大海人・さらら夫妻の象徴、白鳳伽藍再建の薬師寺

 2003年3月末、関西のオオアマさまの実家に滞在中、テレビで薬師寺の国宝展を開催中とのニュースをやってい
ました。それを見た義母が「これ、見にいきたい」と言い出したことから、実家から薬師寺まで2時間弱の距離もナン
のその。突然出かけることになりました。

 奈良、薬師寺は近鉄西ノ京駅を降りてすぐ。駅から行くと伽藍の裏から入る感じになってしまうことに抵抗は感じますが、最近はこちらにも何やら立派な門ができています。
 まずは、入ってすぐのところにある大宝蔵殿・聚寳館で開催中の「薬師寺国宝展」へ。大宝蔵殿の見どころは僧形八幡神像・神功皇后像・仲津姫命像の3体。薬師寺の鎮守の八幡宮に伝わり、平安初期に仏像をまねてつくられた「神仏習合」をあらわす像として教科書にも登場するものです。仲津姫命(なかつひめのみこと)像は東京の、他の2体は奈良の国立
博物館に寄託されているので、3体揃って見られる機会は貴
重です。隣の聚寳館ではまず小倉遊亀画伯が描いたさらら様
像が迎えてくれました。こちらの見どころは天平の仏画として
有名な吉祥天像。それから呉女としては本で時々見かける
伝大津皇子像を見られたのが収穫でした。鎌倉末期頃の作
だそうで、装束がまるで古代ではないし、大津にしては神経質
そうな表情をしているのですが、とても端正でキレイな像なん
ですよ。この国宝展は4月初めで一度終わって、またゴール
デンウィークなどに公開されるということです。

大宝蔵殿

再建された講堂
 さて、いよいよ白鳳伽藍へ。ちょうど「白鳳伽藍再建」事業の最後の建造物、講堂が完成して、一週間ほど前に落慶法要が終わったばかり。翌日からは慶讃法要ということで講堂前はそのリハーサルなどで大忙しのようでした。内部の一般公開は4月8日から。中にはしばらく奈良国立博物館に展示されていた薬師三尊像、また奈良時代から伝わるものの一つ、仏足石もおかれるようです。昨年「薬師寺展」で得た情報によれば講堂の本来の本尊で、さらら様が大海人さまのためにつくった阿弥陀繍仏も復元されるはず。呉女はそちらにそそら
れます。今回は外観だけしか見られないのは残念ですが、前
に幢幡(どうばん)が立てられたりしていて、ピッカピカの雄姿で
した。
 「白鳳伽藍再建」は40年間もかかったという大事業。もともと
創建当時の建造物は東塔しか残っていなかったところに、ま
ず1976年に金堂が再建。呉女が中学の修学旅行で初めて訪
れた時はこの状態で、西塔も中門も回廊もなかったんですよ
ー。今では信じられないですよね。薬師寺はキンキラキンすぎ
て今ひとつ……なんて言う方もいらっしゃいますが、これが本
来の姿なんです〜。一応、この講堂の完成をもって白鳳伽藍

大講堂の前では慶讃法要の準備中

 金堂から見た若草山。境内に何本
も立てられた幡がステキ
再建は完成ということになるようですが、実際は回廊が南半 分にしかありません。本来は講堂の左右にくっつくはず。これから造っていただけるんでしょうか……。
 その薬師寺の始まりは、皇后だったさらら様が病気になった時、大海人さま(天武天皇)がその平癒を願って発願されたもの。結局さらら様の病気は治っちゃって、大海人さまのほうが先に亡くなってしまったから、さらら様自身が造営事業を引き継ぎました。だから薬師寺はさらら様と大海人さまの愛の結晶。呉女は「天上の虹」の「薬師寺発願」のシーンが大好きなのですが(この話は止まらなくなるので、ここではやめて……)今年1月に発売された19巻にちょうど薬師寺の「開眼会」のシ
ーンが出てきます。692年さらら様が譲位する直前に開眼会が行われたと
「日本書紀」にあるので、薬師寺はこの頃にはある程度できあがったのだろ
うと考えられています。だだし、この時点での薬師寺は現在の場所ではな
く、藤原京の京域にありました。明日香の北、畝傍御陵前駅から東に歩い
たところに「本薬師寺」があり、現在も当時の礎石が残っています。これが
本来の「白鳳伽藍」。そして平城京への遷都で薬師寺も現在地へ移った、と
いうわけですが、この「移った」がクセもの。残された礎石から寺の規模や
配置は藤原京当時と変わっていないということですし当時の建築物は解体
して運ぶことができますから建物ごと移建したのか、それとも寺としての籍
だけ移して建物は新築したのか。この「薬師寺論争」はまだ決着がついて
いないのです。19巻の「あとがき」で里中先生は「移建説」をとっています。

「創建当時」からここに立ち続ける東塔

 中門から見る東塔
確かに「創建当時」からある東塔がさらら様が見たものと同じ……と信じたいし、薬師寺としても「白鳳伽藍」と銘打っているのは移建説をとるからなのでしょう。新築説なら「天平伽藍」ですから。でも移った後も藤原の地に薬師寺があった記録もあることから、どうも「移建説」は分が悪いような……。それにしても、東塔は美しい〜。フェノロサの言う「凍れる音楽」。二重の屋根,―裳階(もこし)は「天上の虹」流に言えばはさらら様と大海人様の「強い絆をあらわしていると……。

 もうひとつ、藤原から移ってきたのか、新しく(といっても8世
紀ですが)つくったのかが問題になるのは金堂の本尊薬師三
尊像。教科書などには東塔と並んで白鳳文化の代表として出
てきますが、新造なら「天平文化」になるわけで。たかが何十
年かの差とはいえ、さらら様が見たか見ないかは大きな差な
んですー。ま、どちらにせよ、ご本尊さまはつい最近つくられた
ような輝きを放っています。今回は前日にお身拭いが行われ
た後だったから、なおさらピカピカ。そして翌日からは花会式
(薬師寺における修二会)が行われるため、仏さまのまわりは
きれいな造花で荘厳されていました。花会式も見てみたいの
ですが、1日早かったとは……。
 ご本尊を拝んだ後は、その裏にまわって本尊台座を覗き込
むのがお決まりのコース。ユーモラスな鬼神や唐草の文様な

 造花で飾られた金堂。内部は撮影禁止なので外からチラリと。ご本尊は柱に隠れています。

 金堂。この中に薬師三尊像
どシルクロードの終点にふさわしい異国的な浮彫りは人気があるらしく、この日も何人もの人が熱心に覗き込んでいました。今でこそこんなに間近に見ることができますが、創建当時の金堂は仏さまを安置するためだけの場所で普通の人は入ることのできない空間でした。
 当初の金堂は15世紀に倒壊してしまい、その後一応再建されていましたが、1976年に創建当時を偲ぶ姿に復元されました。この時の宮大工さんの話は「プロジェクトX」で有名になったようですね。薬師寺の塔が三重なのに裳階で六重に見えることは有名ですが、2層の金堂にも裳階があることは意外に
見落とします。今回復元された講堂にも裳階があります。

 中門から出て東へ。回廊の外側にあるので見逃してしまうか
もしれないのが東院堂。現在の建物は鎌倉時代に再建され
たものですが、もともとは吉備内親王(さらら様の孫)がその
母、元明太上天皇のために建てたものです。本尊の聖観音
にぜひお会いしましょう。金堂の本尊と同時期の作(だから
白鳳だか天平だか)で一説によれば有間皇子の姿を写してい
るとか(どこかで大津皇子説も聞いた気がする)。つまりさわや
かな青年を思わせる仏さまで義母も大好きなのだそうです。

 東院堂。この中に聖観音像。

 回廊と二つの塔
仏さまのわりに頭が小さいし……。

 薬師寺式伽藍といえば、回廊の中に塔が二つ並ぶのが特徴です。前回薬師寺を訪れたのは2002年の3月。その時、西塔の内部に入ることができたのですが、お坊さんの説明によると、木造の性質で東塔は当初より何cmかは縮んで低くなっているのだそうで、西塔の復元(1981年)の際には将来的に東塔と同じ高さになるように、少し高めに造ったのだそうです。「ウソだと思ったら、1000年後にまた来てみてください」と。呉女ならその頃蘇ってまた来ているかもしれませんよ〜。
 東塔が1300年の時を経て存在し続けているように、西塔も
金堂も今回できた講堂も、1000年の時を越えて生き続けて、
大海人さま、さらら様夫妻の足跡を伝え続けてほしいもので
す。……1000年後にはかなりシプクなっているでしょう。

 そして薬師寺は1000年先まで残したいものを、平成になって
からまた新しく造ってしまいました。白鳳伽藍を出て駅の方に
戻り、道を渡った向こうにできた玄奘三蔵院です。三蔵法師
としてあまりにも有名な中国の僧、玄奘三蔵は薬師寺が創建
されるほんの少し前、7世紀前半を生きた人です。薬師寺は、

 左が西塔、奥が講堂、右が金堂

 玄奘三蔵院
玄奘三蔵がインドまで旅をした求法の目的である「唯識」を教義とする法相宗(……などと申しましても呉女にはチンプンカンプンですが、呉女の実家はもともとこの宗派だったと聞いています)の大本山なのです。その縁で玄奘三蔵の像を祀り、平山郁夫画伯が玄奘のたどった道を描いた「大唐西域壁画」が奉納されています。今は破壊されてしまったパーミヤンの遺跡の壁画に胸が痛んだり……。こちらの伽藍と壁画は現在、春と秋の限られた期間だけ公開されているようです。

照明を落とした壁画の部屋から出てくると、なおさら春の明る
い空がまぶしく感じられました。薬師寺の周辺は緑も多いし民家の白壁も
風情があって、いいところなんですよ。西ノ京のもうひとつの名所、唐招提
(現在修復工事中ではありますが、最近「虹」ファンの間では新田部皇子
邸跡として注目をあびています。皇子邸だった当時の建物と思われるもの
も残っています)へは駅前の道を北へ歩いて程なくなのですが、呉女は何度
来ても二つの寺を同時に訪ねたことがないのです。一つで満腹状態になっ
てしまうからでしょうか? この日も薬師寺から出るとすぐ電車に乗って帰り
ました。

この先が唐招提寺

 我が家に薬師寺の一部……?

 最後に、今回薬師寺で求めたお土産。干支の置物ですが、これは白鳳伽藍再建に使用した樹齢1500年とかいう用材の端材を利用してつくったものなのだそうです。呉女は今年の羊を買いましたが、十二支すべてありました。2000円。安くはないけど、薬師寺の一部がここにある、と思えば……。気に入っています。


本坊前の淡墨桜


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