温泉と雪女
(前編)

〈プロローグ〉

 ようこそ、御神楽探偵事務所へ。鹿瀬 巴です。
 今回、私たちは温泉へと行きました。
 そこで私たちが巻き込まれた事件とは…

〈第一章〉

 年が明けて間もない1月5日、銀座の守山ビル2階にある御神楽探偵事務所。
「…そういえば今日ですね」
 御神楽時人がお茶を運んできたランドルフ丸山・通称蘭丸に話しかける。
「ああ、そうか。巴さん今日から出てくるんでしたっけね」
 蘭丸もどことなく嬉しそうだった。

 年末から正月にかけてこれといった依頼も無く、大きな事件も起こらなかった事から御
神楽時人を始めとする探偵事務所の所員たちは平和な正月を迎える事が出来た。
 探偵事務所の3人の助手のうち、鹿瀬 巴は一足早く休みを取って12月29日から1
月4日、即ち昨日までの1週間実家のある長野に帰省していたし、桧垣千鶴と久御山滋乃
の2人も大晦日から1月3日まで正月休みということで事務所に出てこなかった。
 時人と蘭丸の2人もビルの1階にある『守山美術』店長兼守山ビルオーナーの守山美和
に呼ばれて年越し蕎麦やおせち料理、雑煮などを御馳走になったし、2日には久御山家や
広川千景工房、カフェー『山茶花』に年始挨拶に出かける、と穏やかな正月を過ごしたの
だが、どことなく淋しい感じがしたのだ。
 勿論、何の事件も無い事が一番だし、実際何の事件もなかったのだが、やはり時人は事
件を追っている姿が様になるし、彼らの傍に優秀な助手がいて皆で忙しい毎日を過ごすの
が性に合っているのかも知れない。
 昨日から千鶴と滋乃の2人が出てきたし、今日からは巴も出てくる。再びあの毎日が彼
らの元に戻ってくるのだ。
   *
「明けましておめでとうございまーす」
 事務所のドアが開いて巴が入ってきた。
「巴さん、おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いしますわ」
「こちらこそよろしくね」
 千鶴、滋乃と挨拶を交わす巴。
「やあ、鹿瀬君。おめでとう」
 時人と蘭丸が傍に来た。
「先生、蘭丸君、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いしますよ」
「はい。…それでですね、先生。早速なんですけど、今郵便受けにこんなものが入ってま
したよ」
 と巴が何やら封筒を取り出した。
「…どれどれ、拝見します」
 そう言うと時人は中を改める。
「…なるほどね。どうやら今年最初の依頼のようです」
「依頼、って?」
「…みなさん、早速ですが明日の朝8時に上野駅のほうに集合してください」
「上野駅?」
    *
 翌朝、上野駅を出た列車は北へと向かっていた。
「…先生、何なんですか、今年最初の依頼、って?」
「ああ、それですか。…実は僕のところに来た手紙、というのはこんな内容だったんです
よ」
 そう言うと時人は一同の前に封筒を差し出した。
 それを巴が受け取り、広げると千鶴と滋乃の二人も覗き込む。
「…以前、僕がある事件で御世話になった宮城――といっても山形との県境に近いんです
が――、の方から依頼の手紙が来たんですよ。…こういった事件は僕向けの事件じゃない
んですけどねえ…」
「…なになに? 『最近、私が經營している温泉宿の近くに雪女が出る、という噂がある
のです。その正體を御~樂さんに調べて欲しく、御手紙を差し上げました』…雪女ですっ
てえ?」
 巴が素っ頓狂な声を上げる。
「まさか…。江戸時代ならとにかく、今の時代に雪女なんかいるはずありませんわ」
「僕もそう思います。…でも、こういった事ははっきりさせた方がいいと思いましてね。
それにその雪女の正体が何であれ、手紙まで送った人に何もしない、というのも何か申し
訳ない気がしますしね」
「…まあ、確かにそうですね」

 列車は北上していき、福島に差し掛かった頃だった。
「皆さん、雪ですよ!」
 蘭丸が窓を指差して言う。
 確かに窓の外はさっきから雪がひっきりなしに降り、あたり一面雪景色だった。
「…この分だと宮城に着く頃にはかなり積もってますね…」
 時人がつぶやいた。

〈第二章〉

 時人の言ったとおり、駅に到着すると雪はかなりの高さまで降り積もっていた。
「…凄い。こんな雪、長野でも降らないよ…」
 巴が言う。
「そうですね、こんな大雪、東京じゃまず見られませんものね」
 千鶴が言う。
「…なんか、随分遠くまで来た、という気がしますわね」
 滋乃だった。
 宮城まで行く交通手段といったら蒸気機関車しかなかった当時としてはここまで来るの
に本当に長旅、という言葉がぴったりするのかもしれない。
「…それで、その手紙の住所までどうやっていくんですか?」
 巴が聞く。
「…確か迎えが来ているはずなんですけどねえ…」
 そういいつつ時人は辺りを見回す。

「…失礼ですが、御神楽時人様…ですね?」
 一人の男が時人に近付いてきた。
「…あなたは?」
「お迎えに参りました。女将がお待ちです」
「それでは貴方が、関口さんの…」
「そうです。車をそこに待たせておりますので」
   *
 一同を乗せた車は雪道を走っていた。
 山に近い、と言うことからか雪はますます激しくなってきている。
「…ところで、何故関口さんは僕なんかに手紙を送ったんでしょう?」
 時人が聞いた。
「さあ、私も女将からは詳しい事は聞いていないんですよ。ただ、女将は以前ある事件で
御神楽様に御世話になったことがありますからねえ、それの関係もあるとは思いますが…」
「ところで運転手さん、関口さんが手紙に書いていた雪女のことですが…」
「…ああ、それですか。この辺は昔から雪女の伝説があるんですよ」
「雪女の伝説?」
「はい。既に何人もの方が雪女を見た、とおっしゃってんですが…。勿論私はそんなの信
じてはいませんよ。ただ、我々もこういった商売をやってますから、そういった悪い評判
は一寸…」
「うーん…」
 時人は黙り込んでしまった。
「…そろそろ到着しますよ」

 その旅館は雪の中から突然現れるように聳え立っていた。
 見ると、玄関の回りは綺麗に雪かきがされていた。
「関口さん、御神楽です!」
「…はーい、只今参ります!」
 やがて40代半ばと思われる女性が玄関にやってきた。
「まあまあ御神楽さん、よくまあ遠いところをお越しくださいました。ささ、中へどうぞ」

 やがて一同は時人と蘭丸、巴・千鶴・滋乃の二組に分けて部屋に通された。
 部屋の中は火鉢が燃えていて暖かかった。
「ふう…やっと落ち着いたよ」
 巴は荷物を置くと腰を下ろした。

「巴さん」
 千鶴が話しかけてきた。
「ん、何? 千鶴ちゃん」
「ここにくる途中で聞いた例の話ですけど…」
「ああ、雪女のことね?きっと何かの見間違いだよ。ま、あとで詳しく話を聞いてみよう
かと思うけどね」
   *
 やがて辺りはすっかり日が暮れてしまった。
 雪は相変わらず降り続いている。
「ねえ皆、温泉に入ろうよ」
 巴が千鶴たちに言う。
「いいですね」
「雪を見ながら入浴、というのもなかなかいいものですわね」
 と賛成する千鶴と滋乃。
「蘭丸君もどお?」
「え? …で、でもボクは…」
「ふふふ、冗談よ。ここは混浴はないの。さ、行こう」
 手ぬぐいと着替えを持って三人が出ていった。
「…先生、どうします?」
 蘭丸が時人に聞いた。
「そうですね。折角ですから僕たちも入りましょうか」
「はい」
    *
 時人たち5人は着替えを持って温泉へと向かった。
 と、滋乃がある部屋を覗き、
「…あら?」
「久御山さん、どうしたの?」
「この旅館、スキーなんかあるんですの?」
「スキー?」
「ほら、あそこにありますわ」
 滋乃が顎で差した場所には何本ものスキーが立て掛けてあった。
 スキーは十年程前に日本にやって来たばかりのウィンタースポーツだが、巴も千鶴も実
物を見るのは初めてだった。
 と、中でスキーを立て掛けていた男が巴たちの方を向き、
「こいつを使うようになってから、冬場は便利になりましたよ」
「あなたは?」
「この旅館の番頭です。手前どもでは去年から希望者にお貸ししてるんですよ。どうです
か? 近くにスキー場がありますから、よかったらやってみませんか? お貸ししますよ」
「でも…」
「面白いですわね。やりましょうよ」
「でも久御山さん…」
「大丈夫ですわ。わたくし、少々心得がありますから。…お父様が結構新しもの好きでス
キーが日本に来たばかりの頃、お父様はすぐにそれに飛び付いて、わたくしも手取り足取
り教わりましたのよ」
    *
「先生、背中流しましょうか?」
 蘭丸が話し掛けた。
「あ、いいですね」
 その時だった。
「? 何か女湯が騒がしいようですね」
 聞き耳をたてる二人。

「千鶴ちゃんって意外と大きいのね〜」
 巴の声だった。
「や、やめてくださいよぉ〜」
「鹿瀬さん、はしたないですわよ!」
「あら、久御山さん、胸がないことを気にしてるの?」
 何やら水をかける音がした。
「や、やったわね〜」
 どうやら女湯では水の掛けあいが始まったようだ。
 隣で聞いていた蘭丸が、
「…も、もうボクダメです」
 蘭丸がいきなり鼻に手を当てると、倒れてしまった。
「蘭丸君!」
 時人が慌てて駆け寄る。
「…やれやれ、蘭丸君には刺激が強すぎたようですね…」

「…蘭丸くん、どうしたの?」
 風呂場から出てきた巴たちは蘭丸の様子がおかしいのに気が付いた。
「いえ、その…、な、なんでもないです…」
「その…、ちょっとのぼせちゃったようで」
「そう…、ダメだよ蘭丸君。あんまり長い間お湯に浸かってるのも…」
「は…はい…」
 まさか女湯の騒動が直接の原因とは言えず、蘭丸は黙ったままだった。
   *
 風呂から上がって間もなくのこと。
「お夕食もってきました」
「あ、ご苦労様」
 一人の少女が夕食の乗った膳を運んで巴達の部屋にやってきた。
 巴はそれを受け取ると二人に渡した。
 川魚と山菜を使った料理だった。
「…でも、本当に大雪ですね」
「ほんとうだね。この分だと本当に雪女が出てくるかもしれないね」
「巴さん、冗談はやめてくださいよ」
   *
 巴は不意に目を覚ました。
「う、ううん…」
 布団から身を起こすと身体に入って来た冷気で体が震える。
「寒っ…」
 慌てて枕元にある丹前を取るとそれを羽織る。
 暗闇の中で目が慣れてくると、時計の針が午前1時を回ったのがわかった。
「…お手洗行ってこよ」
 そして立ち上がり、何気なく窓の外を見たときだった。
「…!」
 思わず絶句する巴。
「…ち、千鶴ちゃん…、久御山さん、起きて!」
「どうしたんですか?」
「鹿瀬さん、どうかなさいまして?」
 二人も起きてきた。
「あれ、見てよ…」
 巴が指をさす。
「な、何ですの、あれ…」
 千鶴も慌てて眼鏡を取り出すとそれを掛けて見た。
 旅館から外の方に向けて何者かが去っていくところだった。
 しかも雪の上を歩く、というより滑る、といったような動き方で去っていったのだ。
「ま、まさか、ゆ…雪女?」
「そんなバカなこと…」
「とにかく先生を呼びましょうよ!」
「そ、そうだね」

「先生、先生!」
「…どうかしましたか?」
 寝ぼけ眼で時人が出てきた。後ろでは何事かと蘭丸が見ている。
「じ、実は…」
 巴は今3人で見たことを時人に話した。
「…まさか、いくらなんでもそんなバカな事は…」
「でも久御山さんと千鶴ちゃんも一緒に見てるんです! 間違いありません!」
「…わかりました。とにかく女将さんを呼びましょう」

 女将の部屋は旅館の離れに会った。
「関口さん、関口さん!」
 時人が扉を叩く。しかし、中から反応は全くなかった。
「…寝入っちゃってるんでしょうか?」
「それにしては様子が変ですよ…」
「…どうかしたんですか?」
 その時、一人の寝間着姿の少女が時人たちの元に来た。
「…あなたは?」
 時人が聞く。
「…この旅館に住み込みで働いている松岡ゆき、といいます」
「…ああ、そういえば私たちの所に食事を運んできた…」
「…そうだったんですか? いや、僕と蘭丸君のところはおばさんでしたから…。とにか
く、中の様子がおかしいのいで、扉をぶち破ります。…皆さん、下がっててください!」
「はい!」
 そして時人は扉に体当たりをぶちかます。
 どのくらいやっただろうか、扉がぶち抜け、時人がなだれ込んだ。
「関口さん? 関口さん!」
 時人が布団に近付く。
「…!」
 思わず絶句する時人。
 部屋の中ではこの旅館の女将である関口静枝が物言わぬ死体となっていた。


後編に続く>>

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