DOWN

甘くない試練(4)

「で、でも、それならなんで、経験できないかもしれないとか言うのさ?」
 わたしが成太を好きなら、そんなこと、何度も経験させられる……とは言わないけれど、いくら奥手だって、わたしはやるときはやるはずだ。たぶん。
「だってさ……」
 彼は少しだけ、何かを悟ったような大人びいた表情になる。
「またいつか、重い病気になって会えなくなるかもしれないだろう?」
 本命チョコもらえないまま、この世界からいなくなる。
 わたしからすると非日常的なことでも、何度も死の危険を感じてきたらしい彼にとっては、それこそが普通の感覚なのかもしれない。こうして普通に学生生活を送っている半年こそが、彼にとっては常識外れなことなんだ。
 だからあんなに、本命チョコを欲しがったのか。
 わたしは気がつけば、自然と顔に笑みを浮かべていた。
「もうそう簡単に、会えなくなったりしないって。……待ってるから、昼休み」
 もうひとつの本命チョコはどうするのか。それは、彼が決めること。
 彼はそのピンクの包みを手にしたまま、笑顔でうなずいた。

 昼休みは、もう半分も過ぎていた。
 桜の木、と言っても、当然まだ花は咲いていない。あいつ木を間違えてるんじゃないか、と一瞬思うものの、校庭に出てきさえすればわかるはず。
 屋上にいるのか。と、見上げてみても、囲いが高くて誰かがいるのかどうかもわからない。
 ――どうなったのかな。やっぱり、気が変わって向こうの子に行ったのかも。
 息を吐いて、下を向いたときだった。
「危ない!」
 誰かが叫んだ。
 そっちに目を向けると、ボールが迫ってくる。顔面に当たりそうになって、慌てて身を引く。
 ぐちゃっ。
 嫌な音がした。
「……あ」
 ボールは見事、私の両手の上の箱に命中。せっかく綺麗にラッピングしたのに、水色の包装も破れ、リボンも潰れて土がついていた。
 箱自体も大きく凹み、おそらく、中身も……。
 ――無念。
 怒る気力もなく、土の上にへたり込む。ボールを取りに来た誰かが何か言っていたが、聞こえなかった。
 そして、どこまでもタイミングの悪い男がやって来る。
「ごめん、遅れて……文恵?」
 心配そうな声に、わたしはようやく顔を上げた。
「……どうだったの、あっちは」
「断ってきた」
 さすがに、両方受けるとかいうトンチンカンはやらかさなかったらしい。
 それは嬉しい。嬉しいけど、半分以上は絶望的な気分で、わたしは半泣きになってた。
「ごめん……こんなんなっちゃった」
 説明するより、見せたほうが早い。ぐにょりと曲がった蓋を開けて、わたしは中身を見せた。
 ムースが跳び散り、あちこちにこびりついている。チョコをかけたイチゴやバナナ、キュウイも、完膚なきまでに潰され変な汁がにじみ出してた。当然、ペンで書かれてる文字なんてわからない。
 その惨状を見て、成太は一瞬驚いたものの、すぐに笑顔を見せる。
「俺は、文恵が作った料理は何だって美味しいと思うから」
 そう言って、箱に入ってたプラスチックのスプーンを手にする。
 そうだ、チョコがメチャクチャになったっていいじゃないか。こうして両思いだってわかったんだから、わたしは幸せだ。
 それに、成太はとても人の食べるものとは思われない茶色のぐちゃぐちゃを、おいしそうに口に運んで――
「しょっぱああぁぁぁ!!」
 叫び声が、校庭に響いた。
 周囲のみんなの視線が、こちらを向く。その注目の中で、わたしは動けずにいる。
 ――まさか。そんな馬鹿な。
 そんな、古典的なミスをやらかしてしまうとは!
 試しに、蓋についたムースを舐めてみる。
 ……わたし、なんて塩辛作ったの?
「そうか……」
 なぜか、成太は納得の声でつぶやく。
「みんな、『最近の女子が作るチョコは甘い、甘すぎる』って言ってたけど、こういうことだったんだな!」
「……こういうこと?」
「つまり、バレンタインデーってのは、愛の大きさを示す試練だったんだ!」
 そう叫んで、スプーンを持ち直す。
「さすが文恵は一味違う。甘くない試練だ。それだけ、俺を信頼してくれてるんだな。なに、すぐにこんな試練、クリアして見せるから!」
「いや、塩分取りすぎで身体壊すって!」
 必死に塩辛いチョコムースをかき込む成太を、わたしはどうにか引き離す。
 成太は不満げな顔をするけれど、わたしは何としてでも彼を止め、誤解を解かなければならない。
 ――少なくとも、ホワイトデーまでには!


   FIN.


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