京都で縁結び!
合わせていろいろお願いごとをしまくったりするもんですよね。呉女もそういう一人なんです。今 ではひたすら家内安全・健康祈願・旅行安全をお願いしていますが、昔は必死に縁結びをお願 いしていたこともありました……。 そんなわけで、京都の「縁結び」どころはいろいろありますが、効き目がありそうな(?)ところ をご紹介しますので、これからの方は参考に……なるかしら……? 地主神社
ところで、この地主神社がどこにあるかと申しますと、清水寺です。清水寺の鎮守社なので す。神社自体は奈良時代の創建ともいわれ、嵯峨天皇が来ても不思議はありません。 そこでついでに清水寺。
泉涌寺(せんにゅうじ)へは、清水寺からなら東大路通りを下るバスにのればすぐ着いてしま います(ただし泉涌寺道バス停から参道をかなり歩きます)。でも清水寺に行ったのと同じ日の 朝、かなり雨が降っていたので、和服を着る前に京都の駅前からちょっとゼイタクしてタクシー で。京都駅の南東わりとすぐの場所ですから、参道の奥の大門まででタクシー料金は800円くら いでした。 大門のところで拝観料(300円)を払って、仏殿のほうではなくて、すぐ左に入っていくと「楊貴
さびしく京都や奈良を歩いていたのですが、その日も何気なくここへ来て楊貴妃観音を拝み、 ふと目の前にあった「良縁祈願」のお守り(袋に入っていない小さな紙のお札みたいなもの。今 でも売っています)に目がとまりました。そのとき呉女は「今年中に結婚相手を探す!」を目標 にしていましたから、すがる気持ちでそれを求め、以来肌身離さず持ち歩いた……かどうかは 覚えていませんが。それから次から次へと見合いの回数は重ねたけれど、結婚には至らず。 半年以上過ぎてようやくこの辺りの縁結びを統括する神様(そんなんいるんか?)が思い出して くれたらしく、地主神社のお守りをもっていた人とカップリングされた、というわけ。それでこの日 は「お蔭さまで10年もちましたー」というお礼に伺ったのです。後ろで「焼き討ちじゃ〜」と叫ぶオ オアマさまの声が聞こえたような……。ちなみにこの観音さま、呉女の「美人祈願」のほうは見 事に無視してくださいました(笑) それで、ここでもついでながら泉涌寺の話。 このお寺はなんと天皇家の菩提寺。それで「御寺(みてら)」と呼ばれます。そういえば天皇 家で何かあると、この寺での祈祷の様子がテレビで流れていたりします。 ガイドブックやパンフレットにはたいてい9世紀に「空海が創建した法輪時が始まり」と書いて ありますが、異説もあってその始まりは実はよくわかっていないらしいのです。一時荒れていた らしいこの寺をに再興し(1218年)、泉涌寺と名づけたのは、鎌倉時代初期の僧、俊じょうです。 この俊じょうさんについてまで、ここで書いているとまた長くなってもナンなので、「呉女の京都歴史コラム」とい うページを別に設けましたので、そちらをお読みください。。
(つまり、さららのもない)。そりゃ、現在の天皇の血統は「天智系」ですから、中大兄さま(天智) を祖と考えると天武系は血がつながっていないことになるのでしょうが、そんなカンジンのところ の天皇を邪険にすることないでしょうがっ!もーっ! ……というわけで、お礼に伺ったのに、怒っている呉女ですが、霊明殿のとなりに御座所とい う皇室のお休みどころがあります。霊明殿の再建時に御所の「御里御殿」を移築してきた建物 だそうです。拝観料は別にかかりますが(300円)、ちょっと雅な気分になれるところですので、ぜ ひ入ってみてください。 それから、この時は訪れませんでしたが、泉涌寺周辺には大石蔵之助ゆかりの茶室(来迎 院)とか、那須与一の墓(異説あり)とか(即成院)、新撰組の伊藤甲子太郎の墓(総門の手前)と か、見所はいろいろあるのです。
ったのは1873年とのことだから、比較的新しいのですね。 「源氏物語」の中で六条御息所が娘の斎宮とともに伊勢に下る決心をし、光源氏が野宮を訪 ねてくる有名なシーン「ものはかなげなる小柴垣を大垣にて……黒木の鳥居どもは、さすがに 神々しう見渡されて……」という描写を再現しています。……でも、このシーンって別れのシー ンですよね? なのになぜ縁結び? ……また営業妨害になるといけないので、このへんでやめとこ。 けど、懲りずにもうひとつ。 貴船神社 京都の奥座敷とでも申しましょうか。叡山電鉄貴船駅から徒歩またはバスにて。夏になると 貴船川の上に床が出て、涼味満点でご馳走を食べるのが風物詩の一つ。呉女とオオアマさま も1999年の夏の盛りに訪ねてみたけれど、さんざん迷いつつ、経済的事情によりお食事は断 念しました。 貴船神社は賀茂川の水源の水の神様。上賀茂神社、下鴨神社の奥社でもあるという京都 ではもっとも古い神社のひとつ(6世紀ごろの創建か)。東の山の上に鞍馬寺ができると(8世紀 末)その鎮守社にもなりました。縁結びの神様としての歴史は古いのか、和泉式部が夫との仲 を回復するために参詣した話が有名です。 神社から奥社へ行く途中に結社という小さなお社があって、ここが縁結びの神様だということ なので、呉女は友人と始めて訪ねた大学生のとき、必死にお参りをした記憶があります。もし かしてその時のご利益もあったのかも、とお礼を言いました(そんな昔のことは神様も忘れてい るんでしょうけど)。大学生の時は冬でしたので、あたりは一面雪景色。夏とは別世界の静けさ でした。 貴船神社は特に入口の石段がものすごく雰囲気のある神社ですが、適当な写真がないの で、今回は写真を省略しました。 《ついでにハイキング&温泉!》 川床での食事をあきらめた二人は、このあと鞍馬寺までハイキング。下りになる鞍馬から貴船へのコースを歩く人 のほうが多いかもしれません。神秘的な森や木の根道を歩くいいコースなんですが、登りは確かにキツかった〜(大 学生の時、雪道を下ったのも大変でしたけど……)。義経が修行をしたことで有名な鞍馬寺参詣のあと食事をし、その 後は鞍馬温泉で汗を流しました。…とはいえ、温泉に入ったのは呉女だけ。オオアマさまは「温泉グッズ(着替えとか タオルとか)を持ってこなかったし、いい」って。自分の温泉グッズだけは持参していた呉女は「なんで〜? 鞍馬に行 ったら温泉に入るに決まってるじゃない!」と勝手に一人で露天風呂を楽しみ、オオアマさまは鞍馬駅の近くでお茶 を飲んで待っていました。 |