本当は誰よりも認められたかったのかもしれない。
あいつが…手塚が心から認める存在なんて、あまりに少ないと解っているから。
そして、そんな存在になれはしない自分が――嫌だった。






君という欠片・僕という欠片 1






「俺……リョーマになりたかったな……。」

「は?何っスか、それ?」


何気なくポツリと零した俺の呟きに、当のリョーマが目を丸くする。
そのキョトンとした表情に小さく笑って、俺は窓の外に視線を向けた。

ちょうど昼時にさしかかっている店内は、日曜だからか普段よりかなり混雑している。
珍しく部活の無い日曜日にリョーマを誘って出かけていた俺は、腹が減ったというリョーマの言葉に、よく来るこのファーストフード店で少し早い昼食を取っていた。
大きなガラス越しに見る外の景色も、店内に負けず劣らず人波で溢れかえっている。
俺は手にしていたジュースを一口だけ口に含んで、リョーマの方へと視線を向けた。


「あ、悪ィ………気にすんなって。ただの独り言。」

訝しげに首を傾げてみせるリョーマの髪を、少し乱暴にかきまわして俺は小さく溜息をつく。


こんな事しても何もなりはしないのに。
せっかくの休日に家でボンヤリしていても滅入るばかりだからとリョーマを誘って出掛けて来たのに、これじゃ家でボンヤリしているのと何も変わらない。
そう……あいつの事を少しでも忘れようと思っての行動なのに、結局はこのありさま。
これじゃせっかく付き合ってくれたリョーマにも悪いじゃないか。
ブンブンと頭を振って暗くなりがちな思考を切り替えようとすると、目の前に座っているリョーマが小さく溜息をついた。

先輩、何か悩み事でもあるんスか?」

ジュースの入ったカップのストローをくわえながら、リョーマが上目遣いに見上げてくる。
その、どこか心配そうに寄せられた眉に、俺は微かに苦笑してみせた。
こんな所でさえ『あいつ』の事を思い出してしまう。
何かあると不機嫌そうに寄る眉間の皺は、ある意味あいつのトレードマークみたいなものだ。



「……もしかして……手塚部長とケンカでもしたんスか?」



不意に出てきたあいつの名前にピクリと肩が震える。
思いもしなかった展開に、俺はまじまじと目の前のリョーマの顔を見詰めてしまった。

「何でそうなるわけ?」
「不二先輩が『最近手塚との様子がおかしい』って言ってたから……。」

俺のクラスメイトでもあり、俺やリョーマ、手塚と同じ部活に所属している人物の名が出て、俺はやれやれと肩をすくめた。
周りが気付く位、そんなあからさまにおかしな態度をとっていただろうか?
別にポーカーフェイスが得意だとは思わないけれど、周囲に悟らせない位にはしていたはずなのに。

「不二……ねぇ……。」

暫く考えて、俺は困ったように苦笑いを浮かべる。
不二が…という事は、不二に言われなければリョーマも気付かなかったという事だろう。
とすれば、おそらく人の心の機微に聡い不二だけが、何らかの理由で俺達――いや、俺の異変を感じ取ったんだろう。
俺は不二のなかなかの観察眼に内心で両手をあげた。



「別にケンカなんてしてねーよ。それに手塚には何の問題も無い。俺がちょっと……考える事があって距離を置いてるだけ。」



そう、手塚には何の問題も無い。
あるのは俺自身。

「って事は、やっぱり先輩がボンヤリしてるのは手塚部長が原因なんだ?」
「だから、手塚には問題ないんだって。」
「でも原因なんでしょ?」

ハンバーガーをパクつきながらそう言って見上げてくるリョーマ。
じっと俺を見詰めてくる、自信に溢れ、何か人を惹き付ける力を持った力強い瞳。
これが…きっと手塚自身をも惹き付けたんだろうと思う。

そして手塚はリョーマを認めた。
俺には分からない……俺には無い何かを持つリョーマを。
俺ではなく、他の誰でもなくリョーマを。
青学テニス部を真に導いていく事の出来る者として。
青学テニス部の柱として――。
そして俺は……そんなリョーマが羨ましかった。



「やっぱり俺、リョーマになりたかったみたいだ……。」



もう一度呟いた言葉は苦しいくらいに掠れていた。


















もう何日手塚の顔を見ていないだろう。

体調不良を理由に学校を休んで、数日が経つ。
ただベッドの中でボンヤリと部屋の天井を見て過ごしたこの数日の間に、すっかり日にちの感覚さえも無くなってしまっていた。



「て……づ…か………。」



零れた声は情けない位に小さく、酷く掠れている。
近付きたいと思っていた。
認められたかった。
手塚の隣に立つ事を許される位になりたかった。
でも、俺にはそんな資格など少しもありはしなくて。
数居る友人の内の一人である事に耐えられなくて、俺は体調が回復しても学校に行く事が出来なかった。

「バカみたいだ……俺……。」

何だか切なくなって、俺は閉じた瞼の上に右腕を乗せる。
その右腕を濡らすように、暖かな雫がこめかみを流れた。

何をしているんだろう。
こんな事していても手塚に近付けるわけじゃないのに。
手塚に認められるわけでも、手塚と同じ位置に立てるわけでもないのに。
それでも俺は、何より誰より手塚に、俺という存在を認めてもらいたかった。
ベッドの上で仰向けに身体を投げ出しながら、込み上げる嗚咽を必死に噛み締める。
嫌だった。
認めてもらいたいという一心だけで、自分から何もしようとはしない受身な自分が。




どれ位そうしていただろう。
唇を噛み締めながら、湧き上がってくる不安と情けなさに耐えていると、不意に小さくドアをノックする音が耳に届く。


「……?」


俺は普段ならありえない、その音にゆっくりとドアの方へと顔を向けた。
うちの家族に律儀に俺の部屋のドアをノックするような奴は居ない。
不思議に思いながら身体を起こすと、カチャッという音と共に静かにドアが開いた。



「……手塚っ?!」



部屋に入ってきた人物の姿に、それ以上の言葉を失う。
学生服にテニスバックを手にしたその姿は、俺が求めてやまないものだった。




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