『日本流行歌変遷史』（論創社）
昭和初期、アメリカから電気吹込みを完備した外国レコード産業の到来によって、日本の歌謡曲は誕生した。そして、日本流行歌の変遷の歴史がはじまるのだ。外資系レコード会社も誕生し、西條八十ら近代詩壇で鍛えた作詞家、クラシック・ジャズ系作曲家、藤山一郎、淡谷のり子ら音楽学校出身の洋楽演奏家によって作られた歌謡曲の世界が戦後、ビートルズの来日によって、大きく変貌し消滅しＪ・ポップが誕生した。日本流行歌の波乱に満ちた変遷史の決定版。

レコード世界史と日本レコード産業の黎明

日本の近代音楽の重要な歴史、変遷

文筆・菊池清麿

《レコード・蓄音器小日誌》

　蓄音器は、エジソンによって発明。一八七七（明治十）年、七月の熱い日、エジソンは錫箔ではなく紙を使用して音溝を作る実験をはじめた。八月十二日、錫箔を用いる器械の製作図面を、クルエシイ（クリュージ）に渡した。その装置を組み立てさせた。およそ、それから、三十時間後に最初の円筒レコード蓄音器が組み立てられた。実は、奇しくも同じ年にエジソンと同じアイデアをもった男がいた。フランスの詩人で科学にも造詣の深かったシャルル・クロ。一八七七（明治十年）四月十八日、音を記録し再生する方法を紙に書きとめ、同月三十日に「科学アカディミー」へ提出。「過去の音」という意味のパレオフォンと言った。　一八七七（明治十）年十二月二十二日、エジソンのフォノグラーフとしてはじめて公開実演。エジソンは同年十二月二十七日、円筒レコード蓄音器の特許を出願、数週間後には、スピーキング・フォノグラーフ・カンパニーを設立。翌年六月に特許が降り、この珍しい機械の製作を開始。このエジソンの発明は、今日のような平円盤式のものではなく、円筒型の蓄音器。
　明治十一年七月二十六日発行の『同人社文学雑誌』（二十六号）に神津専三郎がアメリカの新聞『ハーパース・ウィークリー』の一節を紹介した。同年十一月十六日、イギリス人、ジェームズ ・アルフレッド・ユーイングが蘇言機を組み立て東京大学理学部で実験。翌年三月二十八日、木挽町の東京商法会議所で公開。この時、東京日日新聞の社長福地桜痴が「コンナ器械ガ出来ルト新聞屋ハ困ル」（明治十二年三月三十日、『朝野新聞』）という言葉が録音。
　電話の発明者アレグザンダー・グラハム・ベル、従兄弟のチェスター・Ａ・ベルとその協力者チャールズ・サムナー・テインターたちは、エジソンの発明品に改良を加えた。エジソンが命名したフォノグラフに「錫箔のかわりに蝋をひたした巻紙を用い、硬い金属を捨てて弾力のある雲母膜にサファイア針」をとりつけた。、一八八一（明治十四）年十月、米国国立博物館で学者たちを前に改良型円筒レコード蓄音器として公開。一八八五（明治十八）年五月には、改良型円筒レコード蓄音器、グラフォフォンとして特許に申請。その後、一八八七（明治二十）年アメリカン・グラフォフォン会社を設立。グラフォフォンを口述録音機として販売することが目的。ところが、このグラフォフォンがエジソンを仰天させてしまった。「蝋管」の着想をめぐる訴訟の闘いがはじまるのである。
　発明王エジソンに真っ向から対決した男がいた。ドイツ系アメリカ人のエミール・ベルリナー（ベルリーナ）である。ビクターのルーツになった男でもある。彼は、一八八七（明治二十）年、平円盤式のレコードと蓄音器を考案した。これがグラモフォンである。ベルリナーの発明の出発点は、グラハム・ベルが発明した電話機の改良である。この時代電話機は、まだ、実用されていなかった。ベルの電話は、音声を受信したが、送信し返すことができなかったからだ。この頃、ベルリナーはワシントンに戻っていた。以前、店員をしていた店で働きながら物理学を独学した。ＮＷ六番街一八一二番地の家具つきの借間に実験室を設け、電話の改良にとりくんだのだ。一八八一年、ベルリナーは、ヨーロッパに最初の電話工場Ｊ・ベルリナー電話製作所を設立。彼によってはてしない実験が繰り返された。その結果、グラモフォンとディスク・レコードが誕生。それは、エジソンの円筒式レコード蓄音器との戦いの始まり。翌年五月には、フィラデルフィアのフランクリン記念館でこの装置の公開実演。
一八八七（明治二十）年、エジソンは、フォノグラーフ社設立。一八八八（明治年二十一）年、エジソンはふたたび円筒レコード蓄音器に取り組んだ。錫箔を張った円筒を捨てた。蝋の円筒を採用し蓄音器には電動を組み入れた。同年、ピッツバーグの実業家、ジェン・Ｈ・リピンコットがベルとテインターが設立したアメリカン・グラフォフォオンに二〇万ドルの出資、エジソンには五〇万ドルで特許を買取り（製造権は残す）ノース・アメリカン・フォノグラーフ社を設立。アメリカ合衆国全州に子会社をつくった。フォノグラフとグラフォフォンは同一会社によって代表される。
一八八九（明治二十一）年十一月二十六日、ベルリナーは、ベルリンの電気工業協会の定期総会でエジソンの円筒式蓄音器と比較実験を行った。。グラモフォンの優秀性が認められた。エジソンの装置よりも安価で安定した性能が支持。翌年アメリカにこのニュースが流れた。ニューヨーク中の新聞は「グラモフォンが勝つ」の大見出しで報道。だが、アメリカでは、円筒レコードの販売競争が展開。
　一八九五（明治二十八）年、ベルリナーは、ベルリナー・グラモフォン・カンパニーを設立（前身はユナイテッド・ステーツ・グラモフォン）。これによって蓄音器業界は、シリンダー（円筒）対ディスク（平円盤）、縦振動録音対横振動録音という根本的に異なるシステムの対決。やがて、一八九六年（明治二十九）年、キャムデンの工場主エルドリッジ・Ｒ・ジョンソンにゼンマイ式の蓄音器の製造を依頼、「改良型蓄音器」の生産に踏み切った。このゼンマイ仕掛けの新しいモーターをとりつけた「改良型蓄音器」は、後のビクターのトレードマーク。　一八九七（明治三十）年には、イギリス・グラモフォンが成立（翌年営業開始）。だが、一八九九（明治三十二）年、シーマンの裏切りによって、ベルリナーは再起不能。自分が苦心して発明し命名した「グラモフォン」を商標で使えないということになったからだ。だが、シーマンは、ジョンソンの反撃に会い、没落していまう。ベルリナーの平円盤式蓄音器に新しい生命を吹込み、ベルリナーの文化遺産を継承したジョンソンこそ、一九〇一（明治三十四）年十月三日に設立したビクター・トーキング・マシン社の初代社長。　エジソンは、一八九六（明治二十九）年、ナッショナル・フォノグラーフ・カンパニーを設立。翌年にはエジソン・ベル・コンソリデーテツドをつくって円筒レコード蓄音器に情熱を傾ける。その円筒レコードを先頭に立って販売したのがアメリカ・コロムビア。ところが、コロムビアは世の趨勢を考慮して、一九〇二（明治三十五）年、デイスク、つまり平円盤レコードに切り替えた。

《日本レコード産業の曙》

明治二十二年一月九日の『時事新報』が横浜のフレーザー商会の『エヂソン発明完全撮音機』の広告が掲載されている。

「此度米国エヂソン氏撮音機ノ発明彌結了仕発売致候」

同年一月二十日には、鹿鳴館ではグラフォフォンの試聴会が行われた。前年十二月に来日したヘエルがもってきた陸奥宗光らので伝言を録音した円筒が公開。ヘイルがシリンダーという円筒とともにもってきたのは、足踏み式でイーアピースを耳に当てて聞く型のガウフォフォン。六月にはエジソンが駐日公使を通じて明治天皇にフォノグラフを献上した記録が残っている。　翌年、蓄音器が浅草の花屋敷へたてられた奥山閣という五階ての高層建築物に設置。その後、日本各地で円筒型蓄音器を有料で聴かせるようになった。蓄音器は本格的に商品として輸入され販売されるようになる。明治二十九年、Ｆ・Ｗ・ホーンというアメリカ人が横浜に『ホーン商会』を設立。、翌年「魔法も小箱」と言われた蝋管蓄音器、グラフォフォンを輸入。『コロムビア五十年史』は「これはまさに記録的な出来事といってもよかった」と伝えている。ホーンというアメリカ人については詳細はわからない。『日蓄三十年史』、つぎのように記している。

「明治二十九年の或る日、横浜市山下町の一角で、通りがかりの日　本人を呼び止めて話しかけた一人の外人があった。此の外人こそ、　単身米国から来朝して横浜に上陸したばかりの、後のニッポノホ　ンの創始者、若き日のエフ・ダブリュー・ホーン氏で、相手の日　本人は当時横浜共同電燈株式会社社員の植木万里であった」

　明治三十二、三年頃、松本武一郎が浅草並木町に片山潜・横山進一郎らと合名会社三光堂を設立。日本最初の蓄音器専門店である。蓄音器を初めて販売したのが服部時計店を言われているが、専業店という点においては三光堂は意義がある。やかて、各地に支店を作る。明治三十四年八月、大阪南区順愛町、三十七年二月、福岡市下西町、三十八年八月、北海道小樽市色内町。そして、三十九年二月、横浜でホーン商会を営むＦ・Ｗ・ホーンの援助で銀座に進出した。森垣二郎の『レコードと五十年』は、日本に渡来した平円盤のレコードについてつぎのように記している。
　
「レコードが初めて日本に渡って来たのは、明治三十四、五年ころで英国のグラモホン会社、米国のコロムビア会社とビクター会社、それから仏国のパテー会社などの片面レコードであった。これらの会社からは、それぞれ外人の技師その他の社員が出張してきて、日本一流の芸術家の声を収録した。」
　
山口亀之助は、『レコード文化発達史』でも、英国グラモフォンが明治三十四年五月、東京築地明石町にあったメトロポールホテルで初の円盤式レコードを行ったと記している。ところが、倉田喜弘の『日本レコード文化史』ではその説が強く否定されている。ガイスバークの回想録（Ｆred Gasisberg :『Music on Recrd』､1946・アメリカ版『TheMusic Goes Round』､1943）には、日本で明治三十六年一月から三月まで滞在し、雅楽、謡曲、三曲、長唄、常磐津。清元。義太夫、浪曲・小唄などを録音したとある（岡俊雄『レコードの世界史』参照）。
　明治三十六年、天賞堂は、にディスク・レコードに切り替えていたアメリカ・コロムビアから、平円盤式と蓄音器を輸入した。同年には、米コロムビアが日本で録音を行った。もちろん、ディスクレコードである。この時代は、外国の録音技師らが来日して邦楽を録音し一度自国に持ち帰って原盤を作りレコードにして日本に輸出するという形式をとっていた。謡曲の観世清廉、宝生九郎、義太夫の竹本大隅太夫、長唄の芳村伊十郎、杵屋六左衛門、常磐津林中、新内の富士松加賀太夫、清元延寿太夫などの声が収録された。この時代、邦楽レコードが輸入品だったのである。
　明治三十六年の暮れ、三光堂も平円盤を輸入した。それ以後、ドイツのベカ・レコード（明治三十九年）、米国ビクター（明治四十一年）が仕入れ先を拡張していった。こうした情況が日本でのレコードと蓄音器の国産化への道を歩ませることになるのである。明治三十九年、セール・フレーザー商会は、米国ビクターの総代理店になった。米国ビクターの製品輸入・販売を一手に引き受ける。翌年には、東京銀座の十字屋楽器店が蓄音器部を開設。セール・フレーザーとの間にビクター洋楽レコードの一手販売契約が結ばれた。このセール・フレーザー商会は、昭和時代においてもビクターの製品販売に一役買うのである。
　レコードと蓄音器の国産化がいよいよ本格的に始まる。明治四十年十月三十一日、十万円の資本金をもって神奈川県橘樹郡川崎町久根崎に設立された日米蓄音器製造株式会社が誕生した。　明治四十三年十月一日、ホーン商会の社員を重役陣として発足した株式会社日本蓄音器商会が新設され（日米蓄音器商会は廃止）、　『コロムビア五十年史』はその目的をつぎのように記した。

「当会社ハ蓄音器、音針及針先及付属品ノ製造販売其他之ニ付随ス　ル一切ノ営業ヲナスヲ以テ目的トス」

このような趣旨にもとづきニッポノホン（フォン）の商標に統一して販売を拡大した。明治四十五年一月八日、日蓄は、日米蓄音器製造株式会社を合併、合併後は、株式会社日本蓄音器商会をそのまま名乗った。レコードには長唄、薩摩琵琶、浪花節、義太夫などが多く吹き込まれていた。殊に、浪花節のレコードの人気が高く本格的な躍進を迎えた。明治四十三年八月、日蓄では、吉田奈良丸の浪花節レコードを発売を発売したが、驚くほどの売上をしめした。　エジソンが蓄音器を発明してから三十数年で日本にも本格的な国産会社が登場したが、この日本蓄音器商会こそ明治末期に成立し大正時代を通じて日本のレコード産業の主導権をとり業界に君臨した。

　《大正期レコード産業の勃興》


　明治四十五年七月三十日、明治天皇崩御、明治の御代が終焉し、大正という新しい時代を迎えた。元号の改元はひとつの時代の区切りとはいえ、新しい時代への動きは、すでに明治末期に胚胎していた。たとえば、明治四十四年九月、女性解放を叫び、人間としての自我の確立を唱えた平塚雷鳥らの『青鞜』の創刊は新しい時代の予兆をしめすものであった。大正は世相において明治とは異なる。その変化は顕著であった。明治時代には数えるほどしかなかったカフェー、バーもかなりの数になった。活動写真館も濫立する。そして、楽隊も登場しオペラも上演されるようになった。大正は、『流行歌・明治大正史』のべられているいるように「すべてが複雑な音響と『軽便安直』に向かって盲信」する時代なのだ。とはいえ、ロマンティックな心情もまた大正の特徴でもあった。大正年間に入ると、対戦景気に便乗するかのように蓄音器会社の設立が相次いだ。ホーン商会がグラフォフォンの蝋管蓄音器を輸入し、天賞堂や三光堂が平円盤レコードを輸入しはじめてから、僅か十数年でレコード会社が乱立する。これは、大正三年に街頭演歌師の元締め神長瞭月の《松の声》がニッポノホンから発売されて以来、流行歌の発展とも無関係ではない。大正四、五年頃から、書生節と言われた街頭演歌が持て囃されるようになっていた。
　大正期新興勢力としてのレコード会社はつぎのとおりである。

大阪蓄音器商会（大阪蓄音器株式会社）、

大正元年十月、大阪南区長堀橋二丁目に資本金十万円で設立した。大正八年十二月まで、白熊印のレコードを発売している。

　
東洋蓄音器株式会社、

東洋蓄音器株式会社の沿革は複雑である。東洋蓄音器株式会社は大正元年京都に設立された。大正三年には東洋蓄音器合資会社が創立する（日本蓄音器商会と東洋蓄音器株式会社との合弁）。株式会社は新吹き込みを、合資会社では複製盤を製造した（大正六年には株式会社は合資会社に買収されてしまう）。東洋蓄音器株式会社の経営難を救いその名を高めたのが《カチューシャの唄》と『尾崎行雄の演説』である。松井須磨子が「芸術座」が帝劇で上演したトルストイ原作『復活』の劇中歌《カチューシャの唄》（島村抱月／相馬御風・作詞／中山晋平／作曲）を同社で《復活唱歌》として録音し大ヒットした。経営不振に喘いでいたオリエントが息を吹き返したのである。

　






　東京蓄音器株式会社、

日本蓄音器商会のライバルは、富士山印の東京レコードとして親しまれた東京蓄音器株式会社である。大正二年十一月に設立した。本社は、東京市京橋区南鍋町二町目十五番地に置かれた。大正三年四月二十八日、日本橋区新右衛門町所在国定教科書共同販売所の建物に移転した。他社にさきがけて歌舞伎劇の音盤化（大正四、五年頃）に進出し、帝国劇場の尾上梅幸、松本幸四郎のコンビで『関の扉』『戻り橋』『勧進帳』を発売した。帝劇は、女優の養成を最初に始めたことろで、当時尖端であった森律子、村田嘉久子らを使って益田太郎冠者作の《コロッケ》などの新企画の流行歌を吹込ませた。また、おとぎ歌劇、歌劇レコードにも乗り出し浅草オペラの録音も多い。原信子、田谷力三らのレコードを発売している。

　ヒコーキ印の帝国蓄音器株式会社（商会）　

　大正八年三月三十一日、帝国蓄音器株式会社が東京市日本橋区小伝馬町三丁目に設立された。これは、後のテイチクレコードどは関係がない。複写盤専門に大正元年に設立されという説もあるが定かではない。商標は「ヒコーキ」と「スフィンクス」である。街頭艶歌が多く吹込まれた。また、浅草オペラの吹込みも多い。

日東蓄音器株式会社、

日東蓄音器株式会社は、大正九年大阪住吉住吉区に設立した。邦楽陣に」かなりの豊富な人材を備え、 日本蓄音器商会のトラスト攻勢にも屈することなく独自の資本で気をはいた。

　東亜蓄音器株式会社（鳩印）

大正十一年、四月兵庫県河辺郡小田村次屋井関橋に資本金五十万円で設立。

アサヒ蓄音器商会（ツル・レコード）　

　ツルレコードは、大正十四年六月六日、株式会社アサヒ蓄音器商会として設立した。資本金二十五万円。社長は神野三郎。商標に朝日を浴びて飛ぶ鶴が描かれている。名古屋放送局と提携して邦楽から洋楽まで幅広くレコードを製作している。

　《日本蓄音器商会の業界制覇》

東京蓄音器の第一回発売のレコードは、全部両面盤だった。しかも、複写盤制作者らも販売店の要求に応じて両面盤の製作に乗り出すという情報も入る。日蓄としては両面盤への切り替えは急務だった。大正八年六月二十四日、Ｊ・Ｒ・ゲアリーが社長に就任した。彼の辣腕は、第二の飛躍のために業界制覇を急ピッチで進めた。
　
「新社長就任と同時に、ゲアリー氏が第一にたてたプランはわが国蓄音器レコード界の大同団結ということであった。明治の末期に日蓄が発足した当時は、レコード会社といえば日蓄ただ一社にすぎなかったが、浪花節レコードを契機として日蓄の異常ぶりな発展を見ると、われわれもとレコード事業に目をつけて、大正に入ると同時に後から後からと新しいレコード会社が生まれてきたことは前にものべたとおりである。しかし、このような群小会社の乱立は、当然過当競争をまねいて、業界の正常な発展を阻害することは火をみるよりあきらかなことである。事実、当時すでにその兆候さえあらわれてきたので、慧眼なるゲアリー氏はその弊を未然にふせぐため、群小会社を打って一丸とし、それを大日蓄の傘下におさめて文字通りのレコード業界の制覇をなしとげようといねらいであった」（『コロムビア五十年史』）

株式会社日本蓄音器商会は、複写盤の横行という難関に遭遇し、大正三年七月十六日のリチャード・ワダマンの敗訴（大審院判決）以来その野放し状態に悩まされていた。業界制覇の目的のひとつにも複写盤の阻止があったのではないか思われる。日蓄は、まず大正八年十二月にオリエントを買収し合併した。その京都工場にしたのである。翌年には、資本金が総額二百十万円と拡大した。そして、大飛躍を約束するかのように大正九年八月十九日、著作権法中改正法案が公布された。大きな朗報だった。

「音ヲ器械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器ニ他ノ著作物ヲ冩調スルモノハ為作者ト看做ス」（法律第六十号『官報』八月二十日）

　複写盤追放には『蓄音機世界』の社長であった横田昇一の尽力は大きい。外国のレコードは法律で保護されていることを強調し日本におけるレコードの価値を社会的に認知することを主張した。彼のレコード産業の文化水準を高めようとする熱意は鳩山一郎を動かし、大正九年七月十四日、「著作権法中改正法律案」が上程されたのである。ところが、日蓄の業界制覇に思わぬ強敵が出現していた。大正九年三月二十日、大阪住吉区に設立していたツバメ印の日東蓄音器株式会社（これ以後、ニットーレコードと表記）である。レコードの商標はツバメ印で邦楽においては豊富な人材を揃えていた。日蓄にとっては、ニットーレコードの存在は脅威だった。　大正十年十月、日蓄は、帝国蓄音器商会を傘下にした。翌年には完全に合併、本社が横浜市山下町二十三番地に移転した。大正十二年三月、三光堂が、六月、関東のライバル会社だった東京蓄音器株式会社が日蓄の傘下に入る。東京市日本橋区新右衛門町に日蓄の傍系会社として成立した。一方、日蓄は、力の商法でトラスト形成をすすめる過程において、ニットーレコードへの攻勢をかけた。大正十一年四月、大阪市内の小売店でニットーの商品を扱う店には日蓄のレコードは供給しないという趣旨を申し渡すなど強硬な態度に出た。ところが、大阪蓄音器同業組合の反発を買い、京都や神戸を巻き込んでの撤回要求に直面した。五月にはニットーレコードの東京追放を画策、これも失敗した。そして、翌年、関東大震災が二社の対立を収束させる。日蓄はニットーレコードへの攻撃よりも復興へ全力をあげなければならない。震災の被害を被らなかったオリエントが当代随一の街頭演歌師鳥取春陽を招いて日蓄の復興に貢献するのである。

《海の向こうからの新しい響き》

流行歌誕生八十年―流行り唄から歌謡曲へ・日本の流行歌の変遷

　アメリカではすでに一九二〇年、歴史的なコールサインＫＤＫＡがピッツバークに流れていた。ドイツでは一九二三（大正十二）年十月二十五日、ベルリンのポツダム通りのフォックス＝ハウスから最初のラジオ放送が流れた。一九二四（大正十三）年三月、アメリカではブランズウィック会社がＲＣＡと協定を結び、ＲＣＡラジオ受信機と組み合わせたブランズウィック蓄音機を発売.。ビクタートーキングマシーン社の創始者エルドリッジ・Ｒ・ジョンソンは、一九二四年の秋、ビクターの販売店にラジオ受信を組み込む仕切りをつけたビクトーラの発売を通知。ニューヨーク港からさして遠くない小さな町が歴史の舞台になろうとしていた。ウエスト・ストリート、四六四、ベルビルディング。そこにはベル電話会社の実験所がある。ここが、レコードの新録音を実用化した米国ウエスタンエレクトリック社（ベル研究所の子会社、後のウエストレックス社）であるラジオの発達は、電気的増幅方法を応用したレコードの電気吹き込みを考案させた。レコードの録音システムも当然変わる。マイクロフォンが使用されるからだ。従来は、ラッパ吹き込みといった。アコースティック・レコーディングといって長大なラッパ型の円筒にむかって演奏しその振動音を蝋盤に刻む方法だった。ところが、マイクロフォンによる電気吹込み（エレクトリック・レコーディング）は、音域を無限に広げ、これまでのレコードでは聞けなかった音を再生する。かん高いソプラノの叫びは澄んだ快い響きとなり、オーケストラは絃の美しさを奏でた。ウエスタン・エレトリック社は、新録音技術の権利を米国ビクターに売り込んだ。ジョンソンはベル電話会社に数人の社員を派遣した。ところが、その報告に彼は沈黙した。ベル電話社は、パテ社のアメリカ工場の責任者フランク・カップスにも録音の見本を送った。だが、彼は友人の英コロムビア社長のルイス・スターリングにそのサンプルの数枚のレコードを転送したのである。一九二四（大正十三）年十二月二十四日のことだった。スターリングにとっては素晴らしいクリスマスプレゼントになったのである。
　これは新しい録音方式で、ベル電話会社が開発し、ウエスタン・エレトリックが使用権をもち、目下ヴィクターと交渉中ということだった。スターリングはアメリカに到着するとすぐにウエスタン・エレトリック社と交渉した。ビクターはまだサインしていない。ところが、スターリングの申し入れにウエスタン・エレトリック社は頭を横に振る。アメリカの国益を優先させるということなのだ。数日後、経営不振の米コロムビアが特許使用権を獲得した。焦燥感をつのらせていたスターリングは、数年欠損つづきとはいえウエスタン・エレトリック社の特許使用権をもつ米コロムビアを買収したのだ。こうして、ディスク・レコードで後れをとった経緯のあるコロムビアは米ビクターに先駆けて電気吹込みの特許使用権を獲得したのである。米ビクターのジョンソンがウエスタン・エレトリックス社との契約に署名したのは、一九二五（大正十四）年三月だった。翌四月米ビクターは、電気吹込みによるレコードを発売した。レコード新時代は、新型の蓄音機も考案された。従来の蓄音器は、雲母振動板式のサウンドボックスを用いていたために電気吹き込みの新しいレコードにレスポンスできなかった。そこで、軽いジュラルミンとなったサウンドボックスとホーンの調和のとれた蓄音機がオルソフォニック・ビクトローラである。大正十四年十一月、米国ビクターが発売した。再生周波数が100〜5000ＨＺまで広がり、以前の蓄音器では聴くことが不可能な音まで明瞭となった。
　欧米のレコード会社は、電気録音方式を完備すると自社のプレス工場を日本に作って関税の障壁を突破することを考えた。大正十三年七月二十九日に公布された「贅澤品等ノ輸入税ニ関スル法律」（大正十三年、七月二十九日公布、法律二十四号、『官報』七月三十一日」）が、欧米のレコード会社を刺激していた。外国のレコード会社が日本国内の自社工場でプレスした電気吹込みの名盤を日本で安く発売するようになれば、日本蓄音器商会の打撃は、甚大である。大正十五年の夏、阿南商会の阿南正成（茂）は、鈴木幾三郎（十字屋楽器店）は渡独した。従来から取引のあったドイツ・グラモフォンと原盤輸入契約に成功し製造許可をとりつけた。同年の暮れには、東京池上に原盤プレス工場を完成させた。電気吹込みによる原盤を輸入してプレスしドイツの名盤を安く発売する体制が整った。日蓄は、大正十五年の初頭から新たな体制への設備投資から従業員の解雇を断行し、同年暮れには操業短縮に踏み切った。新技術の導入がなければ電気吹込みの輸入レコードの前に敗北を喫することは明白である。そのための合理化だった。日蓄社長のゲアリーは、英国コロムビアへの接近を急ぐのである。

《昭和モダニズムとレコード会社の革新》

　
　明治から大正初期までの文化は、政治的作為を反映した制度装置の完成を至上目的とした上からの近代化の所産。産業、科学、政治、芸術などあらゆる分野において、富国強兵の論理にもとづいた政府主導であることは否めない。明治以来の知識人は、ヨーロッパモダニズムに憧れた。その文化を六十年余りの年月で外形だけは吸収してしまった。ところが、昭和モダニズムは、F・L・アレンの『オンリーイエスタディ』に描かれたアメリカニズムの影響を免れることは不可能なのだ。ハーバード大学に学んだアメリカの編集者フレデリック・ルイス・アレンの『オンリー・イエスタディー−1920年代ｱﾒﾘｶ』（藤久ミネ訳、筑摩書房、一九七五年）には、「繁栄の二十年代」におけるアメリカ社会の思想、文化状況が巧みに描かれている。風俗の変化と道徳の革命、自動車隆盛、活況を呈するラジオ、建築ブーム､新聞・雑誌、映画、ジャズエイジ、大量生産、誇大宣伝など、大衆文化の状況。その波が昭和の初めに押し寄せたのである。昭和とは、大衆文化においてまさにアメリカの時代だった。アメリカの影響を受けた消費文化のすさまじい発達は、人々の感覚を刺激し享楽へと駆り立てる。これまでは一部の人々の間に占有されていた「嗜好品」が、安価にきらびやかな装いを凝らして大衆の前に登場した。活動写真、自動車、ラジオ、などの普及、ビルディングに代表される鉄筋コンクリート建築、アパート型の新形態の都市への脱皮、ネオン、カフェー、レビューの流行、文化住宅の書斎を飾る円本、『キング』などの大衆雑誌の氾濫。機械文明、都会主義、大衆娯楽、それらモダニズムが刺激と享楽の対象となり大衆を魅了した。そのなかでも、電気吹き込みという新時代の流行歌はジャズのリズムにのって大衆の耳に快く響いたのである。昭和に入ると外国資本の導入によってレコード会社が驚異的な発展を見せた。電気吹込みという革命とコロムビア、ビクターの成立、大正艶歌を色濃くもつマイナーレコード会社の拮抗。これが、東京行進曲（昭和四年）や藤山一郎歌唱による古賀メロディーのヒット（昭和六年）以前の昭和初期のレコード業界である。　
　日本蓄音器商会が最初がホーン氏個人の名義で発足し、それが明治四十三年に株式組織に改組されたことはすでにのべた。これによってニッポノホン・レコードは浪花節の人気（吉田奈良丸のレコード）とパラレルに本格的な躍進を迎えた。その後、複写盤の横行、富士山印の東京蓄音器や三光堂などの新興勢力の攻勢、片面盤から両面盤への切り替えと苦難はあったが、大正八年頃にはようやく安定の基礎が見え始めていた。大正八年六月、Ｊ・Ｒ・ゲアリーがホーンに代わって日蓄社長に就任。オリエントレコードを皮切りにさらに四社の買収を五年のうちに達成するなどなど辣腕を奮った。すでにのべたが合同蓄音機会社の成立がそうだ。そして、電気吹込みの輸入盤の脅威にも敏感に反応し英コロムビアに接触を開始した。
　　昭和二年二月、ギリンガム（ギリングハム）という録音技師を米国コロムビアから招いたが（この録音機は、麹町区内幸町の幸ビルにあった日蓄吹込み所に設置）、五月にはイギリスのウエスタン式電気録音機に変更。昭和二年五月技術提携を条件にイギリスコロムビアに３５・７パーセントの株式を譲渡した。強力な資本提携が生まれたのである。英コロムビアとの資本提携はやはり、米国ビクターの日本進出が影響していた。だが、外資の動きは、米国ビクターだけではなかった。昭和二年五月十日、「株式会社日本ポリドール蓄音器商会」ガ設立した。五月新譜では、Ｒ・シュトラウス指揮の《交響曲第七番》（ベートーヴェン・作曲）他四十五種類、七十曲が発売された。昭和二年七月、日本蓄音器商会は、英米独コロムビアの電気吹込みによる原盤を輸入して日蓄の工場で製造した洋盤レコード（コロムビアレーベル）を発売した。これ以後、日蓄は、欧米のコロムビア製品を一手に引き受けて順次発売することになる。
　米国ビクターは、セール・フレーザー商会を通じて製品の日本への輸出するだけでなく、日本国内においてビクター製品の製造を開始することであった。昭和二年四月、米国ビクターは、日本進出を計画していた。米国ビクターの輸出部長、Ｄ・Ｔ・ミッチェルが派遣され、市場調査にあたった。これを日本側で補佐したのが、後に日本人の相談役としてビクターの経営に参画した岡庄正であった。その頃は、ビクター製品の日本総代理店であったセール・フレーザー商会から派遣されてきた人物だった。岡は、レコードとは無縁だった。若き日の岡は、満鉄に米国製の機関車の売り込みに成功した実績があった。なんのつてもなく、ただ設計図と絵図をもって大連に赴き納入契約にこぎつけるという偉業を達成したのだ。その彼が、新興会社であるビクターの舵取を担ったのである。昭和二年九月、米国ビクター（ビクター・トーキング・マシン会社）の資本によって日本ビクター蓄音機株式会社が成立した。ビクターはコロムビアと違って全くの新会社である。同年十月五日には、初代の代表責任者、Ｂ・ガードナーが来日。さっそく工場建設の任にあたった。ビクターは発足と当時に電気吹き込み装置を完備した。最初の吹き込み所は、にあった。赤煉瓦の建物である。ところが、にわか作りのため防音装置が無く、外からの雑音に悩まされた。夕方になると豆腐屋の売り声とチャルメラの音で録音が中止してしまう。五十銭玉を握らせて退散させてから、録音再開したというエピソードも残っている。
　昭和三年二月、国内プレスによる洋盤の第一回新譜が発売された。ピアノのラフマニノフ、ヴァイオリンのクライスラー、ジンバリスト、声楽家のシャリアピン、スキーパーらの赤盤芸術家のレコードが綺羅星のごとくならんだ。この中には、アメリカのキャムデンで吹込まれた「我らのテナー」藤原義江の独唱レコード（日本歌曲・日本古謡）も含まれていた。昭和三年に入ると日本・ビクター・ジャズバンドを井田一郎を中心に結成した。昭和以前のレコード界は日本蓄音器商会が絶対的な存在であり、その牙城に挑戦するためにビクターは、万全の体制を整備していた。殊に詩壇の第一線にいたフランス象徴派詩人西條八十を迎え、中山晋平とコンビを組ませたことは大きかった。
　　昭和二年十月、三日、英国コロムビアのルイス・スターリングを乗せたエムプレス・オブ・エシヤ（ア）号が横浜に到着した。ウエスタン・エレトリックの新録音をいち早く目をつけた男である。日本市場視察のため、筆頭株主であるこの紳士は丁寧に大阪、東京のレコード店と歓楽街をじっくり観察した。昭和二年十月、日蓄の総株式の１１・７パーセントを米コロムビアに譲渡し英国資本に米国資本が加わった。これをもって日本レコード界においてはもっとも歴史の古い日本蓄音器商会は英米コロムビアの傘下に加わることになるのだ。ビクターの成立は脅威だったのである。昭和二年十月十五日、日蓄はイタリアから帰国した藤原義江の電気吹込みによる独唱曲の録音を完了した。
　昭和二年十二月二十三日、定時株主総会において重役陣の改選が行われて引き続き臨時総会においては、社長にＪ・Ｒ・ゲアリー氏、副社長にＬ・Ｈ・ホワイト氏が選出。昭和三年、一月十二日、「日本コロンビア蓄音機株式会社」が設立を見たのである。英米コロムビア資本と日蓄音器商会が提携して製造元の会社を作ったわけである。日本コロムビアの前身がよく日本蓄音器商会と言われているが、実は日本コロムビアは日蓄の傍系会社なのである。ともあれ、ビクターという新たな敵にたいする準備は整った。ギリンガム（ギングガム）は、技術的には優秀ではなかったが、熱心に日本人技師を指導した。竹中靖浩（清治）らがこの中から巣立っていった。ともあれ、これによって、旧式のラッパ吹き込みを全面廃止し、すべて電気吹き込みに踏み切った。同年四月には、英国コロムビア式電気録音機に改めた。十月には鷲印のニッポノフォンからColumbiaにマークが変更した。十一月には、国内録音の邦楽盤も材質の優れたラミネート盤（ニュー・プロセスレコード）になった。このとき、売れ筋だったニッポノホンのレーベルがコロムビアレーベルに変えられ発売された。三浦環、関屋敏子、荻野綾子、柳兼子、柴田秀子、藤原義江ら声楽家陣が吹込んだ内外の独唱曲が中心だった。これらの旧吹込みレコード録音機材とレコードの盤質が改善され音質の向上が見られていたが、日本ビクターの電気吹込みの黒盤（大衆レコード）の前には沈黙せざるをえなかった。コロムビアは同月には新体制における販売システムに改革のメスを加えた。従来の日蓄が実施してきた配給組織と販売制度の詳細な検討である。英米コロムビアのシステムが加味されたからである。これまでの販売体系の中枢にあった代理店の制度を廃止。製造会社と小売店との商品取引はすべて直接行為となった。また、全国各地に駐屯セールスマンを配置して合理的なアメリカ式販売制度にスイッチしたのである。コロムビアの小売店特約で支店を通じてセールスマンが直接訪問して受注活動をする新販売スシテムといえる。十一月には、ニュー・プロセス（レコードの製造工程の意味）製法によるラミネード・レコードの製造のため、川崎に新工場（オール・トラスコン鋼製）が完成した。すでに大正十三年に考案されていたこの新製法のレコードについては、『コロムビア五十年史』はつぎのようにのべている。

　　「新製法のラミネーテッド・レコードとはラミネーテッド・ペーパーと称する紙に溶液を塗り、その上に粉末状の材料を振りかけて表裏に2枚おき、その間に中間材料をはさみ、金属原盤で上下から熱と圧力を加えて製造するもの、この新製法によれば貴重材料を重点的に集約できること、レコードの耐久力の増大、破損率が少ない、針音が絶無に近い、などの諸特徴をもち、忠実な音の再現ということでは断然他社の追随を許さないものがあった。」（『コロムビア五十年史』）
　
　コロムビアのニュー・プロセス・レコードに対して、ビクターはオルソフォッニック・レコードで自社の録音やプレスを誇示した。オルソフォニックとは、「原音そのまま」というような意味である。ところが、コロムビアには大きな問題点があった。旧製法レコードの全面回収と新製法レコードとの取替えである。その解決のためには百数十万の損害の覚悟が必要であった。コロムビアは敢然とその新製法レコードの販売に踏み切った。だが、大売捌店の全面廃止ができなかった。大売捌店とはジョバー制のことで、大卸から小売店に出荷するシステムだった。ところが、日蓄時代からの古いレコード店は新方式になかなか馴染めない。売れなければ返品すればよいが、新しい方法ではそれができない。そこで、商品供給区域に限定してイーグル印、オリエント印、ヒコーキ印のレコードについては従来通りジョバー（大売捌店）を通じて販売することになった。コロムビアが大売捌店を完全になくせなかった理由には、関西のニットーレコードの存在があったと考えられる。このニットーとは大正時代からの怨敵である。日蓄としては同じ関西のオリエントにニットーレコードを押さえてほしいと思った。邦楽でもオリエントはニットーに対抗できる。流行歌になると鳥取春陽を擁している分、有利である。だが、晋平節で先手をとったビクターは販売網でもリードする。当時ビクター製品の日本総代理店セール商会（セール・フレーザー商会が解散後その事業を継承）と日本ビクターとの共同出資によって販売会社（昭和二年十二月、日本ビクター蓄音器販売株式会社が東京で設立）が作られ、ジョパー制度が整備したのだ。ビクターの売捌店はつぎのとおり東京＝十字屋楽器店、山野楽器店　十字堂蓄音器店、大阪＝三木楽器店・エンゼル商会、京都＝大久保演奏堂。ビクターは特約店はジョパー系統のものと、営業所直轄のものという二経路があり、中間卸を厳禁した。殊に岡庄正は、山野楽器の山野政太郎の指導を仰いだといわれている。そして、二代目代表Ｈ・Ｌサマラーはこのジョバーを大事にした。オリエントレコード、ヒコーキ印の帝国蓄音器などは、大正艶歌時代からの伝統が根づいている。多くの街頭艶歌をレコードにした。歌手も多士済々である。支店の責任者、セールスマンも新しいシステムに馴染めないのだから、小売は、売れるレコードを店頭に並べたいので伝統に固執する。従来の販売方法を継続するオリエント、ヒコーキの流行歌中心のレコードの方が確実に売れるのは確かだからだ。しかも、ビクターは、洋楽盤では赤盤が絶対を誇り、流行歌も晋平節で好スタートを切っている。企画・製作もさることながら流通機構も充実している。ガードナーの「開拓精神」と「すべて超一流」という理念と岡庄正の人間力によって、ビクターは、すべてがシステム化されていた。日蓄が傘下にしていたオリエント、ヒコーキなどの系列会社の大正時代からカフェー街に販売市場をもっていた。ジョバー制度の伝統も継続している。カフェーではレコードは必需品である。売れるのは当たり前だ。鳥取春陽のレコードはなおさらだ。少しでもビクターに市場で対抗するためにもカフェーを中心とした繁華街での販売確保のためにも、豊富なメロディーメイカー鳥取春陽の存在が必要だったのである。

《マイナーレコード会社》

　昭和流行歌新時代、演歌師は、まだ、場末の夜店や縁日の場を借りて細々と余命を保っていた。だが、電気吹込みレコード、ラジオという新しいメディアの出現でもう消えて行く運命であった。だが、演歌師は、街頭でヴァイオリンを切々と弾きながら歌うやり方をやめて、カフェーなどを流すようになった。当然、批判がでる。最初は、歌本を売っていたが、演奏と歌が主流となり、しかも、ギター、アコーディオンなどが使われ、二、三人の組でやるようになった。そして、夜の町酒場で興を添えながら、店を移動する楽師になったことで、「流し」と言われるようになったのである。　大正街頭演歌の伝統を継承していたのがマイナーレコード会社である。大手ビクターに拮抗する姿勢をしめしていた。オリエント、ヒコーキがコロムビアの傘下、トンボが独自資本、ツルが名古屋と、、鳥取春陽は、まさに東奔西走の毎日であった。マイナーレコード会社とはいえ、東西にわたってこれだけのレコード会社で吹込みとなると相当のレコード点数である。カフェーを中心とする繁華街では、現在の有線放送的なＢＧＭとして流行歌が必需品だったのだ。夥しい洪水のように舞い込む歌詞に曲をつける。必需品とはいえ、鳥取春陽の豊富な曲袋は驚異的である。この時期、最も作曲をしていたは鳥取春陽かもしれない。　大正艶歌の伝統を保持するマイナーレコードは、コロムビア系列の会社だけではなかった。中京・関西・東京のマイナーレコード会社も大手資本のレコード会社と厳しい競争を強いられ、拮抗していた。昭和二年の夏頃には電気吹き込みレコードを発売したツル・レコード、日蓄の合併・吸収に屈しなかった日東レコード、東京のトンボレコードなど、いずれも鳥取春陽の力に依存していた。　春陽は、晋平節に始まる新民謡のブームが到来すると早速、《淺草小唄《辨天山の鐘》（徳永天露・作詞／鳥取春陽・作曲）という新民謡を作曲し、トンボ印のニッポンレコードで吹き込んだ。トンボレコードは、正式には日本レコード合資会社という名称である。商標がトンボのマークが入っていたのでトンボレコードと言われた。会社の設立は昭和三年四月二十六日。ニッポン吹き込み発声機合名会社として東京市麹町区内幸町二丁目三四に創設された。ライツ式マイクロフォンで電気吹込みに成功した。だが、その三カ月後の八月には解散。新たにニッポンレコード合資会社として設立された。所在地は、東京市北豊島郡滝野川町田端一〇九八に工場が、営業所は内幸町。昭和七年に社名をオーゴン・レコード合資会社と改称した。　トンボ印のニッポンレコードは、鳥取春陽の力を借りた。レコード番号が一五〇九一からして、昭和三年の暮れか昭和四年の初めの発売と思われる。


Ａ面は、唄が房奴、三味線はおゑん、小梅、笛が東孝、そして、春陽がピアノを弾いている。おそらく、ピアノでベース音をとっているのであろう。それにしても、三味線とピアノの組み合わせはおもしろい。Ｂ面も同じ《淺草小唄（辨天山の鐘》である。こちらは、寺本実指揮のトンボジャズバンドが演奏している。歌唱は鳥取春陽。新民謡をジャズのリズムで味つけをするあたり春陽の斬新な試みの一面を窺うことができる。大正、昭和にかけては和洋合奏が見られるが、民謡の要素とジャズのリズムを融合させることは、俗謡の根底に潜在している感情がクラシックから見た場合非芸術的な形式から脱皮していく先鞭をあたえたといえる。　トンボ印のニッポンレコードでは、鳥取春陽の新民謡はかなり吹き込まれている。レコード番号一五一一七の昭和盤《戀慕小唄》（渋谷白涙・作詞／鳥取春陽・作曲　＊この《戀慕小唄》松崎ただし・作詞の《戀慕小唄》とは違う）は、ビクターの藤原義江に対抗するかのように、新民謡として松竹管絃楽団の伴奏で〈軒の燕は今年も来たに　なんで帰らぬあの人は　思い出す愚痴妾の罪か　イエ　イエ思い出させる主の罪〉と川崎豊が力強いテノールで歌っている（この昭和盤《恋慕小唄》は、フタミレコードのレコードで同じ川崎豊のレコードで聴いた）。川崎豊は、戸山学校軍楽隊に入隊中にザルコリーに美声を認められて声楽を研鑽した。その後イタリアに留学してテナー歌手として活躍。Ｂ面は、唄・新橋才三、三味線・小市、ピアノ・鳥取春陽。また、新里村民俗資料館には、いつ頃の吹き込みなのか不明だが、同じニッポンレコードから発売された《秩父音頭上下》（松尾孝輔・作詞／鳥取春陽・作曲）の《日光小唄上下》（神長暸月・作詞／鳥取春陽・作曲）があった。歌は八重三、三弦、小玉、笛、松家久楽、ピアノ、小泉信一となっている。レコード番号一五一四四−Ａの《横須賀小唄》（山岸月窓・作詞／鳥取春陽・作曲）とレコード番号一五一四四−Ｂの《三崎小唄》（正岡蓉〔容〕・作詞／鳥取春陽・作曲）も貴重なレコードといえる。晋平節の《波浮の港》が、藤原義江、佐藤千夜子でいずれもピアノ伴奏のみであることを考えれば、春陽の新民謡はオーケストラ伴奏と和洋形式で俗謡に含まれる日本情緒を表現する趣向が凝らされ、彼の時代を先取りする斬新な音楽的個性をしめしている。鳥取春陽は、日本民謡にも以前から深い造詣を示していた。電気吹込みの開始の頃には、《佐渡おけさ》、《大漁節》、《串本節》などをいずれもトンボ印のニッポンレコードで吹き込んでいる。民謡はその土地でそこに生活している人が歌ってこそ、味わいがあるといえる。その土着的な音の脈を洋楽の手法で旋律にして、その土地の者でないものでも愛唱できるように作られたのが新民謡なのである。鳥取春陽は、そのようなジャズソング全盛の時代を考慮して日本人の自然な声で深い感情を表現した民謡をジャズ調に編曲していた。《さのさ節》をジャズ調に編曲して歌ったり、また、奈良貫一の変名でオリエントレコードでジャズ小唄、ジャズ民謡を吹き込んでいた。《トンカレ節》《野毛の山》《ヤッコラヤノヤ》《新磯節》などがそうだ。二村定一も《木曽節》、《佐渡おけさ》などのフォックス・トロットのリズムに編曲された日本民謡をして歌っている。主に関西で活躍する鳥取春陽も、ほぼ同時期に同じような試みを行っていたのだ。　奈良貫一という歌手は鳥取春陽である。ニッポノホンから発売された《断然小唄》（草英花・作詞／近藤十九二・作曲）が証明してくれた。奈良貫一の声は明らかに春陽である。イーグルジャズバンドの伴奏で野上菊江と共演している。レコード番号が一七五七八−Ａでおそらく、昭和四年頃ではないか。
　昭和新時代は、電気吹込みでスタートしたが、最初の電気吹込みによる国内録音レコードを発売したのは、名古屋のツルレコードだった。名古屋放送局との技術提携があり、昭和二年七月新譜で発売している。小唄、ヴァイオリン独奏、童謡、喜歌劇、浪花節と、幅広い分野のレコードが発売されている。昭和五年に入ると、太平蓄音器株式会社が設立。内外蓄音器商会の経営が替わり、当時の大日本麦酒株式会社（現キリンビール）社長令息が経営を担当した。昭和五年は、すでに昭和三年五月商標出願し翌年大阪府豊能郡庄内村菰江に設立した国家レコードも《大阪夜曲》（奈良寛一・作詞・鳥取春陽・作曲）を発売し流行歌に進出。昭和六年二月十一日、合資会帝国蓄音器商会が大阪・長堀筋に設立した。すでに前年からスタンダードレコードのレーベルを発売。鳥取春陽のカフェー歌謡の代表作《思い直して頂戴な》（塚本篤夫・作詞・鳥取春陽・作曲）も同レーベルで発売された。翌六年には、佐藤千夜子創唱・藤山一郎の歌唱でヒットした《影を慕いて》と詩想を同じくする《君を慕いて》を《浜辺の唄》とタイトルを変えて発売した。テイチクのレーベルが登場するのは、昭和七年六月新譜からである。

《行進曲ブーム》

フォックス・トロットのリズムは行進曲ブームをもたらした。その始まりは、日本蓄音器商会の怨敵ニットーレコードから発売されたカフェー流行歌の代表作《道頓堀行進曲》（日比繁次〔治〕郎・作詞／塩尻精八・作曲）である。その歌詞の〈赤い灯　青い灯　道頓堀の〉は、太左衛門橋の南西詰にあったカフェー赤玉の屋上に設置されていたムーラン・リュージュの色が夜空を赤く青く染め、川面に映る情景を歌っている。赤玉はミナミでも威容を誇っている。赤い風車が星空を背にゆるゆると回っている。壁面に描かれたロングドレスの婦人は艶しく、煌々と光を放つＡＫＡＤＡＭＡの文字は赤玉に一層モダンの印象をあたえている。店内ではシャッデリアが天井から幾列にも並びながらきらめき、深々としたボックスが列をなしていた。　戎橋の北東詰を宗右衛門町へ折れたところには美人座があった。赤玉のライバルだ。蓄音器の拡声器をとりつけて対抗しようとしている。この界隈を代表するふたつのカフェーは、ねっとりとした道頓堀川の川面にネオンの色あざやかな光彩を林立させていた。その揺らぐ赤い灯、青い灯にリズムをあたえているのがジャズだった。　道頓堀界隈は、複層した音の空間である。フォックス・トロットのリズムにのったジャズが鳴る。路地裏から聞こえてくる演歌師の切ない歌、宗右衛門町の青楼から聞こえる三味線の音、道頓堀の五座の太鼓の音、和洋混合の音空間を催していた。それらは、道頓堀から千日前、新世界にかけて広がる。芝居、活動写真、落語、家庭劇などの劇場からはひっきりなしに音楽が流れるからだ。どれも特徴がある。　道頓堀界隈がミナミに対して梅田はキタと言われているが、そこはお茶屋とか料亭が多く、旦那衆の遊び場でそれにくらべてミナミは庶民性があった。　春陽は、和洋混合の音空間に刺激されてか、正岡容（蓉）の〈カフェー女と　忍び会い　五座の櫓に　虹吹いて　あれ又　ティティナの　ジャズが鳴る〉という作詞に曲をつけた《恋愛行進曲》（正岡蓉・作詞／鳥取春陽・作曲）を作曲した。秋の寂しさを吹き飛ばすかのように昭和三年十月新譜でオリエントからレコードは発売された。歌は南地金龍。歌詞に登場する「五座」は、道頓堀の芝居小屋の総称である。《ティティナ》は、ダンドフル作曲のポピュラーソング。おそらく、赤玉のジャズバンドの演奏が聞こえてくるのだろうか。道頓堀は和洋混合の音空間なのである。同月には、ビクターから天野喜久代が歌う《新銀座行進曲》（佐々紅華・作詞／作曲）が発売されている。激しいヒット競争の展開である。オリエントからは、春陽の行進曲物がつぎつぎと発売された。関西カフェー街に大きな市場をもつオリエントは、鳥取春陽を擁して、同じコンビによる《御大典行進曲》（正岡蓉・作詞／鳥取春陽・作曲）、《歓楽のカフェー》（正岡蓉・作詞／鳥取春陽・作曲）、《ジャズよ踊れ》（正岡蓉・作曲／鳥取春陽・作曲）。《御大典行進曲》と《歓楽のカフェー》は、浅草オペラ出身の井上起久子、奈良貫一が歌っている。　行進曲は百家争鳴の様相を呈していた。ニットー（日東）レコードの動きは春陽を慌てさせた。このレコード会社は日蓄のトラスト化に屈しなかったことはすでに紹介した。邦楽に豊富な陣容を誇り、義太夫・常磐津・清元・琵琶・尺八・歌舞伎等にあらゆる分野の名人級の芸人がいたのだ。一九二四年（大正十三）年、排日移民法がアメリカで成立すると国民感情が反米意識を強調した。ニットー（日東）レコードは、アメリカ製のレコード不買を提唱し、アメリカ資本が参入している日本蓄音器商会を批判し激しい競争意識を燃やしたのだ。ニットーは、外国からの原盤供給がないので、外国人の来日演奏家をスタジオに呼んで吹込ませた.。その洋盤レコードにおいては、ヘンリー・レメディオスのヴァイオリン独奏、ウィリー・パルダスのピアノ演奏曲曲、パウル・ショルツのピアノ演奏曲が録音されている。
　　昭和流行歌時代においても、どんどん外資系コロムビア、ビクターに対して新企画を打ち出してくる。大阪が本拠であるため、同じ関西に拠点をもつ春陽も内心では穏やかではなかった。　《道頓堀行進曲》は《浅草行進曲》（多蛾谷素一・作詞／塩尻精八・作曲）に変えて東上する。これもニットーレコードの企画である。昭和三年九月新譜で歌は二村定一、天野喜久代。同年十二月新譜では《銀座行進曲》（正岡蓉・作詞／塩尻精八・作曲）。Ｂ面に《道頓堀行進曲》をカップリングしている。歌は両面とも内海一郎。歌詞には江戸の浮世絵師の国貞や、この時代の挿画で人気が高かった高畠華宵が登場する。だが、行進曲戦争はビクターの勝利に終わった。やはり、ビクター、晋平節だったのだ。《東京行進曲》（西條八十・作詞／中山晋平・作曲）である。モダン都市東京の戯画ともいわせた西條の詩想と民衆歌謡における権威の中山晋平の楽想がマッチした結果だった。


《街頭の唄から昭和ＳＰレコード歌謡へ》

　大正時代の流行歌は、演歌師が街頭で歌い流していた歌をレコード会社が音盤にした。だが、昭和流行歌は、レコード会社が企画・製作し、誇大宣伝によって大衆に選択させるシステムに移行した。「唄本」は、楽譜ピースにかわった。楽譜出版という産業も登場する。昭和ＳＰレコード歌謡においては、歌謡作家が生まれた。彼らは詩壇で鍛え抜かれた詩人である。野口雨情、西條八十、時雨音羽、佐藤惣之助、佐伯孝夫、サトウ・ハチロー、高橋掬太郎、藤浦洸らが、作詞に腕を奮った。その詩想に洋楽の専門家の手によって、レガートな旋律とジャズのリズムがつけられた。昭和流行歌の黎明期には、中山晋平、佐々紅華が登場したが、その後、ギターマンドリンで感傷のメロディーを作曲した古賀政男、海軍軍楽隊出身の江口夜詩、和製ブルースを確立した服部良一、クラシックの格調を大衆歌謡で表現した古関裕而らが黄金時代を築いた。洋風に作られた楽曲は、洋楽系歌手や音楽学校出身の声楽家たちがジャズバンドやオーケストラの伴奏で歌唱した。創世期には世界的なオペラ歌手藤原義江、晋平節の第一人者佐藤千夜子、ジャズシンガーの元祖二村定一らが登場した。その後は、正格歌手藤山一郎（声楽家　増永丈夫）、妖艶なソプラノ歌手淡谷のり子らの音楽学校出身者が流行歌手として名声を博した。花柳界出身の市丸、小唄勝太郎の日本調歌謡、さらに音楽学校出身者以外にも直立不動の姿勢で歌唱する東海林太郎、ジャズシンガーのディック・ミネ、ハワイアン出身の灰田勝彦、抒情的な歌唱で、戦時歌謡を歌った伊藤久男（帝国音楽学校出身）らが活躍することになる。尚、この内容は『メディア史研究』第十四号に「昭和SPレコード歌謡産業発達史-その黎明期における一考察」(菊池清麿著）によってまとめられた。レコード書誌が註に明記され、初めてレコード史が歴史学の分野で位置づけられた画期的な研究論文である。

この内容に関する著作権は菊池清麿(近代日本流行歌史研究）にあり無断転載を禁じます。
Copyright(C)2003Kikuchi Kiyomaro.
all yights reserved.

近代日本流行歌史

昭和ＳＰレコード歌謡総攬体系