呉女的、天上の虹

 ここでは、「天上の虹」にまつわる呉女のどうでもいいような話を勝手にさせてもらおうということなのですが、いざ書
こうとするとあれこれ書きたいことが多すぎて、こういうページがいちばん書きにくい、ということに気づくのです。
 そうか、いっぺんに書こうとするから書けないので、少しずつ書けばいいんだわ。
 ……ということで、つれづれと「天上の虹」について語らせていただきます。

はじめは大っ嫌いだった……
 呉女と古代史の出会いについては、このひとつ前のページに書きました。それから「天上の虹」に出会うまでの間
がぬけていましたね。
 実は井上靖の「額田女王」を読んで、それから歴史の本を読みあさった中学生から高校生のころ、呉女のさらら様、
つまり持統天皇のイメージといったら「おっかないオバさん」という感じで、はっきり言って大っ嫌いだったんです。これ
は当時としてはフツーのイメージでした。持統天皇といえば権力欲の塊みたいな悪女、というのが世間一般の評価
で、里中先生もそんな持統天皇だからこそ描いてみたかったとおっしゃっているのですから。
 余談になりますが、タレントの神田うのさんの名は、お父様がさらら様のファンだったので、さらら様の名前「鵜野讃
良」から「うの」と付けた、と聞いています。当時さらら様のファンだった、しかも男性で、というのはかなり珍しいことだ
と思います。一度お会いしてみたい……。
 それはともかく、呉女は中学から高校にあがる春休み、父から「お祝いに好きなところへ連れていってやる」と言わ
れ、迷わず明日香をリクエストしました。それが呉女の明日香との出会いです。その時に天武持統天皇陵の前で「天
武天皇は大好きだけど、持統天皇は大っ嫌い!!」と言っていたと弟が証言しています。「あんなに嫌いと言ってい
た人を今では尊敬しているというくらいなんだから、お姉ちゃんは信用できない」とへんなところで今だに持ち出されま
す。(しつこい弟!)
 最初にひかれたのが額田王で、次に呉女が注目した人物は十市皇女。高市皇子と大友皇子との三角関係(があっ
たとして)を歴史小説に書いてみたいなあ、なんて高校生のころ本気で思っていたものです。その当時に書いたら、間
違いなくさらら様はチョー悪役として登場していたでしょう。

それがどういうわけか……イメージ転換
 さらら様のイメージが180度近く転換したのは大学生になってからなのですが、きっかけというのは正直言って覚え
ていないんです。
 ひとつ考えられるのは、これまた宝塚の話で申し訳ないのですが、「あかねさす紫の花」の続編として「あしびきの
山の雫に」という作品がこのころ上演されたのです。これは大津皇子の悲劇を描いた作品ではありますが、さらら様
を悪役にはしていなかったんです。むしろさらら様も主役の一人だった。毅然としてとても魅力的でした。えらく強くは
あったけど……。でも、これを観た時点ではすでにイメージ転換していた記憶があるから、きっかけではないと思うし。
 確か何かの本を読んでいて、それまでさらら様を客体として、つまりほかの人から見るイメージとしてばかり考えて
いたのが、主体として、つまりさらら様自身になったつもりで考えてみたら、今までと違うさらら様が見えてくるような
気がして興味を持ち始めたのだと思います。
 また余談になりますが、多分これより後に書かれた小説だと思うのですが、永井路子さん唯一の現代小説「茜さ
す」の主人公は呉女に似ています。国文学科の大学生なつみは最初額田王に興味をもつが、次第に持統天皇にひ
かれるようになり、持統天皇の面影を求めて旅をする……。社会人になってこれを読みながら、「ちょっと待って〜、な
んで私のことを知っているの〜?」と何度も思ったものです。一般的、ということでしょうか? そのときはまだ、この小
説の結末までも呉女のその後に似ていた、とは知らなかったのですが。
 話を戻して。実はここのところはさらに小文字で書くか、あぶり出しにしたいくらいのところなんですが。当時呉女は
大学生。「虹」のファンには万葉集が好きで国文学科で勉強した方とか、史学科出身の方とかもいらっしゃると思うの
ですが、呉女は全然違いまして、社会科学系統の学部に行っていました。それでいながら、卒論のテーマは「持統
天皇」。これは呉女が所属したゼミではごく普通のテーマなのですが、所属したゼミ自体が学科の中でかなり異端で
した。つまり、それほど専門的な勉強をしたわけではないのだけれど、仕上げだけはさらら様にこじつけた、ということ
でしょうか。ちょうどイメージ転換をしたころに卒論のテーマを決めたのだと思います。さほど悩んだ記憶がありません
から。それでいろいろ史料を読んだりしているうちに、こよなく尊敬するようになった、ということなのです。この卒論に
とりかかった時期と「虹」の連載が始まった時期とがちょうど重なるのです。これは運命でしょうか?
 卒論とはいえ、学術論文のひとつですから、卒論を書き終わるまではフィクションが入ったものは一切読むまいと心
に決め、(それまでも呉女は小説などより解説書を読むほうが好きだったのですが)、「持統天皇を主人公にした漫画
がある」と友人が教えてくれた時も全く気持ちは動きませんでした。こうして一応卒論を提出し、無事卒業はしたので
すが、呉女の中にはある欲求不満がたまっていました。それは、史料やいろいろな論文を読みながら、呉女の頭の
中ではその時代の登場人物のイメージやらいろいろなことが、もう破裂しそうにふくらんでいくわけですが、論文という
のは小説やエッセイと違いますから、イメージで書くわけにいきません。論理的に「こうだ」といえることしか書けない
わけですから、頭の中のほんの一部分しか紙の上に表現することはできなかったわけです。残った大部分をどうして
くれるんだあ〜〜、という感じでした。その欲求不満を解消してくれたのが「天上の虹」だったのです。


「天上の虹」との出会い
 大学を卒業して就職したのが百貨店。交替で休むためけっこう連休を取ることができて、旅行好きにはオイシイ職
場でした。現在関西へしょっちゅう行くのはオオアマさまの実家があるからですが、その当時は宝塚を見るために関
西にしょっちゅう行っていました。同時に京都、奈良、明日香にもよく足を運びました。古代史も呉女の心に息づいて
いたわけです。
 就職して2年くらいしてからだったか、本屋でたまたま平積みになっていた「天上の虹」に出会いました。「そういえ
ば、さらら様を主人公にした漫画があるって聞いたなあ。里中先生の作品だったのか……」。里中先生の作品は中
学生のころ、友人とまわして読んでいた「少女フレンド」などで読んだことがあり、里中先生の描くものなら信頼できる
と思って、すぐにその時出ていた4巻までを買って帰りました。それで見事にハマってしまったのです。
 何にハマッた……って、里中先生が描く世界、特に人物像が呉女が心の中で描いていた世界にそっくり。つまり卒
論を書いたときにアマッてしまった大部分を里中先生が代わりに描いてくださっていた……という感じだったんです。
も〜〜〜大興奮!! さらら様にしろ、中大兄にしろ、高市にしろ、十市にしろ、額田にしろ、「やっとお会いできまし
たね!!」と……。(大海人さまはキャラクターをイメージしにくかったので、「虹」によって呉女の中のキャラも決まり
ました)。たとえば4巻の最後に中大兄さらら親子が二人で会話するシーンがあります。呉女の大好きなシーンのひ
とつです。中大兄に「おまえの中身はおれにそっくりだ」と言われてさらら様が驚くシーン。こんなシーンが実際にあっ
たのではないか、と呉女が想像していたそのままのシーンだったんです。さらら様は子供のころに祖父を父に殺され
る、そのために母も死んでしまう、という経験をしていますから、父中大兄に対してはかなり複雑な感情を持っていた
と思うのです。けれど血というものなのか、さらら様自身は多分ものすごく父親似であって、父親に反発を感じながら
も、自分も同じ立場にたつようになると、だんだん父を理解していくようになったのではないか。「虹」でもこれは重要
な縦糸として描かれています。呉女自身も父親には似たくなーいと思いつつ、この年になると父そっくりの自分を認め
ざるをえません。

「天上の虹」はスナオな作品
 里中先生とイメージが似ている、というのは呉女がスゴイわけでもなんでもなくて、この時代の史料を素直に読んで
いたら、たいてい誰でもこう感じる、ということなんじゃないかと思うのです。呉女は作家でないからよくわからないの
ですが、特に物語を書く場合にはなかなかこの「素直に読む」ことをしないんだと思うんです。その裏を読んだり疑った
りするわけです。もちろんそれも大切なのですが、「虹」は物語のわりに「素直」なのです。「教科書的」と表現してい
る方もいらっしゃいました。最近の書き下ろしの部分はちょっと趣が異なってきていますが、大部分はそのまま歴史
の参考書として読んでも支障がないくらい、歴史についてまっすぐ描いていらっしゃいます。たとえば同じ時代を描い
た漫画で呉女も好きなものに長岡良子先生の「古代幻想ロマンシリーズ」というのがあるのですが、こちらと比べると
非常によくわかります。長岡先生は史料を非常によく読みながら、そこからかなり自由に想像を働かせて描いていら
っしゃいます。小説などにはそういうものが多く、史料の中の小さな記事から大きな陰謀を導き出したり、奇想天外な
人間関係を描きだしたりします。また、それをしたいから作家は歴史ものを書くのでしょう。
 ところが、思うに里中先生はそういう歴史の裏に潜む陰謀などにはさほど興味がおありにならないのだと思うので
す。何に興味がおありかといえば、歴史の一場面一場面における人物の心理だと思うのです。ストーリー展開そのも
のより、それを作り出す人間の心理を楽しむ作品とでもいいますか。だから「ここまでするか?」と思うほど登場人物
ひとりひとりの心理描写が深い、掘り下げてあるんです。里中先生が「悪役でもその人にはその人なりの言い分があ
るもの」というようなことをおっしゃっていたのを聞いたことがあるのですが、「悪女といわれる持統天皇を描きたかっ
た」ということからして、まさにその姿勢がこの作品に出ています。
 そもそも、さらら様が悪女といわれるのはひとえに「大津皇子事件」によるのだと思いますが、さらら様が悪女なら中
大兄なんて大悪人になっちゃうし、歴史上そのくらいのことをしても「英雄」呼ばわりされている男はゴマンといます
よ。それが女だと「悪女」にされちゃうのは呉女としては納得がいかな〜〜い!!! けれど時代は進んだのか、こ
の十数年の間にさらら様の評価はずいぶん変わってきたと思います。最近ではさらら様を悪女呼ばわりにする人は
めっきり減った気がします。ただし小説などではそういう筋に仕立てやすいらしくて、あいかわらず徹底的に悪女に描
かれることがけっこうあるようです。

「仲天皇」の話など……
 ちょっと話がそれますが。上に「虹」が「そのまま歴史の参考書としても支障がいないくらい」史実に忠実な漫画で
あると書きました。そこで、ここでは逆に「虹」に描かれていることの中で「史実」として一般にはまだ認められていな
い部分をちょっと取り上げてみます。歴史というのは解釈がいろいろありますので、細かいことを言い出したらいろん
なことが言えるのでしょうが、それは論文でも概説書でも細かい部分ではみんな違うことが書いてあります。これが
絶対なんていうものはありません。歴史とはそういうものです。ここでいうのは、教科書や一般の概説書にはあまり書
かれていないことで「虹」が採用している説ということです。
 呉女が思うにそれは二つしかないのですが、一つ目は間人(はしひと)皇后が天皇として即位したことになっている
ことです。間人皇后は中大兄の妹で、大化の改新の後に即位した孝徳天皇の皇后。「虹」では斉明天皇の後に即位
するが実権は中大兄が握っているのでお飾りに過ぎず、姪である讃良(さらら様)ならば「形だけではなくほんとうの女
帝に」なることができるだろうと、さらら様に女帝への可能性をはじめて意識させる女性として登場します。ただし、天
皇の系図などに間人皇后にあたる天皇は出てきません。
 「間人皇后」即位説があるのは確かです。根拠は斉明天皇が亡くなってから中大兄が即位するまでがあまりにも長
く、その間に即位していた可能性があるのは間人皇后以外見あたらないこと。それから万葉集に「中皇命」という人
物(「虹」にも出てくる「君が代もわが代も知るや磐代の岡の草根をいざ結びてな」などを詠んだ)が出てくること。その
他いくつかの史料にもこれに似た「仲天皇」とか「中宮天皇」という言葉が登場するということですが、これが誰を指す
のか。同一人物なのか、普通名詞なのか、固有名詞なのか。ほとんど議論され尽くされても結論が出ないのか、少
なくとも一般的な歴史の概説書レベルでは取り上げられていません。タイトルに「女帝……」とあるような本をみれば
出てくるかな、という程度だと思います。呉女は万葉集のほうはわからないのですが。
 ここでこんな話をしたくなったのは、つい先日「飛鳥・藤原京展」でその数少ない史料に出くわしたからなんです。
「天皇家の大寺造営」というコーナーに百済大寺の跡といわれる吉備池廃寺(ここもつい先日行ったばかりなので…
…)の話で百済大寺の後身である大安寺の「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」という文書が出ていて、展示されてい
る部分の中にちょうど「仲天皇」の文字が見えるのです(図録でもはっきりわかります)。「あ〜、仲天皇だ」なんて夢中
になって覗き込んでいたら、係の人に「ガラスケースに手をのせないでください」と注意されてしまいました。
 この「仲天皇」を間人皇后でなく、中大兄が即位して皇后になった倭姫にあてる説などもありますが、呉女自身は
間人皇后だろうと思います。でも、この文書が成立した天平時代は正式に天皇になっていない、それに準ずるくらい
の人でも「天皇」と表現することがあったようですから、間人皇后が即位したかどうかは疑問です。ただ「虹」のストー
リーの中では、この設定は生きていると思います。
 二つのうち一つが長くなってしまったので、あと一つは簡単に。書き下ろしになってから出てくる紀皇女が可瑠皇子
の妃になる話。これは「さらら様がなんで大っ嫌いな蘇我赤兄の孫娘を自分の孫の嫁にするんじゃぃっ」というファン
の間でよく出る話とは別の話。紀皇女が可瑠皇子が即位した際の皇后になるべく妃になり、弓削皇子との関係から
後に排斥されたのではないか、という説は梅原猛氏の「黄泉の王」という高松塚古墳の被葬者に関する私説を書い
た本に出てきます。文武天皇(可瑠皇子)に皇后がいなかったのは不自然だということから、その可能性のある皇女を
消去法で導き、万葉集の歌から検証したりしたものですが、これは一つの考え方であって一般的な学説としては認
められていません。ただ、やはり「虹」の中では効果を上げていますよね。
   
2002年9月記
キーワードは「立場」
 話を戻しまして。里中先生が「悪役にも悪役なりの言い分が」とおっしゃるように、「天上の虹」には悪役らしき悪役
がほとんど出てきません。里中先生は多分「性善説」の持ち主なのだろうと思います。そのことを物足りなく感じる方
もいるかもしれません。悪役がいてその人がすべて悪いように描いてしまうのは単純でわかりやすいですけど、見よ
うによっては単純過ぎてつまらない。敵味方に分かれていてもどっちが悪いわけでもないという場合のほうが世の中
には多いと思うし、それは多くの場合「立場」の違いということで説明できるように思います。
 「天上の虹」にはこの「立場」という言葉が非常に多く使われていて、この作品の重要なキーワードではないかと呉
女は考えています。普通の一般庶民にもそれぞれ「立場」はあります。夫の立場、妻の立場、母の立場、上司の立
場……。無意識のうちにでも人はその時の立場によって自分を演じたり、それらしく見せようと努力したりするもので
す。こういったことは組織の中では下のほうにいる人より、上のほうにいる人に強くあるというか、なければならないこ
とだと思うのです。つまり「立場」ゆえの悩みは組織のヒラよりリーダーのほうが深い。たとえば2時間ドラマの犯人に
大学教授とか医者とか社会的地位の高い人が多いのも、そういう人のほうにしがらみが多いからでしょう。生活はラ
クでもそういう人のほうがドラマとしては面白かったりするのは、この「立場」ゆえでしょう。
 実は呉女も見た目だけはしっかりして見えるらしいのが災いし、リーダー的な役につくことが昔から多かったので
す。小さな組織なら和気藹々でいいのですが、規模が大きくなるとそうはいきません。「リーダーらしくデンと構えてい
なさいっ」とか、どれだけ言われたことか……。リーダーにリーダーたるべく正統性やカリスマ性が備わっていればま
だいいのですけど、それもなくて言動やら行動やらに常に気を配らねばならぬ重圧。乗り越えなきゃいけなかったの
でしょうけど、呉女は……ダメでしたね。今ではそういう目にあわないよう、ひっそりと暮らしています。
 そこらの組織でさえ、そんななのです。国を、歴史を背負ってたつ人たちにとってはどれほどか。今の象徴天皇でも
いろいろ立場上の重圧がおありでしょう。7世紀の天皇は為政者です。しかも新しい国造りを進める過程の「産みの
苦しみ」の時代、前の時代と違う時代を作る場合には常に「抵抗勢力」がいるわけです。むしろそれを利用した戦乱
によって天皇の地位を得たのが大海人さま。だからこそリーダーたるべきカリスマ性も備わったわけですが、それでも
敵だった近江朝方もいるし、逆に抵抗勢力の恐ろしさも知っている。そういう中での専制君主とそれを助ける妻、その
周囲の人々の話なんだから、もう「立場」とか「世間の目」とかのがんじがらめなのは当然です。 

「立場」に引き裂かれた愛……
 「立場」というキーワードは「天上の虹」全体を通してみられますが、特に典型的にあらわれているのが壬申の乱の
後、高市皇子と十市皇女が引き裂かれていく過程ではないかと思います。幼いころからひかれあっていた二人(「幼
い恋心。立場を考えないですむだけに純粋なまま手を取り合える(by さらら様)」)が、一度は十市が大友皇子と結婚
することで引き裂かれる。壬申の乱で大友が死んだので、二人がいっしょになってもいいじゃないのーというところ
で、よく小説などで二人の間を引き裂く役で登場するのはさらら様。高市が元皇后である十市と結婚すると高市の格
が高くなるから「草壁、きみと同等かもしくはきみの立場に限りなく近い格の皇子がいるとすんなりときみを跡継ぎに
しにくくなるから(by川島)」さらら様はそれを阻止しようとするという、「天上の虹」の中では皇子たちの噂話として出て
くる話。これだと悪役を設定する単純な図式になるわけですけれど、「虹」では二人の中を引き裂く直接の役は大海
人さまにまわっています。壬申の乱に大海人さまが勝ったのは高市と十市が密通していたから、十市がスパイの役
を果たしていたから、という噂がたつ。(実際、十市スパイ説は古来よく言われることです。呉女は信じていませんけ
ど)「そんな人間かどうか、よく知らない人が流すのです。噂というものは(by志斐)」。そうなんですよ。でも「乱に勝っ
たのはひきょうな手を使ったせいだと思われては印象が悪い」「お前がどう行動しようと、あの人のすることにまちが
いはないと人々が認めるような存在になるまで、心をおさえろ(by大海人)」ということになる。この大海人さまに対し
「ひどーい!!」と思うムキもあるでしょうが、これはこれで大海人さまの立場上いたしかたないことで、大海人さまだ
ってつらいと思いますよ。だから高市がこの父の言いつけを守れなかった時、自分にも同じような思いのあることを告
げる。「男の人の立場ゆえの苦しみがわかるからこそ、男に恋する女なのですわ(by額田)」「もし立場がなければ…
…(by 大海人)」。そして大海人さまは死の床で「身勝手ついでに頼みがある」……ということになるわけで。アレ? 
高市と十市のことを書くつもりが大海人さまの話になっちゃった。何かすごーく大海人さまが気の毒に思えてきまし
た。たくさんの妻を愛でても許してあげよっ……カナ? (たくさん妻がいるのは立場上、それから今と価値観が違うの
だからしかたないのよー) そういえば、呉女も大海人さまのイメージはしにくかった、と上に書きましたけど、それは
大海人さまのイメージが天皇になる前と後とで大きく変わるからかもしれません。「虹」にもその変化がよく描かれて
いるのですけど、大海人さま自身が変わったわけではなくて、大海人さまは国造りのために天皇を、専制君主を、必
死に演じていたわけですね……。ううっ(涙)


それぞれの「立場」に生きる皇子、皇女
 高市と十市の話に戻しましょう(あっちこっちいくんだから、もう)。二人の関係については大海人さまでなくても、「高
市さまのお立場がよけい微妙に……(by吹ふき)」。私がこの時代に興味をもった当初、十市皇女に最もひかれたのも
壬申の乱が夫と父との戦いであったという悲劇性からで「母上は複雑なお立場だったんですね……(by葛野)」。でも
十市は「愛より立場でしょう」「立場をわきまえていますし」。そして高市が「もう立場などどうでもいい!」と叫んでみた
けれど、十市は「愛する高市と葛野をわたしとのしがらみから解放したい」と結局死を選ぶ。子供を残して死んだとこ
ろで何の解決にもなっていないとの批判もあって、どうも十市は好きになれないという意見も最近聞かれます。うー
ん。考えようによっては……そうねえ。でもあそこで十市が急死するのは歴史上の事実だし、古来前記のスパイ説と
のつながりで他殺説も出されていますけど、ドラマとしては自殺とするのが自然ですしねぇ。生きているのがつらくて
死ぬというのとはまた違う、十市の複雑な立場ゆえの苦しみはわかってあげたい気もします。高市と葛野はかわいそ
うだし、さすがの大海人さまも「そんなにまでおれはおまえにむりじいしたのか」と後悔なさり、尋常でなく悲しんでい
らっしゃいます。
 十市ほど複雑でなくても、他の皇子、皇女たちもそれぞれの立場を生きています。まあ「きみはいちおう大海人さま
の血をひいてんだから、おれよりはいい立場なんだから」と卑屈になり過ぎる川島はちょっと行き過ぎ。でも「ぼくは父
は天皇、母は皇后。つまり身分の上では申し分のない立場なんだよ。そういう人間が申し出たら相手だってほんとう
はイヤでも断りにくくなるかもしれないじゃないか」なんて草壁が言っていると、呉女は「いい子だねぇ、草壁ちゃ
ん!」と頭ナデナデしてあげたくなっちゃう。その草壁には「何があっても立場上毅然とした態度でふるまいなさい」と
いう厳しい(立場上厳しくて当然!)お母さま(さらら様)がついてるし、草壁の相手となる阿閇に十市は「かわいそう
に。この子も皇族としてのしがらみから一生のがれられないのね」と同情を寄せているけど、当の阿閇本人は「尊敬
されなきゃいけない立場だから、それなりにいつも自覚してふるまっているわ」というしっかり者。さすが将来天皇にな
るだけのことはあります。立場のとらえ方も人それぞれってことですね。
 そういう中で、草壁の舎人は「大津さまや忍壁さまとあまり差があるのを人に見せすぎるとお立場にかかわりま
す」、大津の舎人も「傲慢な態度と見られるとお立場にさわります」……てな具合なのに、当の大津は「立場なんて気
にしないさー」。そういう「おおらかなところが大津の魅力だが、おおらかすぎて……(by忍壁)」。そうなんです。大津に
はファンが多いから(その点大海人さまは味方が少なそうだから呉女がマモッテあげなきゃ!)、敵を作ることを覚悟で
あえて言わせてもらうと、大津、アンタはちょっと無神経! ……ああっ、石が飛んできそう!


呉女の永遠の男性……
 やっぱり大津の話に振るのはやめて(汗)、また話を高市に戻しましょう。大海人さまも好きだけど、呉女がいちば
ん好きな男性は何てったって高市! 「天上の虹80問」にも書きましたが、高市の立場をわきまえすぎたような(十市
の一件ではさすがに立場をかなぐり捨てそうになったけど……)静けさというか、落ち着きというか、穏やかさという
か、控えめさというか。バカがつくほどのマジメさや人のよさ。中学生のころ背伸びして新書の歴史の本とかを必死に
なって読んでみた、そんな時から高市という人が気になって。それでびっくりしたのは「天上の虹」の中にほぼ私が思
い描いた通りの高市が存在したこと!
 「虹」だけでなく、いろいろな作品に描かれる高市と十市のロマンスは、十市が死んだ時に高市が残した挽歌3首
(「山吹の立ちよそいたる山清水汲みに行かめど道の知らなく」他)のみからの推察であるわけです。それ以外に高
市も十市も歌を残していないから実際のところは全くわからない。ただ十市が死んだ時点で高市に何か特別な思い
があったとすれば、それがいつまで遡れるか。もし大友が死んでから二人が接近したのなら三角関係は成り立たな
いし、そもそも単なる異母兄妹の関係ととればとれなくもない。十市が大友と結婚する前まで遡ったとしたらロマンス
としてはかなりドラマチック……という、いわばフィクションの世界と言えなくもないんです。
 でもこの三角関係に関しては「呉女だったらこう描きたい」という思いが昔からあるんです。高市と大友って意外とお
互い共感できる仲だったのではないかと思うんです。少なくとも大友が近江朝で重用されるまでは立場が似ているで
しょう? 二人とも有力皇子の一番年長の男子でありながら卑母。実力があっても血筋ゆえ後継者にはなれない。そ
の時点で中大兄と大海人の立場は違うにしても、大海人が中大兄の後継者と目されていたことを考えれば、二人の
立場はほぼ同じです。二人が少年時代に恋敵としてではなく接近していれば、オトコの友情だって芽生えていたかも
しれません。その上での恋敵だったら二人の間にはかなり複雑な感情が流れていたでしょう。ところが大友は血筋と
いう慣例を破って後継者になる。しかし世間はそれを認めず、そのことが一つのきっかけになって壬申の乱がおこり、
高市は大海人軍の総大将として大友を攻め落とす。その時の高市がどんな気持ちだったか、と考えてしまうんです。
 高市を考えるときの一つのキーワードは「野心」だと思うんです。「天上の虹」にも大海人と高市の会話で「野心はな
いのか?」「野心は……わたしなりにあります。歴史に残る補佐役になることです」というのが出てきますね。一方、
前述の長岡良子先生の作品では「但馬皇女悲歌」に見た目はかなりごついおじさんふうで「虹」とはずいぶん違う高
市が出てきますが、こんなセリフがあるんです。「私が一度も皇位を望まなかったと思うか?悟りすまし、陰に徹して
生きてきたと思うか?」。高市は最初から野心がなかったのではなくて、高市の人生の中であきらめて、あきらめさせ
られて、おさえつけてきたのかもしれない。高市は大友を攻め落とした時に、自分の野心もいっしょに滅ぼしてきたの
かもしれないんです。「虹」の高市もそう解釈することは可能です。十市と大友の結婚が決まった時に「一生かかって
も大友さまよりえらくなってみせる」とさらら様の胸にすがって泣いていた高市少年……。
 自分の野心を心の奥底に沈め、静かに生きた高市。呉女にとっての永遠の男性です。
2002年11月記

一月ぶりの再開。1月10日、19巻発売と聞いて
突然走り出しました。
そしたら、高市の話が止まらなくなってしまった……。
19巻にもう高市は出てこないのにー(涙)

それからの高市
 その高市少年がさらら様にすがって泣くシーン、呉女は大好きなんです。ここを読んだときから「里中先生も高市が
好きなんだな」と直感しました。高市とさらら様は最終的に天皇&太政大臣というコンビを組みますけど、このころから
ずっとさらら様と高市って、いい雰囲気で描かれていますよね。だから高市がさらら様から太政大臣を要請されて、さ
らら様への恐れを感じるというシーンは、はっきり言ってショックでした。さらら様が感じたのと同じようにショック。「高
市ぃ―。アナタくらいさらら様を信じてあげてよぉー」という感じで。その後信じてくれたから、よかったですけど。
 ……というわけで、なんのかんの言いつつ、高市は太政大臣まで出世してしまう。欲を出さなくても出世するんだか
ら、こういう人、大好きです(はあと!)。太政大臣になってからの、若いころとはまたちょっと違う落ち着きの高市がこ
れまたいい! 特に不比等から但馬皇女の話をきり出されたときの態度なんてもう……ホレボレ……。あの不比等
が「高市さまは苦手だ」というくらいなんだから。で、不比等には平然と「下がれ……」と言っておいて、実は「わたし
は困っているのだ……!」。自分の妻の不倫を知って、怒るでもなく嫉妬するでもなく、マジにコマッて悩んじゃうとい
う高市の、見ようにようっては「バカじゃないか、オマエ」と言われそうなこの感覚がものすごーく好き。その上、その
妻に開き直られて、それに対して「感動」しちゃう高市さま。最高っ!! 高市はこうでなくっちゃ。さすが里中先生は
よくわかっていらっしゃる!(……そういう問題か?)
 ところで、この妻、但馬皇女って人はすごい歌を詠みますよねー。たとえば「人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡
らぬ朝川渡る」。いえ、呉女は歌の鑑賞というのは苦手なんですけど、彼女の歌は意味がわかってもわからなくて
も、そのひたむきさというか純粋さというかが痛いように伝わってくる感じがします。これじゃあ高市も感動するわ、と。
でも太政大臣の妻の不倫の歌が堂々と残っているのですから(妻ではなかったのでは?という説もある)、万葉集って
不思議な世界ですよねー。
  さて、この時代では出世して「勝ち組」にあたるので、悲劇色は比較的薄い高市ですが、その死についてはその
恋同様いろいろな憶測が飛びかいます。「日本書紀」にはただ「亡くなった」とあるだけで死因は書いていないし、人
麻呂が高市に捧げた万葉集最長の壮大な挽歌も高市の死因の手がかりにはならない。……人麻呂が出てきたとこ
ろで、「虹」の高市は一度だけ人麻呂と「特別な関係」になったことをすぐ話題にされてしまう。あれは単なるハズミと
いうか……、それでも里中先生っぽい展開ではないような、と思っていたのですが、青垣さんが「あの当時、そういう
系統の漫画が流行っていた影響もあるのでは」とおっしゃっていたので、ちょっと納得しました。でも後になって人麻
呂と碁を打ちながら律儀にその状況を思い出さなくてもねえ、と思ってみたり、その律儀さがまた高市らしくていいわ
あ、と思ってみたり(こうなると何でもよくなってくる……)。
 話を戻して! 当時の43歳の死というのは多分それほど若いという感覚ではなかったと思うので、別にただの病死
と考えても不自然ではないと思うのですが、ドラマではそうはいかない。やはり但馬皇女の不倫絡みで、その影には
但馬にとってはおじにあたる不比等がいる、というような描き方をされる場合が多いようです。悪人をつくらないこの作
品では、そこにかなり複雑な仕掛けがされていてファンをうならせました。
 一般的には不比等の影にはさらら様がいる、という描き方が多いようです。もちろん里中先生がそんな描き方をす
るはずがありませんけど。だいたい、さらら様を悪女だと思っている人はさらら様が高市も死に追いやったと考える。
それって先入観ってヤツじゃないの?と呉女は言いたい。「オマエだってさらら様はいい人だという先入観で、違うと
言い張っているだけだろ」と言われるかもしれないけど、それってお互いさまでしょ。


さらら様にとっての高市 (19巻が出る前に)
 だいたい、さらら様はあそこで高市に死んでもらっちゃ困ったはずなんですよ。ここの部分は「虹」の話じゃなくて、呉
女はこう考えるという話ですけど。高市が死んでから突然ガタガタと皇位継承問題が動いていると思うんです。18巻
に出てくる皇太子を決めるための会議。葛野が活躍するあの会議は「懐風藻」という史料に「高市の死後」開かれた
と書いてある。その結果、可瑠が立太子。それから即位までは半年しかないのです。今は12月、来月発売される19
巻ではさらら様は可瑠に譲位するでしょう。その譲位を里中先生がどう描くのか、今の時点でわからないのですけれ
ど、だからこそ、今のうちに呉女の考え方を書いちゃえー。
 ……つまり。さらら様としては当然可瑠を皇太子にするつもりであの会議を開くわけですが、当時の可瑠の年齢15
歳というのがビミョ〜な年だと思うんです。皇太子というのは当時は「次の天皇」というのと同時に、天皇を補佐する
為政者の一人になることですから、それなりの年齢になっていることが必要だったはずなんです。当時の15歳は今の
感覚でいくつくらいでしょ?19歳か20歳くらい? とするとギリギリの線ですよね。皇太子という地位が確立したのは
天武朝か、というように最近はいわれていたりするので、そうなると皇太子の前例は草壁しかいないのがつらいとこ
ろなんですが、草壁の立太子は19歳。後の時代になると藤原氏が絡んでメチャメチャになってくるから、一応可瑠の
息子の首(おびと)は可瑠より少し若いくらいで立太子しているけど、あんまり参考にならない。このビミョ〜なところで
ちょっと無理して可瑠を立太子させたような感じがする、その無理をする必要が出てきたのは高市が急に死んじゃっ
たからだろう、と呉女は思うわけです。
 この時点で、さらら様は可瑠を次の天皇にしたいと考えていても、それが朝廷内での合意を得ていたわけではない
からこそ「会議」が開かれたわけですよね。その合意を得られていない不安定な状態をさらら様は高市を太政大臣と
いう皇太子に準じる地位におくことでのりきろうと考えていたのではないかと思うんです。つまり、もしさらら様にとって
高市という存在がジャマになって死に追いやったと考えるなら、高市の死の時期はちょっと早すぎると思う。さらら様と
してはあと2〜3年、可瑠を立太子させるのに抵抗のない状態になるまで高市が太政大臣として頑張ってくれること
を期待していたはず。そして多分、その後は可瑠を皇太子に、という合意みたいなものがさらら様と高市の間にあっ
たのではないか、と。また、草壁が急に死んでしまった先例がありますし、可瑠も病弱だったようですから、万が一の
ときには自分の後継者は高市でもいいとさらら様は考えていたと思います(天皇になったらそのくらいの危機管理は
考えないと)。それが先に急に高市が死んでしまったので、多少の無理は承知で、高市の死後間髪を入れずに可瑠
を立太子させ、立太子だけではまだ安心できずに(そのあたりで他の皇子たちが絡んでくるか?)、まだ自分が後見
できるうちに既成事実を作ってしまう。つまり可瑠へのいちばん確実な皇位継承方法として譲位という方法を急いで
とったのではないか、と。
 この「譲位」というのが当時では普通のことではないと思うのです。譲位の先例はいわゆる大化の改新の時の皇極
天皇から孝徳天皇への譲位しかありません。呉女はこの皇極天皇の譲位についてはまだ納得していないんで(なに
もアンタに納得してもらわんでも、と言われそうですが)何ともいえないのですが、さらら様の後には譲位は一般的に
なりますが、後世の歴史の本に「院政のはじまりは持統上皇にある」と書かれていたくらいですから、さらら様から可
瑠への譲位は一般的ではなく、むしろ画期的な先例をつくったのではないかと思うんです。つまり高市が死ななけれ
ば、こういうある種の無理はしなくてすんだかもしれないわけで、そのあたりから、さらら様にとっての高市という存在
の意味を考えてみるわけです。ジャマだったのではなく、二人はナイス・コンビネーションだったと。ま、高市の側から
考えるとこれもちょっとかわいそうな気もしますが、そういう運命をきちんと引き受けそうな気がするわけです。高市な
ら。


突然、息子は有名人
 聞くところによると、「高市は天皇になっていた」という説もあるんだそうです。私はその説に直接お目にかかってい
ないので、憶測でものを言ってはいけないけれど、多分「長屋王木簡」に「長屋親王」と書かれたものが出てきたから
じゃないかしら? 「親王」は天皇の息子にのみ使われる称号だから長屋の父である高市は天皇になったということ
では……という発想なのではないかと思いますけれど。
 「長屋王木簡」は1988年に奈良そごう建設にあたって平城京跡を発掘中に発見された大量の木簡です。この発見
により、それまで藤原氏によって悲劇的な死を迎えたけれど皇族の一人としか見られていなかった長屋王が実は大
きな力を持っていたらしいことなどがクローズアップされました。息子が急に有名人になって高市はどう思っているの
かな? 父も息子も有名人。そのわりに本人は慎ましいのが高市のいいところ。……はともかくとして呉女が卒論を
書いたのは残念なことに、この木簡が発見される前でした。実感として、この木簡の発見前後で奈良時代に関する
論調はかなり変わったと思います。皇位継承に対する見方も多様になって複雑になった気がするから、論文をまとめ
る意味では発見前でよかったかな?な〜んて。
 その木簡発掘の契機となった奈良そごうは閉店して、今平城京跡の長屋王邸跡にはその名残りの大きなビルが
空虚にたたずむのみ。何度見ても複雑な思いのする光景です。ウワサではそごうの倒産は長屋王のたたり、なんて
話もありますけど。長屋王を死に追いやった藤原4兄弟が疫病でバタバタ死んじゃったことから長屋王は怨霊の元祖
みたいに言われることもありますけど、パパ似の性格だったらあんまりたたりそうな感じじゃないんですけどね。「長屋
王」に関しては里中先生が「天上の虹」の続編として「長屋王残照記」という作品を描いていますので、そちらをどう
ぞ。高市にそっくりの長屋が出てきます。
 話がまたズレまくりましたが、「長屋王木簡」のように、歴史は一つの発見によっても大きく見方が変わったりする
のです。最近はそういう発見が相次いでいるから、歴史の本を読むときにはまずそれがいつ書かれたものかを確認し
てから読まねばなりません。里中先生も書いている最中に藤原京の範囲の定説が発掘でくつがえされてしまって、
途中でわざわざ書きかえていらっしゃいます。あの亀形石造物の発見がもっと早かったら、里中先生は斉明天皇をど
う描いていただろう……とか、ちょっと残念に思うこともあります。いちばん残念がっているのは里中先生ご本人だと
思いますが。
オイ、まだ書く気かい?
だってまだ、さらら様のこと、あんまり書いてないもん……
2002年12月記

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