China Connection
〜諸星警部対森松警部補〜

(最終話)



「すぐに戻ってくる」と言った割にはかなり遅く、諸星警部が警視庁に戻ってきたのは既
に9時を回っていた頃だった。
「…あ、警部、お帰りなさい」
 栗山刑事が言う。
「お、ただいま。…ところで森松警部補たちは来たかい?」
「いえ、まだ見えられませんけど、もうすぐ来るんじゃないですか? それより警部、こ
んな時間まで何処に行ってたんですか?」
「ん? …いや、たまには一緒に飯を食おう、ってことでよ、先生と一緒に朝飯を食いに
行ってたんだよ」
「こんなに遅くまでですか?」
「中々開いている店が無くってよ。…それよりどうした、栗山」
「昨日の検死の結果が出たそうです。それと安川の死体の検死の結果も出たそうです」
「お、早いな。2〜3日かかる、って言ってなかったか?」
「上のほうでかなりハッパをかけたらしいですよ」
 そう言いながら栗山刑事は諸星警部に書類を渡した。
 諸星警部は自分の席に着くと角型封筒を開け、書類を取り出した。
「…ふん…、そういうことか…」
「どうしたんですか?」
「いや、先生も言ってたんだがな、どうも今回の犯罪は殺し屋とか、そういった専門のヤ
ツの仕業じゃないか、と言ってたんだが…」
「殺し屋、ですか?」
「ああ、だとすると、松さんといい、安川といい、この事件は同一犯の仕業によるものだ、
と言うことになるかもしれないな」
「…そうだったんですか…」
「ああ。ま、でもそっちの方がオレ達としてもやりやすいけどな」

 そんな話をしていた時、
「おはようございます」
 扉が開いて森松警部補たちが入ってきた。
「あ、おはようございます。…そう言えば森松さん」
「なんでしょうか?」
「例の検死の結果が届きましたよ」
 そう言うと諸星警部は森松警部補に書類を渡した。
 森松警部補と川場警部補が書類を眺めているのを諸星警部はじっと見つめていた。
「…? 警部、何を見てるんですか?」
 栗山刑事が聞く。
「ん? …いや、なんでもないさ」
     *
「先生、お茶が入りましたよ」
 昼過ぎの御神楽探偵事務所。千鶴が湯飲み茶碗を時人の机に置く。
「あ、有難う、桧垣君」
 そういうと時人は茶を一口啜る。
「…先生、どうしたんですか?」
「どうした、と言いますと?」
「何かさっきからそわそわしてますけど」
「いえ、何でもありませんよ」
 そう、時人はさっきから何かを待っているかのように落ち着きがなく、時々時計をチラ
リと見たり、と何かを気にしているようだった。

 その時だった。
 所長室の方で電話の呼び鈴が鳴った。
 それを聞いた時人はものすごい勢いで所長室に飛び込むとドアを閉める。
「はい、御神楽探偵事務所。…はい、はい…」
 時人の話し声がかすかに聞こえてくる。
 それから2〜3分ほど経っただろうか、所長室から時人が出てくると、
「皆さん、一寸出かけて来ますよ」
「…何処へ行くんですか?」
 巴が聞く。
「いえ、ちょっとした用ですよ」
 そう言うと時人は事務所を出て行った。
    *
 時人が戻って来たのは夕方近くになってからのことだった。
「只今戻りました」
「あ、お帰りなさい」
 巴たちが時人を出迎えた。その後から、
「先生、いるかい?」
 諸星警部と栗山刑事が入ってきた。
 さらにその後ろから森松警部補と川場警部補、そして数名の警官が入ってくる。
「お待ちしてました。諸星警部」
「…先生、一体我々を集めて何の用なんですか?」
 森松警部補が聞く。
「いえ、今回の事件の真相を皆さんにお話したいと思いまして」
「真相?」
「ええ。僕はようやくこの事件の真相がわかりましたよ。それを今から皆さんにお話した
いと思うんですよ」
「本当ですか?」
 巴が聞いた。
「はい」
 時人の返事は短いものだった。
「…それでは聞かせてもらいましょうか、その真相とやらを」
 川場警部補が言う。

「…今回の一連の事件の発端は、そう常盤省吾の逮捕から始まります」
 時人は一同の前でこう切り出した。
「常盤省吾の?」
 森松警部補が聞く。
「はい。僕が大連にいたとき彼が逮捕され、それと同時に彼が主宰をしていた猟奇同盟も
壊滅しました。…しかし、それだけでは終わらなかったのです」
「終わらなかった?」
「はい。確かに猟奇同盟そのものは壊滅しましたが、関係者全てが捕まった、とかそうい
うわけではありません。常盤省吾が逮捕されると当時に――これは田村水寛先生のお力添
えがなければ出来なかったことですが――関東庁や満鉄、警視庁といった官公庁の職員が
大量に解雇されましたが、彼らはあくまでも上層部です。その下の、いわば猟奇同盟の残
党とでも言うべき組織は活動を続けていたのです」
「残党ですか…」
「はい。僕が大連から戻ってきてしばらくしてから、密輸や密売組織の摘発が急に増えだ
しました。この件に関しては諸星警部も気になっていたようで、警部に調べてもらった所、
どうやら逮捕した人物は多かれ少なかれ猟奇同盟に何らかの関わりがあった人物だ、とい
うことがわかったのです」
「何故彼らがこんな所に…」
「よくあることですよ。組織の一番上に立っていた人物が急にいなくなったことで猟奇
同盟そのものが混乱に陥ってしまったんですよ。そして関東庁や満鉄の職員といった協力
者もいなくなってしまい、資金繰りにも困ってしまった、そこで彼らはそういった密輸や
密売に手を出さざるを得なかったんでしょう」
「…それでヤツらは日本に来た、ということか…」
「そういうことになりますね。…しかし、彼らが日本で活動するにあたってはどうしても
避けて通れない道があった…」
「それは、オレ達という事だな」
 諸星警部が言う。
「その通りです。そこで彼らは我々が情報を入手できないように貴重な情報を提供しよう
としていた人たちを次々と殺害したのでしょう」
「…それが犯人の動機、というわけか」
「…そうです。そこまで考えた時、僕はおぼろげながらこの事件の真相が見えてきました。
…はっきり言いましょう。…今回の事件の犯人は我々の知っている人物です! そして、
この中にいます!」

 時人の発言にその場にいた全員が絶句した。
 そしてお互いの顔を見ている。
 やがて、
「その犯人とは誰なんだね」
 森松警部補が時人に聞いた。
 時人は周りを見回すと、
「それは…。森松警部補、そして川場警部補、あなたたちです!」

「…な、何を言ってるんだ、先生。何で我々が犯人なんだ?」
 森松警部補が言う。
「森松さん、あなたがたが犯人だと言う証拠はいくつもありますよ。…例えば、安川と言
う人物が殺害された第2の事件です」
「第2の事件?」
「ええ。最初の、諸星警部の情報屋である松さんが殺害された時は、正直言って僕も犯人
の動機などがわからなかった。でも第2、第3の事件が起きた時、今にして思えばおかし
い点があったんです」
「おかしい点?」
「ええ。第2の事件と言い、第3の事件と言い、我々が現場にいるときに必ず起こってい
ました。これはどういうことか? つまり、犯人はあらかじめ我々とその情報提供者が会
うことを知っていた人物だった、と言うことになります。ところで警部、普通そういった
情報と言うのは誰にも話さないものですよね?」
「ああ。オレたち警察はそういった情報はたとえ同僚と言えども関係ないヤツらには話さ
ないさいし、死んだ松さんが言ってたが、そういった情報はたとえ情報屋仲間でも他人に
滅多に話すことはないらしいな」
 諸星警部が言う。と、時人が、
「それは何故ですか?」
「それはそうだろう。仲間と言ったって所詮は他人だ。迂闊に話してその中から裏切り者
が出ないとも限らねえからな」
「そうですね。情報屋の中にはそういった警察関係者と犯罪組織の両方と繋がっていて条
件がいいほうに情報を流す人物がいない、とは限りませんからね。…さて、そういった、
たとえどんな情報だろうとまず他人に話すとは思えない情報を――この場合我々とその情
報提供者が会う、と言うことを犯人はどうやって知りえたのでしょうか? …それは最初
からその情報を知っていた人物、つまり、我々の中からいる、と考えるのが妥当なわけで
す」
「だから、って先生。いくらなんでも私が犯人と考えるのは…。大体、先生の言う第2の
事件の時は私も先生たちと一緒にいたし、その安川の死体は見つからなかったでしょう?」
「ええ。確かにそうでしたね。…但し、あなたの言うことが信用できれば、ですが」
「ど…、どう言うことですか?」
「あの時、既に安川と言う人物は死体となっていたんですよ」
「どういうことだね?」
「あのときの状況を思い出してください。あの時、まず栗山刑事と川場警部補が先に横浜
に行き、僕達は後で乗り込んできた。…確かその時、栗山刑事は外で見張っていて、倉庫
街の中には川場警部補がいましたよね?」
「はい。川場警部補が中にいるから君は外で見張っていてくれ、って…」
「…それですよ」
「それです、って?」
「そう、川場さんはあらかじめ倉庫の中に安川を呼び出して倉庫内で彼を殺害したんです
よ。そして、1時間ほど経って我々がやってくる。勿論既に死んでいる安川は現れない。
そこで我々は辺りを探そうと言うことになる。あの時は諸星警部が言ったようですが、誰
も言わなければ自分で提案してもいい。…とにかく我々があたりを回すようにすればいい
んです。そして森松さんはあらかじめ川場さんから聞いておいた安川の殺害現場を調べて、
我々に『ここには見当たらない』と嘘の報告をする。…誰ももう一度同じ倉庫を捜そう、
何て考えませんからね。…つまり我々は二人の仕掛けた詐術に見事に引っかかったわけで
すよ」
「…御神楽先生。確かに先生の想像力は相当なもののようですが、先生の言っていること
はあくまでも想像でしょう? それで我々を犯人扱いするなんて…」
「…でもね、森松さん。あなたは第3の事件で墓穴を掘ってるんですよ」
「どういうことだね?」
「あなた確か、死体が発見された直後に諸星警部にこう言いましたよね? 『今夜、ここ
で被害者と会うことになるのを知っているのは我々だけしかいない』って」
「それがどうかしたのかね?」
「僕は諸星警部に聞きましたが、諸星警部あてに電話がかかってきたときに傍にいたのは
栗山刑事だけだったそうです。そして諸星警部は他の誰にも話さなかった…。僕も事件が
起こって蘭丸君から連絡を受けて初めて知ったんです。森松さんたちは栗山刑事から話を
聞いて初めて諸星警部が情報提供者と会うことを知ったんですよね?」
「それがどうかしたのかね?」
「何故あなたは被害者の男が、諸星警部が会おうとしていた情報提供者だということを知
ったんですか?」
「ですから、それは『灰色の背広にハンチング帽を被ってる』と諸星警部が言っていたか
ら…」
「そんな人、人通りが多い銀座2丁目では何人もいますよ。もしかしたら死体の男はまっ
たく関係のない人物だったかもしれないじゃないですか。…となるとあなたがしたいが見
つかる以前から被害者を知っていたことになります。…おそらくこんなところでしょう。
あなたは諸星警部が情報提供者と会うことを盗み聞きした。そして『自分も会ってみたい』
と言い、現場へと向かった。あとは諸星警部が言った『灰色の背広にハンチング帽を被っ
てる』という言葉と栗山刑事が言った『松さんの知り合い』と言う情報を手懸りにあなた
は灰色のハンチング帽をかぶった男を探し、松さんの名前を出して被害者を探し当てたん
です。『諸星警部の知り合いの刑事だ』とでも言えばいくら相手でも油断しますからね。そ
してあなたは男を殺害した…」
「…なんてこった。諸星警部が言った一言のせいで彼が死ぬ結果となったんですか…」
 栗山刑事が言う。
「…仕方ありません。普通はそんなことになるなんて誰も予想しませんから…」
 と、そこまで聞いた森松警部補が、
「…ちょ、ちょっと先生、何で私がそんなことしなければいけないんですか? 私は関東
庁から依頼されて、東京にやってきたことぐらいは先生だって知ってるでしょう?」
「…ええ、確かにそうですね。但し、あなたが本物の森松警部補だったら、ですけど」
「ど、どういうことだ?」
 またまた時人の爆弾発言に森松警部補が慌てて言う。
「あなたが来日する、と知って念の為に僕は大連の関東庁の田村水寛先生に問い合わせて
みたんですよ。…そうしたら、関東庁でも大連の警察署でも森松警部補を東京に派遣した
覚えがない、という返事が返ってきました。水寛先生は念の為に久御山君のお兄さんの静
斗君にも聞いてみたそうですが、彼も派遣した覚えがない、と言っていたそうです。…そ
うなると導かれる結論はただひとつ。あなたは偽者の森松警部補、ということです! …
そして川場警部補も偽者の川場警部補ということになります!」
 そう言われて森松警部補は黙ってしまった。
「…森松さん、いえ、偽の森松警部補、と申し上げた方がよろしいですか? とにかく、
あなたの目的は僕や諸星警部に猟奇同盟の残党の活動を知られないようにすることだった。
なぜなら、僕も諸星警部も2年以上前から猟奇同盟の起こした事件に関わっているから、
下手をすると今後の活動の妨げになってしまいますからね。そこで僕たちに近付いた。僕
が大連にいたとき、僕や鹿瀬君たちが森松さんにお世話になったのを何処かで知って彼に
成りすましてね…。僕の知り合い、と言うことだから諸星警部も安心すると思ったのでし
ょう。それに刑事と言う立場なら情報屋の人たちだって安心して情報を提供しますからね。
その立場を利用してあなたは情報を提供しようとしていた人たちを殺害した…。もし情報
提供者がいなくなれば、僕たちも猟奇同盟の活動を知ることが出来ない。もし出来たとし
ても今よりは遅れてしまうから、自分達に有利なように出来る。…違いますか?」
「…もし私が偽者だと言うならば、本物は何処にいると言うんだね?」
 森松警部補が言う。が、時人は何故か笑顔で、
「…あなたの目の前にいますよ」
「目の前に?」
 その時、森松警部補の脇にいる恰幅のいい警官と、川場警部補の脇にいた痩身の男がそ
れぞれの腕をがっしりと掴んだ。
「な…、何をするんだ!」
「…成程ね。上手く化けたもんだ」
 森松警部補の腕を掴んでいた警官が言った。
「そ…、その声は…」
「その通り、本物の森松ですよ」
 そういって警官が顔を上げた。
 そう、その警官は警官の制服を着ていたが、本物の森松警部補その人だった。
「じゃ…、じゃあこっちは…」
「…本物はもっと色男ですよ、偽者さん!」
 川場警部補の腕を掴んでいた警官が顔を上げた。
「か…、川場!」
 そう、こっちの警官は川場警部補だったのだ。
「…お二人には僕が水寛先生に頼んで、日本に来てもらったんですよ。…お二人とも着い
たばかりの所、済みませんでした」
「いやいや、私の偽者が先生に近付いていたと聞いたら黙ってるわけにはいきませんから
な」
「…まったく、とんでもない野郎ですね」
 本物の川場警部補が言った。
「…それにしても、バレやしないか、と心配でしたけどね、警部」
 時人が諸星警部に言う。と、諸星警部も
「ああ。オレも先生から話を聞いたときは驚いたけどな」
「え…、そ…それじゃ」
 栗山刑事が言う。
「ああ。この二人が偽者だって事を知ってたのはオレと先生だけだったんだぜ」
「警部も知ってたんですか?」
「ああ、今朝知ったばっかりだがな。まさか偽者がオレ達に近付いていたとは思わなかっ
たぜ。それで先生が本物の二人が今日、大連から駆けつける、と言う話をオレにしてよ。
オレと先生で二人を迎えに行って、その間にみんなで話し合って一芝居打とうということ
になったんだ」
 それを聞いて偽者の二人が黙り込んでしまった。
「…とにかく詳しい話は警視庁で聞くことにするぜ。…よろしいですね、お二人とも」
 諸星警部が本物の二人に聞く。
「勿論ご一緒させていただきます」
 川場警部補が言う。
「この偽者の二人がどんな話をするか是非聞きたいですな」
 森松警部補も言う。
「…よし、連れてけ!」
「はいっ!」
 そして本物の森松・川場両警部補と栗山刑事に連れられて偽者の二人が連行されていっ
た。
    *
 それから事件の後処理があって数日日本に滞在していた森松・川場両警部補が大連に戻
ることになった日、時人と諸星警部は横浜港まで二人を見送りに出かけた。

「…本当に戻られるんですか? せっかくだからもう少し滞在していればいいのに…」
 時人が言う。
「いや、事件は待ってくれませんよ。我々もこういう仕事ですからね」
 森松警部補が言う。
「いや、本当にお手数をかけましたよ」
 諸星警部が言う。
「いえいえ、こちらこそ」
「また何かあったらご協力願えますか?」
「ええ。先生が頼めば我々はいつでも駆けつけますよ」

 そうこうしているうちに出港の時間が近付いた。
「それじゃ、お元気で」
「先生も警部もお元気で」
 そして二人が船に乗り込んだ。

 そして出港の銅鑼が鳴り、船はゆっくりと港を離れていった。
 それを見送る二人。
「…終わったな」
 諸星警部がぽつりと言う。と、時人が、
「とりあえずは…、ですね」
「…とりあえず、ってどういうことだよ、先生」
「今回はあくまでも一つの事件が解決したに過ぎませんよ」
「…そうだな。まだまだ猟奇同盟との戦いは続くんだな」
「…もしかしたら、これからが本当の戦いの始まりかもしれませんよ」
 これから始まるであろう新たな戦いに向けて、時人と諸星警部は気持ちを引き締めるの
だった。

(終わり)


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