China Connection
〜諸星警部対森松警部補〜

(第1話)



「動くな! 警察だ!」
 ある廃工場の中。諸星大二郎警部が拳銃を構えて中にいる者達に叫んだ。
 その後ろでは、
「おとなしく手を挙げろ!」
 あまり迫力が感じられない声で栗山刑事が叫ぶ。
 そして警官隊がなだれ込んでいく。
 諸星警部たちは今、取引の現場を押さえたところだったのだ。

 そして警官隊の手によって次々とその場にいた者たちが逮捕され、連行されていった。
「よう、先生」
 外に出た諸星警部達は外で待っていた一人の男――御神楽時人に話しかけた。
「お疲れ様でした、警部」
「いやあ、これも先生のおかげだよ。本当にいつも先生には世話になるな」
「いえいえ、そんなことありませんよ。…それにしても」
「どうした?」
「最近多いですよね、この手の事件が」
「ああ。密輸やら取引やら、ここの所増えてきているな。これじゃ警官が何人いたって足
りゃしねえ」
「…『例の件』と関係があるんでしょうか?」
「うーん…、なんとも言えねえな。大体連中が何でこんなところまで来て取引をやるのか
がはっきりしないしな」
「そうですね。とにかく『例の件』が何か影響があったのかどうか、僕もこれから調べて
みますが」
「…ああ、頼むぜ。じゃ、先生送ってやるよ」
「すみません」
 そして時人は車に乗り込んだ。
     *
「いやあ、無事に終わったな」
 警視庁。諸星警部と栗山刑事が戻ってきた。
「ええ。これも御神楽先生のおかげですよ。それにしても先生、元気なようでよかったで
すね」
「ああ、一時はどうなるかと思ったがな」
「それにしても驚きましたよね。まさか先生が大連で見つかったなんて」
    *
 今から2年前、大正7(1918)年の秋のことだった。
 ある事件が解決してしばらくたったある日のこと、不意に御神楽時人が失踪する、とい
う事件が発生した。
 諸星警部もその話を聞き、鹿瀬巴、久御山滋乃、桧垣千鶴、そして蘭丸という残された
御神楽探偵事務所の所員と共に行方を探したもののその行方は杳として知れなかった。

 時人の失踪後、御神楽探偵事務所は開店休業状態となり、所員たちもそれぞれの生活を
送っていたのだが、「時人が中国にいる」と言う情報が入り、時人を探しに行って巴たちが
中国は大連に向かったのが今年・大正9(1920)年の5月。それから数ヵ月後、巴たちが戻
ってきて「先生が見つかった」と言う情報を諸星警部たちが知って間もなく、時人が帰国
してきたのだ。
 時人は帰国して間もなく探偵事務所の営業を再開。諸星警部たちとも再会して、こうし
て再び二人で事件を追いかける日が始まったのである。

 大連で阿片漬けにされていた、という話を時人から聞いた時、諸星警部は驚いたが、大
連の知人の手で阿片中毒は既に治っていることを聞き、とにかく安心した。
 尤もその後、諸星警部は時人を完治させるべく知り合いの医者を紹介し、彼がうるさく
言っていることもあって、週に一度時人はその医者に通っているのだが経過は順調のよう
であった。
   *
「…そういえばな、栗山」
「なんですか?」
「大連で思い出したが…、森松警部補と川場警部補、知ってるだろ?」
「ええ、先生が大連にいた時にお世話になった関東庁の刑事ですよね?」
「先日電報があってな、なんでも二人が東京にやって来ることになったそうだ。ま、もと
もとは二人ともこっちの人間だから正確には帰郷、と言った所かもしれないが」
「…どうしてですか?」
「…常盤省吾、知ってるだろ?」
「ああ、猟奇同盟の…。でも警部、猟奇同盟は…」
「ああ。寺山内閣が倒れるとほぼ同じ頃に、常盤省吾のヤツが大連で逮捕されて組織その
ものは壊滅したんだが…、その残党が日本にひそかに入国した、と言う情報があるらしい
んだ。それでその調査のために二人がやってくる、ってことらしいな。明日、横浜港に入
港する客船に乗船しているそうだ。…明日一緒に行ってくれるな?」
「はい」
「そうか、わかった。…じゃ栗山、オレは帰るからな」
「え、もうですか?」
「事件が解決した時くらい早く帰らんと女房がうるさくてよ」
「そうですか…、お疲れ様でした」
 そして諸星警部は帰宅した。
    *
 翌日の横浜港。
 待合室に諸星警部と栗山刑事の二人がいた。

「…もうそろそろ来るはずなんだが…」
 諸星警部が言う。先ほど港湾事務所で聞いた話では海は穏やかで事故の報告も入ってい
ないという。
…と、その時だった。
「諸星警部ですか?」
 一人の恰幅のいいソフト帽をかぶった男が諸星警部に近付いてきた。
 それを聞いた諸星警部が立ち上がる。
「ええ、私が諸星ですが」
「はじめまして、森松です。こちらは川場警部補」
 と、森松警部補の傍らに立っている痩身の眼鏡の男を紹介する。
「警視庁の諸星です。こちらは私の部下の…」
「栗山です」
 そういわれて栗山刑事が自己紹介をする。
「…迎えの車を待たせてありますのでこちらまで来てください」
 そして栗山刑事が先導して待合室を出た。
    *
 車は東京へ向かっていた。
「…諸星さん」
 森松警部補が聞く。
「なんですか?」
「御神楽先生はお元気でしょうか?」
「ええ。大連から戻ってきてから、以前にも増して忙しい日々を送っているようですよ。
そういえば先生が大連にいた頃はいろいろとお世話になったようで」
「いえいえこちらこそ。先生のおかげでいくつかの事件が解決したようなものですし」
「まあ、それにしてもあの先生も鉄砲玉ですから…。森松さんたちには迷惑をお掛けっぱ
なしだったでしょう」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」

 やがて車は東京に入り、銀座界隈を走っていった。
「そろそろだな…」
「どちらへ向かわれるんですか?」
「先生の事務所ですよ」
「御神楽先生の?」
「ええ、先生にお二人が来られることを話したら是非お会いしたい、と言うんで」

 やがて車はあるビルディングの前に到着した。
「ここですよ」
 諸星警部が言うと、4人は車から降り、ビルの前に立った。
「…ここが御神楽先生の事務所ですか」
「ええ、ここの二階に事務所があるんですよ」
 そういわれて森松警部補はそのビル――旧守山ビルの2階を見上げる。
「…下は、貸店舗なんですか?」
 川場警部補が聞いた。
 見るとかつて「守山美術」があったところの硝子窓に「貸店舗」の貼り紙がしていった。
「ああ、これですか。…もともと1階はこのビルディングの持ち主である女性が美術商を
営んでいて、先生は2階を使わせてもらっていたんですがね、2年前にその女性が自殺し
て以来、1階は空き店舗になってるんですよ」
「自殺…、ですか?」
「例の事件」のことは諸星警部も昨日のことのように覚えている。彼女――守山美和の死
が時人に何らかの影響を与えて、彼が失踪と言う形になってしまったのであろう、という
ことも。
「ええ、でも、その女性が美術商を始める際に世話になったと言う遠峰の御前がこのビル
ディングを買い取りまして、今では御前のご好意で使わせてもらってるんですよ」
「遠峰の御前…、って遠峰久住氏のことですか?」
「ご存知なんですか?」
「ええ、財界にもかなりの影響力を持っている方じゃないですか」
「とにかく行きましょうよ」
 栗山刑事がそう言うと、4人は階段を上がっていった。

「やあ、森松さん、川場さん。お久し振りです」
 事務所のドアを開けると御神楽時人が4人を出迎えた。
「これは先生、お久し振りです」
「お久し振りです」
「ささ、こちらへどうぞ。生憎と鹿瀬君たちは今調査に行ってるんですが…」
 その時だった。
「先生、只今」
 巴たち3人が事務所に帰ってきた。
「お帰りなさい」
 と、巴たちは森松警部補達に気づき、
「あ、お久し振りです」
「やあ君たち、久し振りだねえ」
「…森松さん、お兄様はどうですの?」
 大連で関東庁に勤めている兄・静斗のことを行っているのだろう、滋乃が聞いた。
「ああ、元気でやっとるよ。君にもよろしく伝えておいてくれ、と言っとったよ」
「そうですの」
「…そうだ、丁度いいですね。君達もここで話を聞いてください」

「…ところで御神楽先生」
 最初のうちは世間話をしていた一同がその場に慣れた頃に森松警部補は話を切り出した。
「なんでしょうか?」
「大連でも噂話は聞いとるんですが…、常盤省吾の組織の残党が日本に来ているそうです
な」
「ええ。最近ヤツの残党の仕業と思われる事件が数多く起こってますからね」
 時人が言う。と、諸星警部が、
「…そもそもヤツの組織である『猟奇同盟』の存在が明らかになったのは2年前なんです
が、どうも常盤省吾はそれ以前から組織を結成して暗躍していたようですな。一度は警察
に捕まったんですが、程なく刑務所を脱走して、先生が失踪したのとほぼ同じ頃にヤツも
行方不明になったんですが、まさか大連にいたとはね…」
「まあ、彼の協力者が関東庁や満鉄にも何人もおりましたからな。なんでも政界にもおっ
たそうですな」
「ええ。ま、寺山内閣が倒れて、ヤツが逮捕されたことで組織そのものは事実上崩壊した
んですが、まだヤツの組織の末端にいた者たちの活動が続いているもんで…」
「まあ、彼らが密輸や密売に手を出している、と言うことは連中もそれだけ追い詰められ
ている、ということなんでしょうけれどね」
 時人が言う。

…そのとき、不意に事務所の電話のベルが鳴った。
「はい、御神楽探偵事務所です」
 蘭丸が電話を取る。
「…はい、居りますよ。はい、はい。少々お待ちください。…諸星警部、警視庁からです」
「わかった」
 そして諸星警部は受話器を受け取る。
「もしもし、オレだ。…うん、うん。…わかった、今から戻る」
 そして諸星警部が電話を切る。
「…悪い、先生。本庁から呼び出しが来たよ。今日はこれで帰るからよ」
「わかりました」
「ついでに本庁の連中にも紹介したいからよ。森松さんたちにも来てもらえますか?」
「え、ええ。それは喜んで。…それじゃ先生、また後ほど」
 そして栗山刑事が出て行った。
「それじゃ僕も出かけてきます」
 そういうと時人は立ち上がった。
「先生、何処へですか?」
 巴が聞く。
「いえ、すぐ戻りますよ」
 そして時人は事務所を出て行った。

 警視庁。
 諸星警部達が戻ってくると、一人の警官が諸星警部に近付いてきた。
「警部。警部に面会を求めている人が居るんですが…」
「だれだ?」
「いえ、それがその…。警部ならわかる、って…」
「…わかった」

 そして諸星警部は面会人が居る、という応接室に通された。
「…なんだ、誰かと思えば松さんかよ」
「旦那、お久し振りですね」
 松さん、と呼ばれたその男は諸星警部を見ると馴れ馴れしい声で近付いてきた。
「どうした? その調子だと何かいい情報を掴んだな?」
「その通りでさ。これは凄い情報ですぜ」
 そう、この松さんと言う男は諸星警部が情報屋として使っている男だったのだ。
 浅草で浮浪者(今で言うホームレスのこと)をしており、本名は誰も知らず、みんなは
「松さん」と呼んでいるのだが、どういうわけだか警察に有力な情報を掴むのが上手く、
諸星警部も情報屋として重宝していたのだった。
「…なんでもね、近いうちに大きな取引があるらしいんですよ」
「取引だと?」
「ええ、一寸詳しいことはわからないんですがね。どうやらかなりの大物らしいですぜ。
なんでも大陸からも既に何人かこっちに来てるらしい、って話なんでさ」
「…それで、その取引はいつやるんだ?」
「さあ、そこまで詳しくは…。いずれにしろ、詳しいことがわかったらお知らせしますわ」
「…わかった。ご苦労だったな」
 そう言うと諸星警部は財布から何枚かの札を取り出すと、男に渡した。
「…あんまり飲みすぎるなよ」
「ご心配なく。…あ、御神楽先生にもよろしく伝えといてくださいね」
「わかってる」

「取引ですか?」
 栗山刑事は諸星警部の話に驚きの表情を見せた。
「ああ、まだ詳しいことはわからないんだが…」
「…今までの事件と何か関係があるんでしょうか?」
 森松警部補が聞く。
「いえ、まだよくはわからないんですが…。ただ、既に大陸から何人も来ているらしい、
と言う話ですから大きな動きがあるかもしれませんな」
「…となると、今は松さんの情報を待つしかないですね」
    *
 翌日のことだった。
 御神楽探偵事務所の電話の呼び出し音がけたたましく鳴った。
「はい、御神楽探偵事務所。…あ、諸星警部」
 そう、電話の相手は諸星警部だったのだ。
「…なんですって?」
 諸星警部の話に時人が驚愕の表情を見せた。
「はい、はい。…わかりました。すぐ現場に向かいます」
「先生、どうしたんですか?」
 千鶴が聞く。
「…松さんが…、情報屋の松さんが何者かの手によって殺害されたらしいんです」
「松さん、って…。諸星警部が使っている情報屋さんですよね?」
 それを聞いたとき、厨房の方で何かを落とす大きな音がした。
 見ると蘭丸が呆然と立っていた。
「…ま、松さんが…」
「蘭丸君、どうしたんですの?」
 滋乃が聞く。
「…いえ、松さんは…、ボクが浅草にいた頃世話になった人なんですよ…」
 そう、蘭丸は御神楽探偵事務所に来る前、浅草で浮浪児だった過去があるのだ。松さん
の本名も誰もわからないが、蘭丸の一応の本名である「ランドルフ丸山」だって本当にそ
れが本名なのかどうかはわからないのである。
「そうだったの…」
「とにかく、今から現場に行きましょう!」
「はい!」


第2話に続く>>


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