ミステリートレイン誘拐事件

(後編)



 コナンたちの所に目暮警部が来て2日経った日のことだった。

 目暮警部が再び毛利探偵事務所にやってきた。
「…全くわからん事件だ」
「わからん、ってどういうことですか?」
「いや、実はな、犯人からまた脅迫状が届いたのだよ」
「脅迫状が、ですか?」
「ああ、今度は具体的な身代金の受け渡し方法を知らせてきたんだが…」
 以下、目暮警部が話したことは…。

 目暮警部が小五郎の事務所から警視庁に戻ってあまり時間をおかずに中島氏の家から連
絡が届いた。
 前回の脅迫状で5000万円を用意しろ、と言う連絡があったが、今度は身代金の受け
渡し方法について具体的な指示があった、と言うことだった。
 その内容は身代金5000万円をバッグに詰めて、米花公園の指定されたベンチにおい
て立ち去れ、ということだった。
 連絡を受けた目暮警部たちはすぐさま刑事達を現場に張り込ませた。こういった事件の
場合、身代金の受け渡す瞬間が犯人逮捕の絶好の機会だからだ。
 そして、刑事達は2時間ほど張り込んだのだが、怪しい人物は現れずに身代金が入った
バッグが置かれているベンチを見てみたが、そのとき既に身代金の入ったバッグは消えて
なくなっていた、と言うことだった。

「…勿論我々もすぐに付近の聞き込みを行なったよ。しかし怪しい人影を見た、と言う情
報は今のところ一つも無いのだよ」
「…あのあたりは商店街や飲み屋が多くて人通りが絶えないですからなあ。人込みにまぎ
れてしまえば、わからんものですし…」
 小五郎が言う。
「…それに犯人もよく考えたようだ」
「どういうこと?」
 コナンが聞いた。
「犯人が身代金を置け、と指定したベンチと言うのは丁度街灯と街灯の間にある場所でな。
ベンチがどうなっているかよく見えない場所なんだよ」
「…でも、誰かが近付いてきたらわかるんじゃないでしょうか?」
 蘭が聞くが、
「いや、ワシも後で見てみたんだが、その場所がベンチの背もたれのあたりから暗闇に乗
じて近付けば気づかれることはないし、夜の公園なら隠れる場所はいくらだってある。我々
の警備が手薄になったところを見計らって逃げ出す事だって可能だろう」
「…となると、犯人は以前からこの地域について詳しいもの、と言うことになりますな」
「ああ。そうなるが…」
   *
 さらにその翌日のこと、毛利探偵事務所に目暮警部から連絡が入った。
 
「…それって本当なの?」
 蘭が聞き返した。
「ああ。あのミステリートレインが走った翌日――つまり8月8日だな――からあの列車
の上りを運転した運転士の一人が行方不明になっているらしい。警察に家族から捜索願が
出されたそうだ」
 小五郎が言う。
「何か行方不明になる原因、ってのはあったのかしら?」
 蘭が言う。
「いや、まだ詳しいことはわからんのだが、あのミステリートレインが上野駅に着いた8
月7日の夜に管理局の方に報告に出たところまではわかってるんだが、それ以後の足取り
がつかめていないらしい」
「…その、誘拐された女の子と何か接点はあるのかしら?」
「さあな、まだわからねえが…。ただ、その行方不明になってる運転士――大塚、って名
前なんだが――を調べてみると妙なことがわかったらしい」
「妙なこと?」
「ああ。まだ調べてるところなんだが、何でもギャンブルの借金があるらしいんだ」
「借金が?」
「まあ、オレがどうのこうの言う立場じゃないんだが、何かちょっと臭うな…」

(…確かに妙だな…。誘拐事件とほぼ同じ頃に運転士が一人失踪するなんて何か関連がな
い、ってするほうがおかしいぜ…。それにその運転士は借金がある。誘拐の動機としては
十分なんだが…。何か引っかかるんだよな…)
 来客用のソファに座って常磐線の路線図がにらみながらコナンは思った。
(…もし、その大塚って運転士が犯人だとしたらどうやって誘拐することが出来るんだ?)
 そうである。列車は2本の線路を走るものであり、しかもあの日のミステリートレイン
は上りの湯本―上野間3時間17分の間、途中で運転手の交代とかはなかったはずである。
(…それに、誘拐された子、というのはどうやって選んだんだ? あの列車に乗った子供
だったら誰でもよかったのか? …いや、添乗員や車掌ならとにかく運転士がそこまでわ
かるか?)
    *
 その後、警視庁は8月7日の湯本―上野間のミステリートレインを運転していた運転士
の大塚俊忠を「重要参考人」としてその行方を追うことにした。

 そんな誘拐事件が急展開を見せたのは、コナンたちがミステリートレインに乗ってから
5日が過ぎた8月12日のことだった。
 大塚にいた男が近くにいる、という連絡を受け、目暮警部は高木刑事をはじめとする数
名の刑事をその場所に行かせた。

 高木刑事達が現場へ言って2時間ほど過ぎた時だった。
 目暮警部の机の電話の呼び出し音がなった。
「はい、こちら目暮だが。…あ、高木君か。…うん、うん。わかった。ご苦労」
 そして目暮警部は電話を切った。
   *
「そうですか。どうも済みませんでした」
 そして蘭が電話を切った。
「目暮警部からか?」
「うん。誘拐された女の子が無事に保護されたって。行方不明になっていた運転士も一緒
にいたそうよ」
「そうか、それはよかったな」
「…でも、やっぱり今回の事件、その運転士の人の仕業だったのかしら」
「…そう考えるのが妥当だろうな」
「それにしてもおかしな所もあるんですって」
「おかしな所?」
「うん。その大塚、って運転士さん、見つかったとき郊外のホテルに居たんだけど、ほと
んど抵抗する様子も無くて、あっさりと捕まったんですって」
「おそらく逃げられないと思って観念したんじゃねえのか?」
「かも知れないけど…。それからもう一つおかしい所があってね。その大塚って運転士さ
ん、1億円もの身代金取ったはずなのにそんなの持ってなかった、っていってるんですっ
て」
「本当か? どっかに隠したんじゃねえのか?」
「でも身代金受け取ったことは無いって。で、あたりを探してもバッグすら見つからなか
った、って」

(…じゃあ、その大塚は犯人じゃなかった、ってことか? だとしたらなんでその女の子
が一緒にいたんだ?)
 コナンは思った。と、小五郎が何かを思い出したように、
「…そういえば、警察の方で今回の誘拐事件で腑に落ちない部分が出てきたらしいんだ」
「出てきた、って?」
「あの、誘拐された女の子の父親――中島亮介、と言うらしい――は会社の社長をしてい
るそうなんだが、何でもこの不況で経営が上手くいかなくて八方ふさがりになっていたら
しい」
「それで?」
「預金通帳もほとんどカラで、あちこちから借金をしていたらしくて、銀行の方も取引を
したがらなかったらしいな。丁度娘が誘拐された日も中島氏は娘が誘拐された、ってのに
金策に追われていた、ということだったらしい。なんでも目暮警部が中島氏に事情を聞き
に行った時、彼は娘が誘拐されたことよりも手元に金が全く無いことばかりを警部殿に話
していたらしいぞ」
「それでよく身代金を用意できたわね」
「…まあ、事態が事態だからな。なんとか用意したんだろ」

(…まさか…!)
 その話を聞いたコナンの脳裏に別の視点が浮かび上がってきた。
(…そうか、読めてきたぜ。今回の誘拐事件の真相が)
「…ねえおじさん」
「どうした?」
 小五郎が聞いた。
「もし、その運転士の人が犯人だとしてどうやってその女の子を誘拐したんだろうね?」
「どうやった、って…」
「だってさ、運転士の人って車なんかと一緒で絶対運転席から離れられないんだよね?」
「まあ、そりゃそうだな」
「でもさ、その誘拐した子をどこかに隠すことが出来ればいいんだろうけど…。そんな隠
す場所なんて無いよね」
「…ちょっと待て。お前まさか、運転士がその子を運転席に乗せた、なんていうんじゃな
いだろうな?」
「そう考えたんだけどさ、そんなこと出来ないよね? …例えばその運転士の人と誘拐さ
れた子が知り合いで特別に運転席を見せてあげる、何てこと言わなきゃねえ…」
 その時だった。小五郎の頭の中にとんでもない考えが思い浮かんだ。
「…おい、お前まさか。その行方不明になった大塚、って運転士と中島さんが以前から知
り合いだった、何て言うんじゃないだろうな?」
「だから、例えばの話だよ。…でも、その誘拐された子のお父さん、って偉いよね」
「何がだ?」
「だってその人の会社、って今借金があるんでしょ? それなのによく1億円なんてお金
があったよね」
「まあ、子を思う親心だからな」
「じゃあ、お父さん。私が誘拐されて身代金を要求されたらお父さんも支払うの?」
 蘭が聞く。
「当たり前のことを言うな! オレだってそのくらいの金は…」
 言いかけた小五郎が急に黙ってしまった。
「? どうしたの、お父さん」
 が、小五郎は蘭の声が聞こえないのか目はずっと遠くの方を見ているだけだった。
「まさか…、そんなことは…」
   *
 目暮警部は高木刑事とともに車である場所に向かっていた。
 と、ある家の前に車が停まった。
「高木君、君はここにいてくれ」
「わかりました」
 そう言うと目暮警部は車を降りて玄関に進んでいった。
 そしてドアをノックする。
「…中島さん、警視庁の目暮です」
 やがてドアが開き、一人の男が顔を出した。
「…刑事さん…」
「すみませんが、少々事情をお伺いしたいので本庁までご同行願えますか?」
「…どういうことですか?」
「…何故あなたが今回の偽装誘拐を企んだのか、そのことについてお聞きしたくてね」
「偽装誘拐?」
「…大塚が全て吐きましたよ。今回の事件はあなたと組んで仕組んだ、ってことをね」
    *
 警視庁。目暮警部と高木刑事、そして小五郎たちが応接セットに座っていた。
「つまり、こういうことだったらしい」
 目暮警部が言うと、高木刑事が警察手帳を開いた。
「…中島亮介氏の経営している会社はこの不況の煽りを受け、業績が以前から悪化してお
り、資金繰りにもかなり苦労していたそうです。中島氏は何とか経営を立て直そうとした
のですが、借金は増える一方でついには負債も1億に届こうか、としていたそうなんです。
これまでは何とかして借金の返済をしていたそうですが、ついには返すお金もなくなって
しまい、借金の宛てもなかったことから今回の偽装誘拐を企んだそうです」
「…となると、1億の身代金というのは…」
「ええ。本来払うべき借金を身代金として取られた、と言うことにすれば同情を引いて支
払いを待ってくれる、と思ったらしいんですよ。いくらなんでも貸した相手がそういう目
にあっていれば、心情的に無理に取り立てることは出来ないですしね」
 それを聞いた小五郎は一つため息を吐いた。
「…全く。私はそうやって人の同情を引こう、何て考えるヤツに一番腹が立ちますな」
「…そしてあとは毛利さんの言ったとおりです。中島氏は以前から知り合いだった運転手
の大塚と共謀して、今回の偽装誘拐を計画したそうです。大塚もギャンブルで多額の借金
があったことで、今回の計画に協力したそうです。あのミステリー列車の乗客の申し込み
は先着順ですから千里ちゃんをミステリー列車に乗せることは十分に可能です。そして彼
女も父親思いの娘でしたから今回の事件で誘拐される役、と言うのを承知で演じてたそう
です。帰りのミステリートレイン内で運転手の大塚は千里ちゃんを運転士しか乗れないド
アから乗せて、そのまま上野駅へと向かう。上野駅到着後、管理局に出頭してから父親の
言いつけを守り、彼と行動を共にしていたそうです」
「…そうだったんですか」
「…それより毛利くん、今回の事件がどうして偽装誘拐だと思ったのかね?」
「いや、中島氏は借金があったし、身代金が中島氏の抱えていた負債と同じ1億でしょう? 
それに誘拐事件といったら普通被害者は一刻も早く誘拐された人物を返して貰いたいだろ
うに中島氏はそういったそぶりすら見せなかった…」
「…つまり、中島氏は偽装誘拐だったから安心していた、ということか…」
「そういうことですな」

 こうして事件は一応の決着を見たのである。
 一体この事件がどうなるか、それはこれからの捜査の結果などを待たなければならない
であるが、一つだけいえることは後味の悪さだけが残った事件だった、と言うことである。

(おわり)

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