弟以上恋人未満 2






俺の心を支配する暗い感情。
嫉妬だとしか思えないその想い。
そう…そう自覚してしまえば己の抱える感情にはアッサリと名前を付けられる気がする。
先輩に対する嫉妬、赤也に対する想いの大きさ。
それらを統合すれば、答えは簡単だった。



俺は赤也を『弟』としては見ていないのだという事――。



そりゃあ、俺と赤也は元々血は繋がっていないから、血の繋がった本当の兄弟のようになれと言われても無理なのかもしれない。
けれど、そんな事とは関わりなく、俺は赤也を一人の人間として、一人の男として見ている。
だからこそ、必要以上に赤也の存在を意識し、赤也の存在が大きく感じられるとしか思えない。
新しい家族として――というよりも、という一人の人間として、切原赤也という一人の人間を求めている。
家族だとか、男だとか、年下だとか、そんな事は関係なく…ただ赤也という存在が愛しくて大切でたまらないんだ。


「おーい兄~?どうしたんだよ?降りないのー?」


再び掛けられた言葉に、俺はハタ――と意識を引き戻す。
気付けば、いつの間にか車は自宅の駐車場に停まっていた。
どうやら半ば無意識に車を走らせていたらしい。

「―――っ!」

隣に赤也を乗せていたというのに、なんという有り様だろう。
幸いにして今回は何事も無かったけれど、注意力散漫な運転で事故でも起こして、赤也に怪我でもさせたらどうするつもりなんだ!
俺は、あまりの事に小さく舌打ちして、片手で頭を抱え込んだ。



「なあ、兄さぁ……さっきから何かボンヤリしてるけどさ、心配事でもあるわけ?」

俺の様子に、流石に何かおかしいと感じたのか、赤也がスッ――と目を細める。


「っ?!………あ……かや………っ!」


その、今までに見た事の無い表情に、俺は大きく息を呑んだ。

憂いを帯びたその表情は、幼いだけの少年ではなく、どこか大人びた印象を与える。
まだ幼い少年のはずなのに。
俺よりも遥かに年下だというのに。
そこに居るのは、俺が知っている切原赤也ではなかった。



そう、俺の知らない赤也だ――。



「…………何泣きそうな顔してんだよ……にぃ……?」


どうしたら良いのか分からず呆然と赤也を見詰めていた俺に、赤也が困ったように眉尻を下げて、ガシガシと頭を掻く。
その言葉に俺は数回目を瞬かせる。


「ったく…無意識でそんな顔すんの、反則だっつーの。」


はあっ――と大きく溜息をついて、赤也は俺の方にそっと手を差し出す。
その俺より少しだけ小さな手が静かに俺の頭を撫でていくのを、俺は何をするでもなくボンヤリと見詰めながら、ただじっと受け止めていた。
少し骨ばった俺より少し小さな手が、何よりも酷く暖かい。
いつも俺がするように何度も赤也の手が俺の髪の上を流れていく。
その掌の温もりが、何故か泣きたいくらい心地良くてたまらなかった。


「ごめんな赤也……ありがと…………。」

小さく笑うと、赤也の眉間に僅かにシワが寄る。

「何無理して笑ってんだよ兄。」
「っ!無理…してなんか…っ!」
「あのさー?そんなんで無理してないって言っても、誰も信じないけど?」

「――――――っ!」

じっと俺の顔を覗き込みながら、俺の頬へとそっと赤也の指先が滑り落ちる。
その優しさのこもった眼差しと掌の温かさに、俺はこみ上げてくるものが抑えきれなくなって、思わず目の前の赤也を抱きしめてしまった。



「あか……や……っ…………赤也、赤也……あかや――!」



俺は何てダメな兄貴なんだろう。
可愛い赤也に心配させて、大切な赤也の顔を曇らせて。
赤也にとって頼りがいのある、イイ兄貴にならなくちゃいけないのに。
俺が赤也を支えてやらなくちゃいけないのに、こうして赤也の優しさに縋ってしまう自分が居る。


……にぃ……。」

愛しそうに囁く赤也の声が、静かに降ってくる。
それに呼応するように、俺の背中に温かな腕の感触が広がった。


「泣いてもいいぜ兄?」
「………泣かないよ………。」
「だから無理しなくていいって。」
「してない。」
「ったく…強情だなぁ。」
「…………………。」
「でも、兄にこんな可愛い所があったなんて……へへっ……何か得した気分だぜ。」


僅かに含みをもたせた笑いを零して、赤也がくくっ――と喉を鳴らす。
その言葉にハッ――として、俺は慌てて赤也の胸から顔を上げた。


「あ…ごめ……っ!」
「なーんだ、もう終わり?」

言葉は飄々としていたけれど、向けられた表情は何より穏やかで。
俺は見上げた赤也の顔を見つめたまま小さく息を呑む。




俺の知らない大人の顔で、赤也は微笑んでいた。




それは言うまでも無く可愛い『弟』の顔などではなくて。
俺の心臓はトクン――と一つ大きく跳ねる。


「なあにぃ?俺にこうされてて嫌じゃないわけ?」
「………………ん。」
「………ふ~ん…そう。」
「赤也こそ、俺…こんなで……嫌だろ?情けない兄貴でさ………。」
「別に?」

何を今更…というようにそう言って、赤也は目を瞬かせる。

「え?」

「こうしてんのは全然嫌じゃないし、それに俺…兄の事、『兄貴』と思ってるわけじゃないし?」


思いもしない言葉。
その言葉に少なからず俺はショックを受けていた。
この状況を嫌だと思われていないのは良かった。
けれど、俺は赤也に兄とは認められていなかったのだというのが痛かった。

「そ、そう…か……。」

兄として慕われていると思ったのは、俺の勘違いだったのだろうか。
急に目の前が真っ暗になったような感覚が俺を襲う。
俺は、想像もしなかった現状に耐え切れず、そっと目を伏せた。


「だって当然じゃん?兄は、そんな程度じゃないんだしさ?」

「………え?」


赤也の言葉に、俺は思わず目を丸くする。
赤也の言葉の意味が、意図が理解出来なかった。

「俺にとって兄は、兄貴なんて存在じゃ足りねーし?」
「あ…赤也?」

「あーもー!こんな事言うと、にぃが困ると思ってたから今まで言わなかったんだけど!もう、やめやめ!……ったく!言っとくけど、兄が悪いんだからな?」

ブンブンと大きく頭を振って赤也は大きく溜息をつく。


「な、何言って……赤也?」

「俺…兄の事は兄貴とは思ってない。それ以上に特別って事。」
「特別……?俺が?」



「そ。兄貴どまりにする気……無いから、そこんトコよろしく。」



キッパリとそう言って、赤也は開き直ったようにぐっと胸を張って見せた。
俺はといえば、そんな赤也の言葉にもただ呆然とする以外出来ない。
困惑と混乱とがごちゃ混ぜで、まともな反応一つ返す事もままならない有り様だった。

「………………………。」
「意味…………分かんない?」

無反応な俺に僅かに困ったように片眉を下げると、赤也は小さく頬を掻く。
そして次の瞬間、俺は己の頬を掠めていった感触にピシリと全身を硬直させた。


「~~~~―――っっ?!!」

「こういう事。」


一瞬だけ触れた、暖かく柔らかな感触。
口付けられたのだと気付いたのは、ずいぶんたってからだった。

「~~~~~あっ、あっ、あっ、あっ………あかっ………っっ!!」

「そういう顔しないでくんない?又したくなるじゃん。」

やれやれといったように苦笑して、赤也は口の端を持ち上げる。
それが悔しい事に何だかサマになっていて、俺は不覚にも鼓動が速くなってしまう。


「とにかく、そういう事だから。覚悟しといてよ?」


それだけ言って笑うと、赤也はさっさと車を降りていく。
その後ろ姿がバックミラー越しに見えなくなるまで、俺は情けなくも真っ赤な顔のまま呆然と運転席のシートに身を投げ出していた。

「赤也が?ウソだろ……?」

熱の引かない頬に手を当てて、俺はため息混じりに呟く。
急に身に降りかかってきた現実は、そう簡単に理解出来るものではなかった。
けれど、それを少しも嫌だと思っていない自分が確かに存在していて。
それどころか、赤也が自分と同じ感情を持ってくれていた事を喜ぶ感覚の方が強くて、俺はシートに身体を投げ出したままの体勢で静かに目を閉じた。


どうやら俺は自分で思っている以上に幸せ者なのかもしれない。
本来なら受け入れられるはずも無い一方的な感情を、幸いな事に愛しい相手にも抱いてもらえているのだから。

俺は、よろよろとやっとの事で車から降りると、明かりの灯った赤也の部屋の窓を見上げる。


「赤也………。」


零れた言葉は、今まで以上に暖かな感覚を俺の胸に残す。
まるで、赤也の温もりそのものが移っているかのように……。




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