「無限な精神をもつ有限なる我々は、ただ苦悩と歓喜とのために生まれた。
そして、ほとんどこう言うことができるでしょう、
最もすぐれた人々は、苦悩を通じて歓喜をかちうるのだ、と。」
〜ベートーヴェン
「モーツァルトは誰でも理解できる。しかしベートーヴェンを理解するには優れた感受性が必要だ。
失恋などで悲しみのどん底にいなければならない」
〜シューベルト
交響曲第2番ニ長調 Op.36 | |||
T | Adagio molto − Allegro con brio | ||
U | Larghetto | ||
V | Scherzo&Trio:Allegro | ||
W | Finale.Allegro molto | ||
交響曲第1番初演前からベートーヴェンを悩ませていた耳の病気はこの頃にはひどく悪化し、1802年に は有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書かせるほどに彼を追い詰めていた。しかし、遺書を書くことで 克己したのか、これ以降は次々に名作を完成させていった。1801年〜1802年にかけて作られたこの 曲には、こうした苦悩の暗い影はなく、全曲にわたって彼の希望や決意が表明されているかのようである。 | |||
サイモン・ラトル | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 32:07 |
交響曲第3番変ホ長調 Op.55 「英雄」 | |||
T | Allegro con brio | ||
U | Marcia funebre.Adagio assai | ||
V | Scherzo.Allegro vivace | ||
W | Finale.Allegro molto | ||
ボン時代からフランス革命の精神に傾倒していたベートーヴェンが、ナポレオンを記念して作曲したと言われ ているのがこの曲である。ただ、皇帝に即位した彼に興醒めし、総譜に書き記した彼への献辞をはげしい筆 圧で書き消したというエピソードも残っている。完成した時期は1804年初頭と推定され、伝統的な交響曲 の枠組みを越える革新的試みや、「ハイリゲンシュタットの遺書」にあるような、行く手の障害を闘争の末に 克服するという意気込みを聴き取ることができる。 | |||
クラウディオ・アバド | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 52:04 |
交響曲第5番ハ短調 Op.67 「運命」 | |||
T | Allegro con brio | ||
U | Andante con moto | ||
V | Allegro; | ||
W | Allegro | ||
この「運命」はベートーヴェンの交響曲の中でも最も広く知られたものであるが、「運命」と言う副題はベートー ヴェン自身が付けたものではなく、「運命はこのように戸を叩くのだ」と弟子に説明した話から出たという。冒 頭の有名なフレーズは「運命の動機」と呼ばれ、この戸を叩く音を表している。1楽章は暗いハ短調から始ま るが、最後はハ長調で締めくくられ、「苦悩を越えて歓喜に至る」というベートーヴェンの生涯にわたる信条 をも表している。 | |||
ギュンター・ヴァント | 北ドイツ放送交響楽団 | 33:34 | |
サイモン・ラトル | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 31:56 | |
カルロス・クライバー | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 33:30 |
交響曲第6番へ長調 Op.68 「田園」 | |||
T | Allegro ma non troppo; Erwachen heiterer Empfindungen bei der Ankunft auf dem Lande | ||
U | Andante molto mosso:Szene am Bach | ||
V | Allegro:Lustiges Zusammensein der Landleute; | ||
W | Allegro:Gewitter,Sturm; | ||
X | Allegretto: Hirtengesang.Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm | ||
「田園」は「運命」と同時期に作曲され、1808年に一緒に初演された。それぞれの楽章が鳥の鳴き声、小川 のせせらぎ、嵐、雷鳴といったものを表現しているが、ベートーヴェン自身は「描写ではなく、感情の表現」と 注記している。 | |||
ギュンター・ヴァント | 北ドイツ放送交響楽団 | 45:05 |
交響曲第7番イ長調 Op.92 | |||
T | Poco sostenuto;Vivace | ||
U | Allegretto | ||
V | Presto | ||
W | Allegretto con brio | ||
1811年〜1812年にかけて作曲されたこの曲は、非常に特徴的なリズムを持っており、ワーグナーは「舞 踏の聖化」と評し、リストは「リズムの神化」と呼ぶほどであった。このリズムによって曲は勇壮な容貌を持 つとともに、確固としてまとめ上げられている。 | |||
ギュンター・ヴァント | 北ドイツ放送交響楽団 | 42:04 | |
カルロス・クライバー | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 38:46 |
交響曲第8番ヘ長調 Op.93 | |||
T | Allegro vivace e con brio | ||
U | Allegretto scherzando | ||
V | Tempo di Menuetto | ||
W | Allegro vivace | ||
交響曲第5番、第6番と同様に、第7番と第8番は双生児の関係にあり、同じ時期に作曲され、1813年 に非公開ではあるが、一緒に初演された。ベートーヴェンの交響曲の中ではもっとも規模の小さいものでは あるが、ほかの曲にはない独自の魅力があり、彼自身も満足していたといわれている。軽快で優雅な楽想を 持ち彼特有のくどさがないのも特徴である。 | |||
ギュンター・ヴァント | 北ドイツ放送交響楽団 | 25:44 |
交響曲第9番ニ短調 Op.125 「合唱付き」 歌詞・対訳 | |||||||||||
T | Allegro ma non troppo,un poco maestoso | ||||||||||
U | Molto vivace;Presto | ||||||||||
V | Adagio molto e cantabile | ||||||||||
W | Presto; Presto ”O Freunde,nicht dieser Töne!”;Allegretto assai | ||||||||||
言うまでもなく、ベートーヴェンの交響曲の集大成であり、最高の名作。曲自体は1812年から様々なスケッチ が作成されたが、シラーの詩に音楽をつける、という構想はボンにいた頃から考えており、30年以上もたった1 824年に実現した。もともとは、終楽章は純粋な器楽作品になる予定であったが、結局、ベートーヴェンは交響 曲と合唱曲を融合させる案を採用した。 この曲は、時のプロイセン王、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈されている。 ギュンター・ヴァント | 北ドイツ放送交響楽団 | 66:10 | サイモン・ラトル | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 69:47 | |
バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲 Op.43 | |||
クラウス・テンシュテット | ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 | 4:55 |
序曲「コリオラン」 Op.62 H.J.フォン・コリンの悲劇のための | |||
クラウディオ・アバド | ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 | 8:05 |
「レオノーレ」序曲 第3番 Op.72a | |||
クラウス・テンシュテット | ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 | 13:46 |
歌劇「フィデリオ」序曲 Op.72b | |||
クラウス・テンシュテット | ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 | 6:44 |
劇付随音楽「エグモント」序曲 Op.84 | |||
クラウス・テンシュテット | ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 | 8:05 |