太正のストーカー殺人事件
〜The other side of Love〜
(後編)



 参

「…それって本当ですか?」
 大神から話を聞いたさくらが言う。
「ああ、まだ断定は出来かねるが…。おそらくここ数日、帝劇に来ていた男だよ、きっと」
「でも…、一体誰がそんなことを…」

「…あ、あのな、さくらはん」
 食堂に紅蘭が来た。
「どうしたんだ、紅蘭」
「…なんや警察の人が来て、さくらはんに用がある言うとるで」
    *
 帝劇の玄関。
「真宮寺さくらさん…ですね」
「はい。あたしに何のようでしょうか?」
「署までご同行願いましょうか」
「ど…、どういうことですか?」
「上野公園での殺人事件の重要参考人です」
「…えっ?」
 驚くさくら。
「…一寸待ってください。さくらくんが参考人、ってどういうことですか?」
 大神が言う。
「…昨日、上野公園で男の死体が発見されたのはご存知ですね?」
「…はい」
「実はこの男なんですが…」
 と、刑事が写真を見せた。
「…この男は…」
 …そう、その男はここ毎日のようにさくらの事を尾行していたらしい男だったのだ。こ
れで上野で殺された男は間違いなくあの男だ、と言う事がわかった。
「被害者が殺された、犯行時刻の午後9時頃にさくらさんによく似た女性が上野公園にい
た、という証言があるんですよ」
「え…」
「だから、ってさくらがそいつを殺した、って証拠にはならねえだろう!」
「そうやそうや。さくらはんが人殺しなんかするはずないやないか!」
 カンナと紅蘭も援護射撃をする。
「…ですから、証拠だとは言ってません。あくまでもさくらさんは参考人です。それに、
男のポケットからこんなものが見つかったんですよ」
 刑事が封筒を取り出した。それには、
「お話したいことがありますので今夜九時、上野公園不忍池まで來て下さい 眞宮寺さく
ら」
 と書かれてあった。
「…こ、こんな手紙、あたし出した覚えありません!」
「しかし、この手紙にはあなたの名前が書いてあるんですよ」
「でも、あたし出した覚えはありません! それに、その上野公園で殺された、とか言う
男の人についても全然知りません!」
「…そう言い切れますか?」
「どういうことですか?」
「…被害者の男はここ数日、帝劇で芝居を見ていた、という証言が取れてます。それから、
男の部屋からはあなたのブロマイドやポスターが多数発見されましたよ。…それから、こ
れを見てください」
 と男がポケットから紙切れを取り出した。
「これは…」
 大神がつぶやく。
 その紙は帝劇の入場券の半券だった。大神は毎日のようにこれに鋏を入れてるんだから
見間違えるはずはない。しかもその券は1階の前の方の指定席だった。
「…男の部屋からこの半券が大量に発見されました。中にはこの券のように前の方の指定
席の券が何枚もありましたよ。…さくらさん、あなたは舞台に上がってるんですから被害
者の男の事を何度も見ているはずなんですがねえ…」
 確かにさくらがその男と目を合わせないようにしようとしていた事は大神も知っている。
しかし、だからと言ってさくらがそんなことをするなんて…。

「…一体何があったの?」
 騒ぎを聞きつけたか、あやめが玄関にやってきた。
「あ、あやめさん。実はですね…」
 大神はあやめに手短に事件の事について話した。
「…わかったわ。刑事さん、その時間さくらは浅草の花やしきにいましたよ。花やしきに
行けば何人もの証言が取れるはずです」
「しかしですね。その時間にさくらさんを見かけた、という目撃証言があったんですよ。
それに浅草なら上野までそう大して時間はかからないし…」
「目撃証言も何も、さくらはその時間浅草にいたんです! …とにかく浅草花やしきの方
へ行ってまずは証言を取ってください!」
 珍しくあやめが強い調子で言った。
 その剣幕に押されたか、
「…わかりました。では、浅草の方に行けばいいんですね」
 刑事たちは玄関を出て行った。

 四

 帝劇の食堂。
「あんなあやめはん初めて見たわ…」
 紅蘭がつぶやく。
「…凄い剣幕だったな…。やっぱりあたいらの誰かが疑われるのが気に入らなかったのか
な…」
「…でも…」
「どうしたんだ、隊長?」
「…そうなると、あの殺された男が持っていたというさくらくんの手紙は誰が出したん
だ? さくらくんが出してない、と言うんだったら何者かがさくらくんの名前を騙って出
した、ってことだろ? じゃあ、誰がさくらくんの名前を騙ったんだ?」
「…たしかにそうやな…。普通に考えればさくらはんの名前を騙る、いうことはさくらは
んに罪を着せるためになるんやけど、…さくらはんの現場不在証明なんか花やしき支部の
みんなに聞けばはっきりするんや。犯人にとっては何のいいことあらへんわ」
「…もしかしたら…」
 何か大神の心に引っかかるものがあったのだ。
「…どうしたんだ、隊長?」
「いや、なんでもないよ」
   *
 大神はテラスから銀座の夜景を眺めていた。
「…それにしても…」
 大神はつぶやいた。
「…それにしても、不可解な事が多すぎるな…」
 さくらが花やしきに行った日に事件が起きたこと、大体何故あの日にさくらは浅草に行
ったのか、あの日でなければならなかったのか? さくらの現場不在証明はあの時の花や
しきにいた人間に聞けば恐らく簡単に証明できるだろう。事実、夕方には警察から電話が
あり、さくらの現場不在証明は証明された、と言っていた。それなのに何故上野公園で見
た、という証言が? 大体、さくらはあの男と全然面識はないはずだ。それなのに何故あ
の男はさくらの手紙を持っていたのか? …それより何より、さくらにはあの男を殺す理
由がない。となると誰が?

…その時だった。
(…まさか!)
 大神はあることに気が付いた。
(まさか…、まさか犯人は…)
 大神は犯人が「あの人物」ならば、全ての辻褄が合うことに気付いた。
(…そんな馬鹿な…。オレはとんでもない思い違いをしているんだ…)
 大神は必死に自分の考えを打ち消そうとした。
 しかし、すべての証拠は大神の推理を支持するものでしかなかった。
(じゃあ何で…、なんであの人はあんなことをしたんだ…)
 大神は「犯人」という人物が信じられなかった。

  伍

「…で、大神くん。私をこんな所に呼び出して何の話かしら?」
 テラスには大神とあやめがいた。
「…今から話すことを聞いてください。…ある男がいました。彼は帝劇のある団員の大フ
ァンで、彼はいつか一ファンから特別な男性に繰り上げてもらいたい、そう思っていまし
た。そして彼はいつしか、たとえその団員が嫌がることでも、それが自分にとっては愛情
表現である、そういう偏った考えを持ってしまったのです」
「…」
「ところが、日毎に目に余るその男の行動を許せない人物がいた。ま、男か女かは話さな
いでおきましょう。とにかく、その人は団員を守るために恐ろしい計画をたてた。それが
悪と言われることは十分承知のうえ。たとえそれで自分の身がどうなろうと、その団員が
守られればそれでいい、そう考え、その人は計画を実行に移したのです」
「…」
「その人はまず、団員の名前で男に手紙を渡し、上野公園に待つように伝えておいた。そ
して男が上野公園に着くとその人は団員に変装をして男を殺した。そして、団員の服を始
末したその人は何食わぬ顔で自分の家に戻ったのです」
「…」
「しかしそこで、計算違いのことが起きた。その人物が変装した団員がその男殺しの容疑
者として疑われてしまったのです」
「…」
 あやめは何も言わなかった。彼女だって今回の事件には関わっているのだから。
「おそらく犯人は慌てたんだと思います。そしてその団員の現場不在証明を必死になって
証明した。犯人はこのまま事件をうやむやにして終わらせるつもりだったんです」
「…どうしてそんなことをしたのかしら? もし私がその犯人だとしたら、そのままさく
らに罪を押しつけちゃうけど」
「あくまでも個人的な怨恨から起こした犯罪だからです。その団員に迷惑がかかること、
それがその人にとって一番恐れていたことだからです」
「随分とさくら思いの犯人さんね」
「…はい。あくまでも真犯人の目的はさくらくんを守ることだったんですから」
「…それで、大神くんだったらその人をどうするつもりなの? 警察に引き渡すつもりな
のかしら?」
「…さあ、これはあくまでも勝手な推理です。実際はどうなのか証拠も少ないし…」
「そう…結局、どうなのかわからない、ってわけね」
「はい」
 それを聞いたあやめは大神に背を向け、歩き出した。
 と、2、3歩歩いたところで歩みを止めてしまった。
「…ねえ、大神くん」
「はい」
「もし、私がその事件の犯人だとしても、自分のしたことを決して後悔しないと思うわ」
 あやめの後ろ姿を見送る大神。
 大神は男を殺したのがあやめだ、と気付いていた。その推理を支持する状況証拠はいく
つかある。彼女が帝劇を出たときに持っていた風呂敷包みが無くなっていること、彼女が
帝劇に戻るや否や地下のシャワー室に直行したこと、彼の目に間違いがなければあやめが
帝劇に戻ってきた時に彼女の着ている和服の下着の袖に血らしき物がついていた…。
(風呂敷包みのなかに入っていたのはさくらくんが着ているのと同じ羽織と袴、そしてお
そらく凶器に使ったであろう刀か何かがあった。地下のシャワー室に直行したのは血を洗
い流すため。血の付いた下着を処分するためでもあるんですよね。…そして、あの夜さく
らくんを花やしき支部に行かせたのはさくらくんの現場不在証明を確固たるものにするた
めだった…)
 さくらは髪を束ねていて、あやめは後でまとめているが、あやめが髪をほどいて、さく
らのような髪型にすることは十分可能だろう。米田支配人が「あやめくんは昔はさくらの
ように髪を束ねていた」と言っていたのだから。
(…わかってます、あやめさん。あの男を殺したのがあなただということを。あなたはど
うしてもさくらくんを守りたかったんですよね)

  六

 太正十三年七月。
 一度帝國華撃團を離れ、海軍に戻っていた大神の元に一通の手紙が来た。
 差出人は米田一基。
(…米田司令が? 何の用だ?)
 大神が封筒を開く。
 不思議なことにその中にもう一通封筒が入っていた。
「大神くんへ」とだけ書かれたその封筒の文字に大神は見覚えがあった。
(まさか…!)
 裏返してみると「藤枝あやめ」という署名が。
(…あやめさん!)
 大神は米田の書いた手紙を見る。

「大神へ
 この手紙は今日、あやめくんの部屋を整理していた時に見付けたものだ。
 その封筒ともう一枚紙があり、『何らかの形で自分が帝国華撃団からいなくなり、大神く
んが海軍に戻るようなことになった時、この手紙を大神くんに渡してほしい。彼以外に手
紙の中は見ないでほしい』ということが書かれてあった。我々は話し合った末、彼女の遺
志を尊重することにし、この手紙をお前に渡すことにした。だから我々はこの手紙の内容
については何も知らないし、お前とあやめくんの間に何があったか知る必要もないと思
っている。
 この手紙をどうしようとあとはお前の自由だ。あやめくんも納得すると思う。
 またいつか、お前が帝国華撃団に戻ってくることをみんな信じている。
                                  米田 一基」
 大神はあやめの封筒を開けた。

「大神くんへ
 この手紙があなたの手元に届く頃、私は帝国華撃団からいなくなり、あなたは海軍に戻
っていることと思います。
 でも、私は華撃団でのあなたの判断力、戦闘力、そして統率力の高さを素直に喜んでい
ます。米田中将も将来的には華撃団の司令官の椅子を譲ってもいい、と言っています。私
もそんな日が必ず来る、と確信しています。(もちろん、華撃団なんか必要ない平和な世の
中が来るのが一番望ましいのだけど)

 さて、大神くん。どうやら私は本当のことを話さなければならないようですね。
 あの時…太正十二年十月のさくらのファンという男が殺された、という事件のことは今
でも昨日の事のように覚えています。
 あの時、あなたはわざと犯人の名指しをしないで自分の推理を展開した。
 でも私は気付いていました。あの推理は大神くんが私が犯人だという確信を得て展開し
たのだ、ということを。

 そう。あなたの推理通り、あの事件の犯人は私こと藤枝あやめです。
 私があの男を殺したのです。
 私はあの男の存在にうすうす気付いていました。そして、さくらが迷惑を被っているこ
とも…。
 しかし、そんなことをすればするほど、彼にとってはそれがさくらの愛情表現だ、とい
う偏狭な考えをもってしまったようですね。
 私はあの男が許せなかった。一人の人間として、そして女として…。
 だから私は、さくらを守るために自分が泥をかぶろう、と決意しました。
 そう、私は悪魔に魂を売ったのです。

 そして私は何日かに分けて計画を実行に移す準備を進めました。
 さくらの服は私が暇を見てそつくり同じものを作りました。毎日のようにさくらのこと
を見てるのだから同じものを作るのはわけないことですものね。髪型については私が業者
にお願いしてさくらの髪型とまったく同じかつらを作ってもらい、それを被りました。
 華撃団はまた歌劇団ですもの。『舞台で使う』と言ったら全く何の疑いもなく作ってくれ
ました。
 もちろんそれだけではありません。私はさくらの名前を使ってあの男を上野公園に呼び
出すことも忘れませんでした。

 あの日、私は前もって用意した註Dと袴、そしてかつらと刀を持って上野公園へと向か
いました。そして上野公園の近くで服を着替え、さくらに変装して不忍池へと向かいまし
た。
 男は何も知らないでそこにいました。
 おそらく彼は最後まで何が何やらわからなかったと思います。それこそ私は彼を一刀の
許に切り捨てたのですから。
 そのまま血の付いた着物を持って帰ったら怪しまれてしまうから、途中で刀と一緒に川
に投げ捨て、帝劇へと戻ってきました。ただ…慎重に慎重を期したつもりが下着に血が付
いてしまい、そのままにしていたことは私らしくない失敗だった。地下のシャワー室に
直行したことも、あなたに私を疑う要素を与えてしまったかもしれない。
 あそこで、一度でも自分の部屋に戻っていればよかったのかも。
 でも、後悔先に立たず、といいます。今更あれこれ言うのはどうかしていますね。

 大神くん。私は決してさくらに罪を被せようと思ってさくらの格好をしたわけではあり
ません。さくらに変装すれば相手も油断する、と思ったのです。
 ただ、さくらが容疑者として疑われてしまったのは仕方ないことだったのかもしれませ
んね。私はこの点についてはさくらに謝りたいと思います。

 私は軍人でありながら、いえ、その前に一人の人間として犯してはならない大罪を犯し
てしまった…。
 こんな私を大神くんは軽蔑するかもしれない。…軽蔑するならしても構わないと思いま
す。
 でもこれだけは忘れないでほしい。
 私は自分のしたことに後悔はしていない。死刑になるというなら胸を張って死刑台に登
るつもりです。後悔するくらいなら、こんな神に背くような大罪を犯すことなんて最初か
らしません。
 何故なら、私は自分で一生十字架を背負って行く道を選んだのだから。

 大神くん。私はいつ、何処に居ようとあなたと花組のみんなの事を見守っています。
 そして、あなたたちが信じ続けていれば、また逢える日がきっと来ると思います。

                          太正十三年一月 藤枝あやめ」

 大神は手紙を読み終えると便箋をまとめ、それを引き裂いた。
 すべてを忘れようとするかのように何度も何度も…。
(…このことはオレの胸の中にしまっておこう。墓に入るまで、決して誰にも話さないで
おこう。…それが、オレがあやめさんにできる唯一のやさしさだから…)
    *
 こうして事件の真相は大神の胸の中にだけに隠されたのである。
 ひょっとしたら、花組の面々もあやめが起こした事件については知っていたかもしれな
い。
 しかし、彼女たちも何も言わなかった。
 なぜなら、それがあやめに対するたった一つのやさしさなのだから。

(終わり)


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