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 詩紋とあかねが門をくぐって、邸内に入っていくのを見届けた。
 
 
 
 今日は情報収集と力の具現だけだったから、イノリとしては物足りなさを感じる一日だった。
 しかしこれも京を救う仕事のひとつだ。
 もとから手を抜くなどは、自分の行動の選択肢には始めから存在しない。
 
 けど怨霊払いにより以上に力が入るのは、性分だから、ま、しょうがないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 + + + + +
 
 
 
 
 
 
 
 まだ日没までには、間がありそうだ。
 イノリは姉のところへ寄ろうか、それとも鍛治の仕事場へ顔を出そうか。思案しながら踵を返した。
 と、歩き始めたその後ろ姿に、意外な人物からの声がかけられた。
 
 「イノリ」
 
 あかねが消えた門とは別の、質素な木戸口から長身が現れた。
 
 「なんだ、頼久じゃねぇか」
 
 遙かに年上の相手も、憶さず名で呼ぶ。
 それでも許されてしまうような、そんな貴重な性質をイノリは持っていた。
 「あかねなら、今、送り届けたゼ」
 立てた親指で、彼女の消えた方向を指し示す。
 
 「あぁ、知っている。…いや、お前に頼みたいことがあるのだが」
 
 ぶっきらぼうな、不器用な物言い。けれどだからこそ、その実力のみで信頼を勝ち得て、一族はもとより配下からも『若棟梁』と慕われる男。
 その真価を、イノリも身を持って知りつつある。
 
 「オレに?! ま、いっけどよ。何なんだ?」
 くすぐったそうにイノリは鼻の頭を擦った。
 
 「太刀を一振り、お前の師から譲り受けたいのだ。口添えしてもらえないだろうか」
 
 「太刀?」
 てっきり、あかね絡みかと思っていた。
 イノリが思わず聞き返した言葉にも、頼久は律儀に頷いた。
 「急ぎなのだ。生憎、武士団の伝手では都合がつかなかった。突然の申し出で、お前の師匠には失礼にあたるとは思うのだが…」
 真面目な固い顔を、頼久はさらにしかめた。
 
 「一振りくらいだったら、まぁ都合つかないことも無いだろうけど…。いっか、これから仕事場に顔を出そうと思ってたんだ。一緒に行くか?」
 
 「すまない。そうさせて貰う」
 
 そうして、めずらしい取り合わせの二人組みは、京の町を並んで歩き出した。
 
 
 
 
 
 
 
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 「あ〜、あのさ」
 黙ったまま並んで歩くことに、違和感を覚えたイノリが堪えきれずに切り出した。
 「何だ?」
 そんなことは、全く頭に無かったのだろう。頼久は、最低限の言葉で返す。
 
 「え、あ。っと、太刀…。何で急に必要なんだ? ソレじゃ、ダメなのか?」
 
 別段、何を話そうとしていたわけでもなかった。
 それでとりあえず、さっきチラリと思った疑問を口にして、頼久が腰に佩いているいつもの刀を指差した。
 
 しかし途端に頼久の気配が重みを増し、僅かに眉が顰められたのを見て、イノリは自分がしくじったことに気がついた。
 
 「あ、べ・別に言いたくないんなら、いいんだ。武士団の機密ってのもあるんだろ?」
 頭を掻きながら、フル回転で別の話題を探す。
 「そうだ、明日はお前について来てもらうかな、ってあかね、言ってたぞ。」
 
 よかったな、と続けようとして、更に皺の寄った眉間に気がついて、自分は地雷原に迷い込んだのだと知った。
 
 
 「・・・・・・。明日は、供は出来ない」
 「な、なんだ。仕方ねえな。仕事なんだろ? あかねだって、分かってくれるって。」
 
 
 脱出を試みたが、それに反して、頼久は苦い顔をして立ち止まった。どうやら抜き差しならない藪に、足を突っ込んでしまったようだ。
 
 「…どうせ分かることだ。今、お前に話して置くほうがいいだろう」
 「何の話だ?」
 
 イノリもまた立ち止まり振り返った。
 陽の落ち始めた京の町は既に人影もまばらで、行く人も家路を急ぎ、二人の様子に関心を払うものは誰も居ない。
 
 「太刀が入用になった理由と、明日、供が出来ない理由だ」
 
 それから頼久は、通りの端に根を下ろす大木の陰に足を向けた。
 
 
 
 
 
 嫌な予感がした。
 
 
 
 
 
 「一体何だよ? 大げさだな。よっぽどの秘密でもあんのか?」
 
 呑気なそぶりを装うイノリに「いや」と、非情に頼久は首を振る。
 そして黙って、吊るしていた刀を鞘ごと、イノリに差し出した。
 
 首を傾げながらも頼久の意図するところを悟り、イノリは鞘から刀を抜く。確かに人もまばらとはいえ、往来の真ん中で白刃を晒すのは憚られることだろう。
 
 
 
 カチャリ。
 
 
 
 普通のものより大振りのそれが、独特の音を立てて姿をあらわす。
 赤い色味を帯びつつある陽の光を、それは鮮やかに切り取ってみせた。が。
 
 「こいつは・・・・・・」
 
 その刃とはうらはらに艶やかな曲線を描く波紋は、紛れも無い、ひとつの痕跡を残していた。
 イノリはそれが意味することを、正確に把握した。予感は正しかったのだ。
 
 「・・・・・・斬った、のか。」
 
 
 
 
 
 何を、とは問えない。
 それがこの男の生業だから。
 
 
 
 
 
 しかしその問えない言葉も汲み取って、なお、頼久は頷いた。
 
 「神子殿の存在は知るべき方々より、知られたくない者共の方に広まっているらしい」
 「昨夜か? 夜盗? あかねは…。あ、いや、知らねぇんだな?」
 
 知っていれば、酷く動揺するだろう、異世界から来た娘。
 
 彼女の今日の様子を思い浮かべて、イノリは自分の問いに自ら答えを下した。
 「一昨日の夜半に数人、忍び込んできた」
 「それも鬼のヤツらの策略…なのか?」
 禍々しいしるしを刻んだそれを、イノリは鞘に収めた。
 
 「…そう思いたいなら、それでも構わない」
 
 頼久の答えに、ふん、と一度鼻を鳴らしてイノリは刀を返した。
 
 
 
 ――――― 恐ろしいのは、人も、同じ。
 
 
 
 わかってはいても、その帰結はどうしても気に喰わない。
 
 「で? 別に酷い刃こぼれもないし、研ぎに出せば済むだろ。まだ使えるぜ。何で新しい太刀が必要なんだよ?」
 
 自然、乱暴になってしまった言葉。
 真っ直ぐには見られないと思う自分の衝動を、それだけにとどめてイノリは意識的に胸を張って頼久を見据えた。
 
 「…もう、使えぬ」
 
 そんなイノリとは裏腹に、変化に乏しいはずのその顔は、目を伏せただけで深い影を落とした。
 
 
 「人を斬った太刀で、神子殿に仕えることは出来ない」
 
 
 分かっては居たはずだった。
 が、あらためて言葉として聞いてしまったイノリは、返す台詞も見つからないまま、顔を顰めて爪を噛んだ。
 
 
 
 
 
 あかねはきっと、本当にはわかっていないだろうと思う。
 
 
 人が死ぬことなど、特別なことじゃあない。それも病や老いを理由としない死など、一つ二つ裏路地を歩けば、否が応でも目の当たりにするのだから。
 鬼が跳躍するようになってから、それは一層加速度を増し。
 
 けれどそれを、当たり前だと、仕方ないのだとは思いたくなかった。そう思ってはいけないのだと、抗うように姉と二人、身を寄せ合い生きてきた。
 そして、それを変える大きな力があるのだと。ある日、額にしるしを受けた。
 
 それがどんなに嬉しかったことか。
 
 
 けれど。目の前のこの男は、人を斬ったと言う。
 同じ目的を持つ『仲間』と認めた一人が、その使命の為に。人を斬ったと。
 
 
 その重さに、イノリはいつもの様に声を荒げるわけでもなく、励ます笑みを見せるわけでもなく。
 ただ黙って、爪を噛むしかない。
 
 
 
 
 
 
 「お前は本来、ずっと・・・・・・・・・」
 
 そんなイノリの姿を救うように、いつの間にか頼久は視線を和らげていた。
 
 「何だよ」
 
 イノリは不機嫌な顔を隠すのをやめた。
 「いや。…先を急ごう。陽が落ちる」
 慣れた手つきで再び頼久は刀を身に付けると、通りの中央に歩み出た。イノリも黙ってそれに続く。
 
 
 イノリが身を寄せる鍛冶場まで、あと少し。
 
 あらかじめ場所を知っているのだろうか、前を歩く頼久の歩調に、迷う素振りは全く見られなかった。
 後ろを歩くイノリは、その間どうしても。
 
 頼久が腰に佩いた『それ』から目を離せなかった。
 
 
 やがて自分も、己の手であれを造りだすはずだ。
 けれど先ほど見た、それは。
 
 
 
 
 
 人の脂の跡をベッタリと残した、紛れも無い凶器だった。
 
 
 
 
 
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