HAPPY CHRISTMAS
クリスマス……世間一般では幸せなカップル達が幸せな時間を過ごす一大イベント。
けれど、俺…にとっては、そんな日でも普段と変わらず仕事に追われる一日と何も変わらない。
せめて休日だったらそれなりにイベントを満喫出来るのだろうが、あいにく今日は平日真っ只中。
定時まで仕事はやらなきゃならないのが、社会人の悲しい所だ。
とは言っても、彼女の居ない俺にとっては休みだろうが平日だろうが、あまり変わらないのだけれど。
学生時代は、まだ友達と一緒にバカ騒ぎも出来たけれど、さすがに働くようになれば時間も合わなくなるし、何より彼女の居る奴なんかは声を掛けた所で来るはずも無い。
そんなこんなで、結局侘しいクリスマスを送るハメになってしまうのだ。
「はああ~~……何か空しー……。」
俺は吐き出した白い息を目で追って肩を落とした。
さすがに今日は定時に帰ってきたから、通りはカップルや家族連れ、友達同士など、様々な人々の人波で溢れかえっている。
誰もが幸せそうに見えて、俺はもう一度溜息をついた。
「仕方ないか……帰ろう………。」
いつまでもこうしている訳にもいかず、俺は気分を切り替えて再び歩き出した。
「あれ?さん?!」
暫く歩いていると、後ろから声を掛けられる。
誰だろうと思って振り返ると、制服姿にコートを羽織った隆くんが俺に向かって小さく手を振っていた。
「隆くん!どうしたの?こんな所に居るなんて?!」
隆くんの家は、こことは反対方向だし、部活が終わってからは、あまり寄り道をするタイプじゃない隆くんがこうして繁華街に居るなんて珍しい。
人波を掻き分けてカラオケボックスの前に居る隆くんに駆け寄ると、隆くんは小さく苦笑してみせた。
「今日は部活の皆で集まってクリスマスなんだ。」
「へえ~そうなんだ?部活終わってから?」
「うん。これからカラオケ行こうって事になって。そういうさんは?」
「俺?俺はさっきまで仕事。終わったから帰ろうかと思ってね。」
そう言って笑ってみせると、隆くんはほんの一瞬だけ顔をしかめた。
「これから出掛けたりしないの?…その……恋人とか?」
「そんなの居ないよ。居たらこんな時間のんびりと家に向かってないって。」
隆くんの言葉に肩をすくめてみせると、つられたように隆くんが苦笑するのが分かった。
「それもそうだね。」
「そういう事!隆くんも、あんまり楽しいからってあまり遅くまでウロついてちゃダメだよ?」
上目遣いで見上げると、隆くんは僅かに顔を赤らめて、照れ臭そうに頭を掻く。
そんな素振りが何だか可愛くて、俺は思わず笑みが零れてしまった。
「タカさーん!早く、早く!!皆先に行っちゃうよーっ?!」
カラオケボックスのドアから顔だけ出して、友達らしい元気な少年が隆くんを呼ぶ。
「あ、うん、今行くよ!」
「ごめんな、足止めしちゃって。じゃあ、俺行くから……またな?隆くん。」
慌てて振り返った隆くんに小さく手を振って、俺はその場を離れようと踵をかえした。
「あ、ちょっと待ってさん!!」
背を向けた俺の腕を取って、隆くんが俺を呼び止める。
思った以上に力強いその腕に、俺は驚いて大きく目を見開いた。
確かに隆くんは俺より力は強いけれど、これは何と言うか……咄嗟に手を出して力加減が出来なかった――というカンジだ。
それが証拠に、隆くんは引き止めた俺の腕を掴んだまま微動だにせず、視線だけせわしなく彷徨わせている。
「隆くん??」
俺は隆くんの意図が分からなくて、僅かに首を傾げた。
「あ、えっと…その………っ。」
「どうかした?友達、待ってるよ?」
カラオケボックスの入り口を指差すと、隆くんは一瞬だけそちらに視線を向けてから、再び俺を見下ろした。
何か言いたげに何度も口を開くけれど、それは言葉にはならずに、結局は口を閉じてしまう。
それを何度か繰り返してから、隆くんは意を決したように大きく息を吸い込むと、俺の腕を掴んだままこう切り出してきた。
「あのっ……この後さん、一人……なんだよね?」
「えっ?あ、うん…そうだけど………。」
そう言われてしまうと……何だか寂しい。
確かにその通りだけれど、いざそうやって口にされると、何だか一人ぼっちの寂しさが強調されるようでやるせなくなる。
少しだけ眉を寄せると、隆くんは慌てたように俺の手を離してから、まくし立てるように叫んだ。
「もしさんが良かったら、俺と一緒にクリスマスパーティーやらないかなと思ってっ!」
真っ赤に顔を赤らめて叫ぶ隆くんを前に、俺は暫くその言葉の意味が理解出来ずに呆然と隆くんを見詰めてしまった。
一体隆くんは何を言っているんだろう?
これから友達とカラオケボックスでクリスマスパーティーだっていうのに、俺なんかに声を掛けてどうするつもりなんだろう?
頭の中が混乱してしまって、俺はマヌケな表情のまま困ったような隆くんの赤い顔を見上げるしか出来なかった。
結局隆くんは、友達とのクリスマスパーティーを蹴ってしまい、こうして俺と一緒に夜の街を歩いている。
さっきから俺の隣を無言のまま歩いている隆くんは、どこか緊張した面持ちで、じっと前を向いたまま俺の方には視線を向けようとはしない。
右手には、さっき通りすがりの店で買ったチキンやオードブルのセットを持ち、左手には2本組のシャンパンの箱を持って、ひたすらまっすぐ歩く姿はいつもの隆くんじゃないようだった。
「本当に良かったの?友達とのクリスマスパーティー行かなくて?」
俺は何だか申し訳なくて、そう声を掛けた。
そりゃあ俺は嬉しかったけれど、隆くん位の年頃だったら、何よりも友達を優先させる事が多いだろうに、楽しい筈の友達とのパーティーを蹴ってまで俺と一緒に居てくれるなんて、俺には不思議で仕方なかった。
「あ、うん。俺は別に…それよりさんの方こそ俺なんかと一緒で良かったのかな?」
ようやく俺の方に視線を向けた隆くんが、心配そうに俺の顔を見下ろしてくる。
大きな身体を自信無さげに少しだけ丸めてそんな事を言う隆くんの姿に、俺はそんな隆くんの俯き加減の背中を無性に抱きしめたい衝動に駆られた。
何て可愛い事を言ってくれるんだろう。
「何言ってるんだよ!俺は凄く嬉しいよ?一人で寂しくすごす筈だったのを、隆くんがこうして一緒に居てくれるんだから。」
俺は正直に自分の想いを口にする。
確かに少し照れ臭いけれど、素直で優しい隆くんと一緒に居ると、何故だか隠し事とか見栄なんかどうでも良くなってきて、自然に素直に隆くんに向かい合いたいと思えるようになる。
そして何より、隆くんの隣は酷く居心地が良かった。
「そ、それなら良いんだけど……っ!」
そう言って照れ臭そうに笑う横顔は、本当に穏やかな優しさに包まれていた。
「な、隆くん?少し寄り道しても良いかな?」
暫く他愛も無い話をしながら歩いていた俺は、ふと足を止めて隣を歩く隆くんを見上げる。
「え?別に構わないけど……。」
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれるかな?」
そう言って俺は、きょとんとした表情の隆くんを連れて、通り沿いにある一軒のショップのドアをくぐる。
いまどき珍しい自動ドアではない木製のドアを閉めると、外の喧騒がまるで嘘のように店の中は静かな空気が流れていた。
けれど、決してそれは嫌な静けさではなく、心地良いと感じる静けさだった。
「さん?」
不思議そうに名前を呼ぶ隆くんに、無言で笑ってみせて、俺は店の奥に居た店長らしい初老の男性に声を掛ける。
「すみません、あそこに飾ってあるのを見せて欲しいんですけど……。」
「ああ、いらっしゃいませ。こちらでございますか?」
「ええ。少し合わせてみたいんですが。」
「かしこまりました。」
俺の言葉に軽く頭を下げた店長は、ディスプレイに飾られていた紺色のマフラーを取ると、笑顔で俺の目の前にそれを差し出した。
「すみません。」
俺は店長の手からそれを受け取ると、後ろに居る隆くんを無言のまま手招きする。
「何?どうかしたの、さん?」
「ん……隆くん、ちょっと屈んで?」
「え?……こう?」
両手に荷物を持ったまま訝しげに近付いてきた隆くんを屈ませて、俺は手にしていた紺色のマフラーをフワリと隆くんの首元に巻きつけた。
「えっ?!さん?!」
自分のものでも選んでいると思っていたのだろう。
不意に自分の首元に巻かれたマフラーを見て、隆くんは驚いたように何度も目を瞬かせた。
そんな隆くんの反応を前に、俺は小さく笑ってみせる。
思った通り、紺色のマフラーは隆くんに良く似合っていた。
「どう、これ?暖かい?」
「うん、暖かいけど………。」
俺とマフラーを見比べて、隆くんは困ったように目を伏せる。
手にした荷物のせいで下手に動く事の出来ない隆くんは、俺の意図を掴もうとするように俺を見下ろすだけだった。
「そっか。じゃあ……すみません、これ頂きます。」
訝しげに見下ろしてくる隆くんに笑ってみせて、俺は後ろに控えていた店長に声を掛ける。
「えっ?!さんっっ?!」
予想外だったんだろうか。
俺の言葉に隆くんは慌てたように俺と店長をそれぞれ見やって声をあげた。
「プレゼントでございますか?」
店長は微笑ましそうに俺と隆くんを見て、そう問いかけてきた。
「ええ。」
「では、お包み致しましょうか?」
「……いえ、いいです。このまま頂きます。お幾らですか?」
呆然としたままの隆くんをそのままに、俺は店長に会計を申し出る。
プレゼント用にラッピングしてもらっても良かったが、中身は何か既に判っている訳だし、何よりマフラーが隆くんによく似合っていたから、せっかくのそれを外してしまうのは何だか忍びなかった。
俺はもう一度隆くんを見やってから、支払いをするために店の奥に向かう。
結局、隆くんは会計を済ませて店を出るまで、一言も口を利かなかった。
「さん………これ………。」
店を出て5分程歩いた頃、ようやく隆くんは口を開いた。
「あ、クリスマスプレゼント!何も用意出来てなかったからさ、突発で悪いんだけど。あ!………もしかして気に入らなかった?」
何だか困ったような表情の隆くんに、俺は眉を寄せる。
確かにあのマフラーは隆くんに良く似合っていたけれど、隆くん自身が気に入ったという訳じゃない。
浮かれ気分で咄嗟に買ってしまったけれど、隆くんには他に欲しい物があったのかもしれないし、俺が一方的に選んでしまったこれより別の色の方が良かったのかもしれない。
俺は今になって、自分の好みで隆くんへのプレゼントを決めてしまった事に気付いた。
「違うよ!気に入らないなんて事ない!!ただ………。」
「ただ?」
言いかけて言葉を濁した隆くんは、足を止めて自分の首元に巻かれた紺色のマフラーをじっと見詰めた。
「こんな高いもの、本当に俺なんかがもらっちゃっていいのかな……って。」
どうやら困っているだけではなく、少しは喜んでくれているらしい。
首をすくめてマフラーの感触を確かめている隆くんは、何だか酷く可愛かった。
「俺がプレゼントしたかったんだ。だから値段なんか気にしないで受け取ってくれると嬉しいんだけど。」
少しずり落ちてきたマフラーを直してやって、俺は隆くんの顔を覗き込む。
本当に値段なんかどうでも良かった。
せっかくのクリスマスに俺といる事を選んでくれた嬉しさ、喜び、暖かな気持ち、俺の中のそういった想いを表すのにマフラーなんかじゃ足りないけれど、それでもそうする事で少しは隆くんに喜んでもらいたい。
そんな想いの方が強かったから、値段なんて本当に考えてもなかった。
「あ……ありがとう……!」
照れ臭そうな隆くんの笑顔は、寒空の下の俺の心を酷く暖かくしてくれる。
何より隆くんが嬉しそうに笑ってくれる事が、俺にとっては一番嬉しかった。
「あ、そうだ………。」
ふと、何かを思い出したように声をあげて、隆くんは手にしていた荷物をまとめようとバタバタと動く。
慌ててその両手いっぱいの荷物を受け取ると、隆くんは背負っていたテニスバックの中を何やらゴソゴソと探り始めた。
「あ!あった!!」
暫く無言のままバックの中を探していた隆くんが、笑顔で声を漏らす。
俺の方を振り返った隆くんの手には、シンプルなデザインだけれど丁寧にラッピングされた小さな箱が握られていた。
俺から再び荷物の内の一つを受け取って、隆くんはそっと手元の小箱を差し出す。
大きな手に握られている包装紙には見覚えがあった。
「これ、俺からのクリスマスプレゼントなんだけど…もらってくれるかな?」
差し出された小さな小箱。
細長いその形と、ブランドマークのロゴは確かに見覚えがある。
「俺に?」
差し出されたその小箱を手に、俺は呆然と隆くんを見上げた。
「うん。気に入ってくれるか分からないけど……。」
優しげに笑って、隆くんは目を細める。
そんな隆くんから小箱に視線を移して、俺は手の中の包装紙をそっと指先でなぞった。
「あけても……いいかな?」
「あ、うん…。」
頷く隆くんを横目で見て、俺は震える手を叱咤しながら、ラッピングをほどいていく。
この手の震えは決して寒さが原因じゃない。
俺は高鳴る心臓の鼓動をどこか遠く聞きながら、手の中にある箱を開いた。
「これ………。」
取り出した箱の中身に俺は目を見張った。
「さん外回りの時、時間確認するのに携帯じゃ不便だって言ってたから……。」
照れたような隆くんの声が、静かに下りてくる。
それを呆然と聞きながら、俺は手の中のプレゼントを握り締めた。
俺が以前から欲しがっていた時計。
決して高いものじゃないけれど、気になって気になってずっと欲しがっていた、俺が愛用しているブランドの腕時計。
それが今俺の手の中にある。
それも……隆くんからのクリスマスプレゼントという形で。
欲しかった物をもらえたという事も嬉しかったけれど、何より隆くんがプレゼントしてくれたというのが一番嬉しかった。
「さんのくれたのに比べたら、大した金額のものじゃないけど……。」
「そんな!そんな事ないよ!!凄く嬉しい!!!」
俺は思わず勢い込んで隆くんのコートの前を掴んでしまった。
「これ…凄く欲しかったんだ!ありがとう、隆くん!」
俺はもう何と言ったら良いのか分からず、大きな隆くんの逞しい胸元にそっと額を預けた。
嬉しくて言葉が出ないなんて、本当に何年ぶりの事だろう。
隆くんと出会ってから、俺はこうした心の満たされる幸せな時間ばかり、隆くんからもらっている気がする。
そして、こんなに暖かな気持ちにさせてくれた隆くんの存在がどんどんと俺の中で大きくなっていく。
誰よりも優しくて、誰よりも懐深く、誰よりも暖かな、俺の大切な人。
本当は俺が隆くんを満たしてやらなきゃならないのに、俺ばかりがこうして満たされてしまっているけれど、それを心地良いと思わせてくれる。
決して宗教とか信じていた訳じゃなかったけれど、隆くんと出会えた事の喜びを、俺は今日ほど幸せに思い、神に感謝したいと思った日は無かった。
「隆くん………。」
「なに…さん……?」
「生まれてくれて……俺と出逢ってくれて……俺と一緒にいてくれて……ありがとう…………。」
俺の言葉に、一瞬驚いたように目を見開いた隆くんは、すぐに俺の大好きな暖かな優しい笑顔をくれる。
俺はこの聖なる夜に、大切な人と共に幸せな笑顔を浮かべる事の出来る幸せを噛み締めて、改めて隆くんの温かな胸の中にその身をゆだねた。