写真

2002年4月30日設置

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2011/05/15(日) 千鳥ケ淵戦没者墓苑から見た私達日本人の過去と未来

千鳥ケ淵戦没者墓苑にお参りに行きました。

私は毎年、終戦記念日の前に千鳥ケ淵戦没者墓苑にお参りして、石棺前に献花しています。
太平洋戦争によって300万人を超えるの同胞を失った私達日本人にとって
海外での無名戦没者達の墓苑であるこの場所は、極めて重要な意味を持っているのです。

使用
カメラ
Nikon D700

使用
レンズ
AF-S NIKKOR
24-70mm F2.8G ED
■皇居の風景
皇居の風景

千鳥ケ淵戦没者墓苑は皇居の北西に位置しています。

300万人を超える国民をあの戦争で失ったのは、この国の指導者層が進むべき道を間違えたから。
最近の映画では「この国を守るための戦争だった」的な視点で描かれていることもありますが、
それは違う。

中国への無謀な侵略戦争の挙句、アメリカとも勝ち目の無い戦いを始めて
被害が広がってもやめることができず、その判断の遅れが原因で膨大な人々が命を失った。
それはこの国の当時の指導者達が推し進めた政策が間違っていただけであって
時代の流れの中では仕方がなかったとか、国を守るためだったとか、
そんな無責任なキレイごとは自己保身のための言い訳に過ぎない。

私達は意図して他国への侵略戦争を続け、そして止められなかった。
その結果として重大なものを失った。

■皇居の正門石橋
皇居の正門石橋

では、その時代を生きて、そして命を失った人々の人生は無駄だったのか。

私はそうは思わない。
戦後の高度経済成長を実現できたのは、命を失った人々の無念の思いを
生き残った人々が引き継いで全力で生きたからだと、私は思っている。
失った人々の重みをきちんと受け止めたからこそ、ここまで戦い抜くことができた。
それが想像も出来ないような経済的発展と平和をこの国にもたらした。

あの戦争で失われた命は決して無駄ではなかったし、これからも無駄にしてはいけない。
私はそう考えているから、毎年終戦記念日前に必ず千鳥ケ淵戦没者墓苑にお参りする。
東京大空襲の日の前には、東京都慰霊堂、そして東京都戦没者霊園にお参りする。
本や資料を読むだけではなく、より近い位置で、あの戦争の意味について毎年考える。

■皇居
東京都庁

終戦記念日より3ヶ月前の5月。
今のこの国の現状を先祖が見たら、どう思うのだろうかと思った。

経済的利益を優先するあまり安全面を軽視して原発事故を起こし
世界で唯一、原爆投下された国でありながら、今度は自分で放射能汚染してしまった日本。
マスコミの暴走、政治の無力化、都合の悪い事実の隠蔽、根拠の無い神話を騙った人々。
この期に及んで政争を始める人々、主犯である東京電力を経済的な理由で擁護するあまり
責任すら明確にできない硬直化した社会。

あれから70年近くも経ったにも関わらず、悪い面がいろいろと敗戦時の日本によく似ていて
私達は歴史から一体何を学んだのか、疑問に思う。

■皇居
皇居

また祖先だけでなく、この汚染された土地で生きていかなければならないこれからの若い人々に対して
私達はきちんと説明できるのだろうか。
この国で未来を生きる人々が、この事実に納得できるのだろうか。

東京というこの国の首都は、あの戦争で多数の文化財を消失してしまった。
なぜ、そこまで燃やされてもなお戦争を続けたのか、私には全く理解できない。
その理由を、あの時代を生きた人々に聞きたいと思うことが多々ある。

同様に、この国の未来を生きる人々のためにも
今の私達には事実と、責任の所在を明らかにする義務があるのではないかと思うのです。

■晴天の日比谷公園
晴天の日比谷公園

そんなことを千鳥ケ淵戦没者墓苑で静かに考えていました。

最後の写真は日比谷公園にて。
今日はとても天気が良くて、公園でたくさんの人々がくつろいでいました。
そんな平和な風景を 私達は守るべきなのです。

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