死ぬのは奴らだ〜御神楽時人対猟奇同盟・最終決戦〜
第1話

〈プロローグ・LOVE PHANTOM〉

『あの事件』から二週間ほど経ったある秋の日のことだった。

「   閉店のお知らせ

  この度、キ合により閉店することになりました。
  皆樣の長らくのご愛顧、誠に有難う御座いました。

                        守山美術」

 片手に一升瓶を持った男はチラリと玄関に貼られた貼り紙を見ると、階段を昇っていっ
た。
 そして、二階にある「御神楽探偵事務所」と書かれたドアを開ける。
「よお」
「あ、諸星警部」
 鹿瀬 巴がその男――諸星大二郎警部を出迎えた。
「どうだい? 先生の様子は?」
「いえ…、相変わらずです」
「そうか…。それにしても…、なんであんなことになる前にオレたちに相談しなかったん
だろうなあ…」
「あんなこと?」
「…おや、違うかい? 守山美和は多額の借金で首が回らなくなって、それを苦にして自
殺したんだろ?」
「そ…そういえばそうでしたね。ハハハ」
 巴が笑う。それを追うように久御山滋乃が、
「お…お金ならわたくしに相談してくれれば、お父様にお願いしていくらでもお貸ししま
したのに…」
「…? お嬢ちゃん、何かオレに隠してねえか?」
「な、何にも隠してませんよ」
 桧垣千鶴だった。
「そうか? そう言えば、三尊仏盗難殺人事件の犯人もまだ捕まってねえしなあ」
「ほ…本当にどこに行ったんでしょうね」
「それで、今日は何の用ですの?」
「ん? 先生に話があってよ」
 そういうと諸星警部は所長室のドアのノブに手を掛ける。
「あ、警部…」
「大丈夫だ。先生には事件が一番いい薬だ」
 そう言うと諸星警部は所長室に入っていった。

〈第一章・事件の発端〉

「よお、先生」
「あ、警部…」
 諸星警部が見ていられない程、御神楽時人は憔悴しきった表情だった。
 髪は全く手入れをしていないし、不精髭が顔のまわりを覆っていて、灰皿には吸殻が山
ほど積もっている。
「…みっともねえなあ。久御山のお嬢ちゃんが『時人様の今のお顔を拝見したら、百年の
恋も冷めてしまいますわ』と言ってたけど、その気持ちがわかるぜ」
「はは、すみません、警部」
 時人は笑うが、その笑みはどこか虚ろである。
「ほら、これで元気出せよ」
 そういうと諸星警部は机の上に一升瓶を置いた。
「あ…。ぼ、僕、お酒は一寸…」
「…そうだったな。先生は飲むとすぐ顔に出るんだったな」
 諸星警部は丁度茶を持ってきた蘭丸――ランドルフ丸山というのがその少年の本名だが
――に湯呑み茶碗をもう一つ持ってこさせると、その中に一升瓶の酒を注ぎ込みそれを渡
した。
「…彼女の前に挙げてやってくれ」
「はい」
 そして蘭丸は所長室を出ていった。
『あの事件』以来、事務所の片隅には守山美和と藤堂弥八郎の遺影が置いてあるのだ。

「…それで、どうなったんですか?」
 時人が聞く。
「ああ、あれか…。山形県警の方も必死に探してるようだが、彼女の遺体は未だに見つか
ってねえらしいんだ。ひょっとしたら、もう日本海の方に行っちまってるのかもしれねえ
な…。県警の方も近々捜索を打ち切る方針らしいぜ」
「そうですか…」
    *
 帝国陸軍や竹林会を巻き込み、守山美和が死ぬという悲劇で幕を閉じた『三尊仏盗難殺
人事件』のすぐ後のことだった。
 山形から戻った時人たちは無人となった守山ビル一階の『守山美術』で美和の遺書を見
付けた。
「時人さん、探偵事務所の皆さんへ」と宛名が書かれたそれには、時人の探偵としての地
位を守るために、事件の真相は話さないで欲しいこと、自分には多額の借金があったため
に、それを苦にして藤堂弥八郎を道連れに自殺したことにして欲しい、といったことが書
かれてあった。
 時人たち五人は美和の遺志に従い、事件の真相は話さないことにした。しかし、美和へ
の供養になる、と思ったのか、時人は個人的に諸星警部に頼み、美和の遺体の引き揚げを
依頼していたのだった。他ならぬ時人の頼みとあって、諸星警部は以前ある事件で世話に
なった山形県警の高岩警部に協力を頼んだのだった。

「…それで、警部。今日は何の用ですか?」
「そうだったな。常盤省吾…、憶えているだろ?」
「ええ。『猟奇同盟』事件のあの男ですね」
 あの事件ならば今でも時人は覚えている。今まで解決してきた事件の中でも御神楽探偵
事務所最大の事件であっただろう。
「そいつがなあ、昨夜刑務所を脱走したそうだ」
「何ですって?」
「…それが、あっという間の話でよお。看守が目を離した隙にあっという間に脱走しちま
ったらしいんだ。…おそらく、前々から準備はしていたんだろうな」
「…考えられますね。彼くらいになれば外部との連絡を取るなんて簡単に出来るでしょう」
「…それを知って早速非常線を張ったんだが、ヤツは何処へ行ったんだか、なかなか尻尾
を掴ませねえんだ」
「そうですか…。おそらく、ヤツの目的は…」
「目的はなんだ?」
「…いえ、何でもありません。…とにかく警部、警戒は続けてください」
 
 諸星警部が帰ったあと、時人は何日か振りで所長室を出た。
「…蘭丸君、部屋の掃除をお願いします」
 そう命じると時人は洗面所で顔の周りを覆っていた無精髭を剃り落とし、髪に櫛をいれ
る。
 その眼光には鋭さが戻っていた。
 そう、あの「帝都一の名探偵」がここに戻ってきたのだ。
 
「皆さん、一寸集まって下さい。…蘭丸君も一緒にお願いします」
 時人は探偵事務所の四人を集める。
 四人を前にして時人は諸星警部とのやり取りを手短に話した。
「常盤省吾が…ですか?」
「でも、何で脱走なんか…」
「…おそらく彼の目的はこの僕に、御神楽探偵事務所に対する復讐です」
「復讐?」
「はい。彼はその為に刑務所を脱走したんだと思います。…いいですか、皆さん。十分に
気を付けてください。もしかしたら今回の事件は我々にとって今までで一番厳しく、辛く、
長い戦いになるかもしれません。しかし、決して弱気になってはいけません。それこそヤ
ツらの、猟奇同盟の思う壺です。向こうが戦いを仕掛けてきたんだから、こちらも受けて
立ちましょう」
「はい!」
「…いいですね。それでは早速、情報収集をお願いします」

〈第二章・狙われた御神楽探偵事務所〜蘭丸編〜〉

 数日が過ぎたが、御神楽探偵事務所にこれといった情報は入ってこなかった。
 時人も諸星警部と連絡を取り合ってはいるのだが警察の方にもこれといった情報は入っ
て来ないということだった。
 常盤省吾の方もかなり慎重にコトを進めているのだろう。
 それに政界や財界にかなりの影響を持っている人物が猟奇同盟の中にいる、と言う情報
もある。東京の一探偵事務所が太刀打ちできる相手ではないのは明白であろう。

 そんなある日の夕方のことだった。
 蘭丸は巴たち三人が帰るのを見送ると、
「じゃ先生、ボク買い物に行ってきます」
 今夜の食事の材料を買いに行こうとしているのだ。
「…蘭丸君、一人じゃ危険ですよ。よかったら一緒に行ってあげましょうか?」
 時人が言う。が蘭丸は、
「いえ、大丈夫ですよ。すぐ近くだし、そんなに買うものもないし…」
「しかし…」
「大丈夫です。心配しないで下さい」
 そう言うと蘭丸は事務所を出て行った。
   *
 蘭丸は大通りにいた。
 夕方ということもあってか、商店街は人通りも多い。
(…いくらなんでも、ここからじゃ誰もボクのことを襲えないよな…)
 蘭丸はそう考えていた。これだけ人通りが多いといくら猟奇同盟とはいえ一般市民を巻
き込むような馬鹿な真似は出来ないはずである。

 蘭丸は商店街から表通りに出た。
 後はまっすぐ歩いて曲がり角を曲がれば守山ビルがすぐそこである。そう思ったからで
あろうか、彼は自然と早足になっていた。
 そっちの方に気を取られていたからか、蘭丸はさっきから自分に向かって1台の自動車
が迫ってきているのに気が付いていなかった。
 蘭丸が気付いた時、彼に向かってかなり速度を上げた車が迫って来ていた。
「うわーっ!」
   *
 御神楽探偵事務所の電話が鳴った。
 時人が電話を取る。
「はい、御神楽探偵事…。なんだ、諸星警部ですか。…え? …解りました、すぐ行きま
す! はい、鹿瀬君たちにも連絡を入れます!」
  *
 巴が病院に着くと、既に千鶴と滋乃の二人が玄関に立っていた。
「千鶴ちゃん。蘭丸君が車に轢かれた、って本当?」
「私も先生から話を聞いただけですからよくわからないんですが…。ビルの近くの道路で
轢かれたそうです」
「…とにかく、病室へ参りましょう。時人様がわたくし達の来るのを待っておりますわ」

「蘭丸君!」
 病室に三人が駆け込んだ。
 病院の窓側のベッドに蘭丸がいた。頭に包帯が巻かれているが、上半身をベッドから起
こしていて、思ったよりは元気そうだった。
 傍らには時人が立っていた。
「先生、どうなんですか? 蘭丸君の具合は?」
「大丈夫です、命に別状はありませんよ。轢かれた瞬間にとっさに受身を取ったらしくて、
それが被害を最小限に食い止めたのではないか、とお医者様が言ってましたよ」
「よかったあ……」
 安堵の溜息を洩らす三人。
 その時病室のドアが開き、諸星警部と栗山刑事が顔を出した。
「お、来てたか」
「あ、警部にクリさん…」
「先生、一寸お嬢ちゃん達借りるけど、いいかい?」
「あ、はい。いいですよ」
「…栗山、お前はお嬢ちゃんたちに事故について詳しく説明してやれ。オレは先生に話が
あるんだ」
「はい」
 そして、栗山刑事と巴達3人は廊下に出た。

 栗山は事件のことが書いてる手帳をめくりながら、
「…目撃者の話によると、蘭丸は商店街で買い物して帰る途中に車に轢かれたらしいんだ
が…。それが不思議なんだよな」
「不思議、って?」
「普通、車で人を轢いたときはブレイキを掛け、車を止めてから外へ出て、相手の様子を
見そうなものだが、蘭丸が轢かれた現場にはそのブレイキを掛けた跡が見つからないんだ
よ」
「何ですって?」
「じゃあ、蘭丸君を轢いた犯人は……」
「ああ、最初っから蘭丸を轢き殺すつもりだったのかもしれないな。…まだウラは取れて
ないんだが、蘭丸が商店街にいたときから轢いた車がつけていた、という情報もあるし」
 その話を聞いた3人はお互いの顔を見る。
「…それでは…」
「…そうですね。いよいよ彼らが動き出したんですね」
「彼ら、って…?」
「猟奇同盟ですよ! 常盤省吾です! 蘭丸君を殺し損ねたから彼らはきっと…」
「ああ、そのことか。心配するな、病院には既に話をつけてあるよ。これからはオレたち
が交代で蘭丸の病室の警備に付くし、蘭丸に面会を求める際には身元の照会をすることに
したから連中だって簡単には手を出せないだろ」
「…そうだといいんだけど…」

〈第三章・狙われた御神楽探偵事務所〜滋乃編〜〉

 翌日から、病院は物々しい警戒態勢が敷かれる事になった。
 警備上の安全からと言う理由で蘭丸は個室に移され、彼の病室の入口には警官が交替で
付いており、また医者や看護婦が中に入って蘭丸の様子を見る際には警官がそこに立ち会
うことになった。そして、病院の近くには常に警官(時には諸星警部や栗山刑事も一緒に)
が張り込むことになった。

 その一方で巴・滋乃・千鶴の3人は交代で蘭丸の見舞いに行き世話をすることになった。
しかし、「これも決まったことだから仕方がない」と彼女達が面会に行く際には前以て病院
及び諸星警部に連絡することが命じられ、病室に入るまでは警官が立ち会うことになった
のだ。勿論、蘭丸の世話をしている間中は外に警官がいる。

 そんなこんなで数日が過ぎたある日のこと。
「じゃ、久御山さん。お願いしますね」
「承知いたしましたわ」
 今日は滋乃の番だった。既に病院と警察にも「午前中は滋乃が、午後からは千鶴が蘭丸
の見舞いに行く」と報せていた。

「…蘭丸君、その後具合は如何かしら?」
 蘭丸の病室に滋乃が入ってきた。
「あ、久御山さん。…ええ、大分いいです。この分だと来週中には退院できるんじゃない
か、ってお医者様が言ってましたよ」
「そう…、それはよかったですわね」
「それで…どうなってるんですか?」
「どうなってる、って?」
「その…ボクを轢いた車のことなんですが…」
「ああ、そのことですわね。心配しないで結構ですわ。警察の方も捜査を続けております
し、時人様やわたくし達もちゃんと調べておりますわ。ただ…」
「ただ?」
「なかなか手懸りが見つからなくて困っているんですわ。おそらく、蘭丸君を轢いた犯人
はかなり準備をしていたのではないか、と時人様が仰ってましたし…」
「そうですか…」
 蘭丸が落胆した表情を浮かべた。それを見た滋乃は、
「…とにかく蘭丸君は、御自分の体のことだけを心配なさい。今は十分に休養なさること
ですわ」
   *
「空気を入れ替えましょうか?」
 そういうと滋乃は窓際に近付くと窓を開ける。
 窓から新鮮な空気が入ってきて病室が少し寒くなった。
「…もうすっかり秋ですわね…」
 そういうと滋乃は窓を閉めようとするが、
「あ、そのままでいいです」
 蘭丸が引き止めた。

 それから蘭丸と滋乃は雑談を交わしていた。
 お互いに暗黙の了解でもしたのか、それから猟奇同盟については一言も触れずに色々な
ことを取りとめもなく話していたのだが…。

「…というわけですの。全く時人様って蘭丸君がいないと何も出来ないんですわね」
「…ははは、ホント先生には困りますね」
「それでですね、蘭丸君…」
 滋乃は何の気なしに開いている窓の外を見る。
 病院の向かい側の家の屋根に何者かが立っているように思えた。
(…何かしら?)
 滋乃はよく見ようと席を立つ。
「久御山さん。どうしたんですか?」
「いえ、何でもありませんわ」
 彼女が窓際に近付こうとしたのと銃声が聞こえたのがほとんど一緒だった。
「うっ!」
 滋乃は、左胸が焼け付くような痛みを覚えた。
 手で押さえるがだらだらと血が流れ落ちる。
 思わず跪く滋乃。
「久御山さん!」
 蘭丸がベッドから飛び起き、滋乃に話しかける。
「だ…大丈夫ですわ…この位…」
「でも…でも…」
 蘭丸はドアを開けると、大声で叫んだ。
「誰か、誰か来て下さい!」
 そんな蘭丸の声が滋乃には遥か向こうに聞こえた。
 何人かが病院に入ってくる足音がかすかに聞こえる。
 …そして滋乃は意識が遠ざかっていくのを感じた。

「滋乃が狙撃された」と聞き、居ても立ってもいられず、時人・巴・千鶴の3人は病院に
駆けつけた。
「手術中」のランプが点る手術室の前。
「警部、久御山君の具合はどうなんです?」
 時人が諸星警部に聞く。
「まだなんとも言えねえが…。どうやら急所は外れたようだし、弾丸も突き抜けている。
おそらく死ぬ事はねえと思うぞ.…それにしても、心臓を外れたから良かったものの、あと
一寸位置がずれていたらお嬢ちゃんの命も危なかったな。いくら彼女が大藤流柔術の使い
手だとしても、飛んでくる銃弾には対処のしようがねえからなあ…」
「でも、なんで久御山さんまで…」
「…先生、すまねえ。オレ達の失策だ。病院のことばかりに頭が行ってて、隣の家のこと
を計算に入れていなかった」
「いえ、過ぎてしまった事は仕方ありません。それより警部、久御山君が撃たれた、とい
う状況ですが…」
「…ああ。おそらく使用したのは軍用の小銃だ。軍から盗まれたものなのか、何らかの形
で軍から流出した銃なのかはよくわかってないが…」
「軍用の小銃?」
「アレなら拳銃より射程距離が長いからな。隣の家からでも十分狙撃できる位の弾丸が飛
ばせるだろうな。ただ、距離が長かった分、狙いがうまく定まらずに彼女に致命的な傷を
負わせることが出来なかったようだが…」
「まあ、他にも空気の抵抗とかもありますからね。計算通りに行くとは限りませんが…。
それで、何か目撃証言は?」
「オレもそれを調べたんだが…。丁度昼時だった上に、この辺りは会社勤めのヤツが多く
て余り人がいねえんだ。せいぜい怪しい車が現場付近から走り去っていった、って程度し
か証言が取れなかったよ」
「…じゃあ、久御山君を狙撃した人物はそれを知ってて…」
「可能性はあるな。その家の住人が居なくなってから何らかの形で忍び込んで狙撃する機
会を窺っていたのかもしれないな」

 不意にランプが消え、手術室から滋乃を載せたベッドと医師達が出てきた。
「先生、久御山君は?」
「…あとは意識さえ戻れば大丈夫だと思います」
「そうですか」
 滋乃が病室に搬送されて行く。
「久御山さん、大丈夫ですか?」
「久御山さん、しっかり!」
 巴と千鶴は滋乃が寝かされているベッドに寄り添って病室までついていった。
 それを見送る時人と諸星警部。
「…とりあえず、これからはもう少し警備を強化するぜ。彼女の病室にも警備をつけるし、
周辺の建物にも注意を払うように行っておくぜ」
「…わかりました。出来うる限りの事はしてください」

 病院を出る時人たち3人。
「今度は久御山さんなんて…」
「千鶴ちゃん、私たちも気をつけたほうがいいね」
「そうですね。これからは出来るだけ私たち二人で行動した方がいいですね」

 その傍らで時人はさっきから考え事をしていた。
「…先生、どうしたんですか?」
「あ、いえ…、何でもありません」

時人の心の中であるひとつの疑問が思い浮かんだのだ。


第2話に続く>>

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