温泉と雪女
(後編)

〈第三章〉

「…一体どうしたんだ?」
 時人たちのもとに一人の男がやってきた。よく見ると時人たちを迎えに来た運転手の男
だった。
「あ、お父さん…」
「お父さん?」
「…この人、松岡権三といって、私の父なんです。私、父と二人でここで働いてるんです」
 ゆきが言った。
「…それでですね、実は関口さんが…」
「女将が?」
 そう言うと松岡権三は部屋の中を見る。
「これは…」
 と、中に入ろうとするが、
「中には入らないでください!」
 部屋の中から時人が叫ぶ。
「…どういうことだ?」
「…いえ、警察が来るまで現場はそのままにしておいてください! …ゆきさん、と言い
ましたっけ? 警察を呼んできてください!」
「あ…はい!」
 そう言うとゆきは玄関のほうに向かった。
「…あんた、一体誰なんだ?」
 そう聞かれた時人は部屋の外に出ると、
「…申し遅れました。僕は御神楽時人といいます。東京で探偵をやってます。この娘達は
僕の優秀な助手ですよ」
「…探偵さんか。…そういえば女将がそんな名前言ったことあるな」
「…お父さん!」
 ゆきが戻ってきた。
「…どうだったんだ?」
「警察には連絡したんだけど…、この雪の中じゃここに来るのは夜明けになっちゃうって」
「夜明けですか? …まだ夜明けまで大分時間がある、って言うのに…」
「仕方ないな…、よし、ゆき。お前は藤田さんを呼んでこい!」
「わかったわ!」
「…藤田さん?」
「この近くに住んでいる番頭のことですよ。私は坂本さんを呼んできます」
「坂本さん?」
「この先に住んでいるお手伝いのことですよ」
「…じゃ、私たちも行きます。一人じゃ色々と危ないでしょうし…」
 巴が言う。
「…しかし…」
「大丈夫、任せてください。…それじゃこうしましょう。久御山君はゆきさんと一緒に藤
田さんを、鹿瀬君と桧垣君は松岡さんと一緒に坂本さんを呼んできてください。蘭丸君は
僕と一緒にここに残って現場を見張っててください」
「はい!」
 そして5人は散った。
「蘭丸君」
「はい!」
 そう言うと二人は改めて部屋の中に入った。
「…先生、これを見てください!」
 蘭丸が呼ぶ。
 見ると窓ガラスが一枚破られていたのだ。
「…恐らく犯人はここから侵入して脱出もここからしたんでしょう。…ここは客間から離
れてますし、泊り客は僕たちだけですから、恐らくちょっとやそっとでは気が付かないと
思いますよ」
「そのようですね」
 そして、時人は改めて死体を眺める。
「…これは?」
 何か首筋に紐のような跡が残っていたのだ。
「…何かで締めた跡でしょうか?」
 蘭丸が聞く。
「…恐らくそうでしょう。犯人はあの窓から侵入して関口さんを絞殺して同じ窓から逃げ
たんだと思いますよ」

 3人娘が出て行ってから20分ほどたっただろうか
 1人の30〜40代の女性が巴たちとともにやって来た。
 その女に時人は見覚えがあった。
「…あなたが、坂本さんですか?」
 時人が聞いた。
「その通りよ。名前は坂本みすず。全く人を夜中にたたき起こして何かと思ったら…。一
体何があったの?」
「…実は関口さんが死んでるんですよ」
「女将が死んだ?」
「ええ、まだ断言は出来ませんが何者かによって殺害された可能性もあるのではないか、
と」
「殺害された、って…。探偵さんみたいな言い方ね」
「…僕は探偵ですよ」
 時人が坂本に言った。
「…女将がどうかしたんですか?」
 程なく、滋乃たちが初老の男を連れて戻ってきた。
「あなたが番頭さんですか?」
 時人が聞く。
「はい、番頭の藤田勇蔵と言います。一体女将がどうかしたんですか?」
「…女将が殺されたらしいわ」
 坂本みすずが言う。
「殺された?」
「はい、まだよく調べていないんですが…」
「…それで犯人は誰なんですか?」
 藤田が聞いた。
「…そこまではよくわからないんですが…」
「そういえば、あの時…」
 巴がつぶやいた。
「…あの時、どうしたんですか?」
 松岡が聞いた。
「たまたま私、この旅館から外に向けて誰かが出て行くのを見たんだけど…。それがおか
しいのよね。なんだか雪の上とすーっと滑る様に出ていって…」
「まさか、雪女…」
「こんなことあるわけないでしょう。いくらこの辺りに雪女の伝説があるから、って…」
 一言の元に否定するみすず。
「…勿論私だってそんなの信じてないわよ。でも…」
「…まあ、あの女将のことだもん。絞め殺されても仕方のないかもしれないわね」
「仕方ない…ってどういうことですか?」
 時人が聞いた。
「あの人、勇蔵さんとか松岡さんやゆきのこと結構コキ使ってたからね。意外と3人の誰
かがやったかもしれないわよ」
「そんな言い方ないじゃないですか!」
 ゆきが言った。
「そう言うみすずさんだって影で女将さんのことを悪く言ってたじゃないですか! 『こ
んな安い給料じゃやってられない』っていつも言ってたじゃないですか!」
「だからって何で私が女将を殺さなければいけないの!」
 その一言がきっかけとなったか4人の間で言い合いが始まってしまった。
「まあまあ、皆さん、落ち着いてください!」
 慌てて仲裁に入る巴たち。
「とにかくまだ何もわかってないのも一緒なんです! とにかくここは私たちに任せてく
ださい!」
「…あら? そう言えば時人様どちらへ行かれたのかしら?」
 滋乃が周りを見回して言う。
 いつの間にか時人がいなくなっていたのだった。
「そういえば蘭丸君もいませんね」
 千鶴が言う。
「…僕達ならここにいますよ」
 玄関のほうで声がした。
「…先生!」
 巴が大声をあげる。
「…すみません、今まで蘭丸君と二人で調べ物をしていたもので」
「それにしても、その格好じゃ風邪ひいちゃいますよ」
 長いこと外にいたせいか、二人ともがたがたに震えていて、しかも二人が着ている丹前
にはうっすらと雪が積もっていたのだ。
「そのようですね。…熱いお茶を一杯いただけますか?」

〈第四章〉

 巴から湯飲み茶碗を受け取った時人は一口啜ってため息をついた。
「…ふう、生き返りましたあ…」
「先生、それで事件の方は?」
「ええ、大分わかりましたよ」
「本当ですか?」
「さっき、蘭丸君と外で調べ物をしていた、と言いましたよね? そこで僕は関口さんの
部屋からまっすぐに二本の平行な溝が旅館の外に向かっていったのを見つけたんですよ」
「…それがどうかしましたか?」
「…僕の考えが合っている、とすれば今回の事件は殺人事件で、しかも犯人はこの中にい
ますよ」
「本当ですか?」
「はい」
 茶を飲み終えた時人は立ち上がった。
「…まず皆さんにはっきり言っておきたいのは、この事件は雪女の仕業ではなく、何者か
によって関口さんが殺害された殺人事件、ということです」
「じゃあ先生…」
「はい。鹿瀬君たちが見た、という雪女は犯人の変装です。そうすることによって犯人は
自分が容疑から外れる、と思っていたのですよ」
「でも先生それじゃ、雪女に変装した犯人がスーッとすべるように旅館から出て行った、
と言うのは…」
「…そうですね。それから説明しましょう。あれは意外と簡単なトリックですよ」
「簡単なトリック?」
「…スキー板ですよ」
「スキー板?」
「…藤田さん、この旅館には以前からスキー板があってお客さんにお貸ししていたそうで
すね」
「ええ。ここはこれと言って危険な場所もないからスキーを楽しむのに格好な所で…。私
共のところでそれを利用しないてはないだろう、と言うことで」
「…そうですか。さっき僕は蘭丸君と外で調べ物をしていた、と言いましたよね? そこ
で僕は旅館から外へ続く2本の平行な筋を見つけたんですよ」
「平行な筋?」
「実は僕もスキーは新聞や雑誌の写真でしか見たことがありませんけど、スキーという競
技はスキー板を履いて雪の上を滑走する競技ですよね」
「…その通りですわ。わたくしもお父様と何度か滑ったことがありますから」
 滋乃が言った。
「…となると、雪というのは軟らかいから、ぬかるんだ道を自転車で走った際に車輪の跡
が残るのと同じように、スキー板で滑った跡が残るんじゃありませんか? 実際僕が雑誌
で見た際には競技者の後ろにスキー板で記したと思われる筋が残ってましたから」
「となると先生…」
「はい、鹿瀬君達が見た、という雪女は犯人の変装です。犯人は雪女に変装して関口さん
を殺した後に、スキー板を履いて逃げていったんです。辺りは暗かったし、この雪です。
鹿瀬君たちもまさか犯人がスキーを履いて脱出した、何て考えないでしょうからあたかも
雪女が移動しているような風に思ってしまった、というわけですよ」
「じゃあ、先生。その雪女に変装した人、というのは…」
「…皆さん、もうわかってるはずですよ」
「え?」
 思わず周りを見回す一同。
「…わかりませんか? 犯人は自分しか知らなかったことを言ってるんですよ。…そうで
すよね、坂本みすずさん?」

 一瞬沈黙が走った。…と、坂本みすずが笑い出した。
「何を言うのかと思ったら…。探偵さん、冗談はよしてくださいよ。何で私が女将を殺さ
なければいけないんですか?」
「…あくまでもシラを切るんですか。…あなたねえ、自分で犯人だ、と告白してるんです
よ」
「告白してる?」
「事件が起きた当時、僕は松岡さん達を部屋の中に入れませんでした。勿論鹿瀬君達もで
す。そして僕も入らなかった…。僕が初めて部屋の中に入ったのは鹿瀬君達が坂本さんと
藤田さんを呼びに行った時です。僕も最初に見たときは関口さんがどうなっているのかよ
く判らなかった。蘭丸君と部屋の中に入って、初めて彼女が絞殺された、ということがわ
かったんです」
「…絞殺だったんですか?」
 巴が言う。
「…そうです。恐らく鹿瀬君達も初めて知ったことだと思いますよ。…ところがですねえ、
坂本さんがここに来た時、確か僕に向かってこう言いましたよね。『あの女将のことだから
絞め殺されても仕方がない』って」
「…それがどうした、って言うの?」
「…まだ気が付かないんですか? あなた一体いつ、関口さんが絞殺されたって知ったん
ですか? 僕や蘭丸君は何も言ってませんよ」
「…そ、それは…!」
 ようやく坂本みすずが自分の言った言葉に気が付いたようだ。
「…ようやくわかりましたか。それからあなたは僕が『関口さんが殺害された可能性が高
い』と言っただけなのになんで殺された、って断言したんですか? …答えはひとつです。
今回の事件の犯人はあなたであり、あなたが無意識のうちに自分が犯人である、と告白し
てしまったんですよ」

 翌朝。警察の車に坂本みすずが乗せられていった。
 それを見送る全員。
「…それにしても、仕事場で叱咤されたくらいで殺意を抱いてしまうなんて…」
 巴が言う。
「…さあ、恐らく彼女は以前からそういったことをされて心の底で関口さんのことを憎悪
してたんでしょう。それが昨日、仕事上でのミスを叱責されたことで堪忍袋の緒が切れて
犯行に及んだのかもしれませんね」
 時人が言う。
「…探偵さん、一体どうするんですか?」
 松岡権三が聞いた。
「…僕たちは東京に帰ります。それより松岡さんたちこそ、これからどうするんですか?」
「…何とか我々だけでやっていきますよ、心配しないで下さい」
「そうですか…。じゃ、皆さんそろそろ荷物をまとめてください」
 時人が言うと全員が中に入っていく。
「…それにしても、あの雪女の騒動はなんだったんでしょうね…」
「さあ、きっと風にそよぐ木か何かを見間違えたんだよ」
 巴が言う。

――ふふっ、果たしてそう言い切れるかしら?

 不意に巴の耳元で声がした。
「やだ、千鶴ちゃん、脅かさないでよ!」
「え? 巴さん、私何も言ってませんよ」
「…じゃあ、久御山さん?」
「…私も何も言っておりませんわよ」
「え、じゃあ、あの声は…」
 巴は背中に悪寒が走る感覚を覚えた。

(終わり)


<<前編に戻る

この作品の感想を書く

戻る