連続女性失踪事件

(第3話)



 「…どうでしょうか、先生?」
 御神楽探偵事務所。諸星警部からもらった紙の写しを時人に見せて巴が聞く。
「うーん…」
 時人は腕組みをしてじっとその紙を見ていた。
「…なにやら漢詩のようには見えますが、漢詩とは一寸違うようですね。これだけじゃど
ういう意味かまったくわかりませんよ」
「そうですか…」
「でも、その紹介所にいた人物が持っていた、ということは何か意味があるはずなんです
よ」
「じゃあ先生は…」
「はい。おそらく暗号か何かじゃないか、と思えるんですが…」
「暗号ですか?」
「ええ。もしその紹介所が組織となんらかの関係があったとしたら、この文章も絶対に何
か意味があるはずなのですが…」
 そう言うと時人はまた黙ってしまった。
「とにかく、この事件はまだわからないことが多すぎます。本当にそういう組織があるの
かどうかも…。とにかく、鹿瀬君達もこれの写しをとって置いてそれぞれで持っていて下
さい。何かわかったことがあったら連絡をお願いしますよ」
「はい」
    *
 夜。あるアパートメントの一室。
 巴はちゃぶ台の上に置いてある紙をさっきから見ていた。

 王除二 明除月 液除水 丸除点 寺加日 木加黄
 兵加水 巷加水 亭加人 白加水 忠除心 百除一
 襲除衣 九加点 肉除人

 一体この文章の何処に秘密があるというのだろうか?
 確かに漢詩にしては意味がまったく通用しないし、それぞれが3文字ずつでまとまって
いるのも気になる。それにやたらと「除」「加」という字が多い、ということも…。
「…一体どういう意味があるんだろう…」

 その時だった。
「あ…」
 巴の脳裏にこれまでとは別の視点が浮かび上がったのだ。
「まさか…」
 そして巴は鉛筆と紙を取り出して何かを書き始めた。

「…これだ…」
 そして巴はしばらく何かを考えていたが、
「…先生、ごめんなさい!」
 そう呟くとアパートメントを出て行った。
     *
 夜中。
 巴はある場所に来ていた。
 そしてフレアスカートの中から隠し持っていた懐中鉄砲を取り出す。
「…ふうっ…」
 大きく一回深呼吸をするとゆっくりと扉を開ける。
 自分が想像していた以上に大きな音がし、巴は一瞬焦ったが、幸いにも中に誰かがいる、
という様子は無いようだった。
「お姉ちゃん! 光枝お姉ちゃん!」
 巴の声がこだました。
 巴は慎重に歩を進め、中に入っていった。

 そのときだった。
 巴の後頭部に何か固く、冷たい筒のようなものが押し当てられた。
    *
「おはようございます」
 そう言って滋乃が事務所に入ってきた。
「あ、久御山さん、おはようございます」
 そう言いながら千鶴が近付いてきた。
「…?」
 事務所で出迎えた顔ぶれを見て滋乃は何か違和感を覚えた。
「…鹿瀬さんはどうしましたの?」
 そう、いつもだったら自分より早く来ているはずの巴がいなく、事務所で出迎えたのは
千鶴と蘭丸の二人だったのだ。
「巴さんならまだ来ていませんけど」
 蘭丸が言う。
「何か連絡はありましたの?」
「いえ、それがまだなんです」
「今日は『山茶花』の方は定休日ですから、そちらのほうに行くはずはありませんわよね
…」
「…僕もそれが一寸心配で。今から桧垣君と二人で鹿瀬君のところに行こうかと思ってた
んですよ」
 そういいながら時人が所長室から出てきた。
「あ、時人様。それじゃわたくしもご一緒しますわ」
「わかりました。蘭丸君は鹿瀬君から連絡があるかもしれないですから、ここで待ってい
て下さい。それと忠君と良平君の世話もお願いしますよ」
「わかりました」
    *
 そして時人、滋乃、千鶴の3人は巴が住んでいるアパートメントの前に来た。
 そして階段を上がっていく。
「鹿瀬君、鹿瀬君!」
 そう言いながら時人は巴の部屋のドアをノックする。
 しかし、中から反応はない。
「鹿瀬さん、おりませんの?」
 今度は滋乃が聞いた。
 しかし反応はない。
「…どうしたんでしょうか? 中から何も返ってこないなんて…」
 千鶴が聞く。
「うーん、気になりますね…。桧垣君、確か1階に管理人室がありましたよね」
「はい」
「管理人さんに頼んで鍵を借りてきてください」
「わかりました!」

 そして2、3分経ってから千鶴と一人の五十〜六十歳台の男がやって来た。このアパー
トメントの管理人ということだった。
 時人は管理人に事情を話し、管理人に巴の部屋を開けてもらった。

「鹿瀬君」
 3人が入ると部屋の中には誰もいなかった。
「…誰もいませんね…」
「鹿瀬さん、何処に行かれたのかしら?」
「…おそらく、昨日の夜、どこかに出かけて、それっきり戻ってませんよ」
 時人が言う。
「どうしてですの?」
「押入れを見てください」
 そういって時人はいつの間に開けたのだろうか、押入れを二人に見せる。
「布団がきれいにしまわれているでしょう? ということは鹿瀬君は昨夜これを出しては
いない、ということですよ。つまりこれは昨夜、探偵事務所から直接、若しくは一度ここ
に戻ってきてからそれ程時間をおかずにどこかへ出かけた、ということですよ」
「それじゃ鹿瀬さんは…」
「いえ、軽々しい判断は出来かねますが…、鹿瀬君に何かなければいいんですが…」
    *
 そして3人は事務所に戻った。
「あ、先生」
 蘭丸が時人に近付いてきた。
「…鹿瀬君から連絡はありましたか?」
「いえ、全然ありませんが…。巴さん、どうかしたんですか?」
「実はですね…」
 と時人は忠たちに余計な不安を与えないように、と思ったのか、蘭丸に「鹿瀬君が行方
不明になった」と耳打ちをした。
「…まさか…」
「いえ、まだ詳しいことはわからないんですが…。蘭丸君、忠君たちに余計な不安を与え
たくはないので、このことは二人には黙っててくださいよ」
「…わかりました」

 その時だった。
「こんにちは」
 一人の女性が御神楽探偵事務所にやって来た
「あ、古久保さん」
 千鶴が言う。
 そう、その女性は時人に「妹の行方を捜して欲しい」と依頼してきた古久保幸子だった。

 蘭丸がお茶を持ってきて、古久保幸子の前に置く。
「…あの、鹿瀬さん、とかいう方は…?」
 回りを見回して彼女が言う。
 そう、事務所にはお茶を運ばせた後、忠と良平の世話をしにいった蘭丸の他に時人、千
鶴、滋乃の三人しかいなかったのだ。
「いえ…、その…。今日はまだ見えてないんですよ」
 余計なことを知らせない方がいいと思ったのか、時人はそう言ってお茶を濁した。
「…そうですか。ところで御神楽さん。妹はまだ見つかりませんか?」
「申し訳ありません。いや、我々も手は尽くしているのですが…」
「いえ、それは構いませんが…。それにしても本当に怖いですよね」
「怖い?」
「ええ、こう立て続けに若い女性の失踪事件が起こるなんて…」
「…うん…、警察はどうも裏に何か組織のようなものがあるのではないか、と見てるんで
すが…」
「組織ですか?」
「はい。どうも大陸の方からそういった人身売買組織が来ているのではないか、と」
「いやですわ、そんなこと。もしそんな組織に妹や鹿瀬さんがつかまっていたらと思うと
…」
「ええ。もしそうだとしても必ず妹さんは助けだしますよ」
「お願いします」

「…先生」
 千鶴が話しかけた。
「なんですか?」
「古久保さんの妹さんもやはりその組織に…」
「うーん…、まだ何とも言えませんがね。しかし鹿瀬君が居なくなったことと今回の事件
に何か関係があるとしたら…」
「じゃあ…」
「とにかく、諸星警部には伝えておきましょう」
 と、時人が言った時だった。
「誰かおりませんかな?」
 と、一人の僧衣を身にまとった老人が事務所に入ってきた。
「やれやれ、今日はお客さんがよく来ますね」
 そう言いながら時人は出迎えた。
「あ、無明住職」
「お久し振りです、御神楽先生」
 そう、その僧侶とは時人が新潟の比翼荘で起きた連続殺人事件や幣原家の殺人事件を解
決した際に世話になった塚原浄光寺の無明住職だったのだ。
「こちらこそお久し振りです。…それで何の御用時で?」
「いえ、古い友人を訪ねに東京に来たので、ついでに寄ってみたんじゃが…。いかがです
かな?」
「いえ、相変わらず忙しくて」
「…? ところで鹿瀬とか言う娘さんは?」
 無明住職も巴がいないことに気がついたようだ。余計な心配をさせてはいけないと時人
は思ったのか、
「い…、いえ、今日は一寸用事があるとかでこっちには来てないんですよ」
「そうですか」
 そして無明住職は中に入った。
 そして来客用ソファに招き入れる。
「あ、お茶を淹れてきます」
 千鶴が立ち上がると厨房に入っていった。
「いえ、お構いなく」
 無明住職はそういうと何気なく辺りを見回す。と、
「なんですかな、これは?」
 無明住職は机の上に置いてある紙に気がついたようだ。
「い、いえ、その…、これは…」
 無明住職はじっとそれを見ていたが、
「…?」
 その様子にただならぬものを感じ取った時人は、
「どうしました、住職?」
「いえ…、何だか我々が使っている符丁に似てるな、という気がしまして」
「フチョウ?」
「ええ。我々もこういう仕事ですからな。我々の間でしか通用しない符丁というのがある
んですわ。例えばですな…」
 そう言うと無明住職は紙と鉛筆を取り出すと、

 大無人 立無一 木無十

 と書いた。
「これは…?」
「我々が数を表すときに使う言葉です。これがどのような数字を現すか先生ならわかりま
すな?」
 そう言われた時人はじっと見ていたが、
「そうか、一、六、八を示してますね」
「さすがですな、その通りです」
「…どういうことですか?」
 千鶴が聞いた。
「簡単ですよ。『大無人』とは『大』という字から『人』が無い、という意味です。『大』
という字から『人』を無くすと『一』が残るでしょう? それと同じように『立無一』は
『立』から『一』を無くすと『六』が残り、『木』から『十』を無くすと『八』が残る、と
こういうわけなんですが…」
 と、そこまで言いかけた時人が何かに気がついたようだ。
「…まさか…!」
「どうしたんですの、時人様?」
 しかし、時人は滋乃の言葉も耳に入らないようだ。
 例の写しの紙をじっと見ると、もう一枚紙を取り出し、鉛筆でなにやら書き始めた。
 それを見ていた無明住職は、
「どうやら先生は何かに気がついたようですな。…となると年寄りが居ても無駄なようで
すな。それでは失礼します」
「あ、お気をつけて」
 そして無明住職は事務所を出て行った。

 それから2、3分経った頃、
「できた…」
 そう呟くと鉛筆を置いた。
「…あれ、無明住職はどうしました?」
 時人はようやく無明住職が居なくなったのに気づいたようだ。
「つい先ほど帰りましたよ」
「あ、そうだったんですか。なんか悪いことしましたね…」
「それよりどうかしたんですか?」
「ええ。これを見てください」
 と時人が一枚の紙を見せた。そこには、

 十日夜九時横浜港停泊中白龍丸内

 と書かれていた。
「…十日夜九時横浜港停泊中白龍丸内?」
「何ですの、これは?」
「間違いないです。これは彼らが用いていた暗号文です」
「暗号文?」
「はい、無明住職の一言がヒントになりましたよ。『王除二』と言うのは『王』という字か
ら『二』を取り除くことだったんです。そうすれば『十』という字が残りますよね? 同
じように『明除月』は『明』という字から『月』を除くと『日』が残ります」
「じゃあこの『液除水』というのはなんですか? 『液』という字に『水』はありません
けど」
「それはあとで説明させてください。さて、その次の『丸除点』というのは『丸』という
字から『点』つまり『ヽ』を除くと『九』という字になり、その次の『寺加日』というの
は『寺』という字に『日』という文字を加える、という意味だったんですよ。そうすれば
出来るのは『時』だったんですよ。さて、ここで桧垣君の言った『液除水』ですが、『水』
というのはサンズイのことですよ」
「…そういえばサンズイには『水』という意味があるんでしたわね」
「はい。ですから『液』という字から『水』つまりサンズイを除けば夜、という字が出来
ますからね。同じように『亭加人』というのは『亭』という字に『人』つまり人偏を加え
る、という意味だったんですよ。ここまでくればあとは簡単です。この解法に沿っていけ
ば『十日夜九時横浜港停泊中白龍丸内』という文章が出来るんです。一寸気をつけなけれ
ばいけないのは最後の『肉除人』ですけど、まあ、これは文章の流れから考えると『肉』
という字から『人』という字を除いて『内』という字にするのは容易に想像は出来ますが
ね」
「じゃあ先生。鹿瀬さんは…」
「はい。恐らく僕より先にこの暗号を解いたんです。そして単独行動に出た結果、組織に
捕まったのかもしれませんね…」
「でも、何で巴さんは…」
「…お姉さんの存在ですよ」
「鹿瀬さんのお姉様?」
「はい。おそらく鹿瀬くんのお姉さんも行方不明となってますからね。もしかしたら例の
暗号文を解いたことで、彼女はそういった組織と鹿瀬君のお姉さんを始めとした女性達の
失踪が関連があるのではないか、と思ったんでしょうか? そして姉思いの鹿瀬君は我々
に黙って単独行動を取った…」
「そんな…」
「確かに鹿瀬君の取った行動はほめられたものではありませんが、なんとなく気持ちはわ
かりますね」
「…巴おねえちゃんも居なくなったの?」
 玄関の方で声がした。
 その声に振り向く3人。
 見るとそこには外へ遊びに行っていたはずの蘭丸と巴の弟達が立っていたのだ。
「…いつ帰ってきたんですか?」
 時人が聞く。
「ついさっきです。すみません、先生。ボクは黙ってたんですけど、今二人に話し声が聞
こえたらしくて…」
 蘭丸が言う。
「そうですか…、迂闊でしたね…」
「ねえ、先生。巴お姉ちゃんどうしたの?」
「忠君、良平君。心配しないで。巴さん、きっとお姉さん探しに行ったのよ」
「光枝おねえちゃんを?」
「うん。でも心配しないで。お姉ちゃんたちも一緒に巴さんたちを探してあげるから」
「でも…」
「お願い。今は私達を信じて」
「そうだよ、先生ならきっと巴さんたちを見つけ出してくれるから」
 蘭丸も言う。
「う…、うん」
「よし、いい子だね」
「ところで十日といったら…」
「明後日ですよ!」
「とにかく時間がありません! 諸星警部達にも連絡をしないと!」


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