その時の瀬人の表情を俺は一生忘れられないだろう。
見合いの条件
「唐突に何だ?」
社長室に入室するなり何の前置きも無くそう切り出した俺――に、海馬コーポレーション社長にして歴戦のデュエリストたる海馬瀬人は、いつも以上に不機嫌そうに眉間にシワを寄せて、書類整理の為に動かしていた手を止めた。
「いえ、たいした事ではないのですが…先日某社のパーティーでインダストリアルイリュージョン社のペガサス会長にお会いする機会がありまして。その時に瀬人様は伴侶をお求めにならないのか?と聞かれたんですよ。」
「それと見合いの話と何の関係がある?」
面倒な話はごめんだというように胡散臭そうに俺を一瞥して、瀬人はフイ――と手元の書類に視線を落としてしまう。
まあ、確かに今の瀬人を見ている限り、伴侶を得ようという素振りなどこれっぽっちも見うけられないし、新事業を始めようとしている矢先の多忙な今の時期に見合いなど面倒以外の何ものでもないかもしれない。
やはりな……と思いつつ、俺は小さく苦笑した。
「まあ、確かに関係は無いのですが、瀬人様にもそんな話が持ち上がるようになったんだなーと思ったもので…。」
「それで?」
「その内、あちこちの取引先から縁談話が舞い込むようになるでしょうから、先手を打って先にどなたかと見合いでもされてはいかがかと。」
まあ、俺が瀬人の立場だったとしても面倒な事この上ないとは思うのだが、こればかりは大企業の経営者である以上ついて回る致し方ない現実で。
まだ若く有能でその上未婚であるなら、これはもう否が応でも避けては通れない道だ。
その上、天下の海馬コーポレーション社長ともなれば、もう言わずもがなだろう。
色々なしがらみを背負わざるを得ない上役故の苦労に、俺は改めて面倒な立場に立っている瀬人へ同情せざるを得なかった。
「で?いかがです?」
「フン!くだらん!」
「そう仰らずに。いずれは否が応でもそういう機会は巡ってきますよ?せめて、条件とか好みとか仰って頂ければ、俺の方であらかじめ必要最低限に絞り込む事も出来ますから。」
どうせなら100より10の方がまだマシでしょう?――そう言うと、瀬人は暫し逡巡してからゆっくりと俺の方へとその鋭い視線を向けた。
相変わらず力強い光を湛えているなぁ…なんてボンヤリ思いながらその視線を受け止めると、何か言いたそうに瀬人の瞳が微かに揺れている。
不思議に思い目を瞬かせると、瀬人はフイと視線をそらした。
「瀬人様?」
「………………俺は愚かな奴は好かん。」
ボソリと呟くような言葉に俺は一瞬反応する事が出来なかった。
「知性も無く、媚びる事しかせず、ビクビクと周りを伺うばかりで自分を持たぬ奴などは特に反吐が出る。」
「…………………………………………えー…つまり、知性に溢れ自信家で瀬人様と対等で居られる位自分というものを持った女性…ならいいという事ですか?」
そんな無茶な。
そう思ったとしても致し方ないはずだ。
そんな女性、そう簡単に見つかるわけも無い。
いや、女性に限らず男でもそう簡単に瀬人の条件に当てはまるような人間など見つけられるとも思えない。
確かに条件を出せとは言ったが、いきなり高すぎるハードルを突きつけられて、俺は頭を抱えそうになる。
本当にかぐや姫の話じゃあるまいし、ありえそうも無い条件を出されても困るのだが、如何せん瀬人は本気のようだった。
「無茶を言わんで下さい。そんな人間居たら会ってみたいもんですよ。」
やれやれと肩をすくめて見せると、何を今更というように瀬人は呆れたような表情を浮かべて見せる。
「無茶なものか。ごく身近に居るではないか。」
俺は非現実的な事は好かん――そう言って瀬人は口の端を持ち上げた。
その言葉に俺はただただ首を傾げるしかない。
確かに瀬人は現実主義者だが、瀬人の条件に当てはまる人間が実際身近に居るというのはどうにも納得しがたい。
第一、瀬人の身近な人間なんて限られているのだから、すぐに分かりそうなものじゃないか。
疑問に思いながら、俺は瀬人を取り巻く世界を思い浮かべていった。
めったに行く事はないとはいえ、学校の関係者を分かる範囲で一人ずつふるいに掛けていく――。
そして社内、屋敷内、取引先関係者…ありとあらゆる人物を思い浮かべてみるが、どうも瀬人の言う条件にかなう人物に思い当たらない。
もう最後は瀬人の身内しか残っては居ない状態になって。
と、その時ふと条件に合う可能性の高い人物が浮かび上がる。
「もしかして…………………モクバ様ですか?」
もう、あえて言うならモクバしか残っていないんだ本当に。
これで違っていたとしたら、俺の知りえる範囲を超えているという事じゃないだろうか。
「………………………………………………………。」
「あ、やっぱり違います?」
「……………俺のごく身近だ。」
「そうですよねぇ?一応瀬人様の周囲を全部考えてみたんですけど。」
「ほぼ毎日顔を合わせている。」
「会社関係ですか?そんな人間居ましたっけ?」
「一人いるだろうが。」
「俺の知らない人間じゃないですよね?」
「お前が最も良く知る奴だ。」
「??????????さっぱり思い当たりませんが?」
いやもう、俺の知りうる全てのデータをフル動員で考えてみたものの、俺の脳細胞のデータベースにはそれらしい人間はヒットしない。
俺はどうにもお手上げ状態の現状に苦笑いしてみせるしかなかった。
「………追加情報だ。」
「はい?」
俺の反応に半ば諦め半分に溜め息をついた瀬人が、頭を抱えながら口を開く。
「そいつは、頭は回るくせに自分の事は過小評価しかせん鈍感者だ。」
そこまで言うと、瀬人はその力強い光を宿した瞳で一度だけ俺をじっと見つめてから、再び書類へと視線を落としてしまう。
その瀬人の整った横顔をぼんやりと見つめながら、俺は瀬人の言葉から一つの可能性に思い至った。
まさかとは思う気持ちは大きいのだが、今までの話と瀬人の様子を総合してみれば、もうそれしか思い当たらない。
「あのー……瀬人様?」
「何だ?」
「つかぬ事をお聞きしますが、瀬人様から見て俺ってどんな人間です?」
素直に答えてくれるかどうかは怪しかったが、その答え次第では俺の疑問は確信へと変わるだろう。
「………………………………………。」
「瀬人……様?」
無言のまま暫し俺の問い掛けに目を見開いてから。
瀬人はゆっくりと椅子から立ち上がる。
カツン――という靴音が酷く大きく響いて。
そして瀬人はそのまま迷う事なくまっすぐに俺の方へと歩み寄ると、その彫刻のように整った指先をふわりと俺の頬へ滑らせた。
「知りたいか?――?」
「教えて――下さい……瀬人様……。」
そう答えれば俺より僅かに高い位置にある瀬人の瞳が、そっと細められる。
その静かで柔らかな眼差しと頬を通して伝わる暖かな手の平の感触に、俺は先刻までの疑問が確信へと変わっていくのを感じていた。
「兄さま、はいコレ。今月分の見合い写真。」
「ああ、すまんなモクバ。」
「今回は俺の方でに気付かれないように丁重に断っておいたよ。」
「今月は3件か。少ない方だったな。」
「それにしても………毎回大変だね兄さま。こうやって宛ての見合い話、に気付かれないように処理するのは。」
「まったくだ。毎度毎度どれだけの手間と金と労力を使って揉み消している事か…!」
「兄さまより、今はの方が年齢的にいって見合い話の標的だから……。」
「これだけ苦労しているというのにの奴…!よりにもよって俺に見合い話を振ってきおったわ!」
「は…はは………兄さまの苦労は暫く終わりそうもないね………。」