#DOWN

異変 ―闇に堕ちる〈星〉―(16)

「大丈夫?」
 リルが腹部を押さえているシータにきくと、相手はわずかに引きつったような笑みを返した。
「かすり傷です。ただ、普通のリザードマンの攻撃力とは、あきらかに違いますね」
 矢がなくなったのか、彼はボウガンをバッグに入れ、代わりに背負っていた杖を手にする。
「逃げることを考えたほうがいいかもね。そのうち、魔力も尽きるし」
 クレオが横に戻って来るなり、切迫した調子で言う。その姿のあちこちに赤い花が咲き、額からも血が流れていた。
 この異常な状況でゲームオーバーがどんな意味を持つのか、予想は出来なかった。
 いつも通り途中から再開か、セルサスが正常に戻るまでしばらく冬眠することになるのか、あるいは、永遠に精神が凍りつくことになるか。
 誰も試したいと思わないのは確かだ。
「魔法で脱出が無理なら、これはどうかな」
 ルチルが、懐から灰色の袋を取り出す。きつく縛られた袋の口からは、長い紐がのびている。
 それを、彼女は思い切りよく魔物の群の中に投げ入れた。袋が緑の身体の間に消える前に、リルを振り向いて叫ぶ。
「リル、頼むよ!」
 言われるまでもない、という様子で、銀髪の少女はすでにかまえていたステッキの先を袋の落下地点に向ける。
「ファイヤーボール」
 オレンジ色に燃え上がる球が、袋を追うように放り込まれる。
 その炎が袋に引火するなり、周囲が、白に染まった。
「今のうちに……!」
 口を押さえ、シーフマスターが叫ぶ。
 罠や役に立つ道具を作るのも、盗賊系クラスの技能のひとつだ。相手の目をくらまし逃げ出すための道具、煙玉は、そのなかでも一般的なものだった。
 五人はお互いの手を引き、リルはステラの車椅子を押し、標的を見失っているリザードマンの間を駆け抜けていこうとする。先頭のクレオががむしゃらに剣を振って、血路を斬り開く。
 しかし、遅々として進まない。まるで、動く壁がどんどん厚くなっているようだ。
「ここで立ち往生は危険ね……」
 リルがつぶやき、彼女の存在に気づいて棍棒を向けてきた一匹を、ステッキで無造作に叩いて消す。それを目撃したルチルとシータは、ギョッとしたように目を見開くが、リルは気づかない。
 白い煙が、徐々に晴れていくようだった。視界が完全に開けてしまうと、全方向からの攻撃を受けることになる。
 それまでに、脱出しなければ――
 それだけを胸に、剣を左右に振りながら、クレオは焦った。一向に出口の見えない、リザードマンの包囲網に。
「くそっ!」
 思わず悪態をつきながら、振り上げた刃を大地を抉るように打ち下ろす。魔力を帯びた剣は、空を切ると同時に衝撃波を発生させ、前方の魔物たちを吹き飛ばす。
 それでも、空いたはずの進路は一瞬にして埋まる。
「仕方が……ありませんね……」
 惨状を見て、シータがナナカマドの杖を握る手に、力を込めた。
 だが、杖を掲げたのは、車椅子の少女のほうが先だった。
「ステラ……?」
 しゃらん、と錫杖の輪が立てる涼しげな音を耳にして、皆が振り返る。ステラは、いつものように、柔らかな笑みで四人の視線を迎えた。
 法衣姿の少女が錫杖の先端を軽く振ると、周囲の景色が一瞬歪む。
 目眩に似た感覚に襲われた直後、五人が目にしたのは、カロアンの町の門だった。
「へ……?」
 抜き身の剣を手にしたまま、クレオが気の抜けたような声を出す。
 つい今まで、確かに周囲をリザードマンに囲まれていたのだ。それが、一瞬にして消えたことに対応できず、彼は少しの間、茫然とする。
 背後に広がるのは、空の色を映して淡いオレンジに染まりつつある、草色の絨毯。その向こうに、ラージスの森の緑が見える。魔物の姿はどこにもない。
「脱出魔法は使えなかったはずだけど……僧侶の魔法は使えたのかしら?」
 リルは、車椅子の少女にそっと視線を向ける。
 データ画面の上ではレベル三〇はあるという僧侶は、いつものほほ笑みを浮かべたまま、治療魔法で仲間の怪我を治していた。
 もしかしたら、データ画面がおかしいだけで、ステラはリルたちの知らない魔法や技能が使えるのかもしれない。それに、システムの異状も一定ではなく、たまたまリルの脱出魔法は使えず、ステラは使えたのかもしれない。
 そう考えながらも、リルは奇怪なものを感じざるを得なかった。

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