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自己紹介です

パラグライダー  (2002/08/11記)

 はっきり言って挫折(~o~)。 趣味にはたどり着けなかった。
しかし、数週間雪のないスキー場へ通ったが、周囲の森より高く舞い上がった時は、気持ちがよかった。
地に足がついていない
とはこのことだと思った。 やっぱ高い所は、恐いよぉ〜(>_<)

写真を撮ること (2002/08/08記)

 初めての写真は、東京モーターショーを見に行った時だった。ストロボ無しのカメラだったため、露出アンダーばかり。
この時のカメラはセレン式の露出計だった。写真の難しさを知った。

 旅の写真
、学生の頃ひとり旅をしては愛用のニコンF2フォトミックAIでとりまくった。
2月のオホーツク流氷、網走→紋別→浜頓別→稚内と北上した。そして一気に襟裳岬へ。鼻水じゅるじゅるの冷たい風だった。
今思い出しても、寒くなる。(*_*)

 F1写真
は、88年から93年まで毎年鈴鹿通い、今は亡きアイルトンセナの執念に感動する(~_~;) (;_;)
セナ、プロ激突(ホントに2年続けて接触)をこの目で見られたことは歴史的瞬間に立ち会った気分だった。
予選走行、マクラーレンのセナが出て行く、その後をフェラーリのプロストが、鈴鹿スプーンでの2台のマシンが一枚の画に納まったワンショットは宝物だ。
セナの火花散るメインストレートの疾走写真も狙ったショットだった。
もちろん日本のF1パイオニア、中嶋悟の走りに声援を送った。
最後のティレルマシンで疾走する写真を全紙大にし、飾ってある。
この時は、愛用カメラはコンタックス137MA、RTS2であった。
セナ、中嶋去りし後、あれほどファインダーを覗いて熱い思いになることが減った。なぜだろう?
佐藤琢磨が久々に熱くさせてくれるかな?
セナの生まれたブラジルに来ることができたのも何かの縁かな? 墓参りに行った。No.は011だった。
2001年のブラジルGPを見た。レース後半から大雨。最初から自由席にも屋根があった。
写真を撮る上では、柱になっている鉄パイプがじゃまだった。この時は、ビデオで追いかけた。クルサード優勝。
ブラジルでは、この時期(夏;1〜3月)必ずといっていいほど夕立が来る。
日本でTVを見ていて、いつも不思議に思っていたが、納得できた。まさに「百聞は一見にしかず」である。
F1の写真を撮りながら、気づいたこと。人は瞬間的に色で判断するということだった。300km近いスピードのマシンを追いかけると車の色、ヘルメットの色で誰なのかを判断していた。決してカーナンバーではなかった。
それと、イメージすることでイメージ通りの写真が撮れるということだ。
いい写真が撮れればいいなあでは、つまらない写真しか撮れないと知った。
こういう写真が撮りたいと思うことで現実に撮れる。それだけは確信できた。
それにしても、ヘアピンに入る時のセナのマシンだけは、他のドライバーと角度が違っていた。

 子供の写真
子供が生まれてから、写真を撮るようになった。(当たり前か)
ファミリー写真コンテストが長野フジカラー主催であった。まあ、素人写真のコンテストである。
子供の写真を撮って送った。2枚ほど入選。1枚は確か準特選(上から3番目)。次女の写真だった。
応募する時、これは行けるんではないかと予感がした。可愛い目の写真だった。絞りを開けすぎたため、ちょっとピンぼけになった。
最近は、もっぱらデジタルになった。

星を見ること (2002/08/08記)

高校の頃にバイトをして天体望遠鏡(8cm屈赤−ミザール・カイザー)を購入。観望、天体写真とかじる。
ふたご座流星群の時、オリオン座を貫く流星写真が雑誌「天文ガイド」に入選!!うれしかったなあ )^o^(
思わず2冊買った。星の仲間からのおめでとうは、うれしかった。>^_^<
あれから、望遠鏡は人に譲ってしまった。今またほしいと思っている。
まさか、南半球に住むとは思っていなかったが、星を知っていてよかった。
南十字星はもちろんのこと、大マゼラン雲、小マゼラン雲を見ることができたのは感動だった。
それと、天の川の中をジグザグ動く光体も見た。あれはいったい何だったんだろう。最初は蛍が高い所を飛んでるかと思ったが。残念だが、夜は物騒なので星の観望とはいかない。それに以外と明るいからなあ、田舎へ行かないとダメだ。

読書 (2002/08/08記)

いろいろ読む。ブラジルでは時間ができたため、内田康夫、西村京太郎をよく読む。
それにしても浅見光彦は、いい。自分が主人公になったような時がある。特に美しい女性が登場したりなんかしてると。(*_*)
最近、重松清がいいと思う。NHKドラマ「中年ゴジラ」を書いた作家さんだ。
昔読んだところでは、沢木耕太郎の文章が好きだ。うまい、実に文体がかっこいい。

スキー (2002/08/08記)

ある時、なぜかうまくきれいに滑りたいと思うようになった。30才過ぎてからである。
毎週スキー場通い。スクールにも入った。2級の検定試験にも挑戦。何回か落ちたが、ぎりぎりで合格。
試験時、吹雪の中、順番を待つ時の寒さ、わずか4本。一日でそれだけの滑り。結果は不合格。そんな時もあった。
大人になって、遊びで緊張するのもいいもんだと思った。
子供に教え始めた。いつか家族で泊まりでスキーに行きたい。

テニス (2002/08/08記)

初心者の試合にも出た。スキーと同じく、俺って緊張してるよって、試合中思った。
70才を越えたおじいさん(初心者)とも試合をした。お孫さんと一緒にテニスをしているようだった。
ああ、こういうのもいいなあと感じた。
最近は全然やってないなあ。続けることが大切。

考えること (2002/08/08記)

考えることが趣味というのも変だが....。
いろいろ、なぜ?、WHY?、ポルケ? と思うことがあっても、ある日突然、わかる時がある。
10年ぐらいたって、理解できることもある。その間、潜在意識の中で思考は続けられていたのだろうと思う。
考えていなくても考えているということかな、とも思う。
日本にいる時と日本を出てからでは、あきらかに考え方が変わった
つくづく思うことは、日本の政治家はある時期海外で一人暮らしをした方が良いのではないかと思う。
いい政治家になれると思う。ということは、俺はいい政治家になれるのかい? えー。そんな気はないな。

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