血液盗難事件が無事解決してからも同じ米花町内に住んでいる、と言うこともあってか、
蘭と藤田貴代は互いに連絡を取り合い、時間があるとお互いに行き来するようになってい
った。
そして手術が終わったあとも時々は都築ちはるの見舞いに行き、彼女の相手を続けてい
た。
そんな中、熱戦が繰り広げられた北京五輪が8月24日に終わって数日が過ぎ、夏休み
もそろそろ終わりというある日、毛利家に一本の電話が入ってきた。
「…もしもし。…あ、藤田さんですか」
電話に出た蘭が言う。それを聞いたコナンが蘭の傍らに近づく。
「…はい、はい。ああ、そうですか。ええ、術後の経過は順調だそうです。…はい。ええ、
ちはるちゃんのほうは私が時々お見舞いに行きますので心配しないでください。それじゃ、
がんばってくださいね」
そして蘭が電話を切る。
「…電話、藤田さん?」
コナンが聞く。
「うん。今、成田から電話でこれからパラリンピックの日本代表選手団と一緒に北京に向
かうんですって」
「ふーん。今から行くの?」
「うん。現地でしばらく練習をしてから競技に臨むんですって。でもよかったわ、ちはる
ちゃんの手術も無事に終わって術後の経過が順調だと言うし、藤田さんもどことなく嬉し
そうな声をしてたわ」
「そうだね。これで心置きなく競技に打ち込めるからね。藤田さん、金メダルが取れると
いいね」
「そうね」
*
2008年9月17日。
史上最多の147の国と地域から約6500人が参加し、9月6日の開幕から12日間に及ぶ熱
戦が繰り広げられた北京パラリンピックの最終日の夜のこと。
蘭は部屋にかかっている時計を見る。
「…ああ、そうだ。もうすぐパラリンピックのダイジェスト放送が始まるんだ」
そう言うと蘭はテレビのリモコンのスイッチを入れた。
オリンピックと違ってパラリンピックは(1998年に長野で冬季大会が開催されてから注
目されて来ているとは言え)まだまだ知名度が低い部分があるようだが、それでも期間中
は開会式がテレビで生中継されたり、毎日日本人選手の結果を伝えるダイジェスト番組を
放送しているのだった。
そしてパラリンピックもまたオリンピック同様、最終日に最後の競技として開催される
ことになっているのだった。
「こんばんは」
テレビの中でキャスターが挨拶をした。
「…12日間に及ぶ熱戦が繰り広げられた北京パラリンピックも、いよいよ今日が最終日と
なりました。今日は最後の競技であるマラソンと閉会式が行われました。まずはマラソン
の模様からごらんいただきましょう」
そして他のクラス(パラリンピックは障害の度合いによってクラス分けがされている)
の競技のダイジェストを放送した後、
「そして女子の車椅子マラソン。日本代表の藤田貴代選手、北京到着後も絶好調で、今日
を迎えました」
その言葉を聞いた蘭とコナンはじっとテレビの画面を凝視する。
そして女子の車椅子マラソンのダイジェストが放送された。
「スタート直後は選手が一団となって進行していましたが、25キロを過ぎたあたりから
藤田選手がトップに立ちました」
そして、蘭が米花公園で見たレーシングスーツにヘルメットという姿でレース用車椅子
を動かしている藤田貴代が映った。
「…そして藤田選手は快調なペースで独走態勢に入り、そのままゴール。見事大会新記録
で金メダルを獲得いたしました」
「すごーい。コナン君、金メダルだよ!」
蘭が何だか自分が獲ったような口調で言う。
「本当だね。藤田さん金メダル獲得できてよかったね」
そしてテレビの画面は競技後のインタビューの様子を放送していた。
「…なんかいつも以上に調子がよくて。それで35キロを過ぎたあたりからは新記録は行
くかな、とは思っていたんですが」
「それで、次のロンドン大会ですが…」
「ええ、もちろん連覇を狙います」
「そうですか。それでは最後に何か一言」
「ちはるちゃん、やったよ〜!」
そう言うと藤田貴代はカメラに向かって手を振る。
「…今、ちはるちゃんって言ったね」
コナンが言う。
「そうね。やはりちはるちゃんのことは北京に行っても気にしていたんだ」
蘭がそう言うと、テレビのキャスターが
「…ご存知の方も多いと思いますが、ちはるちゃんというのは先日血液適合者が見つかっ
て手術をした難病の女の子でして、藤田選手は彼女の知り合い、と言うことで帰国したら
彼女にあって話をしたい、と言っていました」
それをコメントを聞いたコナンは思わず苦笑した。
*
そしてパラリンピックが終わり1週間ほど過ぎた9月20日。
コナン、蘭、そして藤田貴代の3人が病院の廊下を進んでいた。
「…でも藤田さん、大変ですね。おととい帰国したばかりですよね?」
車椅子を押している蘭が藤田貴代に言う。
そう、パラリンピックが終わった翌日の夜遅く、蘭の元に藤田貴代から帰国した、と言
う電話がかかってきて、その電話で彼女が「土曜日にちはるちゃんのお見舞いに行こう」
と誘ったのだった。
「…そうでもないわよ。北京から日本までは4時間かからないし、時差だって1時間だか
ら時差ぼけも起こらなかったわ。それに会社のほうも出勤は月曜日からだから明日までは
ゆっくりと骨休めをするつもりよ」
「そうですか。それならいいんですけど」
「…ところで蘭さん、ちはるちゃんのほうはどうなの?」
「ええ、1週間に一度はお見舞いに行ったし、この間はコナン君に頼んでコナン君の同級
生にもお見舞いに来てもらったんですよ」
(…そういえばアイツらもあの子の病気のこと聞いて、かなり驚いてたようだな)
コナンは蘭に頼まれて少年探偵団を見舞いにつれてきた日のことを思い出していた。
(まあ、あの子も歩美とは気があったようだし、灰原も興味を覚えたかいろいろと話を聞
いていたようだから、いい勉強になったかもな)
蘭に頼まれたとき、コナンは連れて行くべきかどうか悩んだのだったが、事件のことを
知っていたからか、彼らからも「会ってみたい」と言って来たので連れて来たのだが、ど
うやら結果オーライでよかったのかもしれない。
*
そして「都築ちはる」とネームプレートがある病室のドアを開けると3人が病室に入っ
ていった。
「ちはるちゃん、こんにちは」
藤田貴代が声をかけると、
「あ、お姉さん、お帰りなさい」
そして、
「こんにちは、ちはるちゃん」
蘭とコナンが挨拶をすると、
「あ、蘭おねえさん、コナン君。こんにちは」
都築ちはるが挨拶をする。その声はすっかり元気になっていた。
「…いつ日本に帰られたんですか?」
都築真弓が藤田貴代に聞く。
「あ、大会が終わった翌日に戻ってきたんです」
「まあ、それは大変でしたね」
「いえ、それほどでも。そういえばお母さん、先ほど主治医の先生に会って話をしたんで
すけれど、ちはるちゃん、もうすぐ退院できるそうですね」
「ええ。術後の経過も良好で、これからは定期的に通院すればいい、って先生がおっしゃ
ったんですよ」
「そうですか、よかったですね」
「それで、この子も10月から学校に通わせようかと思っているんです」
「それがいいですね」
「でも担任の先生には時々、勉強を見てもらったんですけれど、追いつけるかどうか心配
で…」
「ちはるちゃんなら大丈夫ですよ。それに、夏休みにはコナン君に勉強見てもらったし。
ね、コナン君」
蘭が言うとコナンが、
「そ、そうだったね」
(…ハハハ、まさかオレが家庭教師やる羽目になるとは思わなかったけどな)
「そうだ、ちはるちゃん。今日はちはるちゃんに見せたいものがあるんだ」
そう言うと藤田貴代はケースを取り出す。
「はい」
「それ、何?」
「じゃーん!」
そう言うと藤田貴代はケースのふたを開ける。
「あ、それはもしかして…」
コナンが言うと、
「そう、北京パラリンピックの金メダル。本物よ」
そう、ケースの中にはまだ新品の輝きが残っている金メダルが入っていたのだ。
蘭もコナンもこういった国際大会の金メダルというのは初めて間近で見るものだったか
ら、思わず言葉を失ってしまった。
「そういえば藤田さん、大会新記録で優勝したんですよね」
蘭が言うと、
「そう。いつもより調子よく走れたな、と思っていたらまさかの大会新記録ですものね。
私自身が驚いたわ」
「そうですか…。そういえば藤田さん」
「何?」
「この間のテレビのインタビューで『ちはるちゃん、やったよ〜!』って言いましたよね?」
「ああ、それね。…実は、この金メダルはちはるちゃんが取らせてくれた金メダルだ、っ
て思うの」
「ちはるちゃんが?」
「そう。蘭さんには話したと思うけれど、ちはるちゃんと知り合ってからなんていうのか
な、この子のためにも頑張りたいな、って思うようになったの。私が一生懸命車椅子マラ
ソンに打ち込むことで、ちはるちゃんにも病気と戦う勇気が出てきてほしいな、って思う
ようになったし、その為にも北京では金メダルを取ってどんなことだってやればできるん
だ、っていうことを見せてあげたかったのよ」
「そうなんですか…」
「それに、何だか私もちはるちゃんから教わった気がするのよ」
「ちはるちゃんから?」
「うん。どんな困難にも勇気を持って立ち向かえば必ず打ち勝つことができる、ってね。
だから4年前と違って今度は絶対に金メダルを取るんだ、って気持ちで立ち向かったの。
だからもしちはるちゃんがいなかったら、私も金メダルを取れなかったかもしれないわね」
「…そうだったんですか」
と、
「ねえ、お姉さん」
ちはるが話しかけてきた。
「なに?」
「あたしもお姉さんみたいな人になりたいな」
「私みたいんな?」
「そう、お姉さんみたいにスポーツがうまくなって金メダルが取れるような人になりたい
な」
「…それじゃ、まずはしっかりと病気を治さないとね。ちはるちゃんの病気が治って、何
かスポーツがやりたくなったらお姉さん、いつでも手伝ってあげるから」
「本当?」
「本当だって。約束する」
それから数日後、ちはるは病院を退院し、今は元気に学校に通っている、と言う話をコ
ナンたちは聞いた。
(終わり)