初めてのテニス 1






「テメェ!人にボールぶつけといて、何シカトしてんだよ?!」


俺、は急に上がった怒鳴り声に、横たえていた身体を起こし辺りを見回した。
スポーツ雑誌の記者として入社2年目を迎えた俺は、去年まで配属されていたサッカー関係の部署から、やった事も無いテニス関係の部署に急に異動を命じられ、不満が溜まり鬱々とした毎日をおくっている。
そのせいで、やる気もイマイチで「取材に出る」と言い訳をつけては、今日のように公園のベンチで昼寝しては時間を潰す…という日々が続いていた。
今日も、そんなこんなでこの公園で時間を潰していたのだが…。



「てめえからぶつけといて、詫びも無しかよ?!」



………ハッキリ言ってうるさい。
声のカンジから推測して、まだそこまで年がいってる訳ではなさそうだ。
ここらへんでタムロしてる族の類か、どこかの不良グループが誰かに絡んでるに違いない。
いちいち関わるのも面倒だが、いい気持ちで寝ていた俺は、その安眠を妨げられて少し機嫌が悪かった。
ここ数日、今任されている記事とは別件の仕事に借り出されていて、ろくに睡眠も取れていなかった所、やっと見つけた安息の時間だったのに、何処かのガラの悪いガキ共のイザコザの所為で台無しにされてしまうなんて冗談じゃない!
俺は日頃溜まった鬱憤もあわせて発散させるべく、声のする方向へと足を向けた。


「何シカトしてんだってーの!」
「ダンマリかよ?ああ?!」

俺が寝ていたベンチの少し先、テニスコートの入り口辺りで、何人かの少年達が騒いでいる。
案の定、絡んでいるのはガラの悪そうな高校生で、その少年達の前に居る黒いジャージを着た2・3人の少年達を取り囲んでいた。


「何言い掛かりつけてんだよ?!」

取り囲まれている少年たちの内、一人が耐えかねたように身を乗り出す。

「やめろ神尾!騒ぎになるぞ!」

相手に跳びかかろうとした神尾と呼ばれた少年をたしなめ、じっと相手を見据えている少年が溜息をついた。


「ボールをぶつけてしまったのは申し訳ないと思っている。しかし、こちらもワザとやった訳ではないんだ。許してもらえないだろうか?」


落ち着いた声音は、その場に居るどの少年よりも力強い響きを持っており、相手の少年達は一瞬怯んだようだった。

(へえ~堂々たるもんだなー。あんな奴らに囲まれてるってのに。)

俺は驚いて、暫く成り行きを見守る事にした。
何やら面白い展開だ。
あの黒いジャージを着た少年達が、如何にして相手を退けるのか興味が湧いてきた。
俺の鬱憤晴らしは、その後だって構わないだろう。


「何言ってんだよ?!ああ?誠意が足んねーんだよ!」

へぇ…いっちょまえに『誠意』なんて言葉知ってるんだ。
まぁ、どう見たって言ってる方と言われてる方が逆っぽい気がするけれど。

「橘さん!こんな奴らに謝る必要なんか無いですよ!」

黒いジャージを着ている少年達の中で、リーダー的存在であろう橘と呼ばれた少年に向かって、神尾と呼ばれた少年が叫ぶ。
どうやら、かなり心酔しているみたいだ。
その心酔している人間が、あんな奴らに頭を下げるなんて耐えられない――ってカンジだ。


「いいから、止めろ!神尾!!」
「でも……っ!」
「何だぁ?やるってのかよ?!」


神尾という少年の言葉に、取り囲んでいた少年達の内の一人が眉を吊り上げた。
ヤバそうな雰囲気。
一触即発ってカンジだ。


「仕方ない……。」

俺は小さく溜息をつくと、大きく息を吸い込んだ。




「お巡りさん!こっちですっ!こっちで少年達が襲われてますっっ!!!」




俺は彼らから死角になる木の陰から大声で叫んだ。

「ヤベっ!逃げるぞっ!!」

俺の大声が聞こえたんだろう。
黒いジャージを着た少年達を取り囲んでいた方の少年達が、慌てたように走っていく。
流石に警察沙汰にはしたくないらしい。
捨てゼリフを残して、その少年達はその場から走り去っていった。

くそー!俺の鬱憤晴らしはパーになってしまった。
まあ、この場合仕方ないけど、次に見つけたらその分きっちりツケを払ってもらおう。
俺は仕方なく大きく溜息をついて、足元のバッグを手に取った。




「助けて頂いて、ありがとうございます。」

いつの間にか直ぐ近くに来ていた、先程まで絡まれていた少年達が後ろから声を掛けてくる。

「ああ…いいって、いいって。俺もあいつ等の声が煩くてムカついてたからさ。で、大丈夫だったか?」
「はい、おかげさまで。」
「なら良かった。今度は気を付けろよ?」

俺はそれだけ言って立ち去ろうとした。
軽く手を振って車を停めてある公園の出口に向かって歩いていると、先程のジャージ姿の少年達が後をついて来る。

「何?君達もこっち?」
「ええ、一度学校に戻らないといけないので。」
「へぇ~どこの学校?」
「不動峰中です。」
「不動峰かー。俺が行く所の途中だから車で送ってくぜ?」


別に大した理由があった訳じゃ無かったが、俺は何となくこの少年達に興味が湧いて、そう提案してみた。
もっとも、向こうが拒否すればそれっきりだけど。

「いえ、これ以上ご迷惑をお掛けする訳にはいきませんから。」

橘と呼ばれていた少年が答える。
まあ、そうだろうな普通は。
でも何故か俺はどうしても彼らの事が知りたくなって、もう一押ししてみることにした。

「このまま行くと、外でさっきの奴らが待ち伏せてるかもしれないぜ?又揉め事に巻き込まれたくないだろ?」
「それは――。」
「駐車場は別口から出れるからさ、奴らが居ても見つからないぜ。な?」

俺の一押しに少年達は顔を見合わせた。
正直もう一度あいつ等に関わるのは耐えられないだろう。
暫く目線を交わしていた少年達は、お互いに小さく頷くと、俺の方へとペコリと小さく頭を下げた。



「すみません、よろしくお願いします。」

「オッケー!じゃ、行こっか?あ、自己紹介してなかったな。俺は…よろしくな。」


















「へえ~さんってスポーツ雑誌の記者なんだ?」

少年達の中で一番元気のある神尾が、驚いたように声をあげる。
バックミラーで後部座席を見ると、目が点の神尾の顔が視界に入った。


「何だよ?見えない?」
「そんな事無いけどさ、何か…どこかのホストみたいなカンジするじゃん。」


俺の言葉に神尾が苦笑する。
確かにホストに間違えられたのは一度や二度じゃないけど、そこまで酷いんだろうか?
俺としては社会人二年目に入り、記者として一人立ちしていけるようになった――なんて思ったりしてるんだが。


「ま、いいけどさ。前の部署でも選手達に似たよーな事、言われてたしな。」
「選手?」
「ああ、プロのサッカー選手。Jリーガーだよ。」
「前の…って事は、今は……違うんだ?」

そう聞いてくるのは伊武だ。
こいつは何考えてんだか分かんないような顔して、かなり鋭い。



「ああ、俺さー学生時代からサッカーバカだったからさ、前の部署は『天職だー!』って思ってたんだけど。今年から異動になちゃってさ。何かこー…毎日やる気が出なくてなー。」



俺は車のハンドルを切りながら苦笑した。
何で出会ったばかりのこいつ等にそんな事話してしまうのか、自分でもよく分からなかったが、こいつ等と話をするのは何故か楽しいと思った。
こういうのを相性って言うんだろうか。


「それで、今は何を?」
「んー?今の部署はテニスなんだよ。俺やった事もねーからサッパリでさ。」

「え?!そうなのかよ?」


どこか嬉しそうに神尾が笑う。
橘や伊武でさえ…心なしか表情が和らいだ気がする。
と言っても、伊武あたりは表情が殆ど変わらないから、本当の所はどうなのか疑わしいけど。


「何だよ?」
さん、テニスって面白いぜ!」

子犬がしっぽを振ってるんじゃないかと思う位ワクワクとした表情で、神尾が後部座席から身を乗り出す。
うわ!完全に子犬がオモチャを見つけた時と同じだ。

「何?お前ら、もしかしてテニスやってんの?」
「ええ、不動峰中のテニス部です。」


俺の質問に、助手席に座っている橘が笑顔で頷いた。
ああ成る程。それで「ボールをぶつけた」ね。
俺は不良グループに絡まれているこいつらを見た時、一体何が原因なんだ?と思っていたんだ。
そういや、確かにテニスコートの近くだったよな。
気付かなかった俺も俺だけど。


「俺にはサッパリ分かんねーや。何つーか、金持ちのスポーツ?みたいなイメージあってさ。俺みたいなのとは世界が違うよなーって。」
「そんな事無いですよ?」
「そうかー?」


俺は首を傾げるしかなった。
食わず嫌いみたいなもんで、今の部署に配属されてからテニス自体、見た事もやった事も無いから、もしかしたらこいつ等が言うように面白いもんかもしれないけど、今現在の俺にはそれを理解する事は出来なそうだと思う。

「一回やってみたら分かるって!」

神尾が拳を握り締めて力説する。
本当にコイツ、子犬みたいだ。
あとの二人が比較的落ち着いているから、余計にそう感じるのかもしれないけど。
でもまあ、そこまで断言されると…そうなのかなーって気になってくる。
基本的に俺、根は単純だからな。



「ふ~ん…じゃあさ、お前ら俺に少しでいいからテニス…教えてくれる?」



半ば無理だろうと思いつつ、一応聞いてみる。
いつまでも外に出る度サボってるわけにはいかないから、少しでもテニスを知る所から始めなきゃな――と思っていたのは事実だから。


「教える…って、俺達が教えるんですか?!」

「ああ、別に『コーチになれ』って言ってるんじゃなくてさ、テニスってどういうもんかってのを……そうだな、見せてもらったり話してくれればいいんだ。」


正直言って俺みたいなタイプには、テニスなんて向いてないだろう。
実際プレイするなんて、多分無理だ。
でも、世の中には「自分は出来ないけど、大好きだ」って奴らはごまんと居る。
それと同じで、見る事・知る事から始めたって悪くはない筈だ。

橘達は急な俺の言葉に目を丸くしていた。
ま、そりゃあそうだろう。
さっき会ったばかりの、何処の馬の骨とも分からない奴に、そんな事を言われれば誰だって困惑する。



(無理に言っても仕方ないし、何処かのテニスクラブで取材って所から始めてみるか。)



そう思っていた俺の耳に、予想外の言葉が飛び込んできた。



「それ位なら、別に構いませんよ。」
「えっ?!本当かよ?」
「助けてくれた…お礼みたいなものだと思えば良いんじゃない?」

驚いている俺に伊武が答える。
いや、まあ…そんな事で恩を着せるつもりはさらさら無いけど、でも、せっかくそう言ってくれてるんだし、この際素直に言葉に甘えてしまおう。

「サンキュー!じゃあ、いつが良いかな?本当だったら今から…って言いたい所なんだけど、この後予定が入っちゃってるからさ。」
「俺達ならいつでも構いませんよ。毎日やってますから。」
「んーじゃあ、来週の土曜日とか…平気か?」
「分かりました。」
「それじゃ土曜日の1時に、さっきの公園でな?」



俺の言葉に橘が無言で頷く。
俺は次会う約束を取り付けることが出来て上機嫌だった。

どうやら俺はこいつ等を気に入ってしまったらしい。
初めて会った子に次の約束を取り付けるなんて、何だかナンパのようだ――と思いながら、大して違いが無い事に気付く。
相手が複数で、男だって事以外、殆ど変わりが無い。
つまりは、今の状況はナンパが成功した…って所だ。
俺は自分の思考に一人でウケてしまい、にんまりと笑みを浮かべた。


さん、何一人でニヤニヤ笑ってんだよ?怪しいぜ?」
「何だよ、その言い方?まるで俺がアブナイ奴みたいじゃねーか!」
「だって本当にヤバイ人みたいだもんな?」

ニヤニヤ笑いながら、同意を求めるように神尾が隣の伊武に視線を向ける。
その問いに、当然だろうと言わんばかりに無言で伊武が頷いた。


「あーもう!何とでも言ってろ!」

俺は拗ねたように頬を膨らませた。
そんな俺の反応に助手席の橘が小さく笑う。


何だかこいつ等と話してると、弟が出来たみたいで楽しいと思う。
実際俺は一人っ子で兄弟なんて居なかったから、こんな弟達が居たら最高だろう。
だからこそ次の約束を取り付けられたのは、俺にとってかなりの収穫だった。
その後もこいつ等と一緒に、年甲斐も無くギャーギャー騒いでいたら、あっという間に不動峰中に着いてしまった。




「じゃあ、部活頑張れよー?」

さんもな?しっかり仕事しろよー?」

校門の前で車を降りて、グラウンドの方へ歩いて行く3人の後ろ姿に声を掛けると、逆にからかうような神尾の声が返ってくる。
その言葉に隣に居る橘と伊武が苦笑している。
全く!最近のガキは口が達者だよな。
でも、そーゆー所が俺には何だか心地良いのだけれど。
でも、やられっぱなしってのも何だかシャクで、俺は一矢報いる為に大きく息を吸い込んだ。




「お前らこそ、部活にかまけて俺との土曜日のデート、忘れんなよ――?」




車の中から叫んで、片目を瞑ってみせる。
その俺の反応に3人共一瞬硬直した。

見たか!必殺!ペテン師のウィンク!!
この行為の寒さで、いつも笑いを取ってるんだからな、俺は。
でも、そのわりに今回は反応が小さいかな?笑いどころか、ツッコミも入りゃしない。
まあ、あの反応が見れただけで良しとするか。
俺は自分にそう言い聞かせて、もう一度あいつ等の方へ視線を向けると、車の窓越しに大きく手を振った。
固まったまま動かないあいつ等の様子に、笑いが耐えられず俺は堪らずハンドル部分に顔を突っ伏してしまう。
あの呆然とした顔!
きっと寒さで硬直してるに違いない。
これで一矢報いる事が出来たから良いか。


「じゃーなー!」


俺はもう一度あいつ等に笑ってみせて、ゆっくりと車を走らせた。
あー次の土曜日が楽しみだ♪










「橘さん……顔赤い……。」
「うるさいぞ深司。」
「そういう深司だって耳赤いぜ~。」
「………(ムカ)……お前ほどじゃないよ……。」
「おっ俺は赤くねーよ!」
「とか言いながら、一番さんに絡んでた……。」
「そうだな。かなり嬉しそうだったじゃないか。」
「「「…………………。」」」




(((この二人には負けられない!!)))




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