既に舞台衣装に着替え、準備をしていた。
が、いよいよ人前で演技をする、という緊張感からか六人は落ち着かない様子だった。
手に人と書いて飲み込んでる少女、大きく深呼吸をしている少女、本番前なのに台本を読んで
自分の台詞をブツブツとつぶやいている少女…。
(…そういえば私も、旗揚げ公演はこんなだったな)
マリアは一年前の帝國歌劇團花組旗揚げ公演を思い出していた。
あの時は花組もまだ自分の他にカンナ、すみれ、アイリスの四人しかいなく、慣れない芝居にも
かなり苦労したものだったが…。
今の彼女たちにはその頃の自分の姿が思い浮ぶ。
「こらこら、まだ緊張するのは早いわよ」
マリアは六人に話し掛けた。
「でもあたしたちは初めての舞台だから…」
六人の中でリーダー格のあおいが言う。
「紅葉を見習いなさいよ。初舞台だってのにあんなにバクバク食べてるじゃないの」
紅葉の机の上にはキャラメルの箱が置いてあった。彼女の大好物ですでに一箱がなくなろうと
している。
「あれでも緊張してるんですよ。いつもより食べ方が速いんですから」
マリアは紅葉の机に近付いた。
そして、彼女の机のキャラメルに手を伸ばす。
それに気付いた紅葉はマリアの方を向く。
「あ、マリアさん…」
「何、紅葉。あなたも緊張してるの?」
「いえ、その…」
「何も緊張してるのはあなただけじゃないのよ」
そういうとマリアは包み紙を剥ぎ、キャラメルを口の中に放り込んだ。
「マリア、おめーら。そろそろ始まるぜ」
これもまた舞台衣装姿のカンナがドアを開けて、マリアと乙女組の六人に呼び掛けた。
「わかったわ。じゃ、みんな行くわよ」
「はい!」
「よし、いい返事ね」
そういうとマリアは六人を引き連れて楽屋を出た。
「じゃ、カンナ。行くわよ」
「了解」
そしてマリアとカンナの先導で舞台へと向かっていった。
舞台袖。
すでにさくらたち四人が衣裳に着替えて待機していた。
「…さあ、いよいよ始まりよ。いい? 今まで稽古でやってきたことをしっかりと出すことができれ
ば、必ずうまくいくから、そう緊張しないでね」
「はい!」
「…じゃ、マリアさん。あたし、準備してきます」
「わかったわ、さくら」
「さくらさん、頑張って!」
さくらは一同に向かって微笑むと、舞台へ歩いていった。
*
「…たいへん永らくお待たせいたしました。ただ今より帝國歌劇團・乙女組特別披露公演『白雪
姫』を開演いたします。会場の皆様、どうぞ最後までごゆっくりご観覧下さい」
場内アナウンスが響き、ゆっくりと幕が上がる。
舞台はさくらが暖炉の前で揺り椅子に座っている場面から始まった。
「キャーッ、さくらさーん!」
巴が歓声を揚げる。
その声を合図にしたかのように、
「さくらさ〜ん!」
「さくらさん、素敵〜!」
会場のあちこちから声がかかる。
「…桧垣さん」
滋乃が小声で千鶴に話し掛ける。
「なんですか?」
「…あの赤いリボンの女の人、そんなに人気あるんですの?」
滋乃は赤いリボンで髪をまとめた少女に対する声援がやたらと多いのに気が付いた。
「ええ。真宮寺さくらさん、と言って入団してすぐに人気が出た人なんです」
「千鶴ちゃん、静かにして! さくらさんが台詞言ってるんだから!」
巴だった。
*
知っている人も多いとは思うが、グリムの『白雪姫』とはこんな話である。
雪のような白い肌を持ったことから白雪姫と名付けられた少女。しかし、彼女は「自分こそ世界
一美しい」と思っているナルシストの継母(グリムの初版本では「実母」だったらしいが)の王妃に
疎んじられ、ついには殺されかけてしまう。猟師の機転で助けられた彼女は森の小さな一軒家に
迷いこみ、そこの七人の小人たちと過ごすようになる。ところが白雪姫が生きている、と知った継
母は自らの手で白雪姫を抹殺しようとするが……。
後年ディズニーが♪ハイホー、ハイホー♪でお馴染みのアニメ化をしたこともあって、グリム童
話の中では一、二の知名度を争うのではないだろうか。
今回の公演は主役の白雪姫を紅葉が演じ、小萩が継母、残り四人が小人を演じ、花組の面々
はマリアが王子様、カンナが猟師と王子の家来の二役、さくらが実母と家来の二役、すみれ・ア
イリス・紅蘭の三人が七人の小人の内の三人を演じている。
*
カンナ演じる猟師が白雪姫を逃がす場面に入っていた。
「…お嬢さん、早く逃げなさい!」
「あ、ありがとう。猟師のおじさん」
そういうと白雪姫は退場していった。
「…ふう…。女王さまには猪でも捕まえて、その心臓を渡せばいいか…」
舞台袖。
「お疲れ様、紅葉」
「なかなかいい演技やったで」
花組の面々が出迎えた。
「ありがとうございます。…でもカンナさんには及びませんよ」
紅葉が言う。
「カンナだって最初のころはあなたみたいだったんだから。心配しなくていいわよ」
マリアが言う。
*
「ふう、今日も満員。よかったな…」
大神一郎はゆっくりと伸びをした。
モギリというのは客を入れてしまうと後はほとんどすることがない。まあ、ときどき遅れてくる客
はいるんだが、それもごく少数である。
「お疲れ様、大神さん」
事務局の藤井かすみが茶の乗った盆を持ってきた。
「ありがとう、かすみくん」
大神は茶を一口啜る。
「どうなるかと思ったけど、満員でよかったわね」
由里も二人のもとにやってきた。
しばらく大神はかすみと由里を交えて世間話をしていた。と、
「あ、大神さん」
売店の売り子をしている高村 椿がやってきた。
「ちょっと椿、いいの? 売店は」
「どーせ公演中に買いにくる人なんていませんよ」
「ハハハ。それもそうだね」
「…そう言えば大神さん」
由里が話し掛けてきた。
「ん? なんだい?」
「大神さん、覚えてるかしら? さくらさんやすみれさんたちと同じくらいの歳の三人の女の子がお
客様の中にいたでしょ」
「…ああ。そういえばいたね。ひとりがさくらくんみたいな髪型してたから覚えてるんだ。それがど
うかしたのかい?」
「ええ。この近くに『山茶花』という名前のカフェーがあるでしょ」
「ああ。あの無口なマスタアがやってる、とかいう店か。あそこ、珈琲がなかなか美味しいんだよ
ね」
大神は『山茶花』には行ったことはないのだが、ときどきかすみや由里が珈琲やケーキを出前
で取ることがあって、彼もそのお裾分けにあずかっていた。
「この間もかすみとそこにお茶を飲みに行ったんだけど、そこの女給さん(今で言うウェイトレス)
があの人たちの中にいたのよ」
「女給さん?」
「あ、大神さんは知らないか…。出前受け取る時も事務局の入口から入ってもらってたもんね」
「その子も花組のファンなのかしら」
かすみが言う。
「オレはそういうことよくわからないけど、これだけの人気なんだ。ファンがいたっていいんじゃな
いのか?」
*
場面は変わって小人の家。
袖から七人の小人がでてきた。
と、
「アイリスちゃ〜ん!」
「すみれ様〜!」
「こうら〜ん!」
これまたあちらこちらから声がかかる。
「…すごい声援ですわね…」
滋乃が呟いた。
*
「すごいなあ…すみれさんたちの演技、あたしたちとは比べものにならないわ…」
舞台袖から花組の演技を見ているあおいと紅葉。と、紅葉が、
「あの、マリアさん…。咽喉渇いちゃったんですけど」
「よっぽど緊張してるのね…。わかったわ。誰か水持ってきて!」
「はい!」
そう言うとあおいが出ていき、しばらくして、水の入ったコップを持って戻ってきた。
「いい? あんまり飲まないのよ」
「はい」
そういうと紅葉はコップの水を飲んだ。
*
これは知っている人がいるかどうかは知らないが、継母は実は白雪姫を三度「殺す」のである。
一度目は胸の下を絞る紐で圧殺。二度目は毒を塗った櫛で髪を梳くと見せ掛け、頭に櫛を刺す。
そして三度目がご存じの毒林檎を食べさせる、という方法である。
幕は三度目の毒林檎で殺す方法に入っていた。
「あっ…」
毒林檎を食べた白雪姫が倒れた。
ニヤリと笑った継母が化けた魔女が退場していく。
場面は変わって城の中。
「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのはだあれ?」
「お妃様、それはお妃様です」
それを聞いたお妃は満足気な表情を浮かべた。
*
一方その頃、小人たちの家。
「白雪姫!」
小人たちが舞台に上がってきた。
ここでの段取りは白雪姫をいろいろと介抱を試みる段取りなのだが……。
「白雪姫!」
紅蘭が紅葉演じる白雪姫に触れた。
「えっ…?」
その瞬間、紅蘭の顔色が変わり、素の表情に戻ってしまった。
「そ、そんなアホな…」
茫然とする紅蘭。
「紅蘭、台詞、台詞!」
アイリスが小声で催促する。
しかし紅蘭はすっかり台詞を忘れてしまったようだ。
「紅蘭、どうなさいましたの?」
ついに堪えきれず、すみれが大声で言う。
「マリアはん、紅葉の様子が変や! 来てくれますか?」
紅蘭は袖に向かって叫んだ。
その声を合図にしたかのように、舞台袖に控えていた面々が舞台中央に出てきた。
観客もただならぬ雰囲気を察したか、騒めきだしている。
「紅葉、おい紅葉!」
カンナが言い、彼女の体を揺らす。
しかし、紅葉は全然動かない。
カンナが上半身を起こす。と紅葉がガクッ、とうなだれた。
瞬間、カンナの顔色が変わった。
「…まさか!」
カンナが紅葉の手首に触れる。
「…どうしたの、カンナ?」
マリアが話し掛ける。
「…死んでる…」
「何ですって?」
「…間違いねえ。死んでるよ…。死んじまってるよ!」
それを聞くが早いか、マリアは放送室に、
「幕を下ろして! それから由里、公演中止の案内をお願い!」
「はい、わかりました!」
放送席の由里が言う。
そして幕が下り始めた。
「…誠に申し訳ございません。只今、舞台で事故が発生いたしましたので、本日の公演は中止と
させていただきます。尚、入場券の払い戻しは正面玄関の方で行ないますので、皆様、係の者に
お申し付けくださいませ。本日は皆様に御迷惑をおかけ致しました事を心よりお詫び申し上げま
す。もう一度お知らせします…」
由里のアナウンスが響く。その声にマリアはうなずくと、
「さくら、隊長とあやめさんを呼んできて! すみれは警察をお願い! アイリスは乙女組のみん
なを、紅蘭は裏方のみんなを楽屋に帰して。それからカンナは私と一緒にここでいて、現場に誰
も入れないように見張ってて」
「わかりました!」
「わかりましたわ!」
「わかった!」
そして花組の面々は散っていった。その様子を見ていた放送室の由里が、
「マリアさん、あたし正面玄関の方に行ってきます!」
入場券の払い戻しの対応のことを言っているのだ。
「わかったわ。かすみと椿にも手伝わせて」
「はい!」
由里が放送室を離れる。
「さーすがマリアだな。冷静じゃねえか」
カンナが言う。
「…そうでもないわ、私だってびっくりしてるのよ。でも、こうでもしないと何か落ち着かないのよ」
マリアは紅葉の死体に近付くと、胸の上で手を組ませた。
「でも、何でこんなことに…」
「…マリアはどっちだと思う? 自殺か? それとも他殺か?」
「正直言ってどっちとも言えないわね。警察の結果を見なきゃ…」
*
「人が死んだ、ですってえ?」
巴は幕が下りたままの舞台を凝視したままだった。
「こ…、これは時人様にお知らせしたほうがよろしいですわね」
滋乃が言う。
「そ…そうね。たしかこの劇場のそばに自働電話があったはずよ。千鶴ちゃん、先生に連絡お願
い」
しかし千鶴から返事がない。
「…千鶴ちゃん?」
見ると千鶴はハンドカチイフで目を押さえている。
「檜垣さん、どうなさいましたの?」
「…も、紅葉ちゃんが…」
巴は千鶴の様子がおかしいのに気付き、
「…久御山さん。連絡は私が行ってくるから、千鶴ちゃんのことお願い!」
*
「マリアさん、警察に連絡しましたわ。すぐ来る、って言ってましたわ」
「わかったわ。じゃ、すみれも楽屋に戻っていいわよ。服を着替えたら、私の指示があるまで楽屋
にいて」
「わかりましたわ」
すみれがその場を離れるとほぼ同じく、大神とあやめを連れてさくらが戻ってきた。
「紅葉くんが死んだ、って本当か、マリア?」
大神も驚いているようだった。
「ええ。何か青酸か何かによる中毒死らしいんです」
「青酸だって?」
あやめが紅葉の死体に近付き様子を見る。
「…確かにその通りね。顔が桃色に染まる青酸死特有の症状が出ているわ。…あ、ここは私と大
神くんが引き受けるから、みんなは楽屋に戻ってて。それから、米田支配人にもここに来るように
お願いしておいて」
あやめが言う。
「はい。何かあったら呼んでください。それまで楽屋にいますので」
「わかったよ」
そして、マリアたち三人は舞台を離れた。
それを見届けたあやめはハンドカチイフを取り出すと、紅葉の顔の上にそっと広げる。
彼女が十字を切って合掌する(あやめはクリスチャンである)のを見て、大神も紅葉の遺体に向
かってそっと手を合わせた。
*
「…鹿瀬さん、遅いですわね。時人様に連絡しに行っただけだというのに…」
千鶴の肩を抱いたままの滋乃が呟いた。と、
「…お客様、どうかなさいましたか?」
髪を脇でひとつに束ねた和服の女性が滋乃たちに話し掛けてきた。
「あ、い、いえ。なんでもありませんわ。…そ、そうですわ! 払い戻しをお願いできますかしら?」
巴が戻ってくるまで時間を稼ごうと思ったのだ。
しばらくして巴が戻ってきた。
「あ、鹿瀬さん。どうだったんですの?」
「うん。蘭丸君が出たんだけど、先生、今出掛けてるらしいのよ」
「それでどうしましたの?」
「先生が戻って来たら、蘭丸君の方から伝えておくから心配しないでくれ、って。まあ蘭丸君のこ
とだからちゃんと連絡するとは思うけど、そうなると、また後で先生に詳しいことを報告しなきゃい
けないわね」
「…鹿瀬さん。ひとまず客席に戻りましょう。また見つかったらあとあと面倒なことになりますわ」
滋乃が言う。
「そうね、…さ、千鶴ちゃん、行こう」
「はい…」
その時だった。
「はい、どいてどいて。警察だ!」
玄関の方で声がし、警官たちが雪崩込んできた。
警官たちは舞台の方へ向かっていった。
巴はその中にいるハンチング帽の刑事を見て、
「あ、クリさん…」
〈其ノ弐 帝國歌劇團對御神樂少女探偵團〉
「大帝國劇場、か…」
警視庁の諸星大二郎警部は目の前にそびえ立つ帝劇を見上げる。
刑事の安月給ではこんな所とてもとても入れるものではない。
諸星警部は帝劇の正面に立っている警官と軽く挨拶を交わすと中に入っていった。
中に入ってすぐ、諸星警部は事務局に入った。
「…支配人は?」
「いま、事情聴取を受けてます」
「…そうか。じゃ、それが終わったら警視庁の諸星が来ている、と伝えといてくれないか? 名前
を言えばわかるから」
「承知致しました」
そう言うと諸星警部は正面玄関へと向かった。
そこには部下の栗山刑事が諸星警部を待っていた。
「で、その死体が発見された場所、ってのは?」
「こちらです」
栗山刑事は諸星警部を劇場内に招き入れた。
「あの舞台の真ん中で見つかったそうです」
栗山は正面の舞台を指差した。
「劇の最中に堂々と殺ったというのか?」
「そうらしいですね」
二人は舞台に向かって歩いて行った。
と、諸星警部は巴達三人が客席にいたのに気が付いた。
「おやおや。誰かと思ったらお嬢ちゃん方かい」
「あ、警部…」
「たまたまここに来ていたんで残ってもらっていたんです」
栗山が言う。
「…一体、何でこんなところにいるんだ?」
「わたくしたち、ここにお芝居を見に来たんですわ」
滋乃が言う。
「芝居?」
「ええ。千鶴ちゃんの友達が出る、って言うんで見に来たんです」
「ほお…」
「あ、そういえば巴さんたちも詳しいことを知りませんでしたよね。ガイシャの身元なんですが…」
栗山刑事は手帳を開き、
「ええっと…。被害者の名前は高野紅葉、十六歳です。ここの乙女組、という組に所属する女優
の卵です。で、死因はなにか毒物の摂取による中毒死と思われます」
「それで、その毒物、ってのは?」
「いま調べている途中ですが、どうも青酸かなにかじゃないかということです」
被害者の名前を聞いた巴が、
「やっぱりそうだったの…」
「そうだった、ってどういうことだ?」
「桧垣さんの親友だったんですわ…。その亡くなった劇團員、というのが」
滋乃が替わって答えた。
「死んだ高野、って劇團員がか? …それは気の毒だな。ところでよ」
「なんですか?」
「あの劇を見ていた、っていうなら事件が起きた当時、どういう状況だったのか、詳しく話してくれ
ねえか?」
「それはよろしいんですけど…」
「千鶴ちゃん、大丈夫?」
巴が肩を抱いて千鶴に話し掛ける。
「え、ええ。大丈夫です」
千鶴は和服の袂からハンドカチイフを取り出すと、眼鏡を外して眼を拭く。
「無理しなくていいからね。私たちが替わりに話してあげるから」
それを見た諸星警部は、
「栗山。おまえ一寸、現場の方に行っててくれねえか?」
*
大帝國劇場の一番後の席に四人が並んで座っていた。
「ふうん…。すると、その白雪姫を介抱する場面で劇團員の様子が変だからおかしいと思った、と
こういうわけか」
「ええ。劇團員の人が大声で死んだ、って言ったものだから、私達もそれがわかったんですよ。そ
うしたら、もう蜂の巣をつついたような大騒ぎで…。その後、クリさん達が来て、現場検証が始ま
ったんですよね」
ちなみに「クリさん」とは栗山のことで、巴はこう呼んでいるのだ。
「オレも栗山から話を聞いて、すぐにでも駆け付けたかったんだけど、別の仕事があったんでな
あ」
「別の仕事?」
「ああ。三日ほど前にある工場からシアン化カリウム、いわゆる青酸カリってヤツだな…、が盗ま
れてなあ。それの捜査だったんだよ」
「青酸カリ?」
「そんなものが、なんで工場なんかに置いてあるんですの?」
「仕方ねえだろう、金属の鍍金加工にゃどうしても青酸が必要だからなあ。…もちろん管理は厳
重にしてあるはずなんだが」
「じゃあ、あの高野さんという人が殺されたのもその青酸カリで…」
「いや、それは調べてみなきゃわからんだろう。…ところでお嬢ちゃん」
「なんですか?」
「御神楽の先生はこのこと知ってるのか?」
「ええ、連絡はしたんですけど、先生どこか出掛けてるみたいで…。でも蘭丸君が先生に報せて
おく、って言ってましたから」
「そうか。じゃ、場合によっちゃ、オレの方からも言っておくよ」
そういうと諸星警部は席から立ち上がり、
「栗山!」
大声で栗山刑事を呼んだ。
「何ですか?」
栗山刑事が舞台の方から駆け寄ってきた。
「事情聴取のほうはどうなってる?」
「ええ。ほとんど終わりました。あとは、帝劇の皆さんの事情聴取だけですね」
「…何人いるんだ?」
「ええっと……乙女組の劇團員が五人に、花組の劇團員が六人。それに事務局の女性が二人、
売店の売り子に切符モギリ、支配人に顧問の女性。この内、花組の六人を除く全員の事情聴取
は終わってます。それから黒子や大道具係、小道具係といった裏方衆がいますけど、それらは
みんなまとめて、今事情聴取をやっているところです」
「支配人って、米田支配人か?」
「ええ。米田一基って名前です」
「やっぱりそうか…」
「? どうしたんですか、警部?」
「いや、何でもない。とにかく、話を聞こうじゃないか。それから、その米田支配人と顧問の女性―
―確か、藤枝さんとかいったな――を呼んできてくれないか?」
「あの、警部。私たちも一緒に聴いていいですか?」
巴が諸星警部に聞いた。
「…何故だ?」
「いえ、…先生に報告しておかないといけないと思って…」
「…いいだろう。その代わり、邪魔をするんじゃねえぞ」
「わかってますよ」
*
帝劇の正面玄関。
「何かお話がある、と聞いたんですが」
マリアが花組の面々を連れてやってきた。既に衣装から普段着に着替えているし、化粧も落と
している。
「みんな揃ってるか?」
「はい」
「今からちょっと事情を聞きたいんだ。ま、この手の事件で必ずやらなけりゃならねえ儀式のよう
なものだからよ、そう固くなりなさんな。そんなに時間もかからねえからさ」
「はい」
(あの方は…?)
すみれはその警視庁の警部、という男の傍にいる少女達の中の一人に見覚えがあった。 カチ
ューシャ替わりに髪をまとめたリボン、寒色系のドレス、そしていかにも庶民を見下したかのよう
な目付き…。
「…あ、あーら。久御山子爵家の滋乃お嬢様が何故ここに?」
滋乃もすみれに気付き、
「そ…、そういうあなたは誰かと思ったら神崎財閥御令嬢のすみれさんじゃありませんこと? 花
組の一員だとは思ってもいませんでしたわ」
「わたくしもこんな所であなたにお会いするなんて思ってもいませんでしたわ。…ところで滋乃さん。
花組のトップスタア、この神崎すみれのメイ演技、見ていらっしゃったかしら?」
「なかなかのメイ演技でしたわね。オホホホホ」
「そ…、そう言われると光栄ですわ。オホホホホ」
すみれは滋乃の「メイ」の意味を感じ取ったか、どことなく刺々しい言い方だった。もちろん、す
みれの言う「メイ」は「名」のことであり、滋乃の言う「メイ」とは「迷」のことである。
「…それはそうと、滋乃さん。なんてあなたがこんな所にいるんですの?」
「わたくし、これでも御神楽探偵事務所の所員ですのよ」
「御神楽探偵事務所? …ああ、お噂はかねがね伺っておりますわ。確か、あの守山ビルの二
階にあるとかいう事務所ですわね。こんな方を雇う探偵とやらのお顔を一度、拝見したいもので
すわ」
「あーら。わたくし、これでもちゃんと時人様のお役に立っておりますのよ」
何だかこの二人の間に例えようの無い緊張感が漂っている。
「…すみれはん。この人、すみれはんの知り合いでっか?」
紅蘭が聞く。
「お知り合い、というか…、久御山多聞子爵ってご存じかしら?」
「あ、ああ。あのものごっつ大きなお屋敷に住んどる人やろ?」
「ええ。滋乃さんはその久御山子爵のお嬢様ですのよ。実は、その久御山子爵のお父様がわたく
しのお祖父様の古くからの友人なんですの。…でもわたくし、どうもこの方とはウマが会いません
のよ」
「す…すごい。滋乃さんと真っ向から張り合う女性がいたなんて…」
千鶴が言う。
「さすが神崎財閥の令嬢よね…。お金持ち同士でなにかお互い気に入らないことがあるのかし
ら」
巴が言う。
「巴さん、神崎財閥をご存じなんですか?」
「…だって、東京や神奈川で使っている蒸気機関、ってほとんど神崎重工製よ」
「そうですか…。神崎すみれって名前、何処かで聞いた覚えがあったんですが…。神崎財閥のお
嬢様だったんですか…」
「…いったい何があったんですか?」
大神が米田とあやめの二人を連れてやって来た。
「あ、これはこれは。警視庁の諸星です」
「何があったのかね? 諸星警部」
米田が聞く。初対面には思えない口の聞き方である。
実は諸星警部はかつて上司の紹介で、陸軍時代の米田と知り合っていた。そのため、米田が
帝國歌劇團の支配人になったことも聞いてはいたのだが、帝國歌劇團のもうひとつの顔、すなわ
ち帝國華撃團については軍の中での重要機密のひとつ。警視庁でもごく一部の人物にしか知ら
されていないのである。そのため、諸星警部も設立理由とか華撃團の本当の活動についてなど
詳しい事についてはよく知らなかったのだった。
「あ、実はですね、米田中…いや、米田支配人」
諸星警部は事情聴取について米田に話をした。
「…ということで、これからもお邪魔することになると思うんですが」
「…あの警部さん、ちょっといいですか?」
大神が諸星警部に話し掛ける。
「…君は?」
「そういえばこの人、モギリやってましたよ」
巴が言う。
「モギリ?」
「ええ。ここでモギリをやっている大神と言います」
「大神?」
実は諸星警部の知り合いの息子に海軍士官学校に行ってた人物がいて、その彼から首席で
卒業した大神一郎という男がいた、と聞いた。その大神なる人物はどこか秘密部隊に配属された
と聞いたが、この男がその大神か?
「どうかなされたんですか?」
大神が聞く。
「い、いや。なんでもない。で、聞きたいことって何だ?」
「自分もさくらくんから聞いただけですからよくわからないんですが、もしこれが事件だとしたら、
何で犯人は舞台中央、なんて所で殺人を犯したんでしょうか?」
「さあな…。それはこれから警察が調べることだ」
*
事件が起きたときの状況を聞き終えた諸星警部は花組の全員を帰すと、
「…となると…、怪しいのはあの場面と言うことになるな…。栗山!」
「はい」
「ガイシャが食った、という毒林檎を鑑識に廻せ。オレの考えではおそらく、毒林檎から青酸が
検出されるはずだ」
「もう廻してます」
「そうか」
第2話へ続く>>
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