俺には年の離れた弟がいる。
負けず嫌いで、ちょっとばかり生意気な所もあるけど、何より頑張り屋で常に上を目指す上昇志向の持ち主。
その強い心と輝きに満ち溢れた瞳が俺は何より好きだった。






弟以上恋人未満 1






「あーかや!!」

立海大付属中の校門前でボンヤリと立っていた俺――は、ちょうど部室を出てきたばかりらしい制服姿の赤也に気付いて、にっこりと笑みを浮かべて小さく手を振った。


「あっっ?!兄!!」


こちらに気付いた様子の赤也が、パアッと表情を輝かせる。
その赤也にもう一度手を振ってみせて、俺はゆっくりと赤也の方へと歩みを進めた。



切原赤也……俺の義弟になる中学2年生。
俺の母親と赤也の父親とが再婚して、俺は赤也の義兄になった。
とはいっても、俺の名字は切原ではない。
母親はもちろん切原の姓になったけれど、俺は既に成人して社会人として社会に出ていた事もあって、死別した実の父親の姓であるを名乗る事になっていたからだ。
別に切原という名字が嫌だったとか、切原家の人達と上手くいかなかったとかいうわけでもない。
それどころか、思った以上に切原家の人達は俺を快く迎えてくれて、名字の違う俺を同じ家族として一緒に暮らす事を勧めてくれたほどだ。
その中で、特に赤也は年の離れた俺に酷く懐いてくれて、まるで本当の兄弟のように俺を慕ってくれていた。


「どうしたのさ兄?今日はもう仕事終わった?」

「ああ…今日は3年生の一斉模試の日だから講義は無いんだ。だから一緒に帰ろうと思って迎えに来たってわけ。」


俺は中高生対象の予備校の講師をしているから、基本的には赤也の帰宅時間とは噛み合わないのだけれど、たまにこういった事で帰宅時間が早くなる事がある。
そんな時は、たいていこうして赤也の学校まで足を伸ばしているというわけだ。


「マジで?!やりィ!居残ってて良かったってカンジ~。」
「お?!部活、真面目に頑張ってたんだなー?偉い偉い!」
「当然っしょ?俺を誰だと思ってるわけー?」
「ははっ…言ったな?………でも……こんな遅くまで………うん、本当に偉いな。」

クセのある髪を数回撫でてやると、少しくすぐったそうに肩をすくめて赤也は笑う。

「ちょっ……止めてってばにぃ……照れんじゃん……。」
「でも、本当の事だしな?…………いい子だな、赤也……………。」

どこか喉を鳴らしている猫のような雰囲気に、俺の口元も自然と綻ぶ。
こうしてすぐ側で、他愛も無い話をしながら笑いあえる……それが俺にとっては酷く幸せな事だった。


「あ、そうだ!なあ、着替えてるって事は、もう部活は終わったんだろ?」
「ああ、うん…そうだけど?」
「じゃあさ、ちょっと付き合えよ赤也。」
「付き合う??別にいいけどさ。どこに行くわけ?」


俺の言葉に不思議そうに首を傾げる赤也に小さく笑って、俺はそっと片目を閉じる。

「それは着いてのお楽しみだな。」
「何だよそれー?変な所じゃないだろーなー兄?」
「さあ?それはどうだろうなぁ?」


僅かに眉を寄せた赤也を、校門の前に停めていた車の助手席側へと促す。
半ば戸惑いがちに俺を見やりながら、それでも素直に助手席に座る赤也。
そんな所も俺には可愛く感じられてならなかった。

「じゃあ行くぞ?あ、そうそう……赤也、家にかけて母さんに晩御飯いらないって言っておいてくれるか?」
「え?」

ポケットから携帯電話を取り出して助手席の赤也に放ると、きょとんとした表情で携帯を握り締める。
そんな赤也の方に再度手を伸ばして、俺はくしゃりと赤也の髪をかき混ぜた。



「たまには俺と二人で外食ってのもいいだろ?」



そう言って笑った俺の視界に映ったのは、想像以上に驚いた表情の赤也の姿だった。


















「ぷはぁ~~食った~~~!もう食えねぇ~~~!!」

帰りの車の中の助手席で、ぐったりと身を投げ出しながらそう言うと、赤也は満足そうに腹をさすった。

「満足したか?」
「とーぜん!!」
「そっか。なら良かった。」


嬉しそうに笑う赤也の姿に、俺も何だか嬉しくなって自然と笑みが零れる。
赤信号で車を止めた俺は、隣に座る赤也の様子に僅かばかりの幸福感を感じて、そっと目を細めた。

何故だか分からないけれど、赤也の笑顔を見るだけで、俺自身不思議になるほど嬉しさがこみ上げてくる。
いや、嬉しいというだけではないだろう。
暖かな想い……そして幸福感と癒し。
赤也の側に居て、赤也と他愛もない話をして、赤也と笑いあえる。
それが、今の俺の一番の幸せだと感じ始めている。
当初は、最近になって出来た年の離れた弟が可愛いだけだと思っていたのだが、どうやらそれだけではないようだという事に気付いたのは……ごく最近の事だった。



兄?信号変わってっけど?」



ふと、己の思考の世界に入っていた俺は、赤也の声で我に返る。

「あ、悪ィ。」

不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる赤也に小さく苦笑して、俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。



俺が自分の中にある不確かな感情の存在に気付いたのは、本当にごく最近の事だった。
予備校の講師の先輩の中で、学生時代テニス部だったという人が居て、ふとしたきっかけで赤也の話が出た事がある。
そう、内容自体はたいした話ではなかったと思う。
ただ、その時に交わした会話がきっかけで、俺は赤也という存在を改めて見詰め返す事になったのは事実だ。


『へぇ~?の義理の弟さん、立海大付属中なのか?!』
『ええ。今中学2年生なんですが……。』
『それで立海テニス部のレギュラーなんて凄いじゃないか!』
『そう…なんですか?俺、そこら辺あまり詳しくないもんで……。』
『おいおい知らないのか?!立海大付属中って言ったら王者って言われてる位だぞ?!16年連続関東大会優勝、その上確か今年は3年連続全国優勝を狙ってるはずだ。こりゃあ凄いなんてもんじゃないんだぞ?!』
『そ、そう…なんですか…?』
『全く…それくらい知っておいてやれよ。は知らんかもしれんが、立海という名前は、それだけの畏怖と憧憬を込めた目で見られてるんだ。』
『はぁ………。』
『それにしても、そんな所で2年生にしてレギュラーなんて…いやぁ、凄い弟を持ったもんだなぁ。』


感心したようにそう呟いて頷く先輩の姿をボンヤリと見ながら、俺は自分の中に沸き上がり始めたモヤモヤした感覚に戸惑いを隠せなかった。

身内である赤也を誉められた事は、純粋に嬉しかったし、そんな赤也の存在を誇りにも思った。
けれど、その一方で首をもたげてくる暗く重い感覚。
赤也の事を、まるで俺以上に知っているんだと、俺以上に理解出来るのだと言われたような気がして、酷く気分が悪くなる。
確かに俺はテニスの事は詳しくないし、赤也がそんなに凄い奴だったなんて事も知らなかった。
けれど、まるで自分の事のように立海大付属中テニス部の事を話すその先輩に、言いようのない不快感を感じてしまうのは、どうにも出来なかった。




そして俺は考えざるを得なくなってしまったんだ。
この感覚は、一体何なのだろうかと。




「嫉妬……なのかな?」
「え?何だよ兄?」


我知らず呟いた言葉に、赤也が訝しげに首を傾げる。それに僅かに微笑んで、俺は小さく息をついた。




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