BIRTHDAY






「あ~あ……何でこんな遅くまで仕事しなきゃなんないんだ……。」


俺は真っ暗な空を見上げて大きく溜息をついた。


俺、は、何処にでも居る平凡でしがない一サラリーマン。
今日も今日とて、やりたくもない残業をして、この時間になってやっと会社を出る事が出来た。
右手の腕時計を見れば、もう午後9時を過ぎている。


「せっかくの誕生日だってのに、仕事で一日パーか……。」


俺はもう一度大きく溜息をつく。
今日は俺の23回目の誕生日。
だというのに、それを祝う所か、こんな遅くまで残業してこき使われて。
何も休ませろとまでは言わないが、せめて今日くらいは早く帰らせて欲しかったと思う。
流石にこの時間から友達を呼ぶわけにもいかず、俺は仕方なく一人侘しく家路についていた。

「さっさと帰って風呂にでも入ろ。」

あれこれ考えていたら何だか空しくなってくる。
一日中パソコンの前に座りっぱなしで、すっかり硬くなった肩を回しながら、俺は一人ごちた。



「あれ?家の前に誰か居る??」

足早に歩いていた俺の視界に、家の前に佇む人影が映る。
こんな時間にうちに訪ねてくる人間なんて思い当たらず、俺はその人物の姿に顔をしかめた。
不審者だったらすぐに警察に通報しようと、俺は右手に携帯を握る。
家の前でじっと立ち尽くす人影に気付かれないよう、細心の注意を払ってそっと近付くと、段々とその人物の姿がハッキリと分かるようになってきた。


「……え?隆くん……?」


少し離れた所で様子を窺っている俺の事には全く気付かずに、じっと俺の家の窓を見上げている人物。
それは俺がよく行く『かわむらすし』の大将の息子である河村隆くんだった。

「何で隆くんがこんな所に?」

俺は思いもよらない人物の姿に、その場で立ち止まったまま動く事が出来ない。
人違いかとも思ったが、やはりその横顔は隆くん以外の何者でもなかった。


隆くんと俺が知り合ったのは、今から一年くらい前。
入社したばかりの俺を、会社の先輩が『かわむらすし』へ連れて行ってくれたのがきっかけだった。
当時中学2年生だった隆くんは、自分自身も遅くまで部活動を頑張っているにもかかわらず、帰ってから家業の寿司屋を手伝う、本当に優しくて頼りになる孝行息子というカンジだった。
それは今でも決して変わらない。
初めて会った日も、店を手伝っていて、初めて店に来た俺に笑顔でおしぼりとお茶を出してくれたのを今でもハッキリと憶えている。
そんな隆くんとは、同じテニスをするものとして何だか意気投合してしまい、それ以来俺は暇を見つけては『かわむらすし』に顔を出すようになっていた。
でも、そんな隆くんがこんな遅い時間に、それも俺の家の前に居るなんて。
俺は慌てて最後に隆くんに会った日の事を思い起こす。
最後に会ったのは先週の土曜日。
休日に釣りに出掛けた俺は、その日の成果が予想以上に大漁で、お裾分けを兼ねて『かわむらすし』に出向いていた。
大将に持参した魚をさばいてもらい、珍しく早く帰ってきていた隆くんと久しぶりに一緒に食事をした事を思い出す。

その時、隆くんが何か言ってなかったか?




『来週の金曜日、さんの誕生日だったよね?じゃあ、今日のお礼に今度は俺が誕生日の日に差し入れに行くよ。』




「――――――っ?!」


俺はハッキリと戻った記憶に、全身が震えた。
そうだ!隆くんはわざわざ俺の為に、こんな遅くにここまで来てくれたんだ。
俺の全身をぞくぞくとした震えが走る。
これは決して寒さから来るものなんかじゃない。
俺は、窓を見上げたまま座り込んだ隆くんの背中に向かって駆け出した。



「隆くんっっ!!!」

「わあっっ?!!」



俺よりもずっと大きな背中を抱きしめる。
座り込んでいるからこそ触れる事の出来る彼の逞しい肩が、驚いたように跳ね上がった。
でも、そんな事には構わず、俺は隆くんの肩に腕を回し、後ろからぎゅっと抱きしめる。
そうせずにはいられなかった。
嬉しさと切なさと色んな感情がごちゃ混ぜになってしまっていて、上手く言葉が出てこない。


さん…?」

突然の俺の行動に戸惑ったように、首だけで後ろを振り返る。
そんな隆くんに俺は微笑んで、もう一度彼の背中を抱きしめた。


「来て……くれたんだ?」

「あ、うん。約束したからね、差し入れするって。はい、これ。」


そう言って隆くんは右手に持っていた包みを持ち上げる。
その優しげな笑顔に、俺は胸が締め付けられるような感覚をおぼえた。

「冷たい……こんなに冷たくなるまで、一体いつからここに居たの?」
「え?うん…8時くらいかな?」
「携帯に電話してくれれば良かったのに。」

身体を離して隆くんと向き合うと、困ったように頭を掻く隆くんが小さく苦笑する。

「仕事の邪魔しちゃ悪いと思って…。」
「隆くん……。」

照れたように笑う隆くんは、そう言って再び包みを差し出した。


「俺が作ったから、親父みたいにはいかなかったけど、良かったら食べて?」


差し出された包みを受け取るのに、俺はそっと手を伸ばす。
受け取る際に触れた隆くんの手は氷のように冷たくて、俺は眉を寄せた。
このまま帰してしまったら風邪をひかせてしまうかもしれないし、何よりここまでしてくれた隆くんをこのまま帰したくない。
幸い、明日は土曜日で俺も会社は休みだし、隆くんも部活も平日よりは開始時間は遅いはずだ。
俺は右手でずっしりとした包みを受け取ると、左手で隆くんの冷たくなった手をきゅっと握り締めた。



さんっ?!」



俺の行動に、隆くんが慌てたように声をあげる。
でも俺はこの手を離すつもりは無かった。

「あがって?このままじゃ風邪ひくからさ。」

見上げるように隆くんの顔を覗き込むと、困ったような表情を浮かべて隆くんは苦笑した。

「こんな遅い時間に悪いから、帰るよ。」
「遅いからあがってけって言ってるの!明日は部活の時間までに間に合えば良いんだろう?今日は泊まってけよ、な?」


じっと見詰めると、隆くんは頬を赤らめて俺から視線をそらした。
隆くんが照れ屋なのは知り合ってからすぐに気が付いた。
だからこんな時も、俺の視線に耐えられないのも知っている。
こうすれば隆くんが断れないのを知っていて、俺はあえて隆くんの瞳をじっと覗き込んだ。


「う……ん……じゃあ……お邪魔します……。」


ボソリと呟いた隆くんに俺はホッと胸を撫で下ろす。
あんな事言ったけど、本当は俺が隆くんに帰って欲しくないだけだ。
俺は頷いてくれた隆くんの手をもう一度握り締めて、小さく笑みを浮かべた。


















「ちょっと待っててな。すぐお湯はるから。」

家の中に入った俺は、急いでリビングのエアコンを全開にした。
誰も居なかった家の中は、外ほどではないにしろ、かなり冷え込んでいて、俺は暖房を全てつけてからキッチンでやかんを火にかけると、すぐに風呂場へと向かう。
幸いにして、浴槽の湯はすぐにいっぱいになり、俺は急いで隆くんを風呂場へと押し込んだ。
何より隆くんに風邪なんかひかせられない。


「とにかく、ゆっくり温まっておいで。」
「あ、ありがとう…。」


ドア越しに声を掛けると、戸惑ったような声が返ってくる。
俺はその声に小さく笑みをもらすと、静かにその場を離れた。
隆くんが出てくるまでに、彼の着替えを用意しないといけない。
廊下を歩きながらそう考えて、俺は暫し考え込んでしまった。
どう考えても、俺の服が隆くんに合うとは到底思えない。
俺よりも一回り位大きい隆くんに着せられる服がないか考えて、俺は今は誰も使う事のなくなった和室へと足を向けた。
和室の奥にある古びたタンスから黒のパジャマを取り出す。
それを手に、仏壇の方へ視線を向けて、俺は小さく呟いた。

「借りるな………。」

暫く仏壇の前で立ち尽くしていた俺は、一度だけ溜息をついて和室を後にした。


















シュンシュンとやかんのお湯が沸く音が静かな室内に響く。
俺は着替えとタオルを脱衣所に置くと、自分も着ていたスーツを脱いで室内着に着替え、リビングのソファーに身を沈めた。

目の前のテーブルには隆くんの持って来てくれた包みがそのまま置かれている。
どうせなら、隆くんと一緒に食べようと思ったからだ。
俺はその包みを暫くボーッと見詰めてから、ふっと息をつくと、静かに目を閉じた。
最悪だと思っていた誕生日が、隆くんが来てくれたおかげで何だか最高な一日に変わりそうだ。
そんな事を考えていると、バタンと廊下の方からドアの閉まる音がする。
俺は隆くんの為にホットミルクティーを煎れる為にキッチンへと向かった。



「出たよ、さん。」

タオルを肩に巻いた状態でダイニングへと入ってきた隆くんが、笑顔で近付いて来る。
黒のパジャマは思っていたよりピッタリで、俺はほっと息をついた。

「良かった。小さかったらどうしようかと思ったんだ。」
「あ、ありがとう!でも、これさんのじゃないよね?」

「あー…うん…そうだね。俺のじゃ小さくて隆くんじゃ着れないと思ったから……。」

隆くんの言葉に俺は一瞬返す言葉を失った。
何と言うべきなのか、正直迷っていたから。



「もしかして、これ……。」



不思議そうに俺を見ていた隆くんが、ふと考え込むようにして言葉を濁す。

「大切な人の……だったりする?」

心配そうに俺を見下ろす隆くんの目は、叱られる寸前の子供のもののようで、俺は安心させるように笑みを浮かべた。

「よく分かったね?隆くん。」
「……やっぱり…そうなんだ……。」

俺の答えに、どこか落ち込んだように肩を落とす隆くん。
その理由がさっぱり分からなくて、俺は数回目を瞬かせた。


「え?やっぱり嫌だった?親父のなんて―?」

それなら悪い事をしたな――と俺は小さく頭を掻いた。
去年他界した俺の親父の、今は形見になってしまった衣類の数々。
何故か捨てる事など出来なくて、ずっと手元に残していた。
それを隆くんに着てもらった訳だけれど、やっぱりそういうのは気分が悪いものなんだろう。
確認もしないで着せてしまった事に俺は酷く後悔した。


「親父の……って、去年亡くなったお父さんの?!」


驚いたように目を見開いて、隆くんが問うてくる。

「そうだけど…何で驚いてるの?隆くん、さっき大切な人のだって当てたじゃないか?」
「……大切な人って、お父さんの事だったんだ……。」

ほうっと大きく溜息をついて、隆くんは肩の力を抜いた。
そんな隆くんの様子に、俺は首を傾げるしかなかった。
兄弟の居ない俺にとって、男で大切な人と言ったら、男手一つで俺を育ててくれた親父以外に誰が居るというのだろう?



「誰だと思ったワケ?」

「えっ?!あっ……えっ…と……それは……っっ!」



しどろもどろになりながら、隆くんが視線を泳がせる。
こんな時の隆くんは、何か隠し事をしている事が多い。
それはずっと付き合ってきたからよく分かる。
言い方を変えれば、純粋で素直だから、嘘のつけないタイプだって事だ。
それが隆くんの良い所なんだけれど。


「で?誰だと思ったの?」

ティーカップを差し出すと、ワタワタとしながらそれを受け取る。
俺はリビングの方へ隆くんを促すと、自分の分のティーカップを持ってリビングのソファーに腰を降ろした。


「隆くん?」


俺の隣に座った隆くんをじっと見詰める。
その視線に耐えられなくなったのか、隆くんは少しだけ俯いてポツリと言葉を漏らした。

「その…恋人のかなって思って…。」
「え?」

隆くんの言葉に俺は目を見開いた。

『恋人』?このパジャマの持ち主が?
どう見てもこれは男物だし、百歩譲って判別出来なかったとしても、俺のより大きな女物なんて普通は考え付かないはずだ。
そりゃあ、俺は隆くんよりは小さいけど、女性よりは明らかに大きいんだから。
俺は隆くんの言いたい事が分からなくて、首を傾げた。


「恋人のじゃ…ないんだよね?」

心配そうに俺を見る隆くんは不安そうではあったが、真剣そのもので、ふざけてるようには思えない。

「隆くん、これ男物だよ?」
「だから…恋人のかと思ったんだ……。」
「ええっっ?!」

俺は自分の顔が爆発したんじゃないかと思う程顔が真っ赤になってしまった。
これが男物だと分かった上で恋人のものだと思ったという事は、つまり……隆くんの話をまとめると……俺に男の恋人が居ると思ったという事になる。
さっきの態度は、それにショックを受けていたって事なんだろうか?
つまり、それって……。
俺は真っ赤な顔のまま、隣に座る隆くんを見上げる。


「隆くん…それって………。」


俺はいつになく早鐘を打っている心臓を、何処か遠くのもののように感じながら、自分よりも大きな隆くんの照れたような横顔を見詰めた。


















静かな寝息が聞こえてくる。
俺の隣の布団には、ぐっすりと寝入っている隆くんの姿。
やっぱり部活が終わってから、うちに来ているだけあって、かなり疲れていたんだろう。
隆くんの作ってくれた食事を二人で食べてから、その後すぐに二人とも布団に潜り込んでしまった。
正直言って俺は隆くんの事が気になって、ちっとも寝付けなかったけれど。

結局、あの後隆くんは俺の問いに答える事はなかった。
答えをもらえない事で、もどかしい想いも確かにあったが、それでも俺は構わなかった。
少なくとも、隆くんは俺の事を…嫌ってるわけじゃない。
それだけ分かれば充分だ。
俺は布団を抜け出すと、隣に寝ている隆くんを起こさないよう、そっとその顔を覗き込んだ。



「隆くん…ありがとな……。」



まだどことなくあどけなさを残す寝顔に、知らず知らずのうちに笑みが零れる。
誰かとこうして布団を並べて寝るなんて、いつ以来だろう。
それ以前に、最後に誰かと共に自分の誕生日を迎えたのはいつだった?

「忘れてたな…こんな気持ち…。」

俺は小さく呟くと、ずり落ちて肩口の出ている隆くんの掛け布団を持ち上げた。


「隆くんが来てくれて、凄く嬉しかった。誰かと居る事の喜びを教えてくれた。本当に…嬉しかったんだよ、隆くん……。」


君はきっと知らないだろうけれど。
暗闇の中俺を待つ隆くんの姿を見た瞬間、俺の中に確かに何か新しい感情が生まれた。
俺は自分の中に生まれた、この暖かな感情をもっと確かなものにしたいと思う。
だから、俺は君が答えてくれるのを待っている。




「来てくれて…ありがとう……隆くん。今日は最高の誕生日になったよ…。」




俺は静かに眠る隆くんの髪に触れる。
その柔らかな手触りを感じながら、俺はそのまま訪れた睡魔に身を委ねた。




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