女子高生・毛利蘭の殺人

(第1話)


 毛利蘭。帝丹高校空手部の女主将でもある彼女は最近頭痛のタネ、とでもいうべき問題
を抱えていた。
 彼女たちが進めている部の運営方針を巡ってOB達と対立、とまではいかなくても意見
の食い違いが起こっていたのだ。もう卒業してしまったOBに口を出して欲しくない、と
思う反面、上下関係にはうるさく、先輩の言うことには絶対服従、というのがこういう体
育会系のクラブの特徴である。そのせいかイライラして当たり散らす蘭に出くわすことも
多く、父親の小五郎も江戸川コナンも腫れ物に触るような扱いをしていた。
     *
 十月のある日曜日。蘭は親友の鈴木園子に誘われ、事務所の下の喫茶店「ポアロ」にい
た。もちろんコナンも一緒である。
「どうしたのよ、蘭。あんた最近カリカリしてるんじゃない?」
 園子もここの所気になっていたようだ。
「どうしたもこうしたも…。ここの所OBがうるさくてさあ。いったいわたしのやり方の
どこがいけないって言うのよ?」
「一ヵ月でケガ人三人も出せば、それはいけないんじゃないの?」
「そんなこと言ったって秋の都大会が近いのよ。へたな成績残せますかって」
「あんたってほんと自分の考え曲げないわね。あんたの勝利至上主義はちょっとマズいん
じゃないの? クラブ、っていうのはもっと楽しまなきゃ」
「園子は黙っててよ。わたしはただ強くなりたいだけなの!」
(…強くなりたいねえ…。今でも充分強いんじゃねえの?)
 ストローでコーラを吸い上げながら、コナンは思った。
 バーリ・トゥードという目突きと噛み付き以外何でもOK、というルールで戦うアルテ
ィメット大会、なんて格闘技の大会があるが、そのバーリ・トゥード・ルールでもなけれ
ば蘭を倒すなんて不可能、いや、バーリ・トゥード・ルールでも蘭は倒せないんじゃなか
ろうか。…もっとも最近、バーリ・トゥードも大分ルールが替わっているようだが。
    *
「ただいまっ!」
 蘭がものすごく不機嫌な顔をして帰ってきた。そしてドサッ、というものすごい音とと
もにソファに座る。
「ら、蘭ねえちゃん、どうしたの?」
 コナンが聞く。
「わたしの部活でのやり方が上村先輩の耳に入ってさあ。話があるから明日来い、ってい
うのよ!」
…コナンもその名前なら聞いた事がある。コナンこと新一や蘭が1年の時の空手部主将だ
った男で、蘭は随分とその上村先輩にかわいがられていたようだ。そもそも蘭が2年生な
がら主将を任せられたのはその上村先輩が蘭のことを買っていて、次期主将を決める際に
強力なプッシュがあったからではなかったか?
    *
 翌日の夕方。
「こんにちは、先輩。毛利です」
「上村裕二」という名前が貼ってあるアパートの一室。学校帰りの蘭はその前に立ってい
た。彼は今親元を離れ、帝丹大学に通っているためにアパートに住んでいるのだった。
「先輩、いないんですか? 毛利でーす」
 蘭はドアノブをひねった。何の抵抗もなくドアが開く。
「…あれ、開いた…」
 蘭は不審に思いつつも中に入った。
「…!」
 部屋の中を見た蘭は絶句した。
 中に入ると部屋は荒らされ、その中に一人の男が倒れていたのだ。後頭部から血を流し
ている。
 蘭は近付き、覗き込む。
「先輩! 上村先輩!」
 倒れている男こそ、蘭が会おうとしていた上村裕二だったのだ。
 蘭は上村の身体を揺さぶる。彼は既に事切れていた。
「し…死んでる…」
 父親が父親だけにこういう事に慣れているはずの蘭だが、いざ、自分が第一発見者にな
るとさすがに取り乱してしまった。
 蘭は慌てて電話を探す。そして受話器を取ると110番通報をしようとした。
 その事で頭が一杯だったか、背後から何者かが近寄ってきたのに蘭は気が付かなかった。
 そして、蘭の口に何か湿ったものが押し当てられた。
「う…」
 蘭は程なく気を失った。

 蘭が意識を取り戻したのはそれから一時間ほど経った時だった。
(…う、ううん…。なんだろう…頭が痛いわ…)
 次第に意識がはっきりしてくる。
(あれ、ここは…? そうだ、先輩のアパートだわ…)
 蘭はまわりを見回す。
(そうだ…確か先輩が死んでて、警察に知らせようとしたんだけど…え?)
 蘭は血塗れの灰皿を持っているのに気が付いた。
(…ど、どういうこと?)
「…通報どおりだな」
 蘭の背中で声がした。蘭は後を見る。警官が二人立っていた。一人が蘭に気付き、
「君、君はなんでここにいるんだ?」
「な…なんで、って…私はただ、先輩の死体を見つけただけで…」
「ほう。じゃあなぜ灰皿を持っているんだ?」
「あ、こ…これは…、その…」
「とにかく話を聞きたい。署まで来なさい」
    *
「だから嘘じゃないんです! 信じてください!」
 取調室。蘭が取調官に向かって叫んだ。
「そうは言ってもねえ。凶器の灰皿の血痕の血液型とガイシャの血液型が一緒だったし、
君の指紋も検出された。それに君とガイシャはクラブの運営方針を巡って対立してたそう
じゃないか。言い争いになってカッと来て殺したんじゃないのかね?」
「だからって私が何で先輩を殺さなきゃいけないんですか! 何度も言ってるように私が行っ
たときにはもう先輩は死んでたんです! それで警察に連絡しようとしたら何かかがされて…」
 その時、ひとりの刑事が入ってきて、取調官に耳打ちをする。
「そうか…毛利蘭君。残念ながら君を殺人容疑で逮捕する」
「そんな…」
「今から警視庁へ護送する。詳しいことは本庁で聞こうじゃないか」
    *
「…蘭ねえちゃんどうしたんだろ? 遅いね」
 時計の針はとっくに八時を回っていた。コナンは小五郎に話し掛ける。
 蘭は今朝、登校する際「6時までには帰ってくるから夕御飯は待っててね」と言って家
を出て行ったはずなのだが、既に2時間も過ぎている。仕方がないので二人は出前を取っ
て、それで夕食を済ませたのだが…。
「…ったく。いったい何を話してるんだか」
 その時、事務所の電話が鳴った。
「はい、毛利探偵事務所。…あ、目暮警部でありますか。…はい。え? な、なんですと
お!」
 小五郎は思わず叫んだ。
「はい…、はい…、わかりました。今からそっちへ伺います」
 小五郎は電話を切る。ただならぬ様子にコナンは、
「おじさん、どうしたの?」
「…大変なことになった。今、目暮警部から連絡があって…、蘭が殺人容疑で逮捕された
らしい」
「な、なんだって?」
 コナンはその一言が信じられなかった。
「とにかく、今から本庁に行って事情を聞いてくる」
「ボクも行くよ!」
    *
 警視庁。
「警部殿、蘭が殺人、なんていったいどういうことでありますか?」
 小五郎が目暮警部に聞く。
「ウム。ワシも話を聞いただけだから何とも言えんのだが…」
 と目暮警部は小五郎たちに事件のあらましを説明した。
「…そんなバカな! 蘭は人に殺されるようなことをしても、人を殺すようなことはしな
いはずです!」
(…おいおい、それが自分の娘に対して言う言葉かよ…)
 コナンは思った。勿論何かの間違いであって欲しい、と思っているのは当然なのだが。
「…とにかく、詳しい話はこっちに護送されてから聞くことにする。付き合ってくれる
な?」
「もちろんであります!」
「それにしても遅いのお…。連絡を受けてからそろそろ来てもいい頃なんだが」
「…道でも混んでるのかな?」
 コナンが言う。その時、
「目暮警部!」
 目暮警部の部下である高木刑事が来た。
「どうしたのかね? 高木くん」
「たった今連絡が入りまして…。本庁に護送中の容疑者が脱走したそうです!」
「脱走?」
「はい。道が渋滞していたそのスキに、警官二人を殴り倒して手錠姿のまま脱走したそう
です!」
「その容疑者の特徴は?」
「…それが、特徴から言って蘭さんらしいんです」
「何だって?」
 コナンが叫んだ。「警官二人を殴り倒して」というところからも蘭に間違いない。
「ええ。年令は17歳前後、身長が160センチ前後の女性ということですし、服装や容
姿から行っても蘭さんのようなんですよ」
「…だとしたら…、こうしちゃいられない!」
 コナンは走りだした。
「こら、コナン。どこへ行く!」
 小五郎が後を追い掛ける。その様子を見る目暮警部と高木刑事。
「…すみません、警部。蘭さんのことだから、と腰縄をすることを命じなかったのはミス
でした」
「済んでしまった事は仕方ない。とにかく高木君、至急非常線を張れ! 見付けしだい、
毛利蘭の身柄を拘束するんだ!」
「蘭くん」が「毛利蘭」になっている。
「はい、わかりました!」
    *
「お父さん…、コナン君…」
 毛利探偵事務所のドアを開けると予想どおり、蘭がその中にいた。手には手錠をかけら
れたままである。
「蘭! なんで自分から罪を重ねるようなことしたんだ!」
 小五郎が言う。
「違うのよ! 私、何もしてないのよ! 何も知らないのよ! …それなのに手錠かけら
れて…。お父さん、信じて! 私何もしてないのよ! …コナン君、コナン君は信じてく
れるよね?」
 蘭が涙で顔をくしゃくしゃにしながらコナンに訴える。
 コナンは蘭の顔を見る。…蘭が嘘をついているようには思えなかった。
「…そうだよ。蘭ねえちゃんは何もしてないよね」
「コナン君…」
 蘭の顔がほころぶ。
「ボクは蘭ねえちゃんを信じるよ。きっとこれは、誰かが蘭ねえちゃんをワナにはめて罪
を着せようとしてるんだ。ボクは蘭ねえちゃんを信じるよ」
「コナン君…」
「…それにしても問題は、これをどうするかだな」
 小五郎が蘭の手にかかっている手錠を見て言う。
    *
「そうか。蘭君も災難じゃったのお…」
 阿笠博士の家。コナンと蘭は阿笠博士の家に行き、博士に頼んで蘭の手錠を切断しても
らったのだ。もちろん見つからないように蘭には変装を施した。
 蘭が手首をさすりながら、
「…博士は信じてくれますよね?」
「もちろんじゃとも。君のような女の子が人殺しなんて大それたこと、できるはずがない
じゃろう」
 蘭の顔がほころぶ。
「それにしても…これはちょっと厄介な事になったぞ」
「厄介な事?」
「蘭くんが脱走したことで警察は非常線を張ってるはずじゃ。このまま逃げ続けてるとな
るといずれ警察の追跡も厳しくなるはずじゃ。その前になんとかして真犯人を見付けださ
ねばならんじゃろ」
「それに、今見付けられるわけにはいかないものね」
 コナンが言う。
「博士、ちょっと電話貸してもらえますか?」
「ああ、いいとも」
 蘭は受話器をとるとダイアルをプッシュする。
「もしもし。あ、園子? 私、蘭よ。園子、お願い。助けて!」
    *
 翌日。コナンは小嶋元太、円谷光彦、吉田歩美の三人を近くの公園に呼んで事件のあら
ましを話した。
「なんだってえ?」
「蘭おねえちゃんが人殺しですって?」
「…いや、違うんだ。蘭ねえちゃんは誰かのワナにはめられて殺人犯の濡れ衣を着せられ
たんだ」
「でもマズイんじゃねえか、出歩くなんて。目暮警部はきっと蘭ねえちゃんを指名手配し
てるぜ」
「可能性としてはありますね。犯人ではないという決定的な証拠でもないかぎり、蘭おね
えさんが重要参考人であることに変わりはないですからね」
「だから、その証拠を捜そうとしてるんだよ! 頼む、蘭ねえちゃんを助けるためにみん
なの力を貸してくれ、頼む!」
 コナンは元太たちに頭を下げた。たとえ外見が小学生とは言え、高校生が小学生に頭を
下げる、なんてのは屈辱以外の何物でもないのだが、蘭がああいう事態だ。なんだかんだ
言ってはいられない。
「…よおし、いっちょやるか! オレたちは少年探偵団なんだからな!」
 元太が言う。
「そうですね、やりましょう!」
「そうだね。みんなで力をあわせて蘭おねえちゃんを助けよう!」
 オーッ、と三人がときの声を上げる。
    *
 同じ頃、毛利探偵事務所の上にある蘭たちが住んでいる部屋。
「蘭、いる? 開けて」
 園子がドアを叩く。
「…園子? ちょっと待ってて」
 ドアを開けると蘭が立っていた。
 園子は中に入ると注意深くドアを閉める。
「…ったく。蘭もとんでもないことに巻き込まれちゃったわよね」
「園子、ありがとう。私のこと信じてくれて…」
「親友として当然よ。大体、蘭が人に殺されるようなことしても、人殺しなんかするはず
ないでしょが」
「悪かったわね!」
「それに空手だって一歩間違えたら人殺しちゃうもんね。フルコンタクトが得意な蘭がそ
のくらいのこと知らないわけないでしょ?」
「ま、そりゃそうだけどさ…」
 実際フルコンタクト空手は命にかかわる結果になりかねない顔面や鳩尾、金的といった
急所への攻撃は禁止されているのである。蘭自身、急所に入ってしまって反則負けを食ら
った経験があるし…。
「…それに、あんた1年のとき、上村先輩にかわいがられてたもんね。そんなあんたが先
輩殺すとは思えないし…。あ、そうだ」
 と園子はポケットから何かを取り出した。
「…なに、それ?」
「…軽井沢にあるウチの別荘の鍵。コレ貸してあげるから、しばらくの間そこで身を潜め
たら? いくら警察でもそこまでは捜査の手が及ぶはずないわ。大丈夫、おじさんやコナ
ン君たちには私から言っておくわ」
「でも…」
「でも、って…、あんた今、自分がどんな立場にいるか知ってるの? あんた今、殺人事
件の容疑者でしかも脱走までしてるのよ! そりゃ身に覚えのない殺人容疑を晴らそうと
してる蘭の気持ちもわかるけど、今ここでウロウロしていたらどうなるかわかってんでし
ょう? あんた、今度こそ捕まっちゃうのよ!」
「う…」
 確かに園子の言うことももっともである。自分は今殺人事件の容疑者となっているのだ。
ここで下手に動いたりしたらどうなるか、結果は火を見るより明らかである。
 蘭は園子から鍵を受け取る。
「…園子、ゴメン。迷惑かけて」
「なあに、困ったときはお互い様よ。…でもね、蘭。コレだけは約束して」
「…何?」
「絶対、自殺なんかしないでよ。あんたが自殺したら一生軽蔑するからね」
「…わかってるわよ」
 蘭が微笑んだ。
「よし。じゃ、すぐに着替えを用意して! 私は姉貴呼ぶから。…大丈夫よ。ウチの姉貴、
口は固いから。それから毎日連絡はするからね」
 蘭は改めて園子との友情の深さを感じていた。

…それから数十分後、蘭は東京を脱出し、軽井沢へと向かった。


第2話へ続く>>


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