事の発端は仕事中に乾から掛かってきた一本の電話からだった。
会社へ行こう
「乾~~良い所に掛けてきた~~~~!」
半ば半泣き状態で、俺は電話口の乾に泣きついた。
「どうした?何かあった?」
「あったなんてもんじゃねーよ~~。」
俺は携帯電話を持ったまま急いでデスクを立つと、喫煙所や談話スペースにもなっているホールへと出る。
この時間は、どこの部署も忙しくホールには殆ど人気が無い。
部署内では人目を気にしてしまう私用電話は、大抵この場所で掛けるのが常になっていた。
「乾、お前今日は部活無いって言ってたよな?」
「そうだけど…どうかした?」
「悪ィけど、俺ん家行ってテーブルの上にある書類とROM持ってきてくんね―かな?5時までに必要なんだけど、俺会社から離れらんねーんだよ…。」
余りの情けなさに涙が出そうだ。
大きなプロジェクトの最終の詰めに入っていて、今日最終決定が出される事になっていたのだが、その肝心のプレゼン用の資料を間違って持ってきてしまっていた。
もっと早くに気付いていれば、まだ何とか出来たのかもしれないが、気付いたのがついさっき同僚から確認の為の連絡を受けた時だから、もうどうしようもない。
入社以来最大のミスに、俺はガラにも無くかなり落ち込んでしまっていた。
「別に構わないよ?今3時半だから…家まで行ってそっちまで行くと…そうだな、遅くとも15分前位には着けると思う。」
「悪い!じゃあ頼むな?受付で第一企画室のって言えば分かるから。」
「了解。第一企画室だね?」
「ああ、本当に助かるよ!悪いな、せっかくの休みなのに。」
乾の所属している青学テニス部は名門なのでも有名だが、練習が厳しいのでも有名だ。
そんなテニス部が休みになるなんて、それこそ滅多に無い事だと分かっているだけに、こちらの都合でせっかくの休みを潰させてしまうのは申し訳なくてならなかった。
「ああ、別に構わないよ。その代わり一つだけ何でも言う事聞いてもらうから。それじゃ、後で。」
けろりとそんな事を言って、乾はあっさりと電話を切る。
「……何でも言う事聞くって…何なんだよ……。」
俺はというと、乾が最後に残した意味ありげな一言に一抹の不安を覚えながらも、俺はそのままデスクへ戻るしかなかった。
「くーん、お客さんよ?」
受付の女の子が向こうで呼んでいるのに気付いて、俺は格闘していた書類の束から顔を上げた。
いつの間にか時計は4時半を過ぎていて、周りはこれからのプレゼンに向けて、ますますバタバタとしている。
その向こう側、入り口の近くに見慣れた長身を見つけて、俺は小さく手をあげた。
「君、弟さん?大きいわねー。」
入り口に向かって歩いている途中で、同僚の女の子が驚いたように声を掛けてくる。
まあ、確かに乾は背が高い。
中学生として背が高いのは勿論の事だが、下手をしたらここに居る男性社員の誰よりも背が高いかもしれない。
頭一つ分飛び抜けているのはいつもの事だったし、それは普段からかなり目立っていたけれど、こんな所にまで来てもそれが際立ってしまうとは正直思わなかった。
周りにいる同僚達もチラチラと乾の方を伺っているのが分かる。
興味深げに声を掛けてきた女の子に曖昧に笑って見せて、俺は急いで入り口近くで待っている乾の所へと走った。
とにかく今は肝心の資料を受け取る事が最優先だ。
「乾!悪いな!」
「はい、これ。これで間違いないかな?」
受付の子に促されて入り口近くに設けられている簡易の応接スペースに入ってきた乾は、確認のために抱えていた封書を差し出す。
「助かった~~これだよ!本当にサンキューな。」
差し出された茶色の封書を受け取って中身を確認する。
確かに俺がマヌケにも家に置き忘れてしまったプレゼン資料だ。
時間までに無事に資料を揃える事が出来た安堵と安心感で、俺は張り詰めていた力がどっと抜けてしまい、大きく肩を落とした。
「役に立てたかな?」
「ああ、立ったなんてもんじゃないって。神様・仏様・乾様だよ!」
拝む真似をしてみせると、僅かに苦笑して乾は勧められた椅子に腰を降ろした。
「、資料は揃ったか?」
乾をそのまま応接スペースに残し、わざわざここまで資料を届けてくれた乾の為にコーヒーを入れようと部署の端に設置されているコーヒーメーカーに向かっていると、プロジェクトのチーフが見計らったかのように声を掛けてくる。
「はい、すみません、遅くなりました。」
俺はデスクの上に置いた乾の届けてくれた資料を取り、デスク越しにチーフに手渡す。
俺の仕事はプレゼンまでの資料作りがメインだったから、これをチーフに渡してしまえば後はチーフ達が先を進めてくれる。
俺の役目はこれで終わったも同然の筈だった。
「なあ、ー?このROMのデータ、呼び出せないぞ?」
「は?!」
俺は困ったようなチーフの声に素っ頓狂な声をあげるしかなかった。
「お前、何かプロテクト掛けただろう?エラーになってデータが出てこないぞ?」
そう言ってチーフは俺の方にモニターを向けた。
確かに画面はエラーの表示が出ており、肝心のデータはプロテクトが掛かったままだった。
「そういえば…この間システム開発部の人にプレゼンまでデータが漏れるといけないからって、プロテクト掛けてもらったような…。」
ぼんやりとした記憶が少しずつ戻ってきて、俺は段々と自分の顔が青ざめていくのが判った。
確か先週あたりにシステム開発部の主任が来た時、俺の危機管理が甘いと言って確かにプロテクトを掛けてくれた。
それを俺は、きれいサッパリ忘れてしまっていたのだ。
「これ、プロテクト外せるのか?でないと間に合わんぞ?」
「いえ…システム開発の主任が『外す時は連絡しろ』って言ってましたから、システムに詳しい人じゃないと解らないと思います…。」
「おいおい!システム開発の主任は今海外に出張中だぞ?!」
俺の言葉にチーフは参ったというように頭を抱えた。
しかし、俺はそれ以上にショックで頭の中が真っ白になってしまった。
システム開発部の他の社員に頼めば何とかなるかもしれないが、先方にだって優先しなければならない仕事はあるし、今からやってもらってもプレゼンの時間までに間に合わなければ意味が無い。
何よりシステム開発部は、あらゆる部署のシステムを管理している為に社員が出払っている事が多く、こちらに来てくれる社員が居るかどうかも怪しかった。
「どうしたもんかな……。」
突然のトラブルに対処の仕様がなく、俺達は途方に暮れるしかなかった。
俺達の中に少しでもシステム関係に詳しい奴が居ればどうにかなるのかもしれないが、生憎俺達は企画関係の仕事位しかした事がなく、このトラブルに対応出来るだけの力は無かった。
こんな時少しでも知識を得ていれば良かったと後悔する。
「どうかしたさん?何かトラブルでも?」
クビを覚悟して、項垂れていた俺に背後から声が掛かる。
俺の戻りがあまりにも遅い上に、俺のデスクの周りで騒ぎが起こっている事を不審に思ったのか、乾が様子を窺いに来ていた。
「ああ…放っといてごめんな。ちょっとさ、このデータのプロテクト外したいんだけど、誰も出来なくてさ…これじゃプレゼンに間に合わないんだよ。悪いな、せっかくわざわざ持って来てくれたのに。無駄になっちまったみたいだ。」
俺は乾から目を逸らしてそう答えた。
今は乾を見ていられない。こんな情けない顔は乾には見せたくなかった。
「プロテクト?それって情報漏洩防止の?」
俺の後ろからひょっこりと画面を覗き込んできた乾は、そう聞いて画面の中のシステムをじっと見詰めている。
「?ああ、そうだけど…。」
「ちょっと見せてもらっても良いかな?」
「解るのか?!」
「う~ん…やってみないと何とも言えないけど……。」
相変わらず画面を直視したまま、乾はそう答えた。
俺は乾のその言葉に一縷の望みを掛けて、システム操作の許可を取るべくチーフの方に視線を向けた。
「チーフ、こいつは俺の知り合いなんですが、少しシステムの事が解るみたいなんです。関係者ではない者にやらせるというのは問題だと分かってはいますが、このままだとプレゼンに間に合いません。一か八か、こいつにプロテクトの解除、やらせてみてもらえませんか?!」
俺の手は微かに震えていた。
確かに俺自身がこの結果クビになるかもしれないという不安もあったが、それより俺の所為で同僚やチーフ達に迷惑が掛かる――最悪チーフは管理責任を問われて左遷…という事もありえる――事の方が、いたたまれなかった。
「……分かった。この際だ、仕方ないだろう。頼むぞ?」
小さく溜息をついて、チーフは俺の提案を許可してくれた。
本当だったら絶対に考えられない事だが、緊急事態だから仕方が無い。
こうなったら、乾が唯一の頼りだ。
自分より遥かに年下の、それも中学生に頼らなければならないというのは酷く情けなかったが、こればかりは今は乾の力に頼るしかない。
俺だけの問題ならともかく、他の人を巻き込んでしまうのだから、どんな手段でも何とかなるのならそれに掛けるしかなかった。
「…乾……頼むな?」
俺は今にも震えてしまいそうな声でそう言うのが精一杯だった。
俺は自分の座っているデスクから離れると、後ろに居た乾をモニターの前に座らせる。
相変わらず俺の手は微かに震えたままだった。
それを目にしたのか、乾は安心させるように優しげに笑みを浮かべると、俺の震える腕を軽く握りしめた。
「出来るだけの事はしてみるよ。だから、待っててくれるかな?」
乾の力強い言葉に俺は無言のまま、ただ小さく頷く事しか出来なかった。
俺が頷いたのを見て、乾は目の前のモニターに向き直る。
その横顔は酷く真剣で、俺はその乾の姿に目を見張った。
一つ息をついて、乾はキーボードに手を伸ばす。
乾の大きな手がカタカタと忙しなくキーボードの上を走りまわるのを、俺は呆然と見詰めていた。
何をやっているのか俺には全く理解できなかったが、プログラムのデータを新しいものに書き換えているようだった。
こんな時何も出来ない自分が歯痒くて情けなくて、不甲斐ない自分に嫌気がさす。
「あれ…?」
自己嫌悪していた俺の耳に、不意に微かに漏れた乾の声が聞こえた。
無意識だったのか、特に何かを言おうとしたわけでは無かったようだが、乾の表情は冴えない。
流石の俺でも何か問題が発生したのだという事は容易く理解できた。
「どうした?」
「ああ、殆ど解決したんだけど、一つだけ問題が。」
困ったように俺を見上げてくる乾の視線を追ってモニターを眺めると、何か今までと違う画面が開いていた。
「データを置き換えるにはパスワードが必要らしいんだ。」
「パスワード?」
「そう。こればかりは俺には分からないから。さん設定する時やらなかった?」
そう言われて俺は暫し考え込んでしまった。
システム開発部の主任に任せきりで、俺は殆ど何もしていなかったからだ。
せいぜい俺がやったのと言えば必要なデータの振り分けと、「管理するにあたってキーワードを考えろ」と言われて幾つか考えた位で。
そこまで考えて俺は、はたと気付いた。
「もしかして、あの時のがパスワードかな?」
「思い当たる事…ある?」
「ああ、多分……。」
「何?」
見上げてくる乾を横目で見下ろして、俺は暫し黙り込んでしまった。
確かに一つ思い当たるものはあるにはあるが、それを口にする事は少々躊躇われた。
そのキーワードは他人が聞いたら何の事かさっぱり分からないかもしれないが、分かる人が聞いたらピンとくるものがある言葉で。
そして、それは目の前の乾もそれに該当する可能性が酷く大きかった。
特に乾には……そう、乾にだけは気付いて欲しくは無い…というのが俺の本音だった。
何か問題があるというより、知られるのが恥かしい…というのが正しい表現かもしれない。
とにかく、出来るなら乾の耳にだけは極力入れたくは無い言葉を、俺は肝心のパスワードだと思われるものに使用してしまっているらしかった。
「さん?」
訝しげに俺を見上げてくる乾に、俺は困ったように眉を寄せた。
確かにいつまでもこんな事をしている暇は無い。
俺のプライドや恥なんて今は言っている場合じゃなかった。
「northwest」
一言だけボソリと呟く。
「『northwest』ね。」
その俺の小さな声を聞き取って、乾はキーボードを叩いた。
カチャッというエンターキーの音と共にパスワードが認証されて、膨大な量のデータが新しいものに置き換えられ、次々とデータが開いていく。
「やった!!」
固唾を飲んで乾の作業を見守っていた俺達は、次々に変わっていくモニター画面を見て瞬間的に飛び上がっていた。
乾に確認するまでも無く、作業が成功した事が分かる。
俺は嬉しさのあまり、乾の首元におもいっきり抱きついていた。
「ありがとうな、乾!お前のおかげだよ!!」
本当に乾には幾ら礼を言っても足りない位だ。
今だったらどんな我が侭だって聞いてやれそうな気がする。
それ位に俺の気分は最上のものだった。
「お前には感謝しきれないよ!俺に出来る事があったら何でも言ってくれな?」
「何でも聞いてくれるって事?」
「ああ!俺でできる事だったら何でもいいぜ?!」
「へぇ~、何でも…ね?」
意味ありげに呟いて乾はニヤリと笑みを浮かべた。
(?!!)
何だか嫌な予感がして、俺は絡み付いていた乾の首元から手を離す。
そういえば、プレゼン資料を届けてもらう時の電話口でも、今と似たような事を言っていたような気がする。
俺は迂闊に口をついてしまった自分の一言に、今更になって冷や汗が背中を流れていくのを感じていた。
「じゃあ、さん今晩は…付き合ってもらうよ?」
「えええっっ?!」
「今夜は…寝かさないよ……。」
「っっ?!!」
耳元で小声で囁くようにして紡がれる言葉に俺は呆然として声が出なかった。
「最後まで付き合ってもらうから――データ整理。」
「……………は?!」
俺はいつになく素っ頓狂な声をあげてしまった。
あれだけ意味深な台詞を吐いておきながら『データ整理』?!
「何?何だと思ってた?」
笑いを必死に堪えている乾の横顔を見て、俺は乾にまんまといっぱい喰わされた事に気付いた。
「何か期待して良いのかな、さん?」
「っっ!乾~~っっ?!」
俺は突発的に乾の首を締め上げていた。
「ストップストップ!間に合わなくなる。」
「その手に乗るか!」
俺は真っ赤になって更に乾の首元に力をこめた。
一瞬でも『乾が望む事なら…』と思ったなんて一生の不覚だ!
「おいおい、それくらいにしとけよ?」
完全にデータを回収し終わったチーフが、俺達のやり取りを苦笑いして眺めている。
チーフの目にはじゃれあっているようにでも見えたんだろう。
さっきまでの緊張感から開放された為か、チーフも普段と同じ穏やかな表情に戻っていた。
俺はチーフの言葉にようやく落ち着きを取り戻し、乾の首から腕を放す。
「チーフ、色々すみませんでした。」
「いいよ、それより礼を言わなきゃならない相手はその子だろう?」
ぺこりと頭を下げた俺にチーフは穏やかに笑って、俺の隣に立つ乾に視線を向けた。
「君、なかなかやるなー?ウチの社員になんないか?」
「チーフ!?こいつはまだ学生です!」
「いいじゃないか、いい人材に学生も社会人も無い!」
「考えておきます…。」
「お前も簡単に応えるな!!!」
乾が中学生だと知らないからとはいえ、真顔で勧誘しつつあるチーフを牽制しながら、俺は慌てて乾をその場から引き剥がした。
この様子じゃ、ここに居たら似たような事が何回か起こりそうだ。
そう考えて俺は頭を抱えたくなった。
そして嫌な予感というのは大抵当たるように出来ているようで、案の定、部屋を出てすぐに同期の女の子達にあっさっりと捕まってしまった。
「ねえ、今度合コンやるんだけど、君も来ない?」
「あのなー見て分かるだろ?!こいつまだ学生だぞ?!」
「いいじゃない。イイ男と若い男は大歓迎だもの。あ、友達も一緒に連れて来ていいわよ~?」
「おいおい、義務教育の学生をどうしようってんだ?!」
「うそ?!君、中学生なの?!」
俺の言葉に驚いている女の子達に困ったように笑ってみせて、乾は俺を横目で見やった。
困っているのはこっちの方だ…と言いたいが、そんな事言っている場合じゃない。
俺達は騒いでいる女の子達を尻目に、ダッシュでその場を離れた。
「さん、大丈夫?」
ようやく人気の無い玄関ホールまで来て、俺はぐったりとソファーに身を沈めた。
結局ここに来るまでに、計5回同僚や上司に捕まってしまった。
それも全て乾がらみで。
それまで平凡な一社員にしか過ぎなかった俺は、『乾の知り合い』というただ一点の理由の為だけに今後の会社生活を一転させられるだろう。
俺は今日何度目になるか既に分からなくなった溜息をついた。
「それにしても、さんの会社の人達って面白いな…実に興味深いよ。」
ちっとも面白くない…そう言いたかったが、俺は満足げに頷く乾に何も言う事が出来なかった。
何だか今日は凄く疲れたような気がする。
これは絶対走り回ったからじゃない。
「ふう…さっきは弱々しそうな目で、縋り付くように俺の事見てたのに。」
「なっ?!」
「さっきのさんは可愛かったんだけど。」
「乾っ!お前なあっっ!!!」
「さん、貸し二つ。」
「ぐっ!」
再び首を締め上げようと手を伸ばすと、ピッと指を二本立てて乾が口の端を持ち上げる。
その言葉に俺は伸ばした手を戻してへにゃへにゃとその場に座り込んでしまった。
「ともかく、何でも言う事聞いてくれるって話、忘れてないよね?」
「ううう~~分かってるよ~~。けど、そんな無理難題は勘弁してくれよ?」
「ああ、大丈夫。たいした事じゃないから。」
とはいえ、乾の言う事だ。
俺にとってはとんでもない事の可能性は否定出来ないわけで。
俺は内心ビクビクしながら乾の言葉を待った。
「じゃあ一つ目。これからはさんの事、名前で呼ばせてもらうよ?」
「え?」
「それと俺の事も名前で呼んでもらう……これが二つ目。これで貸し分二つ。」
「……………そんな事でいいのか?」
もっととんでもない事を言われるのではないかと思っていた俺は、その乾の言葉に些か拍子抜けしてしまった。
これだけ俺のピンチを救ってくれたのに、本当にこんな事でいいのだろうか?
これじゃ俺だけが得をしてる気がして何だか落ち着かない。
俺は座り込んだまま乾の長身を見上げて僅かに眉尻を下げた。
「それがいいんだよ…………さん。」
どこか幸せそうに微笑んで。
乾は座り込んだ俺の顔を覗き込むようにしてそう言うと、俺にその大きな手を差し出した。
「……………無欲な奴。」
「そんな事ないと思うけどなぁ?」
「ま、いいや。そんなトコも気に入ってるし?…………貞治らしくて。」
そう言って笑えば、貞治の顔に驚きが広がる。
自分で言っておきながら何だよ――と思いながらも、俺はそんな貞治が愛しくてたまらないのだと――改めてそう思ったのだった。
<おまけ>
「そういえば気になってたんだけどね?」
「ん?何だよ??」
「セキュリティー用のパスワードなんだけど……。」
「―――ッ?!」
「『northwest』…あれって北西の意味があるよね?」
「だ、だから何だよ…ッ?!」
「北西って…………戌亥の方角って言うよね?」
「うッッ?!」
「戌亥……『いぬい』って『乾』と読みが一緒だけど…期待してもいいのかな?」