Change the future 29
俺が家康の城を出立して数日。
俺と数名のお庭番衆の忍は、目的地である地方の宿場町の一角に建つ屋敷へと到着した。
ここは竹中半兵衛から指定された場所だから、何処に何が潜んでいるかも分からない。
確かに豊臣領ではないが、それでも彼の息の掛かった場所というだけで、敵地とそう大差ない状況だろう。
同行してくれたお庭番衆の忍が更に緊張感を高めたのが分かる。
しかし、もうここまで来てしまった以上腹を括るしかない訳で。
俺は案内された屋敷に足を踏み入れると、半兵衛が待つという部屋の襖の前で1度小さく息を吐き出してから、俺用にとあつらえられた刀を同行してくれているお庭番の1人に差し出した。
ここから先は護衛の忍達は別室で待機する事になっている。
「様?!一体何を?!」
「俺が戻るまで預かっていてくれ。」
「そんな!危のうございます!」
「話に来ただけだからそんな物は必要ないさ。」
「ですが…!」
心配してくれるお庭番に溜息交じりに小さく苦笑した時だった。
「心配いらないよ。ここには僕を含めても5人程度の人間しか居ないからね。」
「―――ッ?!あなたは……。」
目の前の襖が開き、仮面で素顔を隠した男がこちらを見据えている。
細身の体躯に、見覚えのある戦装束スタイル。
しかし、彼の手にも武器らしいものは存在しなかった。
まあ、俺程度の人間であれば、たとえ丸腰であっても竹中半兵衛程の人間なら軽く一捻りなんだろうが。
「よく来てくれたね。君が君かい?僕が竹中半兵衛だ。」
「お初にお目に掛かります。名軍師と誉れ高い竹中殿にお会い出来て光栄です。」
「ふふっ……なかなかに口は回るようだね。さあ、中へ入りたまえ。」
促されて足を踏み入れた部屋の中は――何というか全体的に和洋折衷の雰囲気が漂っていた。
でもそれにそう違和感を感じさせない所が半兵衛の凄い所なんだろう。
静かに閉まる襖から部屋の奥へ視線を移すと、美しい顔を緩めて半兵衛がゆったりと笑みを浮かべる。
「すまないね、こちらで場所を決めさせてもらって。」
「いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます。」
「さあ掛けてくれたまえ。」
「失礼致します。」
部屋の中央に置かれたテーブルに椅子。
そちらへ促されて、俺はぺこりと頭を下げ目の前の椅子に腰掛けた。
そして座してからすぐに持参してきたものの事を思い出す。
まあ、現代社会人の常識として、相手の所に伺う時には手土産を…という事で、ウエッジウッドのカップ&ソーサーとピュアダージリンの茶葉を持参してきたんだ。
勿論、他にも三河名物なんかも持参してきてはいるが。
俺の個人的なイメージでしかないけど、半兵衛にはティーセットが似合う気がしたんだよな。
まあいくらウエッジウッドとはいえ、一客数万円から数十万円するようなものは流石に持ち合わせてはいないが。
俺は促された椅子から立ち上がりそれらを差し出すと、静かに目を細めた。
「その前にこちらをお収め下さい。」
「これは?」
「ティーカップとソーサーです。よろしければお使い下さい。」
俺はわざとカタカナを交えてそう伝える。
そうすれば半兵衛が俺に興味を示す……そう思って。
「君、君は異国の事に精通しているようだね?」
「幾ばくかは。」
「成程………。」
「ご心配であれば開けてご説明を。」
「そうだね、頼もうかな。」
「では失礼して。」
俺は包んできた風呂敷包みを解き、中の木箱からティーカップとソーサーを取り出す。
そしてソーサーの上にティーカップを置き、更に木箱の中からスプーンを取り出してソーサーの上に置いた。
本当ならティーポットやシュガーボックス・クリーマーなんかもあればいいんだろうが、流石にそこまで一式はやれないし。
いや別に俺の使っている物で良ければ渡しても構わないが、流石に普段使用してる安物を出すのは何だしな。
俺は手元に広げたそれらを半兵衛に見えるようにくるりと回すと、口を開いた。
「こちらは異国の茶器です。この器がティーカップと言い、こちらに茶を注ぎます。そのティーカップの受け皿となるのがこの平たいソーサーというものです。」
「へぇ?なかなかに美しい色彩だね。それに手触りも良い。」
「そう言って頂ければ幸いです。」
「異国の物にまでここまで造詣が深い上に、見慣れぬ出で立ち………君は不思議な存在だね。」
「…………………。」
そう…俺は今日、最近着慣れてきた着物スタイルではなく、わざと元の世界の洋服を着てこの場に来ているのだ。
明らかに俺の存在が異質と見えるように。
半兵衛が俺を警戒してくれるように。
俺は静かに椅子を引くと、それに腰を下ろして小さく息をついた。
「怪しいと……お思いですか?」
「そうだね、少なくとも僕の目から見て異質である事は間違いないね。」
「異質…ですか。やはりこの形では致し方ありませんね。」
「いや、それだけじゃない。君は気付いてないかもしれないけどね、外見だけじゃないんだよ?君の異質さは。例えばこの椅子、君は戸惑う事無く座ったけどね、普通初めて目にした者なら勧められたこの椅子を前にどうしたら良いか分からず立ち竦むものなんだよ。でも君は全く戸惑う事無く腰掛けた。これが座る為の物だと知り、どのように使うかを知っていなければ出来ない事だ。」
そう言ってスッと目を細める半兵衛。
その見定めるような鋭い視線に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
流石は天下の名軍師、竹中半兵衛だ。
たったこれだけの短い間に、外見だけでない俺の異質さを見抜いてみせた。
「成程………流石は名軍師の誉れ高い竹中殿。あなたには隠し事は出来そうもありませんね。」
とはいえ、全てを半兵衛に曝け出す訳にはいかないけど。
でも少なくとも話を進める方向性は定まった。
当初は北条殿や官兵衛に対したように、不可思議な力を持つ先見の神子として半兵衛に対するつもりだったが。
でもこうなったら俺が数百年後の未来を生きる者だと伝えた方が、より半兵衛と対等に渡り合えるような気がする。
いや、そもそも対等なんてありえない事かもしれないが。
でも少なくとも俺の価値を低く見られる可能性はかなり少なくなる筈だ。
未来を知る――それは今の半兵衛にとって価値の重いものの筈だから。
「竹中殿、私が何と呼ばれているか…ご存知ですか?」
「先見の神子……そう呼ばれていると聞いているよ。」
俺の問いに答えながら半兵衛が俺の向かいの椅子に腰を下ろす。
それに頷いて俺は半兵衛の仮面越しの瞳をじっと見つめた。
「そうです。私は先の世を知る者。この世界の行く末を知る者。それ故私は先見の神子と呼ばれております。」
「伊予河野の預言者殿と同じ力を持つ…という事かい?」
「いえ違います。私は伊予河野の姫巫女殿のような特別な力は持ち合わせてはおりません。ですが私には未来が分かる………何故かお分かりになりますか?」
「いや?」
「私が先を見通せる理由………それは私が後の世を生きる者だからです。」
「――――?!」
俺の言葉に流石の半兵衛も微かに目を見開く。
まさかこんな言葉が返ってくるとは思わなかったんだろう。
そりゃ普通に考えれば、ティーカップや椅子の座り方・カタカナ語や英語なんかの件を考えると、異国の事に精通した特殊な人間…って所が妥当なのかもしれない。
それがどうだ。
自分は未来の人間だなんて言われのだ。
はいそうですか――なんて言えるわけがないだろう。
普通に考えたらふざけた事を言うなって所じゃないだろうか。
少なくとも俺が半兵衛の立場だったらそう思っている。
「ふざけている訳でも狂っている訳でもありません。これは限られた方にしかお話しておりませんので理解して頂くのは難しいと思いますが……。」
「……………この手土産も、後の世の物…という事かい?」
「はい。ですがこれだけではご納得頂けないでしょう?」
そう言って俺は手にしていたバッグの中から様々な物を取り出して見せた。
以前に孫市に事情を説明した時同様、現代なら当たり前に存在するがこの世界には決してありえない物。
それらを半兵衛が納得するまで披露してみせる。
だが物だけなら異国の発展した文明でなら存在する――と思われるかもしれない。
俺は俺が知りうる竹中半兵衛の情報全てを、そして彼が今どのような状態に置かれているのかを包み隠さず話して聞かせた。
「ははは……………成程ね。僕しか知らない事や限られた者にしか伝えていない事まで知っているとはね。」
苦笑してみせる半兵衛だが、その瞳だけは決して笑ってはいない。
信じられないが信じざるを得ない――そんな雰囲気を感じ取って、俺は静かに目を伏せた。
「簡単に信じて頂けない事は理解しております。ですがこれが私の真実です。私は後の世を生きる者であるが故、この世の行く末が分かるのです。私は伊予河野の姫巫女殿のように先が『視える』のではありません。『知って』いるのです。」
「僕がこの先どうなるのかも、豊臣の未来も全て知っている……そう言うのかい?」
「はい。」
「……………………成程、だから君は家康君の元に居るのかな?」
「………はい……………。」
俺の答えに半兵衛は静かに目を伏せてふぅ――と一つ息をつく。
そして暫く考え込む素振りを見せてから俺に向き直った。
何となくだが…俺がこの世界の人間では無い事は分かってくれたように思う。
理解は出来なくとも、無理やりにでも納得させたといった感じかもしれないが。
「後の世を生きる君から見て…………今の豊臣はどう思う?」
「ご無礼を承知で申し上げます。『今の』豊臣には問題点は多く見つけられません。ですが……。」
「何だい?」
「今のままでは豊臣の『未来』は明るくない事だけは確かです。」
「未来…かい?」
「はい。半兵衛殿、あなたがいらっしゃる今はいい。ですがあなたが居なくなられた先は?そして秀吉公が亡くなられた先は?」
「君?!」
「秀吉公亡き後の話などご無礼であることは重々承知の上です。ですがあなたに時間が少ないように、いずれ秀吉公も身罷られる時が来られます。これは人である以上避けては通れぬ道。それが例え秀吉公であろうとも。永遠の生を持つ人などおりませんから。」
「そうだね………。」
「その時、豊臣を担う者達がどうなっているか…………半兵衛殿、それをご心配なされてはおられませんか?」
そう言って半兵衛の瞳をじっと見据える。
俺が見たアクションゲームの中でも、半兵衛は己亡き後の豊臣を支える人材を育てる事に命を懸けていた。
だから今の豊臣に――いや、次代を担う者達に不安を感じている筈なんだ。
「豊臣を担う時代の者達。君の言うのは誰の事かな?」
「あなたが今思い浮かべていらっしゃる方々です。ですが、失礼を承知でお聞き致します。彼らに――今の彼らに豊臣の未来を、秀吉公の夢見ている強き日ノ本を託せると………………………本気でそう思っておられますか?」
竹中半兵衛は豊臣秀吉の夢を叶える為にその才知を揮っていると聞く。
その豊臣秀吉の夢は、異国の列強に負ける事のない強き日ノ本を作り上げる事。
この日ノ本を列強によって滅ぼされる事のないよう守る為に、富国強兵を掲げているのだと。
その秀吉の夢でもある強き国。
たとえそれを秀吉と半兵衛が成し遂げたとしても、その後に続く者達がそれを引き継ぐ事が出来なければ何にもならない。
そう――史実において豊臣家が滅びたように。
「単刀直入に申し上げます。今のままでは豊臣に未来は…………ありません。」
「今のままでは?」
「はい。半兵衛殿、このままでは豊臣はいずれ滅びます。たとえ秀吉公、半兵衛殿…あなた方が天下を平定したとしても。」
「………………………………確かにそうだね。三成君は感情に左右され真実を見極める目を曇らせやすい。大谷君は才知は余りあるが思考の方向性が偏りすぎている。左近君も未だ未熟な面があるしね。彼らは臣下としては申し分ないのだろうけれど、日ノ本を背負っていくのには些か荷が勝ちすぎていると言わざるを得ない。」
「誠に失礼ながら私も同様に存じます。その点において、半兵衛殿………家康の事をどうお考えですか?家康が三河の国主である事を除いてお考え頂きたいのです。」
「家康君かい?そうだね………少なくとも三成君や大谷君、左近君…その誰よりも日ノ本を治めるに相応しい資質を持っているだろうね。だが、それは秀吉には遠く及ばない。」
「はい。家康も未だ未熟な面を持つ事は否めません。ですが半兵衛殿、秀吉公亡き後の日ノ本を託すにおいて、相応しいのは誰か?誰になら日ノ本を託せるのか………それが問題なのです。」
「君は今ではなく遥か未来を見ているんだね?」
「そうかもしれません。私は後の世を生きる者……それ故未来に目を向けているのかもしれません。ですが、これは豊臣の為でもあるのです。偽りなく申し上げれば、この日ノ本はいずれ秀吉公が平定されます。それは私が生きる後の世に伝わる偽りなき事実。ですが……秀吉公亡き後、豊臣は滅びの道を進みました。」
「何だって?!」
俺の言葉に半兵衛が驚きと共に声をあげる。
それはそうだろう。
いずれは滅びるなんて聞かされて気分のいいものじゃないし、信じられる訳など無い。
「その秀吉公の後を引き継ぎ、日ノ本に数百年の太平を築いたのは家康です。家康こそがあなた方の思いを引き継いだのです。」
「豊臣が滅び、家康君が………。」
「ですが秀吉公が身罷られるまで、家康は豊臣を支える重臣としてこの日ノ本を導いております。だからこそ、秀吉公の後を引き継ぎ、日ノ本を支える事が出来たのだと私は思っております。」
「家康君が………。」
「私の知る未来は申し上げた通りです。ですが、その道を辿らずに済むとしたら?豊臣の滅びの道を防げるとしたら?その為に私は竹中殿、あなたにこうしてお話をさせて頂いているのです。」
そう、もしかしたらこの世界では関ヶ原の戦いを起こさずに済むかもしれない。
俺の見たアクションゲームの世界の一つ。
竹中半兵衛が己の命を賭して家康を、石田三成を――次代を担う者達を豊臣の元に一つに結わえた。
それと少なからず近い事が起こってくれれば。
豊臣秀吉が竹中半兵衛の死後変わる事が無ければ。
石田三成が怒りに身を任せず真実を見極める目を持つ事が出来たら。
豊臣の治世によってこの日ノ本が太平を掴む事が出来たら。
そうすれば家康の、あの慟哭を聞く事無くいられるかもしれない。
豊臣亡き後、家康が後継者となるという新たな未来が拓けるかもしれない。
「君、君は徳川に属しているんだろう?豊臣が滅びれば、労せずして家康君は天下を手にする事が出来る。なのに何故こうして僕にこんな話をするんだい?」
「私は豊臣にも滅びの道を辿って欲しくは無いのです。その為の鍵は……………竹中殿、あなたが握っていらっしゃる。だからこそこうしてあなただけにお話しさせて頂いているのです。家康や徳川の重臣にも伝えずに。」
そう言えば驚いたように息を飲む半兵衛。
それに小さく笑って俺は己の頬を掻いてみせた。