君という欠片・僕という欠片 3
初めて目にした、手塚の溢れんばかりの激情に触れて、俺は覚悟を決めるしかなかった。
とは言っても、やはり湧き上がってくる不安は消し去る事など出来なくて。
震えそうになる唇を噛み締めながら、俺は自分自身を叱咤する。
抱き寄せた手塚の温もりが伝わってくるのを感じながら、俺は静かに口を開いた。
「俺、羨ましかったんだ…リョーマが。お前に青学テニス部の柱として認められたあいつの事がさ。だから単純に羨ましくて、リョーマになりたいなんて言った。」
「羨ましい?青学の柱になる事がか?」
「違うよ。『手塚に認められた』って所なんだ、重要なのは。」
手塚の言葉に苦笑しながら訂正を入れる。
そして再び閉じていた瞳を開いて、静かに天井へと視線を向けた。
「俺、ずっと手塚に認めてもらいたかったんだ…リョーマみたいにさ。どんな事でもいい、手塚に俺という存在を認めて欲しかった。そうする事でお前と同じ位置に立てる気がした。お前と同じものが見れる気がした。お前と同じ存在でいられるような気がした。そうする事で、俺は俺自身の存在価値を見出したかったのかもしれない。手塚と同じ、手塚に認めてもらえるだけのものを持った存在なのだと。手塚にとって俺は特別なんだと。………でも、俺には何も無い。お前に認めてもらえるようなもの…何も無いから。」
ちっぽけで、自分では何も出来ない、そのくせ無謀にも手塚と同じでいたいなどと願う愚かな自分。
認め『られる』事を望み、与えられる事のみを望む愚かな自分。
こんな情けない俺を手塚はどんな思いで見ているだろう。
頭の隅でそんな事を思いながら、俺は再び口を開く。
ただ今は手塚の瞳にさらされていない事が、唯一の救いだった。
「手塚を…避けてたのは、暫く距離を置いて考えたかったんだ。冷静になって自分を納得させたかった。でも…ダメだったみたいだ。それに、そうする事で手塚にも嫌な思いだけさせちまったんだもんな。ごめん………。」
「………。」
「だから、手塚から離れようとしたとか、そんなんじゃないんだ。ただお前に…近付きたかっただけ……自惚れもはなはだしいけどな。」
そこまで言って、俺は口を閉ざした。
「…………いつから…そう思っていたんだ?」
「いつからかな…?もしかしたらずいぶん前からかもしれない。でも、自覚したのは……お前がリョーマに想いを託した頃…かな?」
「そうか……。」
俺の答えに大きく息をついて、手塚はゆっくりと身体を起こす。
そのまま俺をじっと見下ろすと、手塚は切なげにその瞳を細めた。
「手塚?」
「………俺も……話さなければならないな。」
「話す?」
手塚の言葉の意味が分からずに問うと、無言のまま小さく頷く姿が目に入った。
「俺はお前が俺と同じでなくて良かったと思っている。これはずっと思ってきたことだし、これからもそれは変わらない。」
「………っっ!」
分かっていた事とはいえ、やはり胸が痛かった。
同じような存在にはなれないのだと分かっていても、本人の口から言われると、それはより大きな衝撃となる。
俺はどうしても耐えられなくて静かに目を伏せた。
「勘違いするな。が思っているような事ではない。」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
「……確かに越前は、ある意味では俺に近い存在だろう。だからこそ、俺も越前にこの青学テニス部を支える存在であるよう願った。それを同じ存在として『認めた』というのならそうなのだろう。だが、俺はそれをお前に求めたくはない。俺は『』という今のお前自身で居て欲しい。」
静かに語る手塚の瞳が、まっすぐに俺を見詰める。
そして、そっと伸ばされた俺よりも大きな掌が、ゆっくりと俺の頬をさすっていく。
その温かな感触を感じながら、俺は見下ろしてくる手塚の、今は穏やかな光をたたえている瞳を見詰めた。
「知っているか?この世にあるものは、全て対で出来ている……という話があるのを?」
「ああ、聞いた事ある。」
「光と闇、陰と陽などさまざまだ。そして、それは人にも同じ事が言えるのではないか?……自分に無いもの、自分と違うものを人は求める。そしてお互いの無い部分をお互いで埋めあいながら、一つであろうとする。それと同じだ。俺は自分と同じ存在ではなく、全く違う『』という存在を求めている。俺自身では俺を埋められないように、でなければ意味が無い。」
そこまで言って手塚は小さく息をついた。
「それではダメか?……?」
俺はそんな手塚の問いに答える事が出来なかった。
そんな事考えた事も無かったからだ。
いつも手塚に近付く事だけ、手塚に認めてもらうことだけしか考えた事が無かった。
『自分』である事を考えた事などなかった。
常に自分とは違う何かを求めて、あるがままの自分の存在など顧みた事など一度も無かった。
「俺は……俺で居る事が重要だって事?」
「ああ。少なくとも俺にとってはな……。」
頷いて手塚が俺に手を差し伸べる。
その手を握り締めると、手塚の表情が僅かに綻んだ。
「……俺、本当に今のままでいいのかな?手塚の側に居ていいのかな?」
そっと引き上げられて身体を起こすと、ベッドに腰掛けた手塚の顔がすぐ近くにあって、俺は躊躇いながら口を開く。
それに答えるように微かに微笑んで、手塚はゆっくりと俺の身体を抱き寄せた。
「言っただろう?今のままのが俺という存在を埋めてくれる。パズルのピースと同じだ。今のだからこそ、俺というピースに合うんだ。俺が欲しいのは、俺が求めるのは今のままのお前自身。だから無理して自分自身を捨てるような事などしなくていい。」
耳元で囁くような静かな声が響く。
その全てを包み込んでくれるような暖かさに、俺は自分の中にあった不安やわだかまりがじんわりと溶けていくのを感じた。
何より俺自身であることを望んでくれた手塚。
俺自身よりも俺という人格、という一つの存在を認めてくれた手塚。
そう、手塚は俺を一人の人間として認めてくれていた。
俺自身がそれに気付かず、形のあるものにすがっていただけ。
「でも俺、本当に手塚を埋められるのかな?」
呟けば、暖かく大きな手が、まるで壊れ物でも扱うかのように優しく俺の髪を撫でてくれて。
それだけで俺は舞い上がるくらいの幸福感を感じる。
「、お前何か勘違いしていないか?」
「勘違い?」
「ああ。片方がもう一方を埋める為に存在するんじゃない。それぞれが補い合うのだという事だ。が俺という存在を埋めるというだけではなく、お互いがお互いを埋めあう……それをこそ俺は望んでいるんだがな。」
「手塚………。」
再び強い力でぐっと抱き締められて、俺はそれ以上の言葉を失った。
もうこれ以上何を望むというのだろう。
俺は、少し前までは想像も出来なかったこの状況に、眩暈すら感じるほどだった。
「俺がそれをお前に望むのは……過ぎた事か?」
「ばぁか!そんな事あるわけないだろ。それこそ望む所だって。それより逆に後悔すんなよ?今の言葉、もう取り消しなんてさせないからな?」
抱き締めてくる手塚の肩口に額を預けそう言うと、耳元で微かに笑う気配がする。
俺は手塚のその大きな背中にそっと腕を回して、固まっていた全身の力を抜いた。
いつか……手塚が俺を選んだ事を後悔する日が来るかもしれないけれど。
今だけは俺以上に俺を認め、俺という存在を求めてくれた、この暖かな存在をこの手に抱く事の出来る幸せを噛み締めたかった。
『人』として自分という存在を認めてくれた手塚を。
自分に新しい世界を見せてくれた手塚を。
一人の人として……ただ抱き締めたかった。
リョーマになりたかった。
手塚と同じものを見、同じものを目指し、同じ世界に立つリョーマを。
でも…もう、俺はリョーマを羨ましいとは思わない。
リョーマになりたいと思う必要など、無くなったから――。
たくさんの人々という欠片の中に埋もれる、ちっぽけな俺自身。
そんな中から俺という小さな欠片を見つけてくれたのは手塚。
拾い上げてくれたのは手塚。
君の欠片と僕の欠片を合わせたら、いつか本当に一つになれるだろうか?
段々と遠ざかっていく意識の中でそう思いながら、俺は初めてとして生きてきて良かったと……そう思った。