詩紋とあかねが門をくぐって、邸内に入っていくのを見届けた。
今日は情報収集と力の具現だけだったから、イノリとしては物足りなさを感じる一日だった。
しかしこれも京を救う仕事のひとつだ。
もとから手を抜くなどは、自分の行動の選択肢には始めから存在しない。
けど怨霊払いにより以上に力が入るのは、性分だから、ま、しょうがないだろう。
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まだ日没までには、間がありそうだ。
イノリは姉のところへ寄ろうか、それとも鍛治の仕事場へ顔を出そうか。思案しながら踵を返した。
と、歩き始めたその後ろ姿に、意外な人物からの声がかけられた。
「イノリ」
あかねが消えた門とは別の、質素な木戸口から長身が現れた。
「なんだ、頼久じゃねぇか」
遙かに年上の相手も、憶さず名で呼ぶ。
それでも許されてしまうような、そんな貴重な性質をイノリは持っていた。
「あかねなら、今、送り届けたゼ」
立てた親指で、彼女の消えた方向を指し示す。
「あぁ、知っている。…いや、お前に頼みたいことがあるのだが」
ぶっきらぼうな、不器用な物言い。けれどだからこそ、その実力のみで信頼を勝ち得て、一族はもとより配下からも『若棟梁』と慕われる男。
その真価を、イノリも身を持って知りつつある。
「オレに?! ま、いっけどよ。何なんだ?」
くすぐったそうにイノリは鼻の頭を擦った。
「太刀を一振り、お前の師から譲り受けたいのだ。口添えしてもらえないだろうか」
「太刀?」
てっきり、あかね絡みかと思っていた。
イノリが思わず聞き返した言葉にも、頼久は律儀に頷いた。
「急ぎなのだ。生憎、武士団の伝手では都合がつかなかった。突然の申し出で、お前の師匠には失礼にあたるとは思うのだが…」
真面目な固い顔を、頼久はさらにしかめた。
「一振りくらいだったら、まぁ都合つかないことも無いだろうけど…。いっか、これから仕事場に顔を出そうと思ってたんだ。一緒に行くか?」
「すまない。そうさせて貰う」
そうして、めずらしい取り合わせの二人組みは、京の町を並んで歩き出した。
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「あ〜、あのさ」
黙ったまま並んで歩くことに、違和感を覚えたイノリが堪えきれずに切り出した。
「何だ?」
そんなことは、全く頭に無かったのだろう。頼久は、最低限の言葉で返す。
「え、あ。っと、太刀…。何で急に必要なんだ? ソレじゃ、ダメなのか?」
別段、何を話そうとしていたわけでもなかった。
それでとりあえず、さっきチラリと思った疑問を口にして、頼久が腰に佩いているいつもの刀を指差した。
しかし途端に頼久の気配が重みを増し、僅かに眉が顰められたのを見て、イノリは自分がしくじったことに気がついた。
「あ、べ・別に言いたくないんなら、いいんだ。武士団の機密ってのもあるんだろ?」
頭を掻きながら、フル回転で別の話題を探す。
「そうだ、明日はお前について来てもらうかな、ってあかね、言ってたぞ。」
よかったな、と続けようとして、更に皺の寄った眉間に気がついて、自分は地雷原に迷い込んだのだと知った。
「・・・・・・。明日は、供は出来ない」
「な、なんだ。仕方ねえな。仕事なんだろ? あかねだって、分かってくれるって。」
脱出を試みたが、それに反して、頼久は苦い顔をして立ち止まった。どうやら抜き差しならない藪に、足を突っ込んでしまったようだ。
「…どうせ分かることだ。今、お前に話して置くほうがいいだろう」
「何の話だ?」
イノリもまた立ち止まり振り返った。
陽の落ち始めた京の町は既に人影もまばらで、行く人も家路を急ぎ、二人の様子に関心を払うものは誰も居ない。
「太刀が入用になった理由と、明日、供が出来ない理由だ」
それから頼久は、通りの端に根を下ろす大木の陰に足を向けた。
嫌な予感がした。
「一体何だよ? 大げさだな。よっぽどの秘密でもあんのか?」
呑気なそぶりを装うイノリに「いや」と、非情に頼久は首を振る。
そして黙って、吊るしていた刀を鞘ごと、イノリに差し出した。
首を傾げながらも頼久の意図するところを悟り、イノリは鞘から刀を抜く。確かに人もまばらとはいえ、往来の真ん中で白刃を晒すのは憚られることだろう。
カチャリ。
普通のものより大振りのそれが、独特の音を立てて姿をあらわす。
赤い色味を帯びつつある陽の光を、それは鮮やかに切り取ってみせた。が。
「こいつは・・・・・・」
その刃とはうらはらに艶やかな曲線を描く波紋は、紛れも無い、ひとつの痕跡を残していた。
イノリはそれが意味することを、正確に把握した。予感は正しかったのだ。
「・・・・・・斬った、のか。」
何を、とは問えない。
それがこの男の生業だから。
しかしその問えない言葉も汲み取って、なお、頼久は頷いた。
「神子殿の存在は知るべき方々より、知られたくない者共の方に広まっているらしい」
「昨夜か? 夜盗? あかねは…。あ、いや、知らねぇんだな?」
知っていれば、酷く動揺するだろう、異世界から来た娘。
彼女の今日の様子を思い浮かべて、イノリは自分の問いに自ら答えを下した。
「一昨日の夜半に数人、忍び込んできた」
「それも鬼のヤツらの策略…なのか?」
禍々しいしるしを刻んだそれを、イノリは鞘に収めた。
「…そう思いたいなら、それでも構わない」
頼久の答えに、ふん、と一度鼻を鳴らしてイノリは刀を返した。
――――― 恐ろしいのは、人も、同じ。
わかってはいても、その帰結はどうしても気に喰わない。
「で? 別に酷い刃こぼれもないし、研ぎに出せば済むだろ。まだ使えるぜ。何で新しい太刀が必要なんだよ?」
自然、乱暴になってしまった言葉。
真っ直ぐには見られないと思う自分の衝動を、それだけにとどめてイノリは意識的に胸を張って頼久を見据えた。
「…もう、使えぬ」
そんなイノリとは裏腹に、変化に乏しいはずのその顔は、目を伏せただけで深い影を落とした。
「人を斬った太刀で、神子殿に仕えることは出来ない」
分かっては居たはずだった。
が、あらためて言葉として聞いてしまったイノリは、返す台詞も見つからないまま、顔を顰めて爪を噛んだ。
あかねはきっと、本当にはわかっていないだろうと思う。
人が死ぬことなど、特別なことじゃあない。それも病や老いを理由としない死など、一つ二つ裏路地を歩けば、否が応でも目の当たりにするのだから。
鬼が跳躍するようになってから、それは一層加速度を増し。
けれどそれを、当たり前だと、仕方ないのだとは思いたくなかった。そう思ってはいけないのだと、抗うように姉と二人、身を寄せ合い生きてきた。
そして、それを変える大きな力があるのだと。ある日、額にしるしを受けた。
それがどんなに嬉しかったことか。
けれど。目の前のこの男は、人を斬ったと言う。
同じ目的を持つ『仲間』と認めた一人が、その使命の為に。人を斬ったと。
その重さに、イノリはいつもの様に声を荒げるわけでもなく、励ます笑みを見せるわけでもなく。
ただ黙って、爪を噛むしかない。
「お前は本来、ずっと・・・・・・・・・」
そんなイノリの姿を救うように、いつの間にか頼久は視線を和らげていた。
「何だよ」
イノリは不機嫌な顔を隠すのをやめた。
「いや。…先を急ごう。陽が落ちる」
慣れた手つきで再び頼久は刀を身に付けると、通りの中央に歩み出た。イノリも黙ってそれに続く。
イノリが身を寄せる鍛冶場まで、あと少し。
あらかじめ場所を知っているのだろうか、前を歩く頼久の歩調に、迷う素振りは全く見られなかった。
後ろを歩くイノリは、その間どうしても。
頼久が腰に佩いた『それ』から目を離せなかった。
やがて自分も、己の手であれを造りだすはずだ。
けれど先ほど見た、それは。
人の脂の跡をベッタリと残した、紛れも無い凶器だった。
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