「僕は今まで幾度か創造主を呪った。彼は己が創造物を最も取るに足らぬ偶然の手に任せる。
そのためしばしば最も美しい花が吹き散らされ、折られてしまうのだ。」
「私を生につなぎ止めているのは芸術だ。内なるものを表現し尽くすまでは、死ねない!」
1770 | 12月16日、ボン市に生まれる | . | |
1774 | オルガン奏者の父から、ピアノを強制される | ||
1776 | ケルンで演奏会に出演 | ||
1781 | 宮廷オルガニスト・ネーフェに師事し、正式な音楽教育を受け始める | ||
1782 | 《ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲》作曲 | ||
1784 | オルガン奏者として家計を支える | ||
1785 | 宮廷オルガニストに就任する | ||
1787 | ウィーン旅行中に、モーツァルトと知り合う | ||
母マリア・マグダレーナが他界する | |||
1792 | ウィーンに移り住み、ハイドンに師事する。父ヨハンが没する | ||
《ト調のメヌエット》作曲 | |||
1795 | 第1回プラハ旅行 | ||
1796 | 第2回プラハ旅行 | ||
1798 | 耳の病が深刻化する | ||
1799 | 《ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」》作曲 | ||
1800 | 《交響曲第1番》作曲 | ||
1801 | 《ピアノ・ソナタ第14番「月光」》、《プロメテウスの創造物》作曲 | ||
《ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」》作曲 | |||
サリエリに作曲を師事する | |||
1802 | 「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く | ||
《交響曲第2番》、《バガテル》作曲 | |||
1803 | 《ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」》作曲 | ||
1804 | 《交響曲第3番「英雄」》、《ピアノ・ソナタ第25番「かっこう」》作曲 | ||
1806 | 《「レオノーレ」第3番》作曲 | ||
1807 | 《交響曲第4番》、《「コリオラン」序曲》作曲 | ||
1808 | 《交響曲第5番「運命」》、《交響曲第6番「田園」》作曲 | ||
1809 | 《ピアノ協奏曲第5番「皇帝」》作曲 | ||
1810 | 《劇付随音楽「エグモント」》、《ポロネーズ》作曲 | ||
1811 | 《エリーゼのために》作曲 | ||
テレーゼ・マルファッティに求婚するが失敗に終わる | |||
1812 | 《交響曲第7番》、《交響曲第8番》作曲 | ||
テプリッツで文豪ゲーテと知り合う | |||
「不滅の恋人(アントニア・ブレンターノ?)」に3通の手紙を書く | |||
1823 | 《ディアベリ変奏曲》、《荘厳ミサ曲ニ長調》作曲 | ||
1824 | 《交響曲第9番「合唱付き」》作曲 | ||
第9初演、ケルントナートーア劇場で大成功を収める | |||
1827 | 3月26日に永眠。「諸君、喝采を。喜劇は終わった」 |