黒猫荘殺人事件

(後編)


 刑事さんの話を聞いた後、わたくしはすでに遺体が運び出された荘助氏の書斎に入りま
した。
 書斎の中を見て、わたくしは少々意外な気がしました。
 荘助氏の金庫、というのは戸棚の中にあり、その前には引き戸があったのです。
 どうやら空き巣などにすぐに金庫の場所を悟られないように戸棚の中に置いた、という
のが正しいのかもしれませんが。
 しかし、現在はその引き戸が開けられ、金庫の中は空っぽでありました。
 犯人は荘助氏に金庫を開けさせた後に殺害したか、もしくは荘助氏を殺害後、金庫を開
けて中の物を全部盗んでいったかのどちらかであることはまず確実です。
 そして、窓を見ると確かに鍵がかかっておりました。
 わたくしは念のためにハンドカチイフで鍵を包むと鍵を外し、書斎の窓を開けました。
 雨はいつの間にか止んだようですが、この書斎は2階にあり、さらに地面は以前ぬかる
んだままです。
 もし犯人が荘助氏を殺害後、この窓から逃げたとしたら地面に足跡が付くはずですし、
それより何よりどうやって外から窓の鍵を閉めることが出来るのか、それがよくわかりま
せん。
 やはり刑事さんの言うとおり、犯人は内部のものなのでしょうか?
「仕方ありませんわね…」
   *
 わたくしは幸子さんにお願いして電話機を借りると、交換手さんを呼び出し、大帝國劇
場へ電話を繋げるようにお願いしました。
 何度かの呼び出し音の後、
「…はい。大帝國劇場です」
 電話の向こうであやめさんの声がしました。
「あら、あやめさんですの? かすみたちはどうしましたの?」
「彼女たちならもう帰ったわ。…それよりすみれ、一体どうしたの? あなた今千葉にい
るんじゃなかったの?」
「え、ええ。そうなんですけど…。少尉を呼んで頂けないでしょうか?」
「大神くんを?」
「ええ。一寸少尉とお話がしたいので…」
「わかったわ。ちょっと待ってて」
 電話の向こうで、あやめさんが少尉を呼びにいったようです。あやめさんが少尉を呼び
にいったのはほんの三十秒ほどだったようですが、わたくしにとっては五分も十分もかか
ったような気がいたしました。やがて、
「…やあ。すみれくん」
 電話の向こうで少尉の声がしました。
「あ、少尉。ちょっとご相談したいことがありますの」

「…成程ね、事件の概要はわかったよ。でもそれだけじゃ何とも言えないなあ…。何より
も証拠が無さすぎるよ」
「でも殺害方法さえわかればあとのことも解決すると思いますのよ。…こういうこと頼め
るのは少尉しかおりませんのよ。お願いしますわ、少尉」
「…わかったよ。こっちでも考えてみるけど、すみれ君のほうでももう少し調べてくれな
いか?」
「承知いたしましたわ。その時に何かわかったら又ご報告しますわ」
   *
 わたくしは幸子さんを呼びました。
「幸子さん、少々お伺いしたいことがありますの」
「なんですの?」
「荘助氏の書斎の金庫は戸棚の中に入っておりましたけど、それはどのくらいの方が知っ
ておりますの?」
「…それは、私と執事くらいしか知りませんわ。メイドのほうは最近雇ったばかりで、こ
の家の中についてはまだ詳しくわからないはずですし…、でもすみれさん。それがどうか
しまして?」
「いえ、何でもありませんわ」
 とは言うもののわたくしは何処となく引っかかるものを感じたのです。
   *
 わたくしは部屋に戻ると椅子に腰掛けました。
(…なんでしょう、このひっかかるものは…)
 私の心の中に何か引っかかるものがあったのです。
(…そういえば…。もし犯人が荘助氏を殺害して逃げたのだとすればどなたかが気が付い
てもいいはずですが…)
 少なくともわたくしは何の物音も聞かなかったのですが…。

 そのときでした。
「…まさか…」
 わたくしはあることに気が付きました。
「…まさか、そんなバカなことが…」
 わたくしは自分の考えに驚いてしまいました。
 もし、わたくしの考えが正しいとすると犯人はあの方しかおりませんから…。

 どのくらい経ったでしょうか。
 わたくしは意を決すると、幸子さんに頼んでお屋敷の中におられた方全員を広間に集め
てもらいました。

「…皆様、わたくし犯人がわかりましたわ」
「犯人がわかった?」
「本当なの? すみれさん」
「ええ。今回のこの事件、決して強盗の仕業でも何でもありませんわ。もっとはっきり言
うならこれは内部のものの犯行ですわ!」
「内部のものの?」
「皆様、現場の状況をよく思い出していただけませんか?」
「現場の状況?」
「犯人が外部のものだとすれば、犯人は荘助氏を殺害後に何らかの形でこのお屋敷の外に
出たはずですわ。とは言え、玄関から出るようなことをするような危険を犯人がするとは
思えませんわ。となるともう一つ考えられるのは荘助氏の部屋から何らかの方法を用いて
外へ逃げた…。でも、これはありえないことですわ」
「ありえない?」
「荘助氏の書斎には窓に鍵がかかっておりました。と言うことは外に出ることは出来ませ
んし、何らかの形を使って鍵を閉め、外に出たとしても先ほどまで降っていた雨でぬかる
んでいた地面に足跡が残るはずですわ。ですから、外部のものの犯行はありえませんわ」
「じゃあ、すみれさん。犯人はどなたですの?」
「そ…それは…」
 わたくしは答えるのに躊躇してしまいました。果たして、本当のことを言っていいもの
か…。
 しかし、わたくしには皆様に真実をお伝えする責任があるのも事実ですし…。
「だからすみれさん、犯人はどなたですの?」
 幸子さんがわたくしに催促しました。
 わたくしは決心しました。
 いくらなんでも自分の良心には逆らうことは出来ません。
「…今回の…今回の事件の犯人は…、幸子さん。あなたしかおりませんわ!」

「…ふふふ。すみれさん、冗談はよしてくださらない? この私が犯人ですって? 証拠
があって言ってるのかしら?」
「…勿論証拠があって申し上げているのですわ。…事件があった状況を思い出してくださ
らないこと?」
「事件の状況ですって?」
「その前に皆さんにお聞きしますわ。幸子さんが荘助氏の遺体を発見したとき、どなたか
荘助氏の部屋から逃げていく方、とか物音とをお聞きになった方とか居られませんか?」
 わたくしは皆さんにお聞きしました。
 しかし、私が考えていた通り、返事は帰ってまいりませんでした。
「…結構ですわ。わたくしもそんな方とか物音は聞いておりませんから。もし何者かが荘
助氏を殺害して逃げたのだとすれば必ず、たとえどのような形で何かしら物音等は聞こえ
てくるはずですわ。そうなると考えられるのはただ一つ。…幸子さん、あなたが荘助氏を
殺害した、とこういうことになるんですわ」
「…すみれさん、冗談はよしてくださらないこと?」
「なんですって?」
「…私はこの通り、車椅子に乗ってるんですのよ。父は胸を刺されて殺されていたのです
わね? もし私が犯人だとすればどうやって車椅子に座ったまま父のことを刺し殺せるの
かしら?」
「え? そ…それは…」
「すみれさん、あなたはどう説明するつもりなんですの?」
「だ、だから…」
「…それが、説明できるんですよ」
 わたくしの背中で声がしました。
 わたくしは後を振り向きました。すると、
「しょ…少尉…」
 何とそこには少尉と紅蘭が立っていたのです。
「…どうやら間に合うたようやな。大神はんに言われて、帝劇からここまで蒸気バイク飛
ばした甲斐があったわ」
 紅蘭がそう言いました。
 二人がわたくし達の中に入ると少尉は、
「…すみれくんから話は聞きました。お嬢さん、あなたが犯人だという証拠は、あなた自
身ですよ」
「私…自身?」
「ええ。事件の犯人というのは時として、無意識のうちに墓穴を掘ってしまうことがある
んです。あなたは自分から犯人だということを言ってるんですよ」
「どういうことですの?」
 わたくしは少尉に問い掛けました。
「…お嬢さん、あなた車椅子に乗っているようですが、…もしかしたらその車椅子もう必
要ないんじゃありませんか?」
「…しょ、少尉。それってどういうことですの?」
「…言ったとおりですよ。すみれ君には話しそびれたんですが、あなたが父親の荘助氏へ
の脅迫状を見つけた、と証言したとき、あなたはこう言ったそうですね。『状差しの一番上
の所から脅迫状らしきものを見付けた』と」
「ええ。言いましたわ」
「すみれくん。その状差しの一番上、ってどの位の高さだい?」
「そうですわねえ…。わたくしが手を伸ばしてやっと届きましたから、大体一米八十糎位
でしたかしら」
 わたくしの身長は大体五尺四寸、西洋の単位になおすと一米六十一糎あります。
「…ところでお嬢さん、あなたは身長はどの位ですか?」
「変なこと聞くんですね、少尉さん、って。大体五尺三寸ですわ」
「そうですか。ということは大体一米五十七糎…。しかしあなたは今、車椅子に乗ってい
る。座高が身長の半分と見て、車椅子の高さを入れても一米三十糎は無いはずですよ。ど
んなに手を伸ばしたって一米八十糎の高さにある状差しの一番上には届かないはずじゃな
いんですか?」
「う…」
「そうなると考えられるのは、あなたはそれをもう必要としていない、すなわちあなたは
十分に歩ける、ということですよ。勿論脅迫状云々というのはあなたの自作自演ですよ」

「…ふふふ。こんなことでわかっちゃうとはね。本当、墓穴を掘っちゃったわ」
 いきなり幸子さんが立ち上がりました。
「ゆ…幸子さん…。それは…」
「私の足は二ヵ月も前に歩けるくらいまで回復してたのよ。でも、それからもわざと歩け
ないふりをして車椅子に乗ってたのよ。すべてこの日のためにね…」
「この日のため?」
「…私の父、今村荘助は私の本当の父じゃないのよ」
 幸子さんの口から衝撃的な告白が出たのでした。
「本当の父親じゃ、ない…?」
「私の本当の両親は3歳の時に事故で死んで、それから今村家に引き取られて育てられた
の」
「…幸子さん、そんなことわたくし達には…」
「そうね、一度も話したこと無かったしね。私だって女学校に入るまで知らなかったもの。
…でもある日、ひょんなことから本当のことを知ったのよ」
「本当のこと?」
「…私が足を怪我して短かったけど入院したときだったわ。私の両親が死んだのは今村荘
助が原因だったのよ。彼が運転していた車が突っ込んで私の本当の両親が死んだ、ってね。
…それから私は彼に復讐を誓った。勿論彼の前ではそんなそぶりを見せなかったわ。だか
ら、彼もすっかり安心しちゃって…」
「…幸子さん…」
「…すみれさん、もういいのよ。私は後悔なんかしてませんわ。これでよかったんですか
ら」
「…それは違いますわ、幸子さん!」
 私は思わず叫んでしまいました。
「…違う?」
「…荘助氏があなたを引き取ったのは、自分が幸子さんのご両親を殺めてしまった事に対
しての罪滅ぼしのつもりだったんですわ。…わたくし、何と言っていいのかわかりません
けど…、荘助氏はあなたにこんな方になって頂きたくなかったんじゃありませんこと? 
きっとあなたの本当のご両親もこんなことになってしまって悲しんでいると思いますわ
…」
 幸子さんは何も言いませんでした。
…しかし、その表情にどこかもの悲しいものをわたくしは感じました。
    *
 幸子さんを警察に引き渡して、わたくし達が黒猫荘を出たのはすでに夜が明けていた頃
でした。
 昨日まで降っていた雨が嘘だったかのように空は晴れ渡っておりました。
 玄関では紅蘭が蒸気バイクのエンジンをかけており、少尉がその後ろに乗ろうとしてお
りました。

「で、すみれはんはどうするんや?」
 紅蘭がわたくしに聞きました。
「…結構ですわ。わたくし、車を呼びます。どうせ行き先は同じなんですから」
「そうか。ほな、先に行ってるで」
 そう言うと紅蘭と少尉の乗る蒸気バイクは走り去って行きました。
 …わたくしはしばらく一人になりたかったのです。

(おわり)


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