いつも思っていた。
どうしてこんなにまっすぐに生きられるのだろうか。
何故こんなにも熱く純粋な魂を持てるのだろうかと。
遠い世界でただ日々を生きていた俺にとって、この混迷する戦国の世でのその生き様は俺の心を震わせた。

そして俺は思ったのだ。

俺も強くありたいと。
力ではない、本当の強さをもってその俺の心を震わせた大切な存在達を守りたいと思った。

だから俺は己の持つ全てを以って幸村を――彼の愛しい者達を、彼の世界を守ろう。
たとえそれが小さな小さな力であったとしても。







白銀(しろがね)のWizard 11







深い深い闇の奥深く。
まるで冬の明け方に包まる布団の中のような暖かさ。
そして心地よい温もりと共に感じるのは安心感。
包まれている――とはこういう感じだろうかとボンヤリ思いながら俺は広がる一面の闇から意識を引き剥がし、閉じていた目をゆっくりと開いた。
最初に目に飛び込んできたのは緋色。
目前の鮮やかなその色に訝しげに視線だけを巡らせれば。
すぐ傍に人の肌の感触。
完全に覚醒しきっていないふわふわとした意識の中でそれを確かめようと手を伸ばそうとすれば、その意識とは裏腹に俺の腕は封じ込まれたように動かない。
何かに捕らわれているような感覚に、俺は数回目を瞬かせた。

「何……?」

不思議に思って自由になる首を巡らせると、額に微かな吐息が掛かる。
何事かとそちらに視線を向けた瞬間、俺の視界に飛び込んできたのは人の顔だった。


「――――ッ?!」


あまりの事にあげそうになった声を咄嗟にグッと飲み込んで、俺は目前のそれに目を向ける。
よくよく見ればそれはよく見知ったもので。
とはいえ、本来ならこんな間近で晒される事などないであろうその無防備な寝顔に、俺は戸惑いながらも小さく声を発した。


「……………幸村?」


そう。俺の目の前で未だあどけない寝顔を浮かべているのは、あの真田幸村。
この世界に放り出された俺の存在をただ一人疑う事無く受け入れてくれた存在。
俺が己の全てで護ろうと誓ったただ一人の存在。
そして、そんな俺に暖かな想いを、暖かな眼差しを向けてくれた。
この世界での俺にとっての太陽とも言えるかけがえのない人。
その幸村が、何故か俺を抱え込むようにして布団に横たわっていた。
眠りの淵に落ちていた俺が感じていたぬくぬくとしたあの心地よい暖かさは、どうやらこの幸村の腕の中の温もりだったらしい。
背中に回された幸村の暖かく大きな手が、それが事実である事を物語っている。
俺はまるで抱き枕のように抱え込まれている現状に、どうしたら良いか分からずに眉尻を下げた。

「えと……ゆ、幸村……?」
「…………ん……。」

恐る恐る声を掛けてみれば、俺の声に反応したのか幸村がもそり――と僅かに身じろぐ。
その整った顔に微かに眉を寄せて、幸村はまるで小さな子供が目覚めを拒む時のように小さく呻いた。
けれど、それは完全な覚醒を促す程のものではなかったらしく、暫くゴソゴソと身じろいだ後、更にきつく俺を抱き込むと幸村は再び静かに寝息をたて始める。
更にしっかりと身体を密着させられてしまった為に益々もって動けなくなってしまった俺は、ただただ目前の幸村の男の目にも整った顔を困ったように見上げるしか出来なかった。

こうしていると、まだ幼さの残る何処にでも居るような青年にしか見えないのに。
この肩には甲斐の国の沢山の領民や兵士達の命がかかっているのだ。
この手には、この手の握る槍には甲斐の国の未来が委ねられているのだ。
信玄公の庇護の下とはいえ、幸村には甲斐の国の武将としての責任が重く圧し掛かっている。
未だ年若いこの青年には、それはどれ程のものだろう。

「………辛くないか?」

今はすやすやと静かに寝息をたてている幸村にそう小さく問う。
返る言葉が無いのは分かっていたが、そう問わずにはいられなかった。

「俺なんかじゃ何の助けにもならないかもしれないけどさ……。」

それでも幸村の幸せを願う事は出来る。
幸村の笑顔を増やしたいと、笑っていてほしいと思う。
そしてその為に俺に出来る事があるのなら。
こうしている事で、ほんの僅かでも心穏やかで居られるのなら――。

「少しでも俺が幸村の心を支える事が出来たらいいなって……そう思うよ。」

それは祈りにも似た想い。
どうかこの暖かな存在を護れますように。
非力な俺のこの僅かばかりの力で、この頼りない手で。
暖かく優しい心を、その魂を包み癒す事が出来ますように。
そして、出来るなら共に生きる誉れと幸せを俺に。


「俺はいつでも『ここ』に居るから。」


呟きながら己が額をそっと幸村の胸元に摺り寄せる。
幸村の傍に、何よりも心に寄り添っていたいから。


「だから……今だけは良い夢を……。」





















あれから――。
俺は飽きもせず目の前の幸村の寝顔を何をするでもなく見詰めていた。
あどけなさと大人びた表情の混ざりあう寝顔や、起きている時には気付かなかった小さな傷痕に気付いたりしながら、毎日どんな思いで槍を振るっているのだろうと考えたり。
時には子供の様に小さく呻く幸村の表情に笑みが零れたり。
そうこうしながらあれこれと幸村の事に思いを馳せていると、注がれている視線を感じたのか幸村の瞼が小さく震えた。


「………ん………ぅ………。」
「幸村??」
「………………………。」
「起きたか?」
「……………………………………………殿?」
「ん。おはよ。目ぇ覚めた?」


未だ焦点の定まらない幸村に微笑むと、ボンヤリとした視線が俺を捉える。
暫く無言のまま俺を見詰めていた幸村の瞳が漸く確かな光を宿し始めると、その顔に一気に朱がのぼった。


「――――ッ?!殿ッッ?!」
「おーはーよ。」

「な、なななななっ!何故、某の褥にッ?!」


ガバッ――という激しい音をたてつつ、幸村が身を起こそうとする。
しかし、その腕の中には俺が居て。
幸村はその現状に大きく目を見開いた。

「何で…って言われても俺もよく分かんないんだ。俺も…その……気付いたら幸村に抱き込まれてて……。」

身動きが取れなかった事情を話すと、幸村の顔が赤から蒼白へと色を変える。
そのあまりの動揺ぶりに俺は困ったように小さく苦笑いを浮かべるしかなかった。


「そ、某………殿に何か無礼を働いたりは……?」
「え?さぁ?俺もさっきまで気を失ってたみたいだから、その間の事は何も……。」


そうなのだ。
俺の記憶は、謁見の間で小太郎の回復を行っていた所まで。
そこから後の記憶はプッツリと途切れている。
そして目覚めた時は既に幸村の腕の中だった。



「そういえばあれからどうなったんだ??」



謁見の間で信玄公に目通りをして。
その場に顔を出した政宗に挨拶をして。
そして、不意に躑躅ヶ崎館に現れた松永久秀と風魔小太郎。
二人を退けた後、怪我を負った小太郎の治療をした所までしか俺の意識はない。
あの後松永は、小太郎は、そして俺自身どうなったのか全く分からない。
そう言えば、未だ寝ぼけ半分だった幸村もやっと全ての事情を呑み込み、周囲を見回し我に返るとコクリと静かに頷いた。

「あの後……風魔の治療を終えられた殿は意識を失われたのです。」
「あー……また………?」
「致し方ござらん。お力を使い果たされたのでござろう?」
「まぁ…そうなんだけど………。」
「すぐに倒れられた殿をここへお運びしたのですが………その………。」

そこまで言って幸村は言葉を濁す。
何やら戸惑いがちに視線を彷徨わせる幸村に、俺は数回目を瞬かせた。

「倒れられた瞬間、某の腕を掴まれておいでで。その……休ませようにもお手をほどく事かなわず……。」
「あ、まさか………。」
「その後もずっと某の名を呼ばれておいでだった故……その…仕方なく、某もお側で共にと……。」

気を失った俺が幸村の腕を掴んで離さなかった為に、幸村も仕方なく俺と共にこの部屋で一夜を明かす羽目になってしまったという事らしい。
確かにあの時、気を失う瞬間伸ばした手に触れた何かに縋り付いた記憶はある。
それが幸村の腕だった――という訳だ。



「も、申し訳ござらん!最初は殿のみを褥へと思うたのですが、そのままでは殿すら褥へ横たえる事も叶わず……某も共に褥へ入らねば殿に風邪をひかせてしまうやもしれぬと佐助に言われ………その…某、他に方法も思いつかず……故に失礼とは存じましたが……その………こうして……。」



しどろもどろになりながら言葉を探す幸村。
その表情は羞恥と戸惑いと不安と様々な感情が入り混じっていて。
俺は悪いと思いながらも微かに表情を緩ませてしまう。
必死に弁明をしようとする幸村の、およそ豪傑な武将らしからぬその姿が微笑ましくて、俺は耐えかねたように小さく噴き出してしまった。


「な?!殿っ?!」
「ああ、ごめんごめん。あまり幸村が必死になってるから、つい。」
「~~~~~ッ!」
「だって俺が幸村の腕を掴んで離さなかったのが原因なんだろ?俺が悪いのに、まるで自分が悪いみたいに必死に弁解しようとしてるからさ。本当は俺が謝らなきゃいけないのに。」
…殿……。」

「ごめんな幸村。それとありがとう。ずっと俺をこうして守ってくれてたんだよな?」


本当なら無理にでも俺の手を引き剥がす事も出来た筈だ。
けれど、幸村はそうしなかった。
俺を近くで守り、俺を暖めてくれていた。
それは表面的な事だけじゃない。
幸村の腕の中に包まれていた間、俺はずっと穏やかで居られた。
暖かな安心感の中で俺は静かな闇の中に揺蕩っていられたのだ。
それは幸村が俺の心までも包み込んでくれていたから。
ここは大丈夫なのだと、安心出来る所なのだと無意識に分かっていたから、俺はすぐに意識を戻さずにいられたのだろう。

「やっぱり俺、幸村に助けられてばかりだ。」
「そんな事は…ッ!」
「そうなんだよ。本当にどうしたら幸村に報いる事が出来るのかなぁ?」

どれだけの事をすれば幸村の為になるのか。
どうすれば幸村の思いに応えられるのか。
今の俺には到底返しきれない程のものを俺はこの短い間に受けている。


「…………さすれば殿?一つお願いが。」
「ん?何??」

「どうか、これからも某の傍に居て下され。」

「え?」


不意に向けられた真剣な声に。
俺はきょとりと目を丸くする。
今、幸村は一体何を言ったのか?


「某の手の届かない所へなど……行かないで下され。殿の事は、この幸村が身命を以ってお守り致します故。どうか………。」

「幸村……?どうした??」
殿が意識を失われている間、ずっと考えておりました。このまま殿が意識を取り戻さなかったら…某の手の届かない遠くへ行かれてしまったら…と。そう考えただけで………とても恐ろしくなり申した。」
「俺はこうして無事だし、どこにも行く気はないよ?だからこうしてここに居るだろ?」
「けれど………いつかは某の手の届かない遠くへ……遠き世界へお戻りになってしまうかもしれぬと……。」
「幸村………。」


まるで小さな子が母親の手を離すまいとするかのように、幸村は腕の中の俺をぎゅっと引き寄せる。



「天女の羽衣を隠したという男の気持ちが……某今なら分かるような気が致しまする。されど、殿を引き留める為に隠せる羽衣など、この幸村にはございませぬ。なればこそ……。」



その寂しげに歪められた顔は、遠く届かない何かに必死に手を伸ばそうとする子供の姿にも似て。
俺は咄嗟に幸村の腕の中から手を伸ばし、その頬へと手を滑らせた。

「………どこにも行かないよ。約束する。」
「誠にござるか?」
「うん。幸村の傍に居るよ。」

そう言って笑えば、幸村の顔にも微かにだが笑みが浮かぶ。
それに僅かに口元を緩ませて、俺は幸村の手触りの良い褐色の髪を撫でた。

大丈夫。俺はかぐや姫のように月の世界に戻ったりはしない。
天女のようにお前を置いて天上へ帰ったりはしない。
だってそうだろう?俺がここに居るのは俺自身の意思。
俺は自分からこの世界に来る事を選んだんだから。



「――――さて、そしたらもう起きなきゃな。陽も大分高くなってるみたいだし。」

「はっ?!誠でござるか?!」
「多分な。」


かなり前から人々の刻む生活音のようなものが、この部屋にも届いていた。
その事を告げると、幸村は慌てたように腕の中の俺を布団へ横たえると、そのまま勢いよく飛び起きる。
僅かに乱れた着物を整える幸村の背中に、まるで逢瀬の後の朝帰りのようだ――と思いながら俺は幸村に気付かれないよう小さく笑みを零した。


「よいしょ――っと!」

「まだお休み下され殿。」
「別に俺は大丈夫だよ?力は完全に戻ってる訳じゃないけど、身体には何の問題も無いから。」


心配そうに起き上がった俺の顔を覗き込んでくる幸村に、俺はパタパタと手を振って見せる。
正直な所、魔力は完全な状態に戻っている訳ではなかったが、身体の方はいつになく調子が良かった。
何というのだろう。
酷く身体が軽いというか、とても清々しいようなそんな感覚。
それ程までに心地良い空間なのだろうか?幸村の腕の中は。
まるで癒しのパワースポットのようだと俺は内心で苦笑しながら、暖かな布団から立ち上がると大きく一つ伸びをした。

「しかし無理は禁物でござれば……。」
「本当に大丈夫なんだ。何か久しぶりにスッキリしてるっていうか…。」
「しかし………。」
「幸村は心配性だなぁ…。」
「そのような事は……。」

「真田の旦那はに対してだけ、心配性になるみたいだよねぇ。」

「佐助?!」


不意に背後から掛けられた声に、ビクリと肩を震わせる。
驚いたような幸村の声に振り返れば、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる佐助の姿。
それにホッと胸を撫で下ろして、俺は佐助に笑みを向けた。


「おはよ佐助。」
「ん。おそよう。」
「え?やっぱりそんな時間?」
「まぁね。でも仕方ないでしょ。は力を使い果たしてたみたいだし、旦那は一晩中起きて付き添ってたんだからね。」

佐助の言葉に、ああやっぱり――なんて思いながら俺は照れたように視線を逸らす幸村を見やる。

「まずは軽く朝餉がわりになるようなもの作ってくるからさ。二人は旦那の部屋で待っててよ。」
「頼むぞ佐助。」
「はいはい。お任せあれ。」

現れた時同様に瞬時に姿を消した佐助に、何だか申し訳ないなぁと思いつつ、俺は隣に立つ幸村の横顔へ視線を向けた。
それに気付いた幸村がふわり――と笑みを浮かべながら俺にその大きな手を差しだす。



「さ、参りましょう殿。」



躊躇いもなく向けられた柔らかな眼差しとその大きな手に。
俺は戸惑いながら手を伸ばす。
俺を気遣って手を差し伸べてくれたのは分かるが、いい歳をして手を引かれて歩くなんて恥ずかしいというか何というか。
けれど、まっすぐに向けられる幸村の瞳を見ていると、そんな事に拘っているなんてバカらしいような気がしてくるのが不思議だ。
俺は一瞬戻しかけた手をそっと差し出された手に乗せて、幸村の顔を恐る恐る見上げた。
細められた瞳とともに、力強い手がギュッと俺の手を握りしめる。
その暖かな優しい温もりに――
俺は内心の些細な葛藤など吹き飛んでしまって。
自然と表情が緩むのを抑えられなかった。




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