Shall we ダンス?

(前編)


「いけねえいけねえ。楽屋に忘れ物しちまったよ」
 太正十二年九月。桐島カンナは楽屋に忘れ物を取りにいった。と、

 ドタドタッ!

 舞台のほうで何か大きな音がした。
「? 何の音だ?」
 カンナは舞台のほうに駆け寄る。

「何だ、ありゃ…」
 舞台袖から覗き見たカンナは目の前の光景に愕然とした。
 舞台の上で神崎すみれと大神一郎が取っ組み合いを演じていたのだ。
 二人が組み、二、三歩ドタドタと横歩きしたかと思うと大神が思い切りすっ転んだ。
「ご、ごめん。すみれくん」
 大神が腰をさすりながら立ち上がった。
「…まったく、少尉も不器用ですわね」
「おい、何二人で取っ組み合いやってんだよ」
 カンナがすみれに聞く。その声に気づいたすみれが振り返り、
「取っ組み合いですって? 失礼ですわね、ワルツのステップの練習ですわ」
「ワルツ…って、おい! オメーん家では柔術のことをワルツ、って呼んでるのか?」
「柔術ですって?」
「この光景見りゃ、十人が十人ともそう思うだろが!」
「わたくしがやっているのはダンスのワルツですわ、ワ・ル・ツ! …ま、カンナさんの
ような野蛮な方には縁遠いものかもしれませんわね」
「…ったく。いつからワルツが格闘技の一種になったんだか…」
「何か言いまして?」
「いーや、何にも。…大体オメー、何で急に隊長なんかとワルツの練習なんかおっぱじめ
たんだよ?」
「ダンスパアティに呼ばれたんですわ」
「ダンスパアティ?」
「広永伯爵、ってご存じでしょ?」
「ああ、いつも舞台の席を2、30枚買ってくれてる家か」
「その通りですわ。来週そこでダンスパアティが開かれますの。神崎家とも長い付き合い
なんですが、わたくしも招待されまして。ですけどねえ、異性のパアトナアがいなければ
いけない、ということで」
「…それで隊長に白羽の矢が立った、ってわけか?」
「そういうことですわ。それにしても少尉は呑み込みが悪いですわねえ」
「すまん。踊り、っていったら子供の頃の盆踊りくらいしか経験がないから」
「盆踊りとワルツじゃ差がありすぎますわ。とにかく少尉、しばらく特訓をしてもらいま
すわ! 時間がありませんのよ!」

「おい、すみれ。もういい加減にしねえか? さっきから同じ所ばっか間違えてるぞ」
 客席の最前列に座っているカンナが言う。その両隣にはいつの間にやらアイリスと李紅
蘭が座っていた。
「あれじゃあとてもじゃないけどワルツと言えないよねえ…」
 とアイリスが言うと紅蘭も、
「ホンマやな。ウチ、二人が相撲の稽古でもしとるのか思うたわ」
「相撲とは言いも言ったりですけど…、仕方ありませんわ。少尉がいつになってもステッ
プを覚えないんですから」
 舞台の上からすみれが言う。
「これじゃ見ているこっちの方がステップを覚えちまうよ、なあ」
「ホンマにその通りや」
 と、いきなりカンナが立ち上がると、紅蘭に向かってうやうやしく、
「…王女様、私と踊って頂けませんか?」
 紅蘭も紅蘭でそれに乗ると、すっくと立ち上がり、
「光栄ですわ、王子様。とても嬉しく思います」
 そして二人は手を取り合うといきなりワルツを踊りだした。さすが舞台女優も兼ねてい
る二人である。覚えたてとは思えないほど見事なステップである。カンナが百九十七糎、
紅蘭が百五十六糎と四十一糎も身長差がある二人が踊る光景、というのもなかなか滑稽で
はあったが。
「…ご覧なさい、少尉。あの二人、とても覚えたてには見えないステップですわ」
「でも二人はそういうこともやってるからねえ…」
「わたくしだってそうですのよ。とにかく、あの二人には負けてはなりませんわ」
     *
 カンナが大きな欠伸をひとつした。
「ふああ…。おい紅蘭、今何時だ?」
「ちょっと待ってや」
 と紅蘭が懐中時計を取り出した。それを覗くカンナとアイリス。
「え? もうこんな時間かよ?」
「アイリスもう寝よーっと」
 アイリスが席を立った。
「ほな、ウチも失礼させていただきますわ」
「そうだな。じゃ、あたいも部屋に戻るとするか。じゃあな、あとは二人で勝手にやって
くれよ」
 そうして3人は劇場を出ていった。
    *
「なんだなんだ。昨日から全然進歩してねえじゃねえか」
 翌日も大神とすみれはワルツのステップの練習をし、例によってカンナ、紅蘭、アイリ
スの三人が見物していた。ただ昨日と違うのは、真宮寺さくらとマリア・タチバナが舞台
の上にあがっていることだった。というのも「隊長とすみれが舞台の上で面白えのやって
るぜ」と言うカンナの言葉につられ(るマリアもマリアだが)見に来たマリアが、二人の
ステップのあまりのひどさにコーチ役を買って出たのだ。丁度「シンデレラ」の公演を行
っていた時にシンデレラ役のさくらとワルツを踊る場面があったのを思い出し、自分が男
役、さくらが女役を担当している。

「…うーん。すみれのステップは問題ないんだけど、やっぱり隊長のステップの踏み方に
問題があるわね。ワルツというよりはタンゴの踏み方ね、それでは」
 マリアが二人のステップを一通り観察して言う。と、さくらも、
「ここまで来るとちょっとやそっとでは直せませんね。もっとも大神さんは、ワルツの経
験なんて無いから仕方ないのかも知れませんが」
「さくらもそう思う? これはパアティ当日は、すみれが隊長をリイドしたほうがいいか
もしれないわね」
「わたくしが、ですか?」
「うん、ワルツのステップを一から叩き込むには時間が無さすぎるわ。だけど、すみれが
リイドすれば隊長のほうもなんとかなると思うのよ。そのくらいならすみれだって出来る
でしょ?」
「ま、洋風ダンス免許皆伝のわたくしには、その位簡単なことですわ」
    *
 日曜日。帝劇の前に一台の蒸気自動車が到着した。
 中から一人の男が出てくる。
「すみれお嬢様、お迎えにあがりました」
「あらそう、ご苦労様」
 超ド派手なパアティドレスを来たすみれが正面玄関に現れた。
「少尉、準備は出来ましたの? 参りますわよ」
「あ、ああ。わかったよ」
 タキシィドを着た大神が出て来た。この服はわざわざすみれが知り合いの洋服屋から借
りてきたものだった。
「…じゃあ、行ってくるよ」
「しっかりしいや、大神はん」
「ああ」
 そういう大神だが、傍からもこの男にしては珍しくガタガタに緊張しているのがわかっ
た。

 すみれと大神が自動車に乗り込むと自動車は帝劇を後にした。
 それを見送るさくらたち5人。
「にしても、すみれはんはとにかく、大神はん大丈夫やろか…」
「そうだよな。あたいもそれが心配でさ」
「特訓の成果が出るといいんですけどね…」
「でもあんまりうまく行かなかったみたいだよ」
「まあ、ワルツってのはそう簡単にできる程甘くは無いからね」
 誰もが心配そうな顔つきである。

 広永伯爵邸の正門前に蒸気自動車が停車した。
 男がドアを開け、すみれの手を取って降ろす。
 その反対側から大神が降りた。
「…少尉、わかっておりますわね。今夜のパアティは花組の公演とは比べものにならない
ほど、上流階級の皆様ばかりが集まりますのよ。決して粗相の無いようにお願いいたしま
すわ。…どうも最近、少尉は帝劇に来た頃と比べるとガサツになっておりますから」
 すみれがささやく。
「わかってるよ」
「それでは」
 と、すみれが右腕をスッと差し出した。
「? どうしたんだい?」
「少尉って何も御存じないのですわね。こういう所に来たときは殿方がエスコオトをする
ものなんですわ」
「あ…ああ、こうかい?」
 大神は左腕を差し出した。
 そしてすみれは大神の腕に自分の右腕を回した。
「その通りですわ。では行きますわよ」
 すみれはそう言うと門のなかに入っていった。

「これはこれはすみれお嬢様。お久しぶりでございます」
 一人の男が二人を出迎えた。その男は大神も見覚えがある。広永伯爵だった。
 それを見て慌てて大神が首にしていた蝶ネクタイを直した。
「お久しぶりでございますわ」
 広永伯爵は大神のほうを見ると、
「…そちらの方は確かモギリの方では?」
「ええ。大神一郎さんですわ」
「大神です。宜敷くお願いいたします」
「いえいえ、こちらこそ。さ、すみれお嬢様、こちらへ」
 そして広永伯爵の先導で二人が部屋に通された。

「…これは…」
 部屋に入って大神が呟いた。
 そう、さすが伯爵家のパアティともなると何から何まで豪勢である。
 室内の装飾、テエブルに乗っている料理、そして勿論来賓も…。
 何だか大神は自分が場違いな所に来ているような感じがした。
    *
 すみれが向こうの方で何やら来賓と談笑をしている。
 その顔ぶれたるや華族や議員と言った面々なのだから改めて神崎財閥の凄さ、と言うも
のがわかるような気がする。

「お客様、お飲み物はいかがでしょうか?」
 一人の男が大神に近付いてきた。
「あ、有難う」
 大神はシャンペングラスをひとつ取ると中に入っているシャンペンを一口飲んだ。と、
「少尉、お待たせいたしましたわ」
 すみれが大神の元にやってきた。そしてそばにいた男に、
「…私にも何かお飲み物を持ってきていただけませんか?」
「承知いたしました」
 そして男がその場を立ち去った。
「…少尉、どうしましたの?」
 すみれが大神に聞く。
「ん? いや、なんでもないよ。それにしても…」
「どうなさいました?」
「凄い顔ぶれだね…」
「そうですわね。広永伯爵と言ったら政界や財界にも顔が広い方ですもの」
…と、その時だった。
「ん?」
 大神の視点がある一点で集中した。
「…どうなさいました?」
「あれは…、広永伯爵だよね?」
「ええ、お隣に居られますのが伯爵の奥様ですわ」
 大神の視線の向こうには、広永伯爵夫妻が何やら来客と話をしているのが見えた。
「…それより少尉、伯爵がどうかなされまして?」
「…いや、なんでもないよ」
 その時だった。
「いや〜、すみれお嬢様、お久し振りですな」
 すみれに一人の男が近付いてきた。
 そして大神とすみれはそこにいた来客たちの話につき合わされ、広永伯爵夫妻のことな
どあっという間に記憶の隅に追いやってしまった。
    
 宴もたけなわとなった頃。
「え〜、ご来賓の皆様。これからダンスのお時間に入らせていただきます」
「…来たか…」
 それを聞いて大神が呟いた。
「…どうなさいまして、少尉?」
 すみれが聞く。
「いや、いよいよ始まったな、って…」
「心配ありませんわ、少尉。マリアさんも仰ってたではありませんか。私が少尉をリイド
致しますから、少尉は何も心配することありませんわよ」
「…あてにしてるよ」
「承知いたしましたわ」
     *
 レコードがスクラッチ音を立て、程なくワルツの旋律が流れ始めた。
「…参りますわよ、少尉」
「あ、ああ」
 二人は手を取り合った。

「…いち、にー、さん、いち、にー、さん……」
 大神はぶつぶつ呟きながらステップを踏む。
「…その調子ですわよ、少尉」
 ここまではすみれがリードしているからか、大神も覚えたてとはいえ、さほどアラが目
立たないようにダンスのステップを踏んでいる。
「…すみれくん」
「なんですの?」
「こんなにダンスが大変だとは思わなかったよ」
「心配ありませんわよ。わたくしに全てお任せください」
「ああ」
    *
 それからしばらく経った時だった。
「すみれお嬢様」
 すみれの一人の男が近付いてきた。
「あら、広永伯爵」
 そう、その男こそ広永伯爵だったのだ。
「私と踊っていただけますか?」
「承知いたしましたわ。…よろしいですわね、少尉」
「ああ、別に構わないよ」
 そしてすみれと広永伯爵は踊り始めた。
「…広永さん」
「どうしました?」
「奥様はどうなされましたの? 先ほどから姿が見えませんけれど」
「ああ。家内はちょっと疲れたとかで部屋で休んでますよ」
「そうですの」
 そして二人はダンスを続ける。

 その時、不意に部屋が暗くなった。
「なんだなんだ?」
「停電のようだぞ!」
 不意にあたりがざわめきだした。

 その時だった。
 何処からか不意に銃声が聞こえた。
「なんだ、今の音は!」
 そして突然室内が明るくなった。
「あ、電気がついた…」
 室内が明るくなった、と言うことからか何処となくホッとした安堵感のようなものが感
じ取れた。
…が、それもつかの間
「きゃああああ!」
 部屋の外で絹を切り裂くような女性の悲鳴が聞こえた
「少尉!」
 すみれが大神に言う。
「ああ、行ってみよう!」
 そして大神とすみれは走り出した。

 ある部屋の外でメイド服を着た一人の女性が震えていた。
「どうしたんですの?」
 すみれがそのメイドに話しかけた。
「お…、奥様が…奥様が…」
 そう言うとそのメイドは顔を伏せてしまった。
 大神は部屋の中を覗き込む。
「…これは…」
 大神が絶句した。
 そこには広永伯爵夫人が物言わぬ死体となってベッドに横たわっていたのだった。


後編に続く>>


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