苦手意識
「ありがとう筧!の事、よろしく頼むな?!」
思いがけず掛けられた小判鮫先輩からのその言葉に、俺…筧駿は思わずビクリ――と肩を竦ませてしまった。
いや、どうしてかと聞かれても困るのだが、何故だか身体は自然に反応してしまって。
その反応が良い意味でなのか悪い意味でなのか、今の俺には容易に判断する事が出来なかった。
もちろん小判鮫先輩の言葉の内容に驚いたのは確かだ。
しかしそれよりも何よりも、の名前を耳にした瞬間、俺の中でドクリ――と何かが湧き上がっていたのもまた確かな事実で。
「え?た、頼むって一体……。」
「そ、そうだよオサムちゃん!急にそんなこと言って、筧困ってるだろ!それに何で俺が頼まれなくちゃいけないんだよ?!」
あまりの事に戸惑いながら小判鮫先輩とを交互に見やれば、小判鮫先輩の後ろで真っ赤になったがワタワタと両手を振り回している。
どこか潤んだようなその瞳に、俺の心臓は何故か大きく跳ね上がった。
(――――っ?!何だ?!)
急激に早くなっていく鼓動。
困ったような…どこか戸惑ったような様子のが伏せ目がちに視線を向けてくる度、俺の鼓動は速さを増していく。
いや、この感じは初めてじゃない。
同じような鼓動の高鳴りをさっきも一度俺は経験している。
が水町達に囲まれて危うく入部させられそうになっていた時だ。
困っている様子のに声を掛けた時に、一瞬だけ俺に向けられた、あのはにかむ様な笑顔。
あのフワリとした柔らかな微笑みを目にした瞬間、俺の鼓動は俺の意思に反して勝手に勢いを増したのだ。
すぐに水町にからかわれて意識を反らしたけれど、あの微笑みは今でも俺の脳裏にハッキリと焼きついている。
俺はこの鼓動が目前の二人に漏れ聞こえないように、努めて冷静さを装って再び小判鮫先輩へと視線を向けた。
「いや、実はな筧、は本当はお前らみたいなデカイ奴って、昔から物凄く苦手なんだよ。」
「なっ?!ちょ、ちょっとオサムちゃんっ?!」
小判鮫先輩の言葉に、が慌てたように飛び上がる。
「昔、色々あってさー。デカイってだけで拒絶反応出る位だったんだけど……。」
「止めろってば~~オサムちゃん!!」
「まあまあ落ち着けって。今後のお前の為なんだから。」
半泣き状態のをなだめつつ、小判鮫先輩が俺をじっと見上げてくる。
その様子を不安そうに見詰めていたは、再び俺に視線を向けると、頬を染めたまま困ったように目を伏せた。
そのの表情に、更に俺の心臓は早鐘を打ち始める。
どんどん激しくなる鼓動が耳に響いてもう煩いくらいだ。
それを誤魔化すように俺は一度大きく息をついてから何事も無かったかのように口を開いた。
「…………それで、どうして俺にを頼むなんて事に……?」
「いやな、デカイ奴がダメな筈のが、何か筧の事は大丈夫みたいでなー。デカイ奴に関わるのをあんなに嫌がってたのに、筧の事はいい奴だって嬉しそうに笑うんだよ。」
「ぎゃーーーーーー?!?!」
俺が驚きの声を上げるよりも先に、小判鮫先輩の言葉を掻き消すようにして、の悲鳴のような絶叫がその場に響く。
その顔は羞恥の為か、まるで熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。
「?!」
「ううううう~~~オサムちゃんのバカヤローーーーーっっ!!!!!」
「あたっ!」
次の瞬間、は目尻に涙を滲ませた状態で、慌てふためいている小判鮫先輩に何かを投げつける。
そして止める小判鮫先輩の制止の声も振り切って、脱兎の勢いで校門へと走り去ってしまった。
後に狼狽した様子の小判鮫先輩と、呆然としたままの俺の二人を残したまま。
「…………………小判鮫……先輩?」
暫く呆然との走り去った方を見詰めてから。
ようやくおさまり始めた鼓動に小さく息をついて、俺は顔面蒼白といった様子の小判鮫先輩に声を掛ける。
「どうしよう筧……。」
足元に落ちているが投げつけた小さな小箱にも目もくれず立ち尽くしている小判鮫先輩がポツリと言葉を漏らす。
「え?」
「どうしよう!せっかく筧のお陰で苦手意識を克服しても普通にデカイ奴とも付き合えるようになるかと思ったのに~~!あああああ~~~~俺が余計な事言ったばっかりに~~~!!!」
「ちょ……落ち着いてください小判鮫先輩!!」
ブラコンの兄のように右往左往する小判鮫先輩を何とか落ち着かせようとするのだが、すっかり狼狽してしまっている小判鮫先輩は、ちょっとやそっとの事では安心出来ないらしく、そわそわとせわしなくその場を動き回るばかり。
そのいつにないうろたえぶりに、流石に俺も全く関わりが無いという訳でもなかったので、俺は大きく溜め息をつくと小判鮫先輩の両肩に手を置いて一つの提案を示した。
「落ち着いてください。には俺が明日会ってちゃんとに話します。その上で俺が出来る事があれば勿論協力しますし、もし何かしら誤解を生んでる事があるならちゃんとに説明して誤解を解いておきます。今回の事だって、小判鮫先輩がの事を心配しているからこその行動だという事はだって分かっている筈ですし。」
「そうかなぁ……?」
「そうですよ。それが小判鮫先輩の知るじゃないんですか?」
そこまで言うと、ようやっと納得したのか小判鮫先輩はいつものように困ったような表情で小さく笑みを浮かべた。
「分かったよ筧。改めての事、よろしく頼むな?」
「任せて下さい。」
そうだ。これは俺にとってもいい機会なのだ。
俺の中に湧き上がる何か。
の表情を目にする度に知らぬ間に激しくなっていくこの鼓動の意味を明らかにする為には、本人と正面から向き合うしかない。
俺は改めてが走り去っていった校門の方へ視線を向けて、小さく溜め息をつく。
この胸の動揺を少しでも抑える事が出来ないかと――。