タラ神 ケガレ神
中編







 師匠と頼久は相対して向かい合っている。散々迷った挙句に、イノリは心持ち頼久寄りに座っていた。

 太刀が急に入用になったその理由を、頼久は誤魔化すことなく、イノリに語ったままに師匠に話した。

 本来なら、頼久の武士団が抱える刀鍛治から用立てる筈のもの。
 けれど頼久が使う儀礼用ではない実戦のための太刀は、生憎急にあつらえられるものでもない。



 ましてや求める物が―――――。
 『まっさら』、なものなら。



 突然の訪問でそれを求める非常識さを、頼久はよく分かっているらしかった。そして簡潔すぎる話を終えたところで、この静寂が三人の上に降りたのだった。





+ + + + +





「あ、あの…さ、師匠」
 この手の間が、酷く苦手なイノリが、約束を果たさねば、と口を開いた。
 
が、老境の入り口に差し掛かった者とは思えない、鋭い眼光でそれは制された。

「源氏の若棟梁。その御噂はこのしがない鍛冶屋も聞き及んでおります。なんでも剣を振るうその姿は、さながら鬼神のごとし、と」


「すべてあだ花は大輪かと」


 余分な動作は微塵も含まずに、頼久は頭を下げた。その仕草こそが、彼の振るう太刀の筋を、見事に示していた。

 不安げなイノリを他所に、師匠は満足げに頷いた。

「名も無い老いぼれの刀がお役に立つなら、喜んで用立てましょう。まして、京の救いに繋がるならば、なんの異存が御座いましょうや」
「かたじけない」

頼久は再び、頭を下げる。

「なんだ。俺の口添えなんか必要なかったじゃん。よかったな、頼久」
 張り詰めた空気が溶け、漸く息がつけたイノリが両腕を頭に回して笑った。
「イノリ、貴様、半人前の分際で、偉そうに口をはさむ気でおったのか。…何をボサッとしとる! 酒の用意でもせんか!」
 怒鳴られるのはいつものこと。ぺろっと舌を出して、イノリは腰を浮かしかけた。
 が、それは出された頼久の掌で止められた。

「心遣いは無用に。…潔斎中ゆえ。すぐに失礼致します」
「潔斎…?」
 不用意に聞き返した銀髪の男に、頼久は僅かに顔を顰めて頷いた。



「…血を浴びたままの身で、龍神の神子の御前には参りかねる故」



 それが「明日、あかねの供を出来ない」理由…?
 目の前の男は澱みなく言ってのけたようだったが、僅かに自嘲と痛みを浮かべた口元をイノリは見てしまった。





「・・・・・・イノリは」
 苦い空気を縫うように口を開いたのは、流石に年の功か。

「イノリは。ちゃんと、やっておりますかな?」

 当のイノリは突然自分の話になって、幾分慌てた。
 しかし、またもや師匠の眼光に釘を刺されて、しぶしぶその場に座りなおす。

「はい。仲間からの信任も厚く、神子殿の期待を見事に果たしております」

 面と向かっては、まず聞かないような自分への評価がくすぐったい。どんな顔をしていたらいいのか分からず、乱暴に袖で鼻頭を拭った。
「まだまだ半人前のこれが、そのような大役を務められるか、聞いたときには不安でしたが…」
 顎先で『これ』と言われて一瞬ムッとしたが、どうあっても敵わない相手なので、そのまま黙っている。


「いえ。背中を預けるに足る男と」


 これ以上ないくらい短いその言葉に、イノリは目を丸くし、その師は逆に細めた。
「そこまで買って下さるとは…。光栄なことだな、イノリ」
 ニヤリと向けられた視線を、イノリは怒った顔でそっぽを向いてかわした。

「コレは…。育った境遇のせいか同じ歳の者と比べると、芯にはしっかりした根が張っております。しかし、ワザと幼く直情的に振舞う傾向がある」
「し、師匠?」
 怪しい方向に走り出した話の流れに更に戸惑う。が、当の相手の頼久は全く動じずに、黙って師匠の話を聞いていた。


「恐らく慕ってやまない姉にとっての、理想の『弟』になりたいが為でしょう。それがある内は未だ半人前。仕事を一人で任せる訳にも参らず」


「ナンだよ、それ!」
「お前は黙っておれ!!」


 淡々と語られる言葉の持つ、胃の腑を掴むような衝撃。イノリは思わず声を荒げたが、即座にそれ以上の恫喝で一蹴された。
 板張りの床が震えるほどの一喝。
 その声の主は、歳の割には厳つい身体を揺らして、居住まいを正した。



「…しかしながら。刀鍛治として、こやつには天賦の才があると思っております。いつかは天照す神に捧げる刀を打ち出す者になるでしょう。ゆえに…」




 初めて聞く、師匠の言葉。大切にされているとは思っていた。感謝もしている。
 けれどそんな風に。そこまで思い、見ていてくれたなんて。

――――― 知らなかった。

 息を呑んだまま目を見開いたイノリを置いて、彼の後見人は言いよどんだ語尾を意志の力で繋げた。

「…ゆえに」
「はい」

「八葉という大役を務める為、とは申せど」





「貴殿のようにイノリの手を血で染め、身を穢すようなことは。決して無き様、神子様にお伝え願いたい」





「師匠! いくら何だって…!」反射的にイノリは立ち上がった。





 しかし一方で。確かにそれはここまでの道すがら、頼久の太刀を見つめながら考えたことではあった。

 『京を救う』

 それだけに目を奪われ、そのために自分の手が血の色に染まる可能性なんて、考えずにやってきた。
 それ以前に。
 この先自分が創り出すだろう刃があんな醜い跡を刻むと、考えたことがあっただろうか。

 けれど。それでも頼久は。
 すでに、二度と戻れぬ道を歩み始めてしまっているのだ。





 しかしそんなイノリを止めたのも、やはり頼久だった。

「イノリ。…構わない」

 まなじりを険しくするイノリに反して、頼久は静かで、微笑んでいるようにさえ見えたのは何故だろう。
 イノリが言葉を飲み込むのを待って、彼もまた姿勢を正して座りなおした。

「我が主、龍神の神子におかれては…」
 ポツリ。頼久の静かな声がその場に流れ出す。

「敵である鬼どころか、京を穢す怨霊にさえ『哀れ』と思し召す、慈悲深いお方。ましてや血の流されるは、決して望まれるところではありません」

 真っ直ぐに相手の目を捉えながら、頼久は続ける。



「八葉も穢れを払うために神子を御守りする者であって、その身に穢れを負うなどは無いものと存じます・・・・・・・・・」



 彼が『神子』と口にするたびに、そこだけが、暖かい体温をもって発せられているような気がした。

 それは自分の気のせいではないはずだ。
 なのにどうしてか。
 今は耳するたび、鉛を飲み込んだような重い息苦しさに襲われた。


 空気がぼんやりと薄闇を纏い始め、それがじわりとこの首を締め上げて。呼吸が。






 どうして、こんなところに自分はいるのだろう。
 どうして、こんなことになったのだろう。
 どうして、こんなことを聞かなければならないのか。

 太刀を渡せば、それでいいだろう?
 鬼は倒せば、それでウマくいくはずだろう?


何処で間違えたのか。


 頼久の刀を鞘から抜いた、あの時か。
 土御門で呼び止められた時か。

 あかねに初めて出会った時? 八葉だと告げられたあの時?

 鍛治で身を立てると決めた時?
 頼久が武士の家系に生まれたときか?






 そんな埒もない、苦し紛れの思考を広げるイノリの目の前で、それでも二人の会話は止まなかった。

「・・・・・・しかして貴殿は」

「私は八葉であると同時に左大臣様に仕える家人です。この度の失態は八葉にあらず、源氏武士としての職務の上のもの、とお心得頂きたい」

「この穢れ、永劫、消えるとは思いません。けれど時が来たならば、この命一つで購いきってみせましょう」





 真っ直ぐに、真っ直ぐに紡がれる言葉。
 イノリには、それが聞く相手を貫いてなお勢いを衰えず、更なる的を求めているように思えた。
 恐らく、いや確実にそれは語る頼久自身に向かい、切りつけている。

――――― 既に八葉となる前から、その手は血に染まっている、と。





「それは、詭弁では御座いませんか?」
「信じて頂く以外には」

 向かい合う二人が今から立会いを始めたとしても、何の違和感も無いだろう。
 しかし間を置いて交わされたのは、剣ではなく深い礼だった。

「…信じましょう。相手が源氏の若棟梁ならば、なんの不足が御座いましょう。愚かな親心、とお笑いください」

 そう言ってイノリの師は深々と、薄くなり始めた頭を下げた。

「――――― その名はどうか」

「鬼神の剣を会得した者ならば、賊の抵抗さえ気で封じこのような事には。未熟な私にその名は、…重過ぎる」

 漸く逸らされた視線は、苦しげな言葉とともに空間に沈んでいった。

「…誰にも譲る気のなかった太刀が一振り御座います。これから魂込めいたした後、明日、イノリに届けさせましょう。それでよろしいですか?」

「かたじけない」

 頼久はここに来て何度目かの礼を、これまで以上に深く示した。






+ + + + +






 そこまで送ってくる、と師匠に声をかけて、イノリは板戸を後ろ手に閉めた。
 外はすっかり陽が落ち、喩えようの無い、独特の形をした月が浮かんでいた。
 何かを言いかけて、何を話せばいいのか分からないことに気付いて、イノリは結局爪を噛んだ。

「イノリ」頼久が振り向く。

「お、おう。何だ」


「・・・・・・。神子殿には言うな」


 細い月光は闇をなお暗くして、その表情を隠していた。

「いっ、言えるかよっ! あかねは…」

 言いかけたそばから、台詞は奪われて夜に溶け出す。イノリは一層、爪を強く噛み締めた。ギリリと音がした。



「頼む」

 そして頼久は大通りへと、再び足を進め始めた。









    
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