#DOWN
死者たちの都(3)
深夜、セティアは、何者かが動く気配で目を覚ます。
反射的に薄目を開けてみると、闇の中で、何かがキラリと光ったのが見えた。
「なに……」
自らベッドから転がり落ちた彼女は、横目で、シーツが引き裂かれるのを視界に捉えた。それに、右手にした使い込まれた包丁を振り下ろした、男の姿も。
それは、確かにこの家の主人である老人だった。
(セティア?)
異変で目覚めたシゼルが不安げな声をかける。セティアには答えるが余裕なく、ベッドの上に足をかけようとする相手に枕を投げつけながら、自分の荷物を引っ張り、片腕に抱えた。
「頼む、大人しく人壁になってくれ!」
ベッドを挟んだ向こうで、老人が懇願するように叫ぶ。
(ジンヘキ……?)
「人柱なら聞いたことがあるけど」
人柱、とは、人間を建造物の壁や柱に塗りこむことだ。すると、霊がその建物の守り手になると伝えられていた。
昔、ある地方で行われていた風習である。
「似たようなものだ。この街では、人が死ぬと家の壁のなかに塗り込められる。それが家の守護霊になるんだよ」
スキを見て回り込もうと、相手を油断なく見据えながら、老人が説明する。セティアは当然、簡単にスキを見せたりはしない。
「それで、家の増築を……しかし、なぜ、わたしを」
「他の者の力、特に強力な者の力が家のなかに入れば、守りの力が強くなる。最近、また病が流行っていてね、毎日のように死人が出てる。わたしの子どもたちも危険な状況なんだ」
死人が出るほど増築も増えるのだから、被害はかなり深刻なものだろう。昼間見た街並みの光景を思い出し、セティアは思っていた。
「頼む、子どもたちのために死んでくれ!」
老人はベッドに足をかけると、バネを利用して、一気に跳びかかった。
セティアは突き出された包丁の切っ先をかわし、空いている左の手のひらを突き出す。空気の塊が老人の脇を叩き、軽く壁に叩きつける。あまりしっかりしていない壁がドシンと揺れ、表面にひびが入った。見た目は派手だが、シゼルには、一応手加減したことがわかる。
老人の手から、包丁が飛んだ。
恐怖の表情で見上げた目に、マントをまとった魔女が映る。
「おいしいご飯、ありがとうございました。わたしはもう行きます。奥さんによろしく」
早口に言い捨てて、旅人は部屋を出て行く。
痛めた腰をさすりながら老人がリビングに向かうと、自分の寝室の壁に割れ目ができているのが見えた。
割れ目からは、白骨化した人間の顔の一部がのぞいている。
老人はそれに近づくと、うなだれてつぶやく。
「すまない、お前……」
ポーチを着けたベルトを腰に巻き、リュックサックを背負いながら、セティアは闇に紛れて門に向かっていた。
(この街で、何人の旅人が亡くなったんだろう……)
「そのなかの一人には数えられたくないな」
幸い、通りには人の姿がなかった。しかし、待ち伏せするなら門だろう。セティアは警戒を緩めることなく、門に歩み寄る。
そこには、人影があった。だがそれは予想外に小柄な相手である。
こちらに気がつくと、その人物は月光の下に歩み出てくる。強い意志と、怯えを目に宿した、十代前半くらいの少年だった。
彼はセティアの顔を見ると、ためらいがちに口を開く。
「あの……お願いです、妹の病気を治して欲しいんです」
「人壁はごめんだよ」
素っ気なく脇を通り過ぎようとするのに、少年は必死に食い下がった。
「違います。大人たちは、人壁が必要だ、祖霊のお告げだって言ってるけど……守護霊より、魔法のほうが凄いんでしょう?」
少年の瞳には、期待の色が見える。
黙っているセティアの頭のなかに、シゼルの思念が響いた。
(ねえ……何とかならないの?)
彼はまるで、少年の心を代弁しているようだった。
セティアは声に出さずにことばを返す。
(彼に同情しているのかい?)
(ボクにも昔、妹がいたからね……)
セティアは首を振った。
「あいにく、治すような魔法は覚えていない」
期待を持ってことばを待っていた少年の表情が、はっきりと落胆に変わった。シゼルの思念も、ガッカリした調子を表す。
セティアは無感情に彼を見返した。
「病気を治したいなら、まずはこの街を出ることだ」
「でも……」
唐突なことばに、少年は顔を上げる。
「それができないなら、家を燃やすんだね」
肩をすくめて、魔女はマントをひるがえす。
少年は茫然と、門の向こうに遠ざかっていく後ろ姿を見ていた。
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