#DOWN

異変 ―闇に堕ちる〈星〉―(9)

「リルちゃん!」
 悲鳴のなかに、聞き覚えのある声が混じる。それを聞き、迫ってくるシャトルを直視しながら、リルは両足で地を蹴った。
 彼女がプラットフォームに降り立つ下を、シャトルが通過していく。
 その姿を、人々は打って変わって静かに見つめていた――まるで、妖精が現われた瞬間を目にしたように。
 それほど、体重が感じられないような動きで、少女はふわりと着地した。
 彼女が平然と、横倒しになった車椅子に向けて足を踏み出すと、見知った姿が人垣から抜け出す。
「見た目より力あるんだねえ」
 ジュース入りの紙コップを片手に、ルチルが歩み出て車椅子を起こした。そこに、リルが金髪の少女を座らせる。
 危機から助け出されたばかりの少女は、自分がどんな目にあったのかもわからない様子で、周囲を見回した。しかし、その視線の方向は焦点を結んでいない。どうやら、動揺しているために見えないわけではないようだ。
「この子、目が見えないんだ」
 ルチルが言うと、少女は彼女に目を向ける。
「聴覚はあるみたいね。でも、声も出せないみたい」
 リルが言うと、車椅子の少女は視線を動かし、うなずいた。意思の疎通が不可能ということではない様子だった。
「あなた、名前は?」
 じっと目を見つめて、銀髪の少女は問う。
 相手は、一瞬驚いたように目を見開いた後、少しの間考え、首を振った。その動作の意味がわからず、リルとルチルは顔を見合わせる。
 名を答えたくない、ということか。
 それとも――
「もしかして……記憶喪失?」
 リルが問うと、金髪の少女は、一呼吸置いてうなずいた。
 プラットフォームから落下した際に頭を打って記憶を失ったのか、それともそれ以前から記憶がないのか。
 現に事故に遭いかけたように、目も見えないのでは、一人でここに居るのは危険すぎる。なぜ、彼女は一人でここにいるのか。
 それに、現実世界ではともかく、この仮想現実では誰でも正常な五感を与えられるはずだ。なぜ、あえて視覚を遮断し、不自由な脚などを再現しているのか。
 疑問はたくさんある。もしかしたら、周囲の人々が少女が現われた瞬間を見ているかもしれない、とリルは見回すが、危機が去ったあと、野次馬たちはすぐに散開したらしかった。彼女の目に今映るのは、人の流れを縫って歩み寄ってくる少年の姿だ。
「あのさあ……ステラ、ってどう?」
 横でルチルが言うのを聞いて、リルは視線をそちらにむける。一体誰に尋ねているのだろう、と彼女が見ると、赤毛の少女の目は車椅子の上に向けられていた。
 もっとも、言われたほうもよくわからない様子で、首をかしげている。
「だって、名前がないと不便じゃない。リルちゃん、どう思う?」
 急に話を振られて、リルは一瞬戸惑ったあと、うなずいた。
「いいんじゃない?」
 とはいえ、本人の意志が一番重要である。
「あなたは、どう思うの?」
 と、軽く手に触れる。
 すると、金髪の少女はほほ笑み、うなずいた。勝手につけられた名ではあるが、どうやら、当人は気に入ったらしい。
「あたしはルチル。じゃあ、よろしくね、ステラちゃん」
「あたしはリル。よろしく」
 自己紹介しながら、相手の手を握る。ステラは、少し嬉しそうに握り返した。
 少女たちがなごんでいる間に、遅れまいと駆け出した少年が近づいて来た。彼は勢いよく車椅子の前に滑り込むと、しっかとステラの華奢な手を握る。
「お嬢さん、一緒に花園の家で暮らしましょう!」
 クレオが目を輝かせて見つめる一方で、ステラがキョトンと目を丸くして、手のぬくもりに顔を向ける。
 その横で、ルチルが腕を組み、目の端を吊り上げた。
「ちょっとあんた……女の子相手なら、全員にそういう態度なの?」
「あたしにも、結婚してって言ってたわ」
 リルが追い討ちをかけると、少年は冷たい視線を向ける少女たちから素早く離れ、わざとらしい愛想笑いを浮かべたまま膝をつく。
「いや、あの……オレはただ、三人で仲良くできればいいなー、と……」
「仲良く、ねえ」
 あきれたように言い、溜め息を吐くと、ルチルは表情を緩めた。怒ったところでどうしようもない、と判断したらしい。

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