お前の中の俺は笑っているかな?
Wandering of the dragon 19
政宗が俺の前に現れてからどれ位の時が流れただろう?
毎朝決まったように呆れ半分の政宗の声で起こされて。
当たり前のように政宗の作った朝飯を一緒に食って。
使わなくなって久しくなっていた「いってきます」を告げて。
仕事から帰宅した俺を政宗が当たり前のように出迎えてくれて。
又一緒に晩飯を食って。
そして、寝る間も惜しんで酒を飲みつつ話をして。
休みの日には買い物に行ったり、遊びに行ったり、時には何もせず一日中傍らの暖かさを感じながら一緒の時間を過ごす。
そんな極々平凡な『当たり前』を俺は政宗と積み重ねてきた。
俺にとって政宗という存在は、もう呼吸をするのと同じくらい当たり前に傍にあるものとして認識されていて。
だから俺は半分忘れかけていたんだ。
政宗がこの世界の人間では無い――という事を。
いつかは俺の前から姿を消してしまうのだという事を。
いや、本当は考えたくなかったのかもしれない。
俺にとって初めて向けられた家族以外の優しい眼差し。
心地良い空気。
包み込むような暖かさ。
大きく逞しい手の温もり。
それが――いつかは失われてしまうものなのだという事を。
でも、いつまでもその真実から目を背けてはいられないと俺は改めて思い知らされる。
未来を語る政宗の言葉から。
思い出を語る政宗の表情から。
俺と政宗の間には同じ時間は流れていないのだと突き付けられる。
そう――少しずつでも『その時』は確実に近付いているのだ。
その焦りにも似た想いに突き動かされて。
俺は1分でも1秒でも長く、少しでも多くの時間を政宗と刻みたくて、今まで緊急時以外にロクに使用したことのない有給休暇を初めて連続して使う事を決め――。
俺達は出会ってから初めての三泊四日の二人旅に出たのだった。
思い出イコール旅行…なんてベタだとツッコむ事なかれ。
日常から離れて美味しいものを食べ、珍しいものに触れ、季節の移り変わりや人々の営みに触れるってのは、思い出を彩る格別なスパイスだと思う訳だ。
まぁ偶には俺の世話から離れて、本来のお殿様としての立場を堪能してもらおう…ってのもあったのは否定できないけど。
そんなこんなで俺が選んだのは一日五組様限定の、観光スポットから少々離れた山の中にある隠れ家的な旅館の離れのお宿プランだった。
「つっても結局俺らの行きつく先って、こんなんなんだけどなー…。」
テーブルの上に広がった海の幸・山の幸。
そしてここに来る前に仕入れてきたこの地方の酒蔵の銘酒。
あー…温泉だ旅行だと言いながらも、結局は酒と旨いもの…って所に落ち着いてしまう俺らって一体…。
あまりのワンパターンというか、芸の無さに涙が出そうだよホント。
いやいやいや!でもこれは俺らがどうとかいう以前に致し方ない事だよな?!
だっていくら温泉地と言った所で、宿の娯楽の定番!卓球台をメインとした遊戯場がある訳でも、一昔どころか二昔前位じゃないかと思しきゲーム機が置いてある訳でもないとなれば、結局行き着く所は旨い酒と料理に温泉――ってな事になってしまう訳で。
いや例えここに卓球台があっても、政宗と白熱したラリーを繰り広げるってのも勘弁してもらいたいが。
そーゆーのは、ライバルの真田幸村あたりと繰り広げてもらう方がお似合いだ。
とはいえ、明らかに若い男二人連れの旅行の割には若さの足りないエンジョイ内容に、勧められた冷酒を嘗めつつ苦笑を漏らすと、湯上りの身体に宿の浴衣を着流した政宗がひょい――と俺の手の中のガラスのお猪口を掠め取った。
「あ!」
「何ボンヤリしてやがんだ??」
お猪口に僅かに残っていた冷酒をペロリと嘗めると、政宗は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
ああ……うん。こうしてみると、政宗もそれなりに楽しんではくれてるみたいだ。
行動が普段より2割増しでガキっぽい。
家に居る時よりは幾分か感情が高まっているらしい政宗の姿に、俺は静かに目を細める。
「何でもねーよ。それよか政宗ー?」
「何だ?」
「ちったぁ楽しんでっか?!」
「Ha!決まってんじゃねぇか。」
「そっか………うん、なら良かった。」
「まぁ、綺麗どころが居たらもっとEnjoy出来たろうけどな?」
「会社幹部の接待旅行じゃあるまいし、コンパニオンのオネェちゃんはつきません!」
「It is regrettable(そいつは残念だ)。」
ニッ――と笑ってお猪口を差し出す政宗に、俺はお猪口と同じ色硝子で作られた徳利を傾けてやる。
とくとく――という小気味いい音をさせながら流れ落ちる清酒の仄かな香りがふわりと広がり、政宗の表情が更に満足げに綻ぶのを目の端に捉えて、俺は苦笑しつつ口の端を持ち上げた。
「今回は俺のお酌で勘弁しろな?」
「OK!しっかり俺を満足させろよ?――You see?」
「はいはい。」
やれやれと思いつつも、でも政宗とのそんなやり取りがやっぱり嬉しくて。
俺は投げやりな風を装いながらもついつい口元が緩んでしまう。
だってこんな何気ないやり取りが、向けられる柔らかな視線が、本当に俺の中に染み渡っていくんだ。
ああ――やっぱり俺この空気が、この距離が、この関係が――心地良くてたまらない。
「よっし!今日はとことん食って飲みまくるぞー!政宗!!!」
「Ya-Ha!そうこねぇとな!」
そう。せっかくのこの時間、どうせなら忘れられない位のものにしなきゃ勿体ないじゃないか。
だってこうして政宗と何気なく軽口を叩きながら酒を飲めるのも、あとどれ位か分からないんだし。
その間は、俺も政宗も少しでも笑って過ごせるに越した事はない。
そう、政宗はいつか俺の前から姿を消してしまう。
元のあるべき世界へ帰ってしまうんだ。
そりゃあ俺の本音としては、出来るならずっとこの心地良い世界に身を委ねていたいとは思うけれど。
でもさ……それは願ってはいけない願いだから。
だってそうだろう?俺がソレを願うって事は、政宗が元の世界に帰る事を望まないって事なんだから。
ああ……分かってたけど俺ってホント身勝手な人間だよな。
戻りたがってる筈の人間に戻って欲しくない――なんて思うなんて。
出来るならこのままここに繋ぎ止めておきたいだなんて。
あいつの――政宗の事を本当に思うなら、政宗が一刻も早く元の世界に戻れるよう祈って力を尽くしてやるべきなのに。
でも俺はそうしなかった。いや、出来なかった。
改めて自覚するのは、政宗と離れたくないと思う気持ちだけ。
俺はいつの頃からか政宗と一緒に生きたいと、そう願ってしまっていたんだ。
でもそれは許される事じゃない。叶えられちゃいけない。
あの気高く自由な魂を、ここに縛り付けてはならないんだ。
だから――
だから、そう――俺はもう望まないと決めた。
何より政宗自身の為に。
俺が初めて家族以外に情を寄せた、その大切な存在の為に。
多分、俺は俺自身の感情よりも政宗の表情が曇る事の方が耐えられそうもないから。
だからさ政宗………お前が俺の前から消えてしまうその前に。
ほんの少しだけ俺は自分の気持ちを素直に表してもいいかな?
きっとお前は困った顔をするだろうけど。
それとも呆れたように笑うだろうか?
でも、せめてそれ位は許してほしいんだ。
俺にはお前との時間は、そう多くは残されていないから。
お前が俺の前から姿を消すその日はきっともうすぐ―――
「―――――おい?」
「え?何?」
政宗の声で、知らず知らず深い思考の波に飲まれていた俺は意識を現実に引き戻す。
ハタ――と我に返ると、強い光を宿したあの隻眼が不思議そうに俺を見詰めていた。
「さっきからどうした?心此処に在らず…ってな感じだったぜ?」
「あ、いや……何でもねーよ。」
「Really(本当か)?」
「ああ、飲み過ぎてちっとボーっとしちまっただけだって。」
政宗の顰められた眉間の皺を軽くつつきながら笑ってみせると、僅かながらその表情が和らぐ。
そうだよ。こうして近くに居られる時間も少ないんだ。
ぼんやりとしていたら、無為に時は流れていくだけ。
俺は一度大きく息をつくと意を決して口を開いた。
「―――なぁ、政宗?」
「ん?何だ?」
ちょいちょい――と政宗を手招くと、不思議そうに首を傾げつつも政宗は俺の傍に来てくれる。
俺の目線まで屈み込んで顔を覗き込んでくる、その俺より大きな肩を引き寄せて、俺は突然の俺の行動にらしくもなく身体を硬直させた政宗の肩をギュッと抱きしめた。
「ありがとな……俺の所に来てくれて。」
他に掛ける言葉など思いつかなくて。
俺はそう言って初めて心から目の前の存在をしっかりと抱きしめた。
いつかこの手から擦り抜ける温もりだからこそ。
俺は魂の奥深くまで刻み付けるかのように、政宗の全てを全て零さないようにとこの手の中に強く強く掻き抱く。
包み込むかのようなこの熱も。
シニカルな笑みも。
強い眼差しも。
大きなその手も。
低く響く声も。
誰より強く優しい心根も。
誇り高いその魂も。
みんなみんな全部俺の中にあるから。
全て政宗が俺に与えてくれたものだから。
「――?何かあったか?」
珍しくも戸惑いがちな声が耳元で零れる。
それに小さく笑って俺は無言のままふるふると首を振ってみせる。
「いや………ただ……言っておきたかっただけ。」
「……………。」
「悪ィ。別にお前を困らせたかった訳じゃねーんだ。でも、言っておきたかった。ただそれだけ。」
気味悪ィとか言われて笑われてもおかしくないような俺の反応にも、政宗は決して笑ったりはしなかった。
それどころか――
政宗は俺の想いに応えるかのように、嫉妬心すら湧き上がってしまいそうな程男らしく逞しいその腕を俺の背中に回すと、静かに俺を胸の中に抱きしめる。
暖かな――そして心地良いその温もり。
嬉しくて気持ち良くてたまらない俺にとっての安らぎの空間。
甘ったるい空気も切なげな雰囲気も何も無いようなソレは、けれど俺にとって一番大切でこれ以上無い程の至極のモノだ。
「アンタは本当にいつも俺の予想の先を行くな。」
「んー?」
「だから俺はアンタにゃ敵わねぇんだ。」
そう言って政宗は何故か楽しそうに喉を鳴らす。
その身体を通して伝わる振動に、俺は目を瞬かせるしかなかった。
敵わない…って――いつも政宗に助けられてばかりの俺の言葉ならいざ知らず、政宗がそんな事を言うなんて。
俺の一体何が政宗に勝っているというんだか。
「分からねぇってか?でもアンタはそれでいいんだよ。」
楽しげな声でそう言うと、政宗は更に強く俺の身体を引き寄せた。
まるで二度と離すまいとするかのようなその素振りに戸惑いつつも、政宗が何だか嬉しそうだから別にいいか――なんて思ってしまって。
俺は考える事を放棄して、ことりと政宗の胸元に己が額を預けた。
「だが……俺もこれだけは言っとかねぇとならねぇよな。」
「政宗??」
「I thank you for the encounter with you(俺はアンタとの出会いに感謝してる)。」
そう呟く声にそっと顔を上げれば、輝く隻眼が俺をその瞳に映していて。
柔らかな眼差しが俺を包み込むようにして静かに見下ろしていた。
「居るかも分からない神になんかじゃねぇ。アンタにだ――。」
その言葉が、想いが、暖かさが深く深く俺の中に染み渡っていく。
そう――俺も同じだ。
俺の全ての想いをこめて。
俺にこの幸福を与えてくれたお前に感謝を――。
「こんなのは俺のガラじゃねぇがな。でも俺も――ただ伝えておきたかった。」
そう言って笑った政宗の顔は。
今まで目にした中で一番の笑顔だった。