興味から始まる物語
俺、には最近気になっている奴が居る。
そいつは俺のクラスのクラス委員で、その上名門と誉れ高い青学男子テニス部の副部長なんかもしている。
穏やかで面倒見の良いそいつの名前は大石秀一郎と言った。
俺みたいなタイプとは完全に正反対の優秀な生徒で、先生達の信頼も厚いし、後輩達からも慕われている。
けれど、決してすました所や、人を見下すような所なんか無くて――。
正直、こういう奴が自分の身近に居た事は、かなり驚きだった。
そして、何故かその大石が、俺みたいな人間に真剣に関わろうとする事が、何より信じられなかった。
「、後は君だけなんだけど終わったかな?」
シャーペンを手にしたまま何をするでもなくぼんやりと窓の外を見ていたら、何とも困ったように苦笑した大石の声が耳に入った。
ゆっくりと声のする方を見れば、すぐ目の前に大量のプリントを抱えた我らがクラス委員、大石が立っている。
そういえば、さっきの授業でクラス全員分のプリントを集めて職員室に持ってくるように言われていたっけ。
どうやら今回も、いつもと変わらず俺が最後の一人になったらしい。
ホームルームの終わった放課後の教室内は、まばらにしかクラスメイトの姿は残っていなかった。
「あ………悪ィ。まだ終わんねーや。」
面倒くさそうに溜息をついて机の上に頬杖をつくと、さっきよりも更に困ったように大石は笑った。
大石にしてみれば、いい加減にしろ!と怒鳴りたいだろうに、それでも奴はそんな事はせずに、根気強く俺がプリントを終わらせるのを待っている。
俺と違って大石には放課後部活がある筈だから、本当はさっさと済ませてしまいたい筈なのに、決して俺を急かそうとはしない。
俺はそれが不思議で仕方なかった。
「なあ…あんたさ、何で怒らないわけ?」
「え?」
「だからさ、どうしてあんたをいつまでも待たせている俺を怒らない訳?」
持っていたシャーペンを突きつけるようにしてみせると、一瞬だけ驚いたように目を見張ると、大石は照れたように小さく頭を掻いた。
「こういうのは個人差があるだろう?やっていないならともかく、やっているんだから怒る必要は無いんじゃないかな?」
そう言って大石は笑う。
俺はそんな大石の姿に、唖然としてしまった。
本気でそう思ってるんだとしたら、よっぽど人が出来ているとしか言いようがない。
人がいいというか、お人よしと言うか微妙な所だ。
「あんた……変わってるな?」
「そうかな?」
不思議そうに首をかしげて大石はにっこりと笑う。
この笑顔がきっと最大の武器なんだろう――なんとなくそう思って俺は僅かに口の端を持ち上げた。
「ま、いいか…。じゃあ、さっさと済ませねーとな。」
かったるいのは相変わらずだけど、これ以上大石を待たせるのは流石に悪いし。
特に俺がマトモにプリントに向かってると信じているなら余計にだ。
俺は机の前に広げられたままだった数学のプリントに改めて視線を向けて、小さく息をついた。
「ああ、5分だけ待っててくれな?すぐ終わらせるからさ。」
目線はプリントに向けたままそう言うと、大石が俺の前の席に腰を降ろしたのが分かった。
「慌てなくていいよ。」
「でも、部活があるんだろ?」
「ああ、うん。でも最初から遅くなるって連絡はしてあるから大丈夫だよ。」
抱えていたプリントの束を前の席の机の上に置いて、大石は俺のプリントを覗き込む。
ほぼ9割は終わっている俺のプリントの名前の部分を見て、大石はほんの僅かだけ目を細めた。
「何?何かおかしな事でも?」
「あ、いや…そうじゃないんだ。ゴメン気が散るかい?」
「別に。そんな事ねーけど……。」
「いい名前だなーと思ってね。」
幾分照れ臭そうにして大石は笑みを浮かべる。
「は?!何だよ、それ?」
「の名前だよ。って……いい響きだなあと思って。に凄く合ってる。」
急にそんな事を言い出した大石を、俺は呆然と見詰めてしまう。
流石に14年間生きてきて、そんな事を言われたのは生まれて初めてだ。
それに、俺と大石はそこまで親しい訳じゃない。
俺はどんなリアクションをすれば良いのか皆目見当がつかず、目の前の大石を穴が開くんじゃないかと思う程じっと見詰めてしまった。
「それって………誉めてんの?」
やっとのことで口から出たのはそんな言葉だった。
「あっ?!ごめん変な事言ったかな?」
「そうじゃねぇけど……何ていうかコメントに困るなーと思って。」
誉められてるんなら「ありがとう」とでも言うべきなんだろうか?
それとも何を言っているんだと聞き流すべきなのか。
俺は大石と話しながらも少しずつ進めていた最後の問題を解いていた手を止めて、苦笑してみせた。
「あ…ごめんな、気にしなくていいよ。」
「そ?まあ、でもありがとうな?悪い気はしないよ。」
気まずそうにして小さく笑う大石に、俺もつられて笑みをこぼす。
なんだか面白いヤツだと思う。
俺なんかにこんな風に接して来た奴は初めてだし、何より大石の俺を見る目は他の奴とどこか違っている。
他人に興味が湧くなんて何年ぶりか分からないけれど、俺は自分とはどう見ても正反対の大石の事にかなり興味を惹かれていた。
「あんた…本当に面白い奴だよな。」
「え?面白い??」
「俺、凄く興味があるな………あんたの事。」
にっこり笑ってみせると、大石の頬に僅かだけ赤みがさした。
「興味って……。」
「あんたっていう人間に興味が湧いたんだよ。あんたの事が知りたいって思ったんだけど?」
ほんの少しだけ身体を乗り出して顔を覗き込むと、慌てたように大石が身体を引いた。
驚いたような顔が何だか可愛くて、俺はこらえきれずに吹き出してしまう。
「そんなに警戒しなくたって何もしねーよ。」
「い、いや…そうじゃなくて……っ!」
普段は穏やかなイメージを与える整った顔を見ると、変わらず頬を赤くしたままの大石の瞳が戸惑ったようにそらされた。
そんな大石の姿は見た事が無くて、俺は何となくそんな事にも嬉しさを感じてしまう。
こうして知らなかった一面を見せられる度に、大石秀一郎という人間に対する興味はどんどんと増していく。
「俺にも興味持ってくれると嬉しいんだけど?」
自然にほころんでしまう頬を自覚しながら、俺はニヤリと笑って見せる。
そんな俺に、大石は今までに無く驚いたように大きく目を見開く。
そして、暫く呆然と俺を見詰めてから、大きく息をついて口を開いた。
「……、もしかして自分が興味のある事以外あまり気にしないタイプ?」
「んー?そうかもな。何で?」
「、今俺に興味が湧いたって言っただろう?それまでは俺の事は興味無かったって事だよな?」
そう言われて俺は暫し固まった。
確かにそう言われれば大石の言う通りかもしれない。
正直言って、今までの俺の大石の認識と言ったら、『真面目で穏やかな優等生で自分とは住む世界が違う人間』位のものだったから。
決して悪い奴だとは思わなかったけれど、接する機会なんて殆ど無かったから、興味も何もあったもんじゃなかった。
「そう………なのかな?」
「そうだよ。だって俺がずっとに興味を持ってた事…今まで気付かなかったって事だろう?」
俺は大石の言葉に何度も目を瞬かせる。
大石の言葉の意味が一瞬理解出来なかった。
つまりは俺が大石をこうして認識するもっと前から、大石は俺の事を気にしてたって事だろうか?
「何……それ?」
「ずっと気になってたんだ。俺とは全く違うタイプのの事がさ。」
ずっと顔は赤いままだけど、腹をくくったのか大石は真剣な表情で俺をじっと見詰めてくる。
改めてじっと見詰めた大石の瞳は、透き通った綺麗な瞳をしていた。
「………自分が何言ってるか解ってる?あんた。」
「解ってる……つもりだよ。」
「つもり……ねぇ?」
きっとこれが大石の精一杯なんだろう。
俺を見る大石の表情は緊張で僅かに引きつっていた。
誰からも慕われ、道なんか踏み外さないであろう優等生が、ずいぶんと思い切った事をしたもんだ。
そんな事されたら、ますます大石の事が気になってしまうじゃないか。
俺は、そんな大石の予想外の反応にクスリと小さく笑みをこぼしてから、最後の解答をプリントに書き込む為に、俺より少しだけ高い位置にある大石の顔から机の上に視線を戻した。
紙を滑るシャーペンの芯の音。
ほんの僅かの沈黙。
解答を書き終えシャーペンを置いて、やっと終わった数学のプリントを差し出すと、ガタンと音をさせて大石はイスから立ち上がった。
窓から入り込む風が微かに俺の髪を揺らす。
「……じゃあさ大石、お互い興味を持った所で、お互いを理解する所から始めるってのはどう?」
立ち上がった大石を上目遣いに見上げると、赤い顔のままの大石が少しだけ困ったように苦笑する。
「どうするんだい?」
「まずは一緒の時間を増やすってのは?」
「一緒の時間?」
「そ。手始めに職員室までのデートってのはどう?」
口の端を上げて挑戦的に笑ってみせる。
大石の手にしているプリントの束を指差すと、その俺の言葉に一瞬だけ驚いたように目を見張った大石が、照れ臭そうに笑った。
「じゃあ、行こうか?短い時間だけど。」
そう言って差し出された大石の手は、思っていたよりも大きくて力強くて、そして温かかった。