不安でしょうがないんだ。
いつか自分はお払い箱になって、君の幸せな姿を遠くから見ることしか出来なくなって、いつかは壊れていくんだって思うから。
君には輝く未来が待っているし、成長して変わっていく。想いもいつかは変わっていく。
絶対なんて、永遠なんてありえないから。
そして、幾つものしがらみや障害が俺達を邪魔するから。
だから、今の君を信じられないわけじゃないけれど、不安は決して消える事は無い。
だって俺達は同じ男で、歳が離れていて、コーチと教え子という関係で。
3つものタブーを破ってしまっているから。
聡明な君は何時か己の過ちに気付いて、いずれは本来あるべき場所に、本来あるべき姿に戻るだろう。

それが分かっている筈なのに、君に手を伸ばしてしまうのはいつも俺の方。
その時を思って不安になるのは俺の方。
別れが来た時、それに耐えられないのは俺の方。
どんなに君が俺を愛し、慕い、求めてくれても消す事が出来ない。
これだけはどうにも出来ない事だから。決して消える事は無いから。
だから…不安で仕方が無い。


君の全てを俺だけのものに出来たら良かったのに。







EGO






「好きです。」


一言だけ国光はそう言った。
酷く真剣な表情で。
それが冗談でも何でもない事は分かっていたし、俺も国光の事を想っているから、本当はとても嬉しい事なんだと思う。

でも、俺は頷く事が出来なかった。
今すぐにでも国光を抱きしめたいけれど、そうする事が出来ないのは俺が国光みたいに純粋じゃないから。
感情だけで生きられない大人だから。
純粋に好意を寄せてくれている国光を傷つけてしまうから。
大人の、俺自身の汚さを押し付けてしまうから。
俺のエゴが国光を絡めとってしまう。
だから頷けなかった。



「ありがとうな。凄く嬉しいけど…ごめん…。」

「……理由を…聞いてもいいですか?」



暫く黙っていた国光はそれだけ言って俺を見詰めた。
この瞳も大好きなものの一つだなーとぼんやり思いながら俺は困ったように笑うしか出来なかった。


「信じてもらえませんか?」
「そんな事無いよ。国光は真剣に俺の事想ってくれてるよな。それは本当に凄く嬉しいんだよ?」
「それは…コーチとして…という事ですか?」
「いや、一人の人間として俺自身を求めてくれたのが国光だっていうのが嬉しい。正直言って俺も国光の事好きだよ。でも、頷けない。」

俺の言葉に国光は不思議そうに眉を寄せた。

そうだろうね、きっと今の君には分からない事だ。
多分俺が君の歳だった時もきっと分からなかったと思う。
でも俺は君の生きていない時間を多く生きていて、色んな事を経験し学んできた。
だから今なら、今だから言えるんだ、ノーと。


「今の君には『イエス』とは言えないんだ。」
「俺がまだ子供だからですか?」

少し不機嫌そうにして国光が問うてくる。

「そうだな、正直言ってそれもある。確かに今の君はまだ子供だからね。でも、子供だから真剣に考えないとか、子供だから相手にしないって事じゃないんだよ。」

そう、子供だから頷けないけど、それは子供という『存在』だからじゃない。
子供ゆえ持たないもの、気付かないもの、分からないものが確かに存在するから。
それが俺にとっては辛い。
それは決して本人の罪では無いけれど。


「君も、いつかは可愛い女の子を好きになって俺の事は思い出になるよ。」
「俺の想いを信じてくれないという事ですか?子供だから?!」


いつもなら見ることの出来ない国光の姿。
怒りのこもったような国光の瞳。
それでさえも愛しいと思ってしまうのだけれど。
やっぱり分かってはくれないのだろうね。




「君は分かってる?俺達が想いを通わせるという事がどういう事か。」

「?」
「君は俺が好きだと言ってくれる。そして俺も。じゃあ、それだけで良いの?」




俺の言葉にまた国光は眉を寄せた。
純粋な君…純粋さは残酷だと誰かが言っていたけれど、確かにそうだと思うよ。




「恋人が居ると友達が知った時君はどう答える?男で、7歳も年上で、自分のコーチだと…そう答えるかい?そう答えたとして友達は喜んで祝福してくれる?君の両親は?それを考えた事があるか?」




国光はどこかビックリした表情をしている。
気付かなかった訳じゃないんだろうけど、そこまで思いもしなかったのかな?
そんな顔されると、やっぱりって思ってしまうよ。
きっと君の想いはまだそこまで届かないのだろうね。
決して君の想いは偽りではないのだろうけど。

「俺達の関係を知って皆が言うだろう『一時の気の迷いだ』とね。その時君はどうするんだ?あらゆる人達が俺達を引き離そうとする。それを黙って指を咥えて見ているかい?社会的にも認められず、誰も祝福などしない事に君は耐えられる?」

「それでも…俺はあなたと共に在りたい。あなたが…大切なんです。この想いは絶対に変わらない。」
「絶対…か。知っているかい?人の想いを受け止めるという事は、その人の存在全てを受け止めなくちゃならない。その重さを君は本当に分かっている?人の人生を受け止めるんだよ?何より人に認められない道を歩もうとしているのなら余計にだ。分かるか?」

「人の人生を…?」


「そう。これは決して俺との事だけではないけれどね。でも、俺と君だからこそ、それは余計に大きい事なんだよ?君に…俺の人生、俺という存在の全てを受け止められる?脆い所も汚い所も、これから迎えるであろう全ての辛さを面と向かって立ち向かっていける覚悟が、その強さを持ち続ける覚悟が君の本当の心の奥深くにあるか?国光……。」




これは奇麗事なんかじゃないんだよ、国光。
俺は本当なら国光をこの手に奪い取れるなら、君が他の誰かを求めたとしても、君が嫌うどんな汚い事だって出来る。――してみせる。
それ程の想いを孕んでいるんだ。
だからこそ簡単な想いなんかじゃいられないんだよ。
戻る事など決して出来ない世界に君自身が足を踏み入れようとしている事をきちんと理解してほしいんだ。
そして、俺の言いたい事が理解出来たなら、本当に気付いてくれたならきっと…。




「いつか想いが変わった時、君より年上の俺は、きっとみっともなく君にしがみついてしまう。飽きたから『さようなら』なんて許さない。きっと君の全てを壊しても、他の誰にも渡したりはしない。俺という存在はこんなにドロドロとして汚いものを抱えているんだよ。これが俺、なんだ。そんなエゴの塊である俺を全て受け入れられる自信がある?!俺と居続けることが出来る?!その覚悟が国光にあるのか?!」




本当はここまで言うつもりなんて無かった。
俺の言葉に多少なりとも考え込んでくれれば良かった。
そうすればきっと…いつの間にか俺達は…それっきりになれたはずだから。



「俺と居る事は陽の当たらない世界を歩く事なんだ。…輝く世界を歩いておいで…君は太陽に…光に愛された数少ない子なのだから………。」




そう言って俺は笑った。
上手く笑えただろうか?
俺のエゴで君の想いに応えられないけど、これはきっと君の為にもなるんだと思わせて。
その事さえも、また俺のエゴでしかないけど、そう分かってるから少しは…楽になれるから。
国光を想う心が少しでも抑えられるかもしれないから。
心から溢れ出しそうな血を、その傷口を小さく出来るかもしれないから。
未熟な俺が今すぐ君を抱きしめてしまわない為の抑えになるように――。


さん……。」

大好きな国光の声。耳に、心に心地良い声。
凄く近くで聞こえて最初は何が何だか分からなかった。

「泣かないで…下さい……。」

抱きしめられている。
俺より少し高い国光が掻き抱くようにして俺を抱きしめていた。

「泣いてないよ?」

そう、泣いてなんかいない。
変な事言ってるよ、国光。
でも、国光は抱きしめたまま、その手を緩めようとはしなかった。



「涙…出ないんでしょう?でも、分かります…あなたが…泣いてる事。分かるんです、自惚れでも何でもなく。分かるんです……。」



国光の少し掠れた声。
泣いてるのは国光の方じゃないか。
きっと俺の為に泣いてくれているんだろうね。ごめんな、そして…ありがとう。

「優しいな…国光。ありがとうな?」

俺は俺の肩口に顔を埋めている国光の頭をそっと抱きしめた。



愛しい国光。やはり君には光が相応しいよ。
俺の居る暗闇まで落ちてきちゃいけない。



さん…あなたは本当に何でも知っていて、そしていつもあなたのいう事は正しかったし、合っていた。でも、一つだけあなたは間違ってるんです。いや、一つだけ…あなたは知らない事がある。」
「知らない…こと?」

「俺を…俺の、本当の心を…。」


何を言っているんだろう?
俺は初めて国光が分からなくなった。
何でも分かったつもりになっていた。国光の事なら何でも。

「あなたは俺を傷つけまいとしてくれた。でも、俺の心はきっとあなたよりも重く、あらゆるものでごちゃ混ぜになっているんです。俺の中にも、あなたと同じ闇があるんです。深い闇が…。」

抱きしめていた俺をそっと離して国光は静かに俺の瞳を見詰める。
その瞳は柔らかな光を湛えていて、決して国光が言うようにその内に俺同様に闇を宿しているようには見えなかった。


「他の誰にも渡したくない…それは俺も同じです。出来るならこのまま…あなたの意志など無視してでも俺のものにしてしまいたいという衝動が付き纏う。あなたのように他の事、他の大切な存在の事を考えるような、思い遣れるような余裕など無いほど、自分の事だけしか考えられない人間です、俺は。」


どこか苦しげに吐き出すように国光は語り続ける。
辛そうだね、そんな思いまでして喋らなくてもいいよ。
きっと俺の為に話してくれているんだろうから。
俺の為に苦しむ必要なんか無いよ。
だから、もう充分だから。
でも俺は何も言えなかった。言葉が…出なかった。




さんの言うように想いを受け止めるという事は、その人の全てを、その人の人生を受け止める事だと思います。でも、それはさんも同じですよ?未熟な俺を、こんな俺を受け止めてくれますか?俺はずっとそれが不安だった。あなたは俺など及ばない程、全てに秀で、全てに長けている。本当なら俺などに煩わされるような人ではない…。それに、何かあった時はきっとさんの方が大きな負担を抱える事になる。俺という存在がいつかあなたの負担になるかもしれない。それが分かっても尚俺を選んでくれますか?星の数ほどある選択肢の中から、何にもならない俺自身を?」




そこまで言って国光は普段の彼らしくなく、不安そうに俯いた。


…こんな国光見たことが無かった。
ここまで自分の事を語ろうとするのも、苦しそうに心の内を吐露するのも、消えてしまいそうに儚げに感じる、その姿も。




「誰も祝福などしない、社会的に認められない想いを、本当に俺と共有してくれますか?軽い気持ちではなく俺自身と向き合ってくれますか?」


「くに…み…つ……。」




こんなに話してくれたのは初めてだね。
俺達、最初からこうしてぶつかっていたかな?
君は俺が思っているよりずっと大人で、そして強い男だったんだね。
君の言う通り俺は君を分かっていなかった。
君にも君の闇があり、そして二人の事をきちんと考えていた、分かっていたんだ。
そして、それでも俺を想い、俺の心配さえしてくれる。
君となら…歩いていけそうだと、そう思うよ。
俺のエゴで傷つけて、悲しませて、苦しませてごめんな。




さん…俺と生きて下さい………。」

「…うん………同じ人生(とき)を共有しよう……国光……。」




そっと合わさった国光の唇はどこか涙の味がした。




↑ PAGE TOP