京都老舗旅館体験記 その2

大河ドラマ「新選組!」放映中で世間的に幕末熱が高まっています。そこで2004年の冬、呉女
の誕生日記念に「京都老舗旅館」の第二段として泊まってみた幕末ゆかりの宿体験記です。

 その旅館にたどりつく前に、ちょっとだけ幕末の京都を体感してみましょう。京都きっての繁
華街、高島屋や阪急百貨店のある四条河原町交差点から歩きはじめます。交差点を東へ歩
けば、四条大橋を渡ってほどなく祇園へ行きますが、今日は河原町通りの東側の歩道を北上
します。表面的にはフツーの現代的な繁華街。でも小さな石碑を見逃さないように歩きましょ
う。
 まず1本目の細い通りを過ぎたあたりに、今京都の「あぶらとり紙」では「よーじや」の次に有
名かな?と思う「象」という店があります。ここが竜馬といっしょに暗殺された中岡慎太郎邸の
。次の通りを東に曲がれば「汁」という暖簾のかかった「志る幸」という料理屋が池田屋騒動
の発端となった古高俊太郎邸、つまり枡屋の跡(ここに武器弾薬の類が……)。河原町通りをさ
らに北上すると通りを隔てた西側に京阪交通社が見えます。そこが竜馬と中岡慎太郎が暗殺
された近江屋跡。さらにしばらく北上して三条通りの手前の道「竜馬通り」を東に曲がれば竜馬
が京都で活動の拠点としていた「酢屋」があります。

中岡慎太郎邸跡

古高俊太郎邸跡

坂本竜馬終焉の地。近江屋跡

坂本竜馬邸跡「酢屋」。
 河原町通りから三条通りを東に曲がってほどなく、北側パチンコ屋のあるところが池田屋騒
動の池田屋跡。ここでは三条通りを東に進み高瀬川の小橋を渡ったところで木屋町通りを北
へ曲がりましょう。ほどなく東側に土佐勤皇党の武市瑞山、その一味で天誅組の吉村虎太郎
寓居跡。そのまま北上して御池通りにぶつかると、西の向かいにそびえる京都ホテルオークラ
長州藩邸の跡。ホテルの西側に桂小五郎の像がありますが、今日はそのまま木屋町通りを
北上するとほどなく今日泊まる旅館に到着します。(四条河原町の交差点からここまで、わずか
距離にしてわずか1km程度ではないか、と。)

池田屋跡。

三条小橋あたりから三条通り、池田屋
付近を見ると、現在はこの盛り上がり。

武市瑞山、吉村虎太郎邸
跡。

京都ホテルオークラの西、桂小五郎像
……が、その前に、木屋町通りに西側を流れる高瀬川の向こうに碑がふたつ見えるのは佐久
間象山と大村益次郎の遭難の碑。佐久間象山は屋外で襲われたようだけど、大村益次郎は
長州藩控え屋敷に滞在中に遭難したはず……(大河ドラマ「花神」の冒頭シーンだったもんね。
……古い話でスミマセン)。その長州藩控え屋敷だったものが現在旅館になっている……、そ
れがふたつの碑の真向かいにたつ私たちが泊まる老舗旅館、「幾松」なのです。

御池通りと木屋町通りの
交差点。タクシーで高瀬川
が隠れてしまった。レンガ
の建物が「幾松」新館。

佐久間象山(右)と大村益次郎(左)の
遭難の碑。川の向こうにありので見
逃さないように。この碑の正面が「幾
松」。

鴨川を渡って東の対岸から「幾松」(手前中央あたり)を見る。後ろに聳え立つのが京都ホテルオークラで長州藩邸のあったところ。禁門の変ではここからも火の手があがり京の町を焼いた。

 「幾松」とは維新後に桂小五郎(木戸孝允)夫人となる芸者幾松の名にちなんだもの(「新選
組!」では菊川怜が演じている)。幾松は桂の死後、かつて桂といっしょに過ごしたこの場所で
桂を偲びながら暮らしたらしいのです。その建物が後に料理旅館となって今にいたっていま
す。木屋町通りに面して「幾松」の看板の掲げられた細い路地のような入り口と、その隣に一
階が「維新庵」というレストランになっている洋館風の建物があります。これが「幾松」の新館
で、現在の「幾松」ではこの新館に泊まるのが一般的。細い路地奥にあって鴨川に接する本館
のほうは主に料亭として使われているようですが、泊まることもできるのです。私たちは、旅行
会社を通して新館宿泊料金に二人で一万円以上の追加料金を支払い、本館のほうに泊めて
いただきました。
 細い路地の置くにあるどっしりした玄関。近藤勇もここまで切り込んできた、と聞けばなんとも
重みのあるもの。そこからあがって二階の客間に通されました。

「幾松」の入り口。細い路地の
つきあたりが本館の玄関。

「幾松」新館。外観は洋風だけど客室は和室
らしい。一階は小さなレストラン「維新庵」

「幾松」玄関。二階は客室の一つ。私たちが泊まった部屋はその奥。
 
本館の客室は多分5室。鴨川に面した部屋はどうもやたら高いらしく(だいたいそういう部屋は
旅行会社には出さないらしい)、私たちの部屋は小さな中庭に面した部屋でした。
 入って驚いたのは、外側から見た重々しさにくらべ、客室の中はきれいに改装されてあって、
むしろ非常に女性的なこと。もしかしたら他の客室はまた雰囲気が違うのかもしれませんが、
「幾松」という女性のイメージを大切にしているのか、明らかに女性客を意識した部屋の作りで
した。だってまず寺の花頭窓のような入り口を入ると控えの間には几帳がおいてあり、本間に
入ると御簾、杉戸など、時代的統一感無視の歴史的デザイン(?)満載の部屋。最初はちょっと
違和感を感じましたが、しばらくいるとまるで歴史のワンダーランドのようにも思え、楽しくなって
きました。

花頭窓のような部屋の入り口。ここ
から控えの間へ。

奥が控えの間。チラと几帳が
見える。

御簾をあげると涼しげなガラスがあって入り口のところが見える。女性的な装飾の多い部屋。
 何より面白かったのは、窓の障子を開けると、本館の建物は小さな中庭を囲んでロの字型を
していて、中庭の向こう(といってもさして離れているわけではない)の宴会場の雰囲気が、多少
目隠しはしてありながらも手にとるようにわかるのです。夕食をお部屋でいただくとき、わざわ
ざ障子を開け放してみました。そのプライバシーのなさかげんが、まるで時代劇に出てくる遊郭
の中にでもいるような感覚なのです。その日は向かいの部屋も、一階の部屋も宴会のお客さ
んでいっぱいだったようです。聞いたところでは、先斗町の芸妓さんを呼んでいらっしゃったお
客さんもいたそうで(残念ながら芸妓さんを直接目撃はできませんでしたが)夜遅くまでワイワイ
ドヤドヤ賑やかなこと。ただし、オオアマさまなんか、夕食時に少し飲んだお酒ですぐ眠りこん
でしまいましたから、その喧騒をあまり体験できていないのかもしれませんが……。二階で向
かいの宴会場には新選組のダンダラ羽織がおいてあるのがチラと見えたので、そのうち新選
組ごっこでもはじまるんじゃないか、と期待して待っていたのですが……何事もなく宴会は終わ
ってしまいました。あの羽織はなんだったんだろう……? しかし、本当に時代劇の中に入り込
んだみたいで楽しかったぁ。

客室。窓を開けると向かいの宴会場が
見える。一応の目隠しも光悦垣風。

窓から中庭と向かい一階の廊下を見
下ろす。下のお部屋は宴会場。

左写真の廊下から泊まっている客室を見上げる。雰囲気あるでしょ?
 
 そんなことより、この旅館で肝心なのは、宿泊客でも宴会客でも、食事前のひとときに一階奥
の「幾松の部屋」にて旅館の方の説明を聞くことができるのです。ちょうど私たちが泊まった部
屋のナナメ下にあたる鴨川に面した部屋。ちなみに夜、私たちが説明を受けたときは、すぐ後
に宴会のはじまるおじさんたちの団体がどやどや次の説明を受けるために入ってきて、あまり
ゆっくりできなかったので、翌朝、宿をたつ前に旅館の人に頼んで、再度ゆっくりお部屋に入れ
ていただきました。

「中庭」は実はこんなに狭い。
「幾松の間」の前あたりから。

奥の右の部屋が「幾松の間」。
手前上が泊まった客室。

「幾松の間」入り口。この手前に隠し階段? 「逃げの小五郎」はここからも逃げたのだろうか?
 

「幾松の間」。窓の向こうに鴨川の流れ。
 ここが幾松と小五郎のロマンスの部屋、ということですが、そもそもは長州藩の控え屋敷だったわけで、ここで長州の方々が日常的に密議などをやっていたわけですよね。それで旅館の方のお話によれば、新選組などに踏み込んでこられた場合にそなえ、いろいろな工夫がほどこされていたんだとか。これは「新選組!」でも紹介されていたけれど、この部屋の入り口前の廊下には隠し階段があって、そこから直接鴨川べりに出られるようになっていた、とか。この部屋の天井は「つり天井」になっていて、踏み込まれたときに自分たちは逃げたあとに敵に少しでも
反撃すべく、天井から石が落ちてくる仕掛けになっていたとか。実際には「つり天井」を使ったこ
とはなかったらしくて、建物を買い取って旅館にしたときに天井裏の石はすべて取り除いた…
…との旅館の方のお話。ん?幾松さんは「つり天井」の下で暮らしていたんだろうか? 控えの
間には桂さんがその中に隠れて難を逃れたという伝説が残る唐櫃……。
 のんびりと部屋中を眺め、天井を見上げ、鴨川をながめて、二人してすっかり桂さんと幾松さ
んの気分になってきました。

部屋に飾られた幾松さんの写真。照
明が映りこんじゃってゴメン。美人!

これがつり天井だったのか……。

 桂さんが隠れた? 唐櫃。

さてさて、ここは料理旅館であり、夏には納涼床も出ます。行ったのが冬ですので季節感が違
いますが、夕食のお料理の一部をご紹介。京都らしいあっさり味で、呉女もオオアマさまもたい
へん満足のいく夕食でした。

八寸。梅長芋、飯蛸、東大寺巻寿
司、穴子八幡巻……。

先付。くみあげ湯葉。ウニとオクラが
のっている。すごくおいしかった!

吸い物。白魚茶巾豆腐。これも食感がすごくよくて……。
 それから朝食は新館の維新庵にていただきますが(とても小
さなレストランです)、この和定食もフツーの朝食ながら湯気の
たつ玉子焼きがとてもおいしくて、大満足でした。
 お風呂は私たちのとまった部屋は部屋風呂もついていまし
たが、本館のすべての客室についてはいないらしく、一階に貸
切にできる岩風呂のお風呂があります。更衣室には女性向け
に化粧水などの備品も細々と備えられ、全体として随所に細
やかな心遣いが感じられる宿でした。

 チェックアウトのあと、せっかくだから桂さんと幾松さんのお墓参りに行ってみました。お二人
は東山の霊山護国神社に並んで眠っています。
 東山安井のバス停から「維新の道」と名づけられた坂道をのぼり、神社の境内から墓地の入
り口で入場料を払って(いつから入場料をとるようになったんだろう? 昔はお線香代だけだっ
たのに)墓地の階段をのぼっていく。肝だめしはしたくない場所だけど、幕末の志士たちの聖地
というところかな? よく坂本竜馬の墓のある場所として宣伝されているけど、そのほかにもた
くさんの志士たちが眠っています。その中で妻の墓もある、というのはめずらしいと思うのです
が、これは幾松さんの遺言だったようです。墓地の入り口から左の方向(北側)へ上っていきま
す。途中に桂さんの勅撰碑がありますが、それを過ぎてどんどんのぼる。天誅組、禁門の変の
犠牲者たちの墓が並ぶ、そのまた上に桂さんと、その隣に幾松さんのお墓があります。

桂さん(木戸孝允)の墓。

となりに幾松さんの墓。

墓地から眺める、京都の町。
  ふと右手下を見るとなんだか人だかりのする一角が。そこが坂本竜馬と中岡慎太郎の墓。
その前からは八坂の塔をアクセントにした京都の町が見下ろせます。志士たちと幾松さんは今
でも京都の町を見守っているのです。
 
    (2004年7月記)

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