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甘くない試練(2)

「へえ、今回も本命なし?」
「本命ねえ……」
 中学生のとき、一度だけ本命チョコをあげたことがあった。同級生の、バスケットボール部の男の子。ホワイトデーを待たずにほかの学校に転校していって、『あのときは僕も好きだったけど、なかったことにしよう』とかいう、余計なことを書いた手紙があとから来たっけ。
 その手紙をもらってしばらくは落ち込んだけど、今では、わたしの中でもなかったことになってる。
「今年は何か、あげることになってるんだよね、本命チョコ」
「へえ!」
 と、喜んで身をのり出してきたところで、彼女は首を傾げる。わたしの言い方におかしなものを感じたらしい。
「あげることになっている……?」
「まあねー」
 溜め息交じりに言って、成太の席を振り返る。
 タイミングがいいんだか悪いんだか、丁度向こうもこっちを見ていて、嬉しそうな笑顔を見せる。
「文恵、忘れないでくれよ。本命チョコ」
 教室内のクラスメイトが、耳ざとく聞きつけて注目してくる。
 ああ、なんでこいつってこんな鈍いのか。
「わかってるって。ちゃんと本命チョコってやつを体験させてあげるから」
 わたしがわざと大きめの声で言うと、周囲のクラスメイトたちも納得したようだ。さすがに半年も同じクラスにいれば、成太の性格くらい、みんな理解している。
 ただ一人、当の本人だけは周りの様子に気がつかず、「楽しみにしてるから!」と本当に嬉しそうに言っていた。

「大変ね、あんたも」
 成太が教室を出ると、那美が同情してくる。
「まあ、気持ちもわからないわけじゃないけどね。あいつにとって、初めてのバレンタインデーみたいだし」
 そう、人生最初のまともなバレンタインなんだ。彼はわたしと違い、誰かと恋愛するとか、バレンタインデーやホワイトデーみたいな記念日をドキドキして待つとか、そういうこととは無縁な人生を過ごしてきたんだ。
 重い病気で、病院の中で。中学校にも塾にも、ほかのどんな習いごとにも行くことなく。
 そう思うと、わたしは、このバレンタインをできるだけいいものにしてあげようと思った。これが彼にとって実験なんだとわかった直後は、五〇〇円くらいのバレンタインデー用チョコをコンビニかどっかから買ってきて済ませようとか思ったけれど、今は、きちんと手作りしてやるつもりでいる。
 だから、ここ数年、それなりに話は合わせるけど半分以上聞き流していた、友人たちのどんなチョコを作るかっていう話も、今年は興味津々で聞いていた。
 あげるチョコレートには、大きく分けて三つあるらしかった。
 ひとつは、スタンダードな大きなチョコレートひとつ。ハート型にする人が多いらしい。大きいのでチョコペンでメッセージを書いたりできるけど、ひび割れたりすることもあるし、割れたときのダメージは大きい。
 クラスの女子で一番多いらしいのが、細かいチョコをいくつも作るもの。市販の物でもこれが多い。一箱でいくつもの味が楽しめるし、作りやすい。ただし、あんまりインパクトはないし、本命、って感じはしにくいかも。
 最近増えているのが、チョコだけじゃないもの。チョコケーキとか、ムースとか。形が崩れやすかったりするかもしれないけど、ゴージャスな印象になるかも。那美は、チョコケーキにするつもりらしい。
 こういうのは、相手の好みも重要だ。それで、成太は何が好きだったかと思うと、何でも好きだ。
 ――じゃあ、自分の好みでいいよね。
 というわけで、放課後店に寄って材料を買い込み、家に帰るなり、荷物を部屋に置いて台所に向かう。何を作ることにしたかというと、チョコレートのムースにチョコレートをかけた果物を散りばめて飾ったもの。大き目の入れ物に入れればひっくり返さない限りは崩れないし、上に文字だって書ける。
「ねーちゃん、本命チョコ作るの? 珍しい」
 いつもはこの日に台所を占領する妹が、目を見開いてこっちを見る。彼女はもうすでに、自分の本命用チョコを作り終えたところらしい。
「新しい砂糖、棚の入れ物に入れといたから。お湯はポット。汚したらちゃんと洗ってね、じゃないとあとであたしがお母さんに怒られるんだから」
「わかってるって」
 妹は慣れた調子で、チョコ入りの綺麗な箱を揺らさないように持ちながら、パタパタと二階の部屋に去って行く。
 わたしは長い髪を縛って頭巾を被ると、早速調理に取り掛かった。お菓子作りは何度かやっているけど、ここまで気合入れて作るのは始めてかもしれない。


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