写真

2002年4月30日設置

[メインページ] > [写真館]
2010/11/07(日) 旧日立航空機立川工場変電所

東京に残されている戦争遺跡「旧日立航空機立川工場変電所」の写真です。

変電所があるのは私の家から電車に乗って1時間ほどの場所ですが
往復2時間、現地で1時間使って丁寧に撮影してきました。

使用
カメラ
Nikon CoolPix P7000

使用
カメラ
SIGMA DP2S
■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

旧日立航空機立川工場変電所があるのは西武拝島線「玉川上水」駅から歩いて10分の
都立東大和南公園内にあります。ごくごく普通の公園の敷地の中に
米軍の機銃掃射の後が生々しく残された変電所が当時のまま残されています。

写真は変電所前で遊ぶ子供達。
太平洋戦争当時の弾痕が残る建物と、無邪気に遊ぶ子供達が同居する少し不思議な風景。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

変電所前にある花壇。

太平洋戦争当時。
この変電所は、隣接していた軍需工場に電力を送電する施設でしたが
米軍に爆撃された際に工場は大破。変電所も戦闘機からの機銃掃射を受けました。
その当時の弾痕が残されたままこの変電所は1938年から1993年まで実際に使われていました。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

変電所近影。
壁にボコボコあいた穴が米軍戦闘機の機銃掃射の跡です。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

2階建ての建物の正面に大量の弾痕が残されています。
激しい攻撃を受けたことがわかります。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

階段のコンクリートの手すりに穴が開いています。
移り変わりの激しい東京にて、大戦当時の建物が残されていること自体が貴重なのです。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

外壁に残る激しい弾痕。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

青空と弾痕。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

あまりにも青空が澄み切っていて、少し哀しくなりました。

■旧日立航空機立川工場変電所
旧日立航空機立川工場変電所

建物前で遊ぶ子供達。
1時間ほど、この建物だけを撮影していたのですが
子供達にとってはこの建物は「オバケヤシキ」という設定になっていた。
いつか大人になったら、この建物の由来を正しく理解して欲しいなと思う


なぜ戦争をしてはいけないのか。
私には、また日本人には、その明確な答えがある。

先の大戦で、己の利益に妄執した愚かな指導者達に率いられたこの国は
傲慢にも隣国を蹂躙し、全く勝ち目の無い戦争を戦い、その結果として
同胞だけでも300万人を超える尊い命を失った。大切な文化財を焼失してしまった。
その過ちをまた繰り返すような愚かなことはするべきではないから
だから戦争はするべきではない。

たまに、過去の戦争を美化しようとする人々を見かけますが
過去から目をそらしたら、未来は生み出されない。
東京九段の神社の境内にて、●●戦隊というノボリを掲げて
家族達を率いて得意顔で集団記念撮影をしている哀れな老人達がいますが
日本は敗戦国なのです。沢山の人が死んでいるのです。
同じ事を海外から回収した遺骨が収められている戦没者霊園の千鳥ヶ淵で出来ますか?
無念にも命を落とした人々に申し訳ないと思いませんか。

私は小学校の時の社会の授業で、太平洋戦争が起こった理由を
「独裁者である天皇陛下が戦争を始めたから誰も逆らえなかった」と教わった。
そして敗戦後に現人神(あらびとがみ)である天皇が人間宣言を行ったことで国民が納得したと。
そんな間違い・勘違いだらけの嘘を堂々と先生から教わった。
本当は統帥権を盾に暴走を繰り返した陸海軍部が元凶なのに、それは一切教わらなかった。

私たちが学校の授業で教わる戦史。
そこでは2・26事件、満州事変、上海事変、真珠湾攻撃に、空襲や原爆。
さまざまな「点」を断片的に教わるけれども、なぜ戦争が始まって、誰が主導して、
どうして終わらせられなくて、そしてなぜ沢山の人が死んだのか。
「点」が繋がった「線」もしくは「面」としての歴史は授業では教わらない。
過去とその背景を知りたければ膨大な量の資料を自分で調べるしか無い。

私は自分でいろいろな資料を調べましたが、それでもよく判らないことが多過ぎる。
ここまで調べても判らないのに、「最近の若い人は戦争を知らない」と言う老人を見ると
あなた方が不都合な過去を必死で隠してきたからでしょ、と言い返したくもなる。
私には、あの戦争の意味がいまだによくわからない。
それでもあの戦争で沢山の人々が命を落としたことを知っている。
終戦直後に責任を取って潔く自決した人々がいることを知っている。
愚かな判断を下した当時の責任者達や教育者達がのうのうと生き延びて
戦後の日本において懲りずに害悪を撒き散らした事実もよく知っている。
それらの事実を知るたびに複雑な思いになる。

現代を生きる私に出来ることは限られているから
まずは毎年終戦記念日前に千鳥ヶ淵にお参りし、祭壇に花を供えています。
戦で亡くなられた方々の存在を忘れないように。
今の日本がとても平和なのは、その土台に先の大戦で300万人を超える人々が
命を落とした事実があります。その悲しみを、日本人は受け継いでいるのです。

その事実を少しでも伝えることができればいいなと思いながら
1時間かけて丁寧に撮影しました。

[メインページ] > [写真館]