朝メシ前の平城宮縦断散歩

 2003年5月、奈良の空気が吸いたくなって、夜行バスに乗りました。バスの行き先表示に「奈良」と書いてあるだけ
でもう嬉しい! 夜行バスは安い上、寝ている間に(実際にはあまり眠れないのですが)移動してくれるので時間の有
効利用もできてとても便利。ただ欠点(?)は目的地にはやく着きすぎることなんです。この季節でも早朝の奈良はま
だ肌寒く……。

 朝6時半に近鉄奈良駅前に降り立ちました。今回奈良市内でやりたいことは奈良国立博物
館の展示を見ることなんですが、奈良博が開くまでには3時間もあり、朝ご飯を食べるだけで
埋まる時間ではありません。こういう場合、興福寺か東大寺の境内あたりを散歩するのが定番
ですが、奈良博に行くなら興福寺は通るわけだし、「いっそ平城宮跡行かない?」「そうしよっ
か」。ところがバスは行ったばかりで次まで少し時間がある。目の前にはタクシー。「基本料金く
らいで行くんじゃない?」と乗ってしまいました。道は一直線で朱雀門の近くまで電車で一駅半
の距離。実際は1000円を少し越えてしまいました。「食費にこのくらい、交通費にこのくらい、全
体として……」と予算を立ててきたのに初っぱなからピ〜ンチなのでした。

 それはともかく、朱雀門であります。「なんだか、遅刻した気分だね」。そう、平城宮の役人たちは夜明けまでにここに着かなきゃいけないのです。身分の高い貴族の邸宅は比較的近くにあったけど、下級官人たちは平城京の端の方に住んでいたりして、自転車とかないから徒歩で来たでしょうし、しかも単身赴任だったりしたら、わびしかったでしょうねえ……。それに比べりゃ重役出勤の気分ですよ。早朝なので門は閉じられていますが、昼の間は門をくぐることができます。
 この朱雀門は発掘調査からわかるわずかな情報と残された当時の建築や後世の史料から推測できる実物大の姿をその
ままの位置に1998年に復元したものです。高さが20mといいますから6階建てくらいのビルの
高さですね。まわりに比較する建物がないので、あまりピンとこないんですけど。
  朱雀門の前は明日香から通じる下ツ道であり、メインストリートの朱雀大路です。車が通る
わけじゃないのに道幅が80mくらいあったというのですから、当時地方から来た人は道の広さ
やその先にそびえる門の壮大さに圧倒されたことでしょうし、外国の客人は「ま、日本も頑張っ
てるじゃないか」と思ったことでしょう。そう思わせる意図でこういう都をつくったわけですし。
 門の脇を通って(当時は垣がめぐっていたから、そんなこと
はできなかったのよ〜)宮の中に入ります。少し前を近鉄の線
路が横切っていますから、それより向こうに出るには少し東に
ある踏み切りを渡らねばなりません。その踏み切り近くに土台
だけ復元されているのは兵部省の跡です。宮の中の周辺
部は官庁街にあたるわけです。兵部省というのは今の防衛庁
に国土交通省もちょっと兼ねている感じですかね。
  左手遠方に見えているビルは平城宮の外側になりますが
元そごう、つまり長屋王邸の跡です。そごうのビルは今改装
工事中で、7月からはイトーヨーカドーとして新装開店するよう
です。開店したら行ってみたい気はしますね。屋上から宮跡が見渡せますし。
 さて、踏み切りを渡って線路の北側に出ます。平城宮でややこしいのは左右対称で大極殿や
内裏が中央北にある、という整った形ではないこと。形は東に張り出し部のある逆L字形。朱
雀門はその張り出し部を除いた正方形部分の中央南にあります。大極殿と朝堂院は二つあっ
て朱雀門の真北にあるのが第一次、その東にあるのが第二次と便宜上呼ばれています。踏
み切りに通じる細いアスファルトの道路はこの第一次と第二次の区画の間を途中ちょっとカー
ブしながら走っています。現状では史跡として整っているのは第二次のほうなのですが、この
日は西側の第一次のほうを歩いてみることにしました。
 昔は電車から見るとただの空き地で、ほとんど人など歩いていなくて一人で歩くのは気味悪い……と思ったものですが、最近は市民の憩いの場のようで、この日も高校生が自転車で走り抜けていく、夫婦で散歩している人もいる(ウチもじゃん!)、太極拳をやっているグループもいる……とよくまあ早朝からこれだけ人がいるものだと驚くほどでした。振り返ると朱雀門。来るたびに思うのですけど、近鉄の普通電車の色と朱雀門の赤がほぼ同じ色でミョ〜にマッチしているなあと。
 あの電車の線路の手前にはもう一つ門の跡がありまして、その門をくぐると朝堂院になるわけです。今にすると国会議事
堂みたいなものでしょうか、儀式や政務を行う場所ですが、こ
の第一次朝堂院の場合、もしかしてその前に官人たちが集合
する朝集院かも、ともいわれます。北に目を向けると縦に並ん
朝堂院の建物の基壇の復元があります。ちょっと草ぼ
うぼうですね。その向こうに工事現場が見えますが、あれは
一次大極殿の復元工事をしているのです。2010年の平城遷
都1300年には完成することを目指しているそうです。何でも復
元するのがよいのかどうかは意見が分かれるところですが、
空き地にしておくと興味をもたない人も何かがあれば興味をも
つということもあるかもしれませんから……。
 大極殿とは朝堂院の正殿で天皇が出てくるところ。第一次大極殿は朝堂院からもう一つ門をくぐって、回廊に囲まれた奥を一段高くし、そのまた上に基壇を造ってその上に建てたという壮大なもの。この構造は702年に粟田真人らの遣唐使が見てきた長安の含元殿という建物をまねたといわれています。建物自体は藤原宮から移築したのでは?という説もあるそうで、とりあえず完成を楽しみにしています。あと7年……。
 前日の雨に濡れた草を踏み分けて朝堂院の基壇にのぼり、北東を見るとこんもり山のようなのが市庭古墳。元は5世紀ごろの前方後円墳でかなり大きなものだったようですが、平
城宮を造るに際して前方部は壊されて後円部だけが残りました。現在は平坦に見える宮跡も
最初からそうだったわけではなく、いくつかの古墳をこわしたり丘を崩したり谷を埋めたりして
整地したようです。市庭古墳は現在平城天皇陵に指定されています。平城天皇は平安時代
二人目の天皇。桓武天皇の息子で弟の嵯峨天皇に譲位して奈良の離宮(宮跡の北東にある
不退寺がその跡)に住みましたが、弟と対立して「薬子の乱」といわれる事件をおこし、再びの
即位と平城遷都を企てますが失敗した人です。そんな人が5世紀の古墳に葬られているわけ
がないといわれますが、この時代の古墳はすでにある丘などを利用して造られていたことを考
えると(「京都」ページ「天皇陵の話」参照)絶対に違うともいえないかもしれません。またこの市
庭古墳を藤原京における耳成山に擬したのではないか、という説もあるそうです(その場合畝
傍山に擬されたのが近鉄電車から見える垂仁天皇陵)。
 さて北へ歩きつつ東を見ると、大きな基壇があるのが第→
二次大極殿の跡。この北側に植栽などで柱の位置を示した
一角があるのが天皇の住まいであった内裏の跡です。内裏
は奈良時代を通じてずっとこの位置にあったようですが、大極
殿のほうは「聖武天皇が一時平城京を出て恭仁、難波、紫香
楽と都を転々とさせたときに第一次大極殿は恭仁京に移築し
てしまったので、平城宮に戻ってきたときに第二次大極殿を
建てた」と単純に説明できるものではないようでして。というの
は第二次大極殿の下からまた同じ規模の建物が出てくるのだ
そうです。つまり第一次と同時にその東側に第二次大極殿と
同じようなものが建っていたことになるわけです。この東側を東宮、つまり皇太子の宮とする説
もあるし、東は政務用、西は儀式用というような機能の違いがあったとする説もあるようです。
平城京は平安遷都後は一番東の外京の部分だけが東大寺や興福寺の門前町として今の奈
良市街に至る町として残り、真ん中の平城宮の部分は水田となって都市化されなかったので遺跡としての残り方は非常に良好なわけで(だからこそ世界遺産に指定されています)、発掘調査も存分にできて何でもわかるかと思いきや、意外に謎はまだまだ多いようです。
 ちなみに第二次大極殿の南に第二次朝堂院(「第二次」という言い方には上記の理由で批判もあります)、その南に朝集院がありました。この朝集院の東側の建物が唐招提寺の講堂として移築されて今に残っているわけです。スバラシイっ!
 さらに北へ歩き大極殿復元の工事現場のすぐ北は西大寺駅から東にのびるバス通りです。その通りから撮った工事現場ですが、とても大極殿
を造っているようには見えないですよねえ。バス通りの北側は大膳職→
。宮内省の管轄下で儀式などで使う食料を保管したり調理したりしたとこ
ろだそうです。この北側には松林苑という庭園があったようです。
 これで南北1キロほどの平城宮を縦断したことになります。ここから西大
寺駅まで歩く途中南側には平城宮跡資料館がありますし、朱雀門のそばに
は呉女も入ったことがないけどならシルクロード博記念館、元そごうの前の
宮跡庭園、宮跡内にも遺構展示館、呉女が行きたくて行きたくて行きたくて
……∞たまらない東院庭園などみどころはたくさんあります。まだ何回でも
来なくては……。

 西大寺駅前に着いたのが7時45分。駅前にある8時開店のスタバのお店の方が「中に入って待っていてください」というので遠慮なく入ってゆっくりして朝食を食べて(また予算がピ〜ンチ)朝の身支度もしてスタバを出たのは9時でした。近鉄で奈良へ戻り、奈良博に向かいます。
 奈良博まで歩くのには興福寺境内を横切るのが我が家の定番。興福寺でも現在発掘調査をしつつ天平伽藍復元をしようという壮大な計画が動いています。まあ私が生きているうちには完成しないだろう大プロジェクトですが、いつのまにか←門の基壇が出来上がっていてびっくり。来るたび発見、来
るたび変化する奈良であります。博物館の前で鹿さんたちが
のんびりと。奈良の町は県庁所在地なのに、神様のお使いと
はいえ鹿のサファリパーク状態なんだから不思議ですよね
え。このあと私たちは11時ごろまで企画展「女性と仏教」を楽
しみました(ミュージアムショップでいろいろ買いたくなるので、
また予算が……)。そして夜行バスの中で眠れなかったその
眠気に襲われ始めたころ、近鉄で明日香へと向かいました。


          
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