太正のストーカー殺人事件
〜The other side of Love〜

(前編)



   零 

 オレは帝國歌劇團の大ファンだ。
 毎公演欠かさず見に行っている。
 中でも…真宮寺さくら。
 彼女は最高だ。
 彼女が舞台に立つだけで目の前に一瞬で華が咲く。
 そしてその演技だけでなく、
 神崎すみれのような気の強いヤツともひるまず立ち向かう強さも彼女の魅力だと思う。
 本当に好きだ。
 オレは彼女の為なら死んでもいい。
 いつか一ファンから特別な男性(ひと)に繰り上げてもらいたい。
 だからこそ、
 彼女について公事から私事まで、
 知らない事一つでもオレには許されないのだ。
 そうだ、
 許されないのだ。
 彼女を隅々まで知るためオレはよく劇場の奥まで足を踏み入れたものだ…
 そして…
 数多くのさくらさんを知ったのだった。

   壱 

「大神くん、ちょっといい?」
 太正十二年十月、大帝國劇場・帝劇。いつもは歌劇団として活動している花組の面々の
マネイジメントを担当している藤枝あやめが大神一郎を支配人室へ招き入れた。
「あやめさん、話って何ですか?」
「うん……支配人にも聞いて欲しいんだけど…大神くんは花組の公演にいつも来ている人
はどのくらい知っているかしら?」
「いつも来ている人と言っても、結構いますからねえ…花組の皆にそれぞれのファンがい
ますから…」
「…そうよね。いくらなんでもそんなに把握できないわよね」
「…あやめさん、どうかしたんですか」
「…実はね、大神くんに相談にのって欲しい事があるのよ」
「相談、ですか?」

 大神は事務局に連れて来られた。
「一寸さくらの事について相談にのって欲しいの」
「さくらくんの、ですか?」
 あやめは丁度事務局にいた藤井かすみを呼んだ。
「…例のものを持ってきて」
「わかりました」

「…実は、まださくらには話してないんだけど…」
 そう言ってあやめは大神にかすみに持って来させた手紙の束を見せる。ざっと見て100
通近くあろうか。
「…ファンレタア、ですか?」
「そう、全部さくら宛よ」
「ならいいじゃないですか。それだけさくらくんが人気がある、っていう証拠ですよ」
「これが普通のファンレタアだったらいいんだけど…」
「…と言いますと?」
「…これ全部、この2ヶ月の間に一人の人物がさくら宛に出したものよ」
「何ですって?」
「…私が軍の関係者や警察にいる知り合いに個人的に頼んで調べてもらったんだけど、筆
跡が同じ事から同一人物のものだ、と言う事がわかったのよ。それだけでも異常なんだけ
ど、その内容があまりにも酷い内容でねえ…」
「酷い内容、と言いますと?」
「何処で観察しているのか、さくらの一日の行動を逐一書いて送ってくるのよ。例えば『何
月何日何時ごろ、さくらさんは何処そこで何をしていたでしょう』とかね…」
「それは…異常、ってモンじゃないですよ」

 そんな時、帝劇の正面玄関が開く音がして、その内に事務局に誰かが駆け込んできた。
 噂をすれば、と言うヤツで駆け込んできたのはそのさくらだったのだ。
「…さくらさん、どうしたんですか?」
 かすみが言う。
「…何だか、誰かに尾行されている気がして…」
「尾行だって?」
「…それで、何だか気味悪くなって…」
「かすみくん、さくらくんを頼む!」
 そう言うと大神は帝劇の玄関を出てあたりを見回す。
 曲がり角の影に一瞬人影が見えた気がした。
 大神はその方向に向かって走って言った。…が、大神がそこに来た時には既に誰もいな
かった。
「…誰かいたの、大神くん?」
 あやめたち3人が大神のところにやって来た。
「いえ、誰かいたような気がしたんですが、見失いました」
「…とにかくさくら、中に戻りましょう」
   *
 帝劇の事務室。大神たち4人がそこにいた。
「…それでさくらくん、いつ頃からだい? その、尾行されている、って言う感じは?」
「実は、ここ数日そんな感じがしてたんです」
「ここ数日?」
「はい…。何だか何処へ行っても誰かがあたしの後ろを尾行しているような気がして…」
 それを聞いたあやめが意を決したかのように、
「…実はね、さくら。あなたには話していなかったんだけど…」
 と、あやめはここ2ヶ月の間、さくら宛に一人の人物が出した、と推測されているファ
ンレターについて話した。
「…そんな事があったんですか?」
「…あなたを不安にさせたくなくて、今日まで黙っていたんだけどね…。これだけは言え
るわ。何かあなたにえらく熱心な、異常とも思えるくらいの愛情を持っているファンがい
るのよ」

「ただいま」
「只今」
 どこかに行ってたか、桐島カンナと李紅蘭の声が玄関から聞こえた。
「…どうしたんだ、みんな。そんな所で」
「あ、いえ、なんでもないのよ」
「…そういえばな、大神はん」
「…どうしたんだ、紅蘭」
「今、そこの曲がり角で、何か様子のおかしい男がおったんや」
「様子がおかしい?」
「うん、何かじー、っと、帝劇の玄関見とってな。誰かが出てくるのを待っていたような
んや」
「…それで、どうしたんだ?」
「いや、カンナはんが『オマエ、帝劇になんか用があるのか?』言うたら何も言わずにど
っか行ってしもうたんやけど」
「その男、ってどんな男だったんだい?」
「…いや、あたいらも一寸見ただけなんだけど、灰色のハンチング被って、同じ色のベス
トを着ていたのだけは覚えてるぜ」
「…それだけじゃ何とも言えないな。そんな人いくらでもいるからね。…まあ、でもまた
何かあったら知らせてくれないか?」
「わかってるぜ」

   弐

 数日後、帝国歌劇団の公演が始まった。
 最初の何日かは何事もなく過ぎた。だが、異変は間もなく起こり始めた。
 毎日さくらのブロマイドを買い占めていく男がいる、というのだ。
「…毎日ですって?」
 かすみから報告を聞いたあやめが聞き返した。
「…はい、私も椿から聞いただけだからよくわからないんですが、何でもあるだけ全部買
っていくらしいんです。ですから、さくらさんのブロマイドだけいつでも売り切れになっ
てる、って他のお客様から椿によく苦情が来てるそうなんですが…」
「…そのお客様、ってどういう人なの?」
「それだけのことをする人ですから椿も特徴をすぐに覚えたらしいんですが…」
 そう言うとかすみは口篭ってしまった。
「? …どうしたの?」
「この間、カンナさんと紅蘭さんが見かけた、と言う灰色のハンチング帽と同じ色のベス
トを着た、と言う男性らしいんです」
「何ですって?」
「…椿もその男性に見覚えがあって、何でも公演があるごとに通い詰めで来ているらしい
んです」
「…その男がブロマイドを買い占めている、って言うの?」
「はい。ただ、そんな行動に出るようになったのは最近のことらしいんですが…」
「…とはいえ、相手はお客様ですもの。お金を払う以上、売らない訳にはいかないし…」
「…椿もどうしたものか困っているらしいんです」
   *
 その日も帝国歌劇団の公演が行われていた。
「…さくら、出番だぜ!」
 カンナがさくらに言う。
「はい!」
 そう言うとさくらは舞台中央へ躍り出ていった。
「頑張りや、さくらはん!」
 紅蘭も声援を送る。

「…?」
 舞台袖。最初に異変に気付いたのは紅蘭だった。
「…どうしたんだ、紅蘭」
 カンナが聞く。
「…何か、さくらはんの様子、おかしくないか?」
「おかしい、って?」
「…何か、目線がおかしいわ。誰かと顔合わせとうないような感じで…」
 そういわれてカンナは舞台の方を見る。
 よく見ると、確かにさくらの目線があさっての方向を向いているように見える。

「…さくらはん、どうしたんや?」
 舞台袖に引っ込んできたさくらに紅蘭が話しかけた。
「え? どうかしました?」
「何か舞台に出ている間中、変な方向向いてたで」
「え? …な、なんでもないんです。気のせいですよ、多分…」

…しかし、公演の日が進むにつれさくらの様子が変になって行くのが明らかになっていっ
た。
 台詞をとちったり忘れたりする事が目立ち始め、その度に劇の進行に支障が出ることが
しばしば起こり始めたのだ。
 花組の面々から事情を聞いた大神はこれは何かあると思い、ある日のこと、モギリの仕
事を早々と終わらせると思い切って舞台袖に行ってみた。

「? 大神はん、どうしたんや」
 舞台袖に来た大神を見た紅蘭が言う。
「いや、ちょっとね…」
 そう言うと大神は舞台上を袖から覗いた。
 舞台上ではいつも通り、花組の面々が芝居をしている。
 大神は何気なく客席の方に視線を移した。
「あ…」
 大神の視線が客席のある一点で停まった。
「…どうしたんだ、隊長?」
 カンナが大神に聞く。
「…すまん、誰か椿ちゃんを呼んできてくれないか?」
「よっしゃ。ウチが呼んでくるで」
 そういうと紅蘭が出て行った。

「…どうしたんですか、大神さん?」
 紅蘭に呼ばれた高村椿が舞台袖にやって来た。
「客席の前の方にいるあの男だけど…」
 大神はある客席を指差した。
「…椿ちゃんが言ってた例のハンチング帽の男、ってあの男かい?」
 そう言われた椿は大神と同じ方向に視線を移す。
「…そう言えば、あの人ですよ。さくらさんのブロマイド買い占めてる人って」
「本当か?」
「はい。毎日のように買い占めてるんです。いくらなんでも顔を覚えますよ」
「…そういえば、こないだ帝劇の方を見張ってた男ってあの男に似てたわ、なあ、カンナ
はん」
「…そういえば、あんなハンチング被ってたな」
 二人と同じように客席を見ていた紅蘭とカンナも言う。
    *
「…そうだったの」
 帝劇の事務室。大神から事情を聞いたあやめが呟いた。
「…断定は出来かねますが、もしかしたらさくらくんにここの所付き纏っていた男はあの
男ではないかと思うんです」
「…となると、さくらに毎日のように手紙を送っていた人物、というのも…」
「恐らくそうではないかと…」
「…困ったわねえ…。このまま行ってしまうと、下手をしたら取り返しの付かない事にな
ってしまうかもしれないわ…」
「というと?」
「さくらに対する愛情が高じて、例えばさくらを誘拐してしまう、何てことにならなけれ
ばいいんだけど…」
「…とはいえ、とてもじゃないけど話し合いが通用しそうにない相手ですよね…」
 と、それまでじっと二人の話を聞いていた紅蘭が、
「そうやろな。そんなことしても向こうが自分の都合のいいように解釈するだけや」
「だったら、そいつを引きずり出して立てないくらいに殴りつけてやるか。二度とさくら
に付き纏うな、ってよ」
 カンナが言うが紅蘭は、
「それはアカンで、カンナはん。下手したらこっちが暴行罪で訴えられるわ。それにその
男がさくらはんに付き纏っていた、という証拠が全然ないで」
「…とにかく、今は様子を見るだけだよ。それ以外に手の打ち様がないよ」
   *
 それからは周りがさくらに気を遣い、彼女の周りで何事も起きないように手を尽くした
お陰で大した事は起きずに、舞台は無事千秋楽を迎える事が出来た。
 千秋楽の舞台を終え、楽屋に戻ってきたさくらをあやめが引き止めた。
「…さくら、一寸いい?」
「なんですか、あやめさん」
「一寸あなたに頼みごとがあるのよ」
   *
 翌日。
「じゃ、行って来ます」
「気をつけて」
 夜5時過ぎ、さくらが帝劇を出て行った。彼女は今夜、花やしき支部の方で仕事を手伝
って欲しいとあやめに言われ、その為に出かけるのだ。「今夜は花やしき支部に泊まって明
日の朝帰って来なさい」と言われていたので今日は帰ってこないが。

 夜7時過ぎ。
「一寸出掛けてくるわね」
 風呂敷包みを持ち、普段着ている和服姿のあやめが帝劇の玄関にやって来た。
「どちらまで行くんですか?」
 大神が聞くと、
「すぐに戻ってくるわ」
 それだけ言うとあやめは出掛けていった。
   *
 二時間ほどして、あやめが戻ってきた。
「おかえりなさい、あやめさん」
 大神たちが出迎えるが、あやめは何も言わずに大神たちの傍らを通り過ぎると、地下室
への階段を降りていった。
 その時、一番後ろにいた大神は、
「あれ…?」
 あやめの着ている和服の下着の袖に何やら赤いものが付いているのに気が付いた。
 そのあやめと入れ違うかのように、
「どうしたんだろうな、あやめさん」
 シャワーでも浴びたか、肩に手ぬぐいを引っ掛けたカンナが上がってきた。
「何かあったんか?」
 紅蘭が聞く。
「いやな、今そこで会ったから挨拶したんだけど、あやめさん聴いてないみたいでよお、
そのままシャワー室に直行しちまったんだよ」
「風呂敷包みはどうしたんだろ?」
 大神が呟いた。
「風呂敷包み?」
「ああ。あやめさん、出掛けるときに風呂敷包み持ってただろう?」
「さあな。風呂敷なんて折り畳めば着物の袖にでも入れられるよ。それにしても、何か最
近、あやめさんのやってる事がわからねえなあ…」
 カンナが言った。
「…わからない、って?」
「誰にも告げずにいつの間にか出かけちまってる、って事多いし、最近夜中に帰ってくる
事もあるしな。しかも、ここのところ毎日だぜ」
 そういえば…、と大神にも思い当たる節があった。最近あやめが帝劇内の何処を探して
もいなく、聞いても「どこかに出かけたらしい」と言うことしかわからず、いつの間にか
帰って来ている事が度々あるのだ。何処へ出かけていたのか聞いてもあやめは「個人的な
用事」と言い、それ以上は何も言わなかったし…。
「…花やしき支部の方に行ってるんじゃないのか? あやめさん、そこの支部長は辞めて
ないんだろ? …それに、今日はさくらくんが向こうに行ってるし」
 紅蘭が、
「さっき花やしき支部の方に問い合わせたら、夜8時頃あやめはんが様子を見に来た、言
うとったわ。ただ…」
「ただ?」
「ここ最近あやめはんは花やしき支部に来とらんかった、って言うとったで」
「本当か? …だとしたら、あやめさんは何やってるんだ?」
    *
 2日後の朝。朝食を食べ終えた大神は新聞を広げた。
「…!」
 大神の目がある記事のところで止まった。
「上野公園 不忍池に男の死體」という記事があったのだ。
 記事によると、昨日の朝不忍池で男の死体が見つかったというのだ。その死体は袈裟切
りに斬られており、死亡推定時刻は一昨日の午後7時〜9時頃。警察は身元の確認を急い
でいる、という事だった。
 これだけだったらよくある事件だが、大神の目を引いたのはその男の服装だった。
 ベストを着て、灰色のハンチング帽をかぶった男…。みんなが言っていた「さくらに付
き纏っていた男」の姿に似ていた気がしたのだ。
「まさか…」
 もしかしたら、何者かの手によってあの男が殺害されたとでも言うのだろうか?


後編に続く>>

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