君の心は誰のもの――?












「お疲れ、大石。いつも大変だな。」

……?!」


大石が部活を終えて出てくるのを校門の前で待っていた俺は、驚いたような大石の声に微かに笑ってみせた。
俺がこんな時間まで学校に居る事自体、かなり珍しい事だから大石が驚くのも無理はないと思う。
俺自身、自分の行動に戸惑いが無い訳じゃなかったけれど、それ以上に大石に会いたいという想いが強かった。
どうしても会って確かめたい事があった。


「帰るんだろ?この後予定無かったら、付き合ってくんない?」
「え?ああ、うん。構わないよ。」


唐突な俺の誘いに一瞬驚いたようだったけれど、大石は笑顔で快く承諾してくれる。
こんな所が皆に好かれるんだろうなぁ――と思いながら、俺はどこか胸の奥深くから湧き上がってくる何かモヤモヤしたものを感じていた。

「大した事じゃないんだけどさ、聞きたい事があって。」
「聞きたい事?」
「面白い話を聞いてさ。大石ならなんて答えるかなーって思って。」


歩きながら隣の大石を見上げると、穏やかな眼差しが俺を見詰めている。
たったそれだけだったけれど、それだけでほんの少し心の中のモヤモヤが治まったような気がして、俺は小さく息をついた。


「とある……そう、物語なんだけどさ、聞いてくれるか?」

「ああ、構わないよ。歩きながらでいいかな?」

静かに俺の顔を覗き込んでくる大石に無言で頷いて、俺は少し躊躇いがちに口を開いた。



「物語には主人公が居るだろ?その物語の主人公には『親友』が居るんだ。時には仲間として共に笑いあい、時には共に強大な敵と闘う…そんな…お互いに誰よりも大切な親友が。」
「それって、冒険小説か何かか?」
「そんなカンジだと思ってくれればいいよ。……その親友には二つの人格があるんだ。本来の人格と、闇の力の影響によって生まれたもう一つの人格。そして、主人公は闇によって生まれた人格の方と友情を深めた。」
「へえ……?」


俺の話に興味を示してくれたのか、歩いていた大石の足が止まる。
どうやら俺の話題は彼の負担や苦痛にはならなかったらしい。
その様子に内心でホッと胸を撫で下ろして、俺は再び大石を促して歩き始めた。


「自分の命をかけてでも相手を守ろうとする位に二人の絆は強く、大きかった。その二つの人格を持つ親友と主人公が旅の途中で、ある谷に住む、そこの『主』にある問いかけをされるんだ。」

「問いかけ?」

「謎かけみたいなもんだ。……その谷の主は親友の方にこう尋ねた。

『その黄金色に輝く髪は誰のもの?
 その青き瞳は誰のもの?
 その声、その唇は誰のもの――?』

 ってね。」



そう、俺はこの話を聞いて、その物語の顛末を知った後、考えてしまったんだ。
俺は同じ問いをされたら、どう答えるんだろう?
そして…大石は何と答えるんだろう…と。



「なかなか興味深い問いだなぁ。」
「まあな。でも、『主』の問いはこれで終わりじゃないんだ。その後もまだ問いは続く。」

そう言って小さく笑うと、大石もつられたように笑みを返してくれる。
そのいつもと変わらない穏やかな笑みは、ざわついた俺の心を酷く落ち着けてくれる。
静かで暖かい――微笑み。
けれど、それは一方で……それを俺だけのものにしたいと願う願望を強くさせるものでもあった。
俺にだけ……その眩しい笑みを向けて欲しいと望んでしまう自分が居る。
俺は、小さく頭を振ってその考えを頭の中から追い出すと、もう一度口を開いた。



「その谷の主は更に続けた。

『その顔、その身体は誰のもの――?』

 ……と。」



答える事の難しい問いだと考えるのは、俺だけだろうか?
大石は何故俺がこんな事を聞くのか、理解できないだろうか?
それでも俺はこの問いに、心揺さぶられてしまっていた。
これが俺と大石だったら――と。



「何だか心理学というか、哲学と言うか……そんなカンジだなぁ。」

難しい――と言いながら、大石は苦笑しながら軽く頭を掻く。
そんな横顔を見ながら、俺はぎゅっと汗ばむ拳を握り締めた。


「あまり難しく考えなくていいって。そうだ大石、この親友は何て答えたと思う?」
「う~~ん……髪に瞳に声、唇……そして顔に身体か………誰のものって言われるとなぁ……。やっぱり、自分……かな?」
「へぇ…よく判ったな。……大石の想像通り、その親友も最初は自信を持ってそう答えるんだ。でも……気付いた。この髪も顔も声も身体も、自分だけのものではない事に。自分の中のもう一人の人格も、この同じ身体と声と顔とを持っている事に気付いたから。」
「そうか、一人の中に二人の人格が居るんだもんな。自分だけのもの…というわけにはいかないのか。」

俺の言葉に驚きながら、なるほど…と頷いて大石は空をあおぐ。


「そうなんだ。……その親友は戸惑うしかなかった。でも谷の主の問い掛けはそれで終わらなかった……。」



そこまで言って俺は小さく息をつく。
何だか最後の問いを口にするのが怖かった。
何故なら、これから聞こうとしている最後の問いが、俺を一番困惑させ、戦慄させ、不安にさせたものだったから。




「最後にその親友に向けられた問いは、こうだった……

『その心は誰のもの――?』」





「―――――――っ?!」

俺の言葉に大石が大きく息を飲む。
やはり大石も、この最後の問いには俺同様に何かを感じてくれたらしい。
俺は微かに苦笑して、すぐ隣を歩く大石の驚きに満ち溢れた顔を見上げた。



「……冒険小説か何かかと思ってたけど、凄く…何と言うか……重いな、その話は……。」

「そうかもしれないな。俺、この話を聞いて思ったんだ。もし俺がその親友だったら何て答えるだろう。逆に、もし俺が主人公の立場だったら…そんな親友の姿を見てどんな気持ちだろう。もしこれが俺達だったら……大石は……………何て答えるだろうって……。」



らしくない自覚はあった。
こんな事を聞くなんて、こんな事を考え込んでしまうなんて、きっと俺らしくないと誰もが思うだろう。
でも、この問いを耳にした瞬間、何か漠然とした不安とか心の中にある小さな疼きとかが俺の身体を駆け抜けた。
そして気付いたら大石を待っていたんだ。



………。」
「解ってるんだ…人格が二つある訳じゃないし、主人公と親友が置かれている立場や状態とは…俺達は全く違うって。でも大石、そんな事全て取っ払って、ただ一人の人間として同じ問いをされたら……お前だったら……どう答える?」




その髪、その瞳は誰のもの?
その声、その唇は誰のもの?

その顔、その身体は誰のもの?



その『心』は………誰のもの――?



大石とは中学に入学してから知り合った。
過ごしてきた時間は決して長いものじゃないし、毎日常に一緒にいる訳でもない。
テニスをしている時の大石と菊丸のように、言葉が無くとも通じ合っている…という訳でもない。
親友とか悪友とか腐れ縁とか、俺たちの間にはそんなハッキリとしたものは無かった。
もしかしたら、俺が一方的に…大石との心地良い関係を望んでいるだけなのかもしれない。
そんな不安が、余計に俺の心を深く揺さぶったんだと思う。
だからこそ大石の答えが――知りたかった。
大石の笑顔が、暖かな温もりが、心が欲しいと思ってしまった。


「俺の……答え……。」


ポツリと呟くようにしてそう言うと、大石はゆっくりと地面に視線を向けた。
真剣なその表情は、決して生半可な気持ちで答えたりなどしないと分かる。
困らせてしまっているのかもしれない。
ごめん大石。
でも、これだけは許して欲しい。
らしくない俺の見せる、たった一つの事だから。




「俺は……俺だったら、髪や身体や声や…そして心も………その全部は大切な人のものだと……答えるかな。」




しばらくの沈黙の後、意を決したように大石はそう言って目を伏せた。

「……大切な人の……もの?」
「ああ。確かにその親友と違って俺は俺でしかないから、全て俺自身のものって言ってもいいのかもしれないけど、俺の全ては大切な人・大事な人を守る為に……大切な人と共に生きる為にあるものだと…そう思いたいから………。」

いささか照れ臭そうに笑って、大石は目を細める。
その笑顔に、俺はどこか胸の奥深くがズクンと大きく波打つのを感じていた。

「全部………全部が大切な人の為にある…って?」

「う~ん…そう言っていいのかな?ただ、心も身体も全てあわせて俺という存在だからね、どれか一つが違うものにはならないと思うんだ。だからきっと俺達がその立場だったら……俺は、全ては自分にとって何よりも誰よりも大切な親友である主人公のものだと…そう答えるんじゃないかな。」


大石自身どう答えてよいのか、よく分からないんだろう。
困ったような、自信無さげに答える表情に、微かに苦笑が浮かぶ。
そんな大石の姿に、俺は一人の人間として湧き上がる愛しさを感じていた。
突拍子も無い問いをした俺を真剣に受け止めてくれ、その上、思いもしなかった答えをくれた大石。
けれど、解っているのだろうか?
俺と大石が主人公と親友の立場だったら――と言った事を。
己の全ては、心までも親友である主人公……俺のものだと言っているのだという事を。



「大石、自分の言った事分かってるか?」
「え?どういう事だ?」

やはり大石秀一郎という男は俺の思っている以上に懐深く、大きな存在なのだと――そう思わずにはいられない。
無意識で、ここまでの事を言えてしまうなんて。


そして、無意識に俺の『最も欲していた答え』をくれるなんて。


でも、それが何となく大石らしいと思った。


「心も身体も全て……か。そうくると思わなかった……くくっ……ぷっ……あはははっ!!やっぱ敵わねぇや大石には!」

「なっ何だよ急に……っ。そ、そういうはどうなんだ?」

素直な称賛の言葉だったのだが、笑い出した俺の姿に何を勘違いしたのか、照れた大石は顔を真っ赤にしてワタワタと慌てふためく。
そんな大石を無言で見詰めてから、俺はそっと大石の首に腕を回して、俺よりも僅かに大きな大石の身体を引き寄せた。

「え?」
「俺は………。」

ぐっと大石を腕の中に抱き込み、耳元に顔を寄せる。





「俺は…大石だけのものだから。」





囁くように紡いだ、俺にとっての誓いに等しい言葉。
驚きに見開かれる大石の、青空を思わせる瞳。
でも…この言葉は、この想いは決して嘘じゃないから。
もしかしたら、もう二度と口にする事は無いかもしれないけれど。
今だけは、俺の…本当の俺の想いを伝えよう。
この世界で誰よりも大切な存在に。
初めてこの腕の中に抱き締めた愛しい存在は、暖かく、大きく、優しい温もりを俺に与えてくれた。
泣き出したいほどの幸福感と共に……。




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