一組のパジャマ
「さん、今日誕生日だったよね?」
乾の言葉に俺は目を丸くした。
知り合ってから結構経つけれど、俺は乾に自分の誕生日を教えた事は無かったからだ。
何処から調べてくるのか知らないけれど、流石はデータマンと呼ばれているだけの事はある。
「よく知ってるなー。これで俺も23だよ。どんどんオヤジになってく感じ。」
そう言って俺は小さく苦笑した。
誕生日だからといって喜んでいられたのは十代までだ。
歳をとると自分の誕生日を憶えていてくれる人も少なくなるし、いい年をして家族とお祝い…なんて事をするわけも無く、結構侘しい誕生日を過ごしがちになってしまう。
一人暮らしなんかしていれば尚更だ。
俺自身ここ数年はそんなカンジだったから、正直言って乾が俺の誕生日を知っていてくれたのは、かなり嬉しかった。
「大したものじゃないけど、これプレゼントなんだ。受け取ってくれるかな?」
そう言って乾は鞄と一緒に持っていた紙袋を手渡してくる。
「えっ?!俺に?ありがとうな!!」
我ながら子供っぽいとは思うが、あまりに嬉しくて思わず俺は渡された紙袋を抱きしめてしまった。
「そんなにしなくても、返せなんて言わないから。」
俺の様子にどこか笑いを堪えたように言って、乾は目の前に置かれたコーヒーカップに手を伸ばす。
ここがファミレスだという事も忘れてしまう位に俺は浮かれていた。
「何か、すげー嬉しい!プレゼントなんて何年ぶりだろ。な、ここで開けてもいいか?」
俺は嬉しさのあまり年甲斐も無く、きちんとラッピングされた袋の中身の事が気になってしまい、早く開けたいという衝動と戦っていた。
「う~ん、構わないけど家で開けた方が良いと思うよ。」
「そっか。じゃあ、食べ終わったら家来るか?」
「さん、今日はこの後予定無いの?」
「ああ、今日は直帰だから、何も予定入れてないんだ。そういう乾は?」
「学生がこんな時間から予定があったら問題だよ。」
俺の言葉に苦笑してみせて乾は俺の腕時計を指差した。
確かに健全な学生がフラフラ出歩くような時間ではない事は確かだ。
でも、最近の子たちは平気で夜遅く出歩いている子も居るから、一概には言えないけれど。
「じゃあ、今日は泊まっていけるのか?」
「そうだね。朝練に間に合えば大丈夫。お邪魔しても平気?」
「何言ってるんだよ、俺が誘ってるんだろ。」
いつもと違って珍しくしおらしい様子でそう尋ねてくる乾に小さく笑って見せて、俺はテーブルに置かれた伝票を手に取った。
以前はこうして二人で食事に来た時なんかは、支払いをどうするかで酷く揉めた事がある。
俺としては学生、それも中学生に支払わせるなんて、もっての他だったのだが、乾の方も自分が奢るなんて言い出した事もあって、二人してレジの前で揉めて恥ずかしい思いをした事がある。
結局、乾の方が折れて…というより、俺が社会人としてのプライドがあると泣きついたようなものだったのだが、それ以降は乾もおとなしく俺が支払う事を了承してくれた。
「そういえばさ、面白いもん見つけたんだぜー。乾の言ってた越前南次郎ってプレイヤーの試合の映像、取引先の映像製作会社にあってさ。借りてきちゃったんだけど…見る?」
「本当に?是非見てみたいね。」
「じゃあ、帰ったら鑑賞会だな。」
会計を済ませ、駐車場に停めてある車に乗り込んで、俺たちは暫し他愛も無い話に花を咲かせる。
会社の事、学校の事、家族の事、仲間の事、趣味の事、ここ暫く会えなかった間に起こった事など日常的なことを話したり聞いたりしていると、あっという間に家に着いてしまう。
特に乾と話していると話題が尽きない。
それだけ乾が話題も知識も豊富だという事だろう。
俺はこの何でもない時間が酷く好きだった。
帰る途中でコンビニに寄って簡単に買い物を済ませて、家に着いた時はもう10時半を回っていた。
「先にシャワー浴びて来いよ。着替え出しとくから。」
荷物をキッチンに置いて、部屋の中の乾に声を掛ける。
部活で疲れただろう身体を早く休めさせてやりたかった。
「一緒に入ろうよ、さん。」
「バ~カ!何冗談言ってんだ、後がつかえてるんだから、早く入れって。」
「…冗談じゃないんだけどな……。」
ぶつぶつと言いながらも乾は眼鏡をテーブルの上に置くと、俺が放ったタオルを手にバスルームに向かった。
暫くするとシャワーの規則正しい水音が聞こえてくる。
俺は乾がシャワーを浴びている間に着替えを用意すると、乾に話した映像資料を探す為に書類の入っている鞄を手に取った。
「ふわぁ~すっきりしたー。」
乾が出た後直ぐに俺もシャワーを浴び、すっきりとした状態で冷蔵庫からビールを取り出す。
「早かったね、さん。もっとゆっくりしてても良かったのに。」
「んー?ゆっくりしたよー。さてと、鑑賞会の前に乾に貰ったプレゼント開けていい?」
「どうぞ。さっきも言ったけど、大したものじゃないけど。」
俺が出てくるまで読んでいたであろう本を閉じて、乾は小さく笑った。
「いいんだって。乾が俺の誕生日知っててくれただけでも嬉しいんだからさ。その上プレゼントまで貰えるなんて…。まだ、そんなに自由に出来る金なんて少ないのに、ありがとな。すげー嬉しいよ。」
「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ。気に入ってくれるといいんだけど。」
テーブルに頬杖をついて俺の手元を覗き込む。
俺が夢中になって包装紙を剥がしていくのを、乾はニコニコと心底楽しそうに見ていた。
「これは…パジャマ??」
箱の中からダークブルーの手触りの良いパジャマを取り出して、俺は乾に視線を向ける。
落ち着いた感じの色合いのもので、サイズもピッタリで俺は一目でこのプレゼントが気に入ってしまった。
「気に入ってくれた?」
「ああ!スゲ―俺好みだよ。本当にサンキューな!」
「良かった。色々調べた甲斐があったよ。」
俺の言葉に乾も嬉しそうに笑ってくれる。
俺はファミレスでしたように、パジャマをきゅっと抱き締めた。
「着てみていいか?」
「うん。俺も見てみたいしね。」
「じゃあ、さっそく…。」
俺は風呂上がりに着ていたTシャツを脱いで、パジャマの上着に腕を通した。
思った通り肌触りが良く、ゆったりとした造りになっていて、とても着心地が良い。
俺は嬉しくなって、ズボンの方にも手を伸ばした。
「ん~ちょっと失敗したかな?」
ズボンも穿き替えようとした俺の耳に、呟くような乾の声が聞こえる。
「え?何?似合わない??」
「そうじゃないんだけど…。サイズの目測を誤ったかなーと。」
苦笑いしてみせる乾の言う事が理解できなくて、俺は小さく首を傾げる。
サイズは俺自身思っていたよりピッタリで、乾の観察力に驚いていた位だったのに、当の本人は今一納得していないようだった。
「えー?サイズはピッタリだけど?思ってたのと違う?」
上着しか着ていないからハッキリは言えないけれど、袖の長さも、服の丈も丁度良い長さだ。
1サイズ上だったら大きすぎてブカブカだろうし、1サイズ小さかったらキツくて着られないだろう。
何をもって乾がサイズが違うと言うのか、俺にはさっぱり解らない。
「思ってたより服が小さかったみたいなんだ。もう1サイズ上のにすれば良かったな。あ、後は問題無し。凄く似合ってる。」
「でも、1サイズ大きくしたら、ダブダブだぜ?何でまたそっちが良かったワケ?」
不思議に思って俺はそう尋ねる。
そんな俺の言葉にニヤリと意味ありげに笑みを浮かべてみせて、乾は俺の手からパジャマのズボンを取り上げた。
「実はさんに、これでやってほしい事があったんだよね。まあ、これでも出来ない事は無いんだけど…やってくれる?」
眼鏡がキラリと光って、乾の笑顔が何か企んでいるような顔をしている。
こういう時の乾は、大抵とんでもない事を考えている事が多い。
本来なら、触らぬ乾に祟りなし…状態で関わらないのが一番なのだが、如何せん今日はそうも言っていられない状態だった。
「…な、何?」
「俺、いつかやってみたいって思ってた事があって。」
「…………。」
ゴクリと俺の喉が鳴る。
何だか死刑宣告される囚人のような気分だった。
「『一組のパジャマを二人で着る』ってやつなんだけど。」
乾の言葉に、俺は思わず一瞬硬直してしまった。
そんな俺の様子ににんまりと笑って、乾は俺の手から取り上げたパジャマのズボンを穿き始めた。
俺より僅かに高い乾には流石に少し丈が短いようだったけれど、それ以外は特に問題も無いようで、乾はそのままズボンを穿いてしまう。
そして、そのまま着ていたTシャツも脱いでしまった。
「一回やってみたかったんだ、これ。大きめのパジャマの上着だけ着て、下はナマ足っていうやつ。」
心底楽しそうにそう言って、乾は俺の穿いているハーフパンツを見る。
何か嫌な予感がして、俺は一つ身震いした。
「さん、それ脱いでみてくれない?」
やっぱり!と思わずにはいられない。
「バカ!出来るか、そんなん!」
「いいでしょ?これが見たくてパジャマにしたんだし。」
「そんなの可愛い女の子とやれば良いだろ!」
「さんにやって欲しいんだけど。」
ニコニコと益々楽しそうに笑みを浮かべて、乾がにじり寄って来る。
かなりヤバそうな雰囲気に、俺は思わず一歩後ずさりしてしまった。
このままだと、力ずくでハーフパンツを剥ぎ取られてしまいかねない。
「わ、分かった!分かったから、にじり寄ってくるな!」
半ば気圧されて、俺は乾の要求を呑んでしまった。
別に男同士なんだから、そんなに気にすることも無いとは思うのだが、如何せん、乾の眼鏡越しの瞳に見られると、何だか値踏みされてるような気がしてならない。
仕方なく、俺は乾ご所望の『パジャマの上着だけ着て、下はナマ足』をするべく、渋々ハーフパンツを脱ぐ羽目になってしまった。
「ふう~ん、いいカンジだね。」
「何がだ?!それに、何処見てんだよ?!」
「そりゃあ、ナマ足……。」
相変わらず何を考えているのか分からないような笑顔で、乾は視線を俺の剥き出しの足に向けた。
乾が本来考えていた少し大きめの上着ではない為、丈が短めでミニスカートを穿いたような長さになってしまっているが、それが返って乾のお気に召したらしい。
俺は思わず大きな溜息をついてしまった。
「乾のイメージってさ、スケベオヤジって感じだぞ?」
「酷いなあ。」
頭を抱えた俺の隣に立って、乾は又も笑顔を浮かべる。
どうしたらこんな中学生が出来てしまうんだろう。
一歩間違えれば、セクハラで訴えられる中年オヤジのようだ。
まあ、セクハラオヤジと違って飄々としている分、変に生々しさは感じないだけ、かなりマシかもしれないけれど。
そう思いながら、俺は隣に立つ自分より大きな乾を横目で見上げた。
「何?」
「俺はお前の将来が心配だよ…。」
「新聞の一面トップには載らないから心配しなくていいよ。」
「そういう問題じゃない……。」
何だか噛み合わない会話に、またしても俺は深く脱力するしか無かった。
「もういいだろ?着替えるからな。」
「ええ?もう?」
不満そうに乾が答える。
何時までもこんな恥ずかしい格好なんかしていられない。
「仕方ない、じゃあ、明日の朝又やってもらおうかな。」
「冗談じゃない!」
「朝の寝起きの時が一番の醍醐味だと思うんだけどな、これって。」
そう言って乾は自分と俺の格好を指差した。
俺はというと、もう呆れと諦めの気持ちがごちゃ混ぜになってしまい、否定する気にもならなかった。
その後、俺はあまりの精神的疲労で、映像鑑賞中に居眠りしてしまい、せっかくの試合風景をきちんと見ることが出来なかった。
後日、クリスマスの時に俺は再び乾からプレゼントを貰った。
今度は俺も気になっていたシンプルなデザインのカッターシャツ。
確かに嬉しかったんだけれど、何故か以前の事が思い起こされて、俺は服を手にしたまま乾に問い掛ける。
「今回も服だけどさ、なんか意味あるワケ?」
「う~ん、いいかげん気付いて欲しいなぁ。」
「やっぱり、あるんだな?」
やっぱりと思う反面、もうこうなったら何でも来いという心境になって俺は乾を見上げた。
そんな俺の耳に飛び込んで来たのは、俺の予想以上の衝撃の事実で。
「男が服をプレゼントするのは、それを脱がす為って言うでしょう?」
にっこり笑顔を浮かべた乾に、俺は硬直して身動き出来ない。
「そのためにカッターシャツにしたんだけど、今回はね。」
そう言って乾は心底楽しそうに笑顔を浮かべた。
眼鏡の向こうの瞳が妖しく光ったと思うのは俺の気のせいであってくれ!
、人生最大のピンチかもしれない……。